2020年2月29日土曜日

2020年2月29日 日経朝刊28面 定年後のお金、3分法で使う 日常の生活費 年金で賄って

経済コラムニストの大江英樹氏による解説で、「資産管理には「資産3分法」や「財産3分法」という考え方があります。リスク分散のため一つの資産に集中せず、異なる複数の資産で持つべきであるとの考え方です。運用では「株式・債券・不動産」に分けたり、不動産の代わりに金を入れるのも一般的です。」というものである。
その上で、定年シニアが実践したい3分法」として、ご自身の経験をベースに、「(1)年金収入(2)定年後の勤労収入(3)定年までに蓄えた資産や退職金――の3つに区分し、異なる使途に充てるというものです。」を紹介している。特に、年金収入については、「公的年金は定年退職後の日常の生活費に充て、支出すべてを公的年金で賄えるようにコントロールします。」としており、「行き当たりばったりだと老後の生活プランが大きく狂いかねません。」と警告している。

「金を入れるのも一般的」とは思えないが、財産3分法は、現役時代の考え方としても、貯蓄・株式・不動産の3つにリスク分散する方がよいとされている。このアドバイスは、収入源についての3分法ということになる。
しかし、私自身の状況を考えても、公的年金で日常の生活費のすべてを賄うのは、難しいのではないか。実際のところは、なるべくそのように心がけながらも、不足分を私的年金(企業年金や個人年金)あるいは勤労収入や資産の取り崩しで賄っているケースが多いのではないかと思われる。
しかし、このような対応のうち、私的年金による補完対応が、今後は難しくなってくるものと思われる。企業年金における主力であった確定給付型の企業年金制度が減少してきており、退職金を年金として受給できる選択肢がなくなってきているからである。この減少の一方で、退職金の前払資金を個人が運用する確定拠出年金制度(企業型)への切り替えが増えているが、たとえ運用がそこそこうまくいったとしても、定年後に年金として受け取る途は、運用商品の一つである個人年金を購入するしかなく、実際には一時金で受給する人が大半である。この状況は、個人が老後に向けて自身の資金を託す確定拠出年金制度(個人型)においても同様である。
なお、これまでのシニア世代においては、確定給付型の企業年金制度での年金選択は一般的ではなかったが、それには理由があった。老後の安全・安心を図る上でも、住居の確保は重大な問題であり、持ち家を確保することが優先課題だったのである。それ故に、定年退職時において、退職金やそれが変じた企業年金の一時金受給により、住宅ローンの残金を返済するという用途が一般的だったのである。ところが、いざとなった時に売却して資金を得る持ち家の価値の方も、少子高齢化の進展で空き家が大きな社会問題となっているように、急減してきている。
そのような状況下において、年金を選択する退職者は少しづつ増えてきていた。ところが、そのことが、不透明な投資環境の中で、確定給付型の企業年金制度の側の負担を大きくすることになっていったのである。このような年金受給権者の増加が、企業が確定給付型企業年金から確定拠出年金に切り替える最大の要因であると思われる。
かくして、今後は、私的年金に頼りにくい状況になっていく。しかも、公的年金も、同じく少子高齢化の影響で、今後は縮減が避けられない状況にある。そうした状況変化に対しては、どのように対応すればよいのであろうか。
一つは、可能な限り、公的年金の受給を後倒し(年金用語では「繰下げ」)とすることである。繰下げにすれば、年金額は増額されることになる。その理由は、年金の受給期間が短くなるので、受給期待総額が変わらないように増額しても、基本的に年金財政には影響がないからである。この繰下げによる増額率は月あたり0.7%で、65歳からの受給を現在の最長可能年齢である70歳まで繰下げれば、年金額は42%増となる。しかも、それが死ぬまで続くのである。さらに、この最長年齢は75歳まで延長されようとしている。
もう一つは、やはり私的年金を年金として受給する選択肢を拡張することである。現在は、自営業者によっての国民年金基金からの年金受給と、会社員にとっての確定給付企業年金からの年金受給しかないが、後者は、前述したように制度自体が減少しつつある。企業にとっては、退職者の管理が何十年にもわたって必要となる確定給付企業年金の維持は、ますます困難な状況になっている。特に中小企業にとっては、事務管理の負担も大きいであろうし、退職者の視点からしても、一般的に経営基盤が脆弱な中小企業の制度に、虎の子の退職金を預けるのには二の足を踏むこともあるだろう。
このような観点から、私は、確定給付企業年金や確定拠出年金、さらには退職金の資金も受け入れて年金という権利に転換する、次のような「年金給付機構」(仮称)を、長年にわたって提唱している。
いずれにしても、寿命が延びた次の世代は、長く働くことが必要になってくる。その就労の後の老後の所得保障をきっちりと支える必要があることは、これまでと変わるものではない。その点を見据えた私的年金の再構築は、喫緊の課題であろう。
2020年2月29日 日経朝刊17面 (大機小機)新型コロナ、リーマン級だが一過性

「大機小機」の方は、「新型コロナウイルスによる感染症の拡大は日本経済に大きな影を投げかけている(以下これをコロナショックと呼ぶ)。今後、2020年1~3月期の経済の実態が明らかになるにつれて、このコロナショックの深刻な全体像が見えてくるはずだ。」との論説である。
「ショックが日本経済に影響を及ぼす主なルートは次の3つ」として、①サービス輸出(外国人観光客の消費)の減少、②財の輸出の減少、③不要不急の外出が控えられることによる経済活動の萎縮、をあげている。
そして、「コロナショックの衝撃はリーマン・ショック並みとなりそう」だが、「リーマン・ショック級の影響が出るが一過性」というのが、今回のコロナショックの特徴だとしている。
その上で、「今こそ本物の緊急経済対策の出番」とし、「信用保証などで短期的な売り上げの落ち込みが雇用や経営に影響しないように配慮すべきだろう。」と結んでいる。

コロナショックの影響は、広範にわたっており、「リーマン・ショック」になぞらえる議論が多くなっているが、果して、「リーマン・ショック並み」の規模で、「一過性」ということに収まるのだろうか。そもそも、ここでいう「一過性」の意味が、よく分からない。例えば、「リーマン・ショック」は一過性だったとしているのだろうか。東日本大震災ですら、また発生する可能性が少ないということなら、「一過性」になり得る。
影響が長く広範に続くかどうかという点でいうと、コロナショックは、リーマン・ショックの比ではないのではないか。リーマン・ショックは、突き詰めればカネの問題であり、世界中でカネ不足が起きたことによって、金融機関や企業の活動に制約が生じて、経済活動の停滞をもたらした。コロナショックでも世界的な株価の暴落によって、その様相を呈しているが、さらに深刻だろうと思うのは、ヒトの活動にも大きな制約や影響を及ぼしていることである。上記③の外出抑制による消費レベルにとどまらず、生産現場などの供給レベルにも、大きな影響を及ぼしている。
このコロナショックの震源地が中国であったことは、世界経済を牽引してきたとされる中国の社会・経済体制の脆弱性を浮き彫りにしたといえるであろう。中国からの観光客に依存し、中国での生産に依存してきた日本にとって、その影響は、世界中のどの国よりも大きいのではないか。国内での感染蔓延を抑止するためには、早期に中国からの入国を抑制すべきであったと思うが、そうしなかった(今も全面的にはしていない)のには、こうした依存性があったのであろう。結果として、同じく入国規制を行わなかった韓国では感染者が急増しており、検査体制が整わずに十分な感染検査すら行えていない日本では、感染者数の実態把握すら行えていない。
「一旦感染が収まれば、V字回復になるはず」と記事はしている。どのような事態においても、収束すれば、それまでの抑制が解除され、回復することにはなる。しかし、東日本大震災に見られるように、回復したとしても、惨事の傷跡は長く残り得る。未来志向は大事だが、惨事と向き合って様々な対応を行うことは、それ以上に大事であろう。雇用や経営への影響が短期的な「一過性」で済むようには、私には思えない。

2020年2月27日木曜日

2020年2月27日 日経朝刊11面 韓国出生率 最低0.92 昨年、若者の生活費負担重く
2020年2月25日 日経朝刊2面 (社説)柔軟な働き方が危機に役立つ

「韓国統計庁が26日発表した韓国の2019年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)は0.92となった。18年に初めて1を下回り世界最低水準となったが、低下に歯止めがかからない。文在寅(ムン・ジェイン)政権は少子高齢化対策に力を入れるが、成果があがっていないのが実情だ。」という記事である。
「韓国の出生率が低いのは複合的な要因が絡んでいる。漢陽大のハ・ジュンギョン教授は「出産すると職場復帰しにくい労働環境、重い教育費負担、住宅価格の高騰などで、女性が出産をためらっている」と指摘する。」とのことである。
「女性の社会進出が進む一方、育児との両立のハードルはまだ高い。」とのことであり、「若年層の所得の伸びは40代後半~50代に比べて低い。造船や自動車部品など製造業では子育て世代の30~40代がリストラ対象になり、出生率にも影響を与えた」と先の教授は指摘しているそうである。

一方、25日の社説では、「新型コロナウイルスの感染拡大を受け、在宅勤務制度の活用や時差出勤を呼びかける企業が相次いでいる。働く場所や時間を社員が柔軟に選べるようにしておけば震災などの災害時にも役立つ。今回の事態を機に備えを固めたい。」としている。
「新型ウイルスやそれによる肺炎の拡大の抑制策として着目されているのが、会社に出勤せずに働くテレワークだ。在宅勤務が代表的で、通勤の混雑を避けるサテライトオフィス勤務などもある。」とし、「同様に勤務時間帯を柔軟にする方法としては、裁量労働制もある。災害時に企業が人員を確保し、事業を継続する手立てにもなる。生産性向上に資する裁量労働制は、一部の専門職などに限られている対象業務の拡大が見送られたままだ。非常時の備えとしても使いやすい制度への改革が急務だ。」というのである。

韓国の出生率の低下は、想像を絶する。現在の日本の出生率は、全国平均で1.42だそうであるが、それでも、将来の人口は急減し、社会に大きな影響が及ぶものとされている。
韓国の状況には、様々な要因が影響しているとされるが、儒教文化を背景に、家族間での助け合いが強調され、高齢の親を家族内で世話するのが当然とされてきたようである。これは美徳とされてきたが、結局、女性の社会進出を遅らせ、年金制度の発展を阻害する原因ともなったようである。加えて、男尊女卑の風土も色濃く、経済力をつけた女性にとっては、結婚や育児に対する忌避感が大きいと聞く。最も人気が高い結婚相手は、親が公務員である場合で、その理由は親に年金があり、経済的・精神的負担が小さいからだという。
この状況は、日本でも、他人事ではない。つい数十年前まで、日本の女性の置かれた状況は、韓国と同様であった。今は、働き方改革や出産・育児の支援が叫ばれているが、女性の正社員が出産・育児で退職すれば、復職後の働き方は非正規労働者になるという状況は、まだまだ続いているし、そもそも就職の際にも、男女差別は少なからず残っている。

一方、25日の社説の方は、新型コロナウイルスによる非常事態に対して、テレワークなど、柔軟な働き方で対応できる面があることを評価するものである。そのことには異存はないが、かねてからの日経の主張である裁量労働制の拡大を、この時とばかり持ち出していることは、いただけない。
そもそも、働き方改革の推進の中で明白となってきているのは、企業が、きちんとした労働者の勤務時間管理をしてこなかったという事実である。それが、サービス残業や過労死といった社会的問題につながっていたのである。
このような状況の中で、「生産性向上に資する裁量労働制」などというのは、あまりにもそらぞらしい。時間でなく成果で測って報酬を払う、というけれども、労働組合側が危惧しているように、時間管理が労働者の自己責任とされ、結果的に、統計上表れる形式上の労働時間が減少するだけではないのか。そのような実労働時間を反映しない労働生産性など、まったく意味がない。企業は、まず、きちんとした勤務時間管理を行うべきである。違法な時間外労働や、時間外賃金の不払などを起こしている企業における裁量労働制は、適正な運用などできるはずがないのだから、禁止すべきである。
柔軟な労働時間は、労働者にとって有益なものであって初めて意味を持つ。裁量労働制など持ち出さなくとも、出退勤に柔軟性を持たせれば、仕事と家庭の両立に、大きく寄与するであろう。

なお、蛇足ながら付言すれば、安倍首相が突如として打ち出した小中高校の3月2日からの休校検討の指示には、大きな問題がある。あまりに唐突であり、25日の政府の専門家会議でも、検討されなかったようである。一説には、新型コロナ感染者が全国最大で感染者が続く北海道知事の休校要請(が評判が良かったもの)を模したものとされているが、教育現場にも波及し、全道的な感染拡大を阻止する緊急性に駆られた北海道と、全国単位とでは、状況が異なる。
すでにマスコミ報道で、多くの弊害が指摘されているが、とりわけ深刻なのが、働く女性の育児への影響である。ある病院では、女性看護師の多くが休業をやむなくされ、外来診療にも影響があるそうである。このような悪影響は、全国的に想定され、重大な時期と言いながら、医療現場の崩壊にもつながりかねない愚策である。
従来より、インフルエンザのような感染症に対しては、学級閉鎖といった措置がとられ、それなりの効果をあげている。リスクの高い高齢者が同居する家庭についての自主休校を認める(その高齢者が児童の世話をすることが可能である)など、効果的な対策は、少し日時をかけるだけで、いくらでも検討できたのであろう。
一方で、新型コロナの検査体制は、世界中で最も貧弱であると言わざるを得ない。緊急対策が必要なのは、その体制の変革であろう。「正しく恐れよ」といいながら、感染者の状況も正しく把握できないのでは、話にならない。きちんと検査すれば、日本の感染者数は、検査体制が拡充している韓国の比ではなく、中国に続く状況になっているのではないかとすら思える。これでは、世界が日本を信用しないのも当然で、東京オリンピック・パラリンピックの開催など、寝言になりかねない。

2020年2月26日水曜日

2020年2月26日 日経夕刊5面 会社員の夫65歳、妻の年金は? 60歳未満なら国民年金に加入

問題形式で、「会社勤めで厚生年金に加入しています。先日65歳になり、勤務先から58歳の妻について「第1号被保険者への手続き」をするよう連絡がありました。妻は専業主婦ですが保険料の支払いが必要になるのでしょうか。」という質問に対して、特定社会保険労務士の篠原氏が答えるという記事である。
「一般に夫が厚生年金に入っていれば、扶養される妻は「第3号被保険者」となり、原則60歳まで保険料負担なしで65歳から老齢基礎年金を受け取れます。」という原則を述べた上で、「現制度では厚生年金には70歳まで加入できます。その間、妻の保険料も免除されると勘違いしがちですが、夫が年金受給権の発生する65歳に達すると、60歳未満の妻は国民年金の保険料を納めなくてはならない「第1号被保険者」に切り替わります。5歳以上年の離れた夫婦は注意が必要です。」というのが回答である。以下は、手続き方法などである。

この仕組みは、珍妙に見える。厚生年金被保険者の被扶養者なら第3号被保険者にするというのなら、夫が70歳まで厚生年金に加入していれば、引き続き、被扶養者の妻は第3号被保険者になると考えるのが普通であろう。
とろこが、そうはなっていない。その理由は、厚生年金被保険者が国民年金の第2号被保険者となる期間は65歳到達時までであり、第3号被保険者として取り扱われるのは、第2号被保険者に扶養されている場合だからである。このため、「5歳以上年の離れた夫婦は注意が必要です」ということになるのである。
では、厚生年金被保険者が第2号被保険者となる期間については、国民年金というか基礎年金の給付に反映されるのだろうか。国民年金の被保険者であり、厚生年金の保険料に中には、基礎年金の保険料も含まれているわけだから、当然にそうなっていると考えるのが自然であろう。ところが、これもそうなっていない。
どうなっているかというと、厚生年金被保険者は、60歳以降65歳までの間は国民年金の第2号被保険者にはなるが、国民年金の保険料納付は要しないというか納めていない取り扱いになるのである。したがって、この期間については、基礎年金の給付には反映されず、厚生年金保険料の中に含まれる保険料は、「掛け捨て」の状況になる。
そんなのおかしい、と思う人は多いだろう。この「掛け捨て」状態は、60歳以降ずっと続くので、政府は70歳を超えての就労も推奨してきているが、年金保険料的には、厚生年金に加入し続けると割損の状態が続くということになるのである。
これは、1985年の公的年金の再編成時において、従来の国民年金と厚生年金との保険料と給付の調整を行うに際して、当時の法定定年年齢が60歳であったことから、60歳以上の厚生年金被保険者は一般的ではないとして取り扱われたものと思われる。
しかし、それでも、大卒22歳で会社に入ってずっと厚生年金被保険者であった人が60歳以降も継続して勤務して厚生年金の保険料を支払ったとしても、基礎年金の給付は38年分となってしまうのでは、割り切れないであろう。それでは、旧国民年金と旧厚生年金との再編成に支障をきたすことにもなる。そこで、この場合の60歳を超える期間については、厚生年金側において、40年に満たない2年分の給付を定額部分として特例的に支給するという取り扱いにしているのである。
しかし、それでも、今度は、高卒18歳で会社に入ってずっと厚生年金被保険者であった人は、60歳どころか、58歳時点で基礎年金が40年満額となり、それ以降の期間については、厚生年金側からの定額部分の特例支給も行われないことになる。そこで今度は、長期加入者の特例給付として、「44年以上厚生年金保険に加入している特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分)を受けている方が、定額部分の支給開始年齢到達前に、退職などにより被保険者でなくなった場合、報酬比例部分に加えて定額部分も支払われます。」ということにしているのである。
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/tetsuduki/rourei/jukyu/2018110702.html
何とも複雑であり、上記のような再編成時のままの対応では、60歳を超えての就労が一般的となり、70歳を超えての就労の促進も図るという状況下においては、早急な整理・見直しが必要であろう。
さて、話を第3号被保険者に戻すと、今では妻が年上の夫婦も珍しくないが、再編成当時においては妻が年下であるのが大勢であり、夫の第2号被保険者を60歳にしてしまうと、60歳到達時点で60歳未満の妻は第3号被保険者の資格を失って第1号被保険者となり、国民年金の保険料を納付しなければならなくなる。これは問題になるということで、妻が夫より5歳年下である間は、第3号被保険者でいられるように、厚生年金被保険者が国民年金の第2号被保険者となる期間を65歳までとしたものと推察される。一方で、国民年金の保険料納付期間は60歳までであるから、60歳以上の厚生年金保険料には国民年金分の保険料は含まれず、基礎年金の給付には反映されないとしたということであろう。
ところが、このことを悪用して、公務員を60歳を超えても確定拠出年金の個人型年金(イデコ)に加入させるという悪辣な企みが進んでいる。憤懣やる方ないが、このことについては、次の「年金時事通信」を参照されたい。
http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin/19-015.pdf
旧国民年金と旧基礎年金の再編成が行われてから、約45年になる。今回2019年の財政検証を受けた検討でも、その仕組みの抜本的な再検討は行われなかった。どんな制度でも、そんなに長きにわたって大きな点検・調整をしないで続けられるものではない。次回2024年の財政検証に向けて、半世紀を経る基礎年金制度の徹底再検討は、今からが正念場になる。

2020年2月25日火曜日

2020年2月25日 日経夕刊2面 ●(就活のリアル) 志望動機、部署名まで明確に ネットの「模範解答」には注意

就活実務編での、ハナマルキャリア総合研究所の上田晶美代表による説明である。
「志望動機をどう書いていいかわかりません」。3月1日の就活情報の解禁日が近づき、学生からは具体的な相談が増えてきた、というものである。
記事では、「エントリーシート」での「志望動機が学生にとって一番の悩みの種」とし、「ネット上にはたくさんの模範解答」があるが、疑問があるとし、「どんな部署でなんの仕事をしたいのか、それを調べて、ズバッと書こう。」というものである。

言っていることは、正論ぽく見えるが、学生にとっては、むしろ不安が募るのではないか。就活では、業界や企業の研究をする必要があるとして、そのための本も多く出ているが、企業活動についての実際の知識がない学生にとっては、その中の記述を適当に抜き出すのが精一杯で、ネットの情報に頼るのもやむを得ないといったところだろう。
大事なのは、志望動機の前に、自分が何をやりたいのかを、よく考えてみることだろう。と言っても、それが分かれば苦労はない、ということになるのだろうが、やりたい仕事がはっきりしなければ、ちゃんとした志望動機など、書けるはずがない。
記事では、模範解答について、「これで本当に受かったのか」としているが、私から見れば、やりたい仕事の明確でない学生の志望動機など、その程度のもので、内容については企業もさほどに重きを置いていないのだろうと思える。
そもそも、大手企業なら大量に届く「エントリーシート」の内容になど、採用担当者が個別に時間をかけて吟味しているとは思えない。中には、AI利用のように、いくつかのキーワードが入っているかどうかで選別している企業もあるだろう。
大事なのは、「エントリーシート」がパスするかどうかではなく、就活の中で、自分のやってみたい仕事を見つけ、その仕事を行う上で魅力のある企業を選択することであろう。と言っても、「自分のやってみたい仕事」を見つけるのは、簡単ではない。このことは、就活全般を通じてのテーマであり、社会に出てからも、ずっと考え続けていかなければならないテーマと言えよう。
また、やりたい仕事が決まっても、それを行える企業に採用してもらえるとは限らない。ここが大きなジレンマで、その中で、やりたい仕事を代えたり捨てたりして、とにもかくにも内定を取りたいと焦る状況に陥っていく学生も少なくないだろう。特に、友人たちが次々に内定を取っているようなら、その焦りは増幅することになる。そうなると、自分では意識しなくても、目は血走り、表情は明るさを失って、ますます内定には遠くなる。これが、就活に失敗する学生の典型的なパターンだろうと思われる。
まず、考えて欲しいのは、企業の選択は、これまでの学校の選択のような、偏差値とかで決まるものではないということである。本来は学校の選択でもそうなのだが、有名な企業への就職が、必ずしも充実した職業生活につながるわけではない。この点で、大手企業に内定した学生を羨むといったレベルなら、そもそも真剣な就職活動とは言えない。
もちろん、一般的には、大手企業の方が、中小企業よりも給与も高く待遇も恵まれている。そうした企業への就職を最高の結果と考えるのなら、それも一つの価値観であるが、ありていに言えば、そういう企業には有名大学の学生も大挙して押し寄せるので、競争率も高く、入社後に配属される部署にも、大学名での格差があり得るのが実情である。
充実した職業生活とは何か。私は、自分に向いた、やり甲斐のある仕事に出会うことであると、自分自身の経験にも照らして思う。そのためには、まず、自分のやりたい仕事を、よく考えなければならない。もちろん、学生のレベルの経験や知識で、そんな仕事は簡単には見つけられないであろう。私の場合でも、天職に出会えたのは、会社に入ってから大分経ってからである。しかし、考え続ける努力の中にこそ、光明がでてくる。
話を、「エントリーシート」に戻すと、私は、模範解答に準拠して何ら問題はないと思う。そもそも、学生は文章を書く訓練を十分にしていない。記事では、「ある証券会社に対する合格者の解答」について、「「私は金融業界に関心を持っています。中でも証券業界に関心があるのはこういう理由で、その中で御社を受けるのはこういう理由です」と書かれている。このように3段階に分けて書く意図は何なのだろうか。」としているが、そのように定式化した方が、書きやすいだろうし、問題はない。
記事では、上記の解答は、「その会社が第一志望ではない、といっているようなものだ」としているが、「エントリーシート」の段階で、第一志望を絞り込んでいるわけがないことは、採用担当者にも分かり切っていることである。
アドバイスをするとすれば、模範解答に準拠して構わないが、味付けとして、その企業に特有な事を少し加えた方がよい、ということである。その内容は、その企業のホームページや、その企業名で検索した結果から抜き出せばよい。そもそも、その企業のホームページすら見ないで「エントリーシート」を出すようなら、落ちて当然なのだから。

2020年2月24日月曜日

2020年2月24日 朝日朝刊7面 (記者解説)老後レス時代の生き方

編集委員の真鍋弘樹氏と浜田陽太郎氏による解説という形の論説記事で、「高齢になっても働くのが当たり前、そんな時代がやって来るのだろうか。…老後が消えていく時代の生き方について、「波平さん世代」の記者2人が考えた。」というものである。

真鍋氏は、「支え合い」が前提、働けばメリットも、としているが、「政府は今月初め、「70歳まで働く機会の確保」を企業の努力義務とする関連法案を閣議決定した。いったい何歳まで働けばいいのか……。私もうなだれた一人だ。」と書き出している。
しかし、「高齢で働くことは必ずしも悪い話ではないのかもしれない。」として、「高齢者の希望として「働く場が欲しい」という声が群を抜いて多かったという。」千葉県柏市の調査を紹介している。加えて、「働くことは家に閉じこもりがちな高齢者に明確な外出の目的を与え、活動の幅が有意に広がるなど、健康に良い効果のあることが判明したのだ。」としている。
そして、「職場に行けば仲間がいるというのは大切なこと。高齢になっても働き続けられるようにすることは貧困と孤立の両方を減らす効果がある」という、みずほ情報総研の藤森克彦主席研究員の声も紹介している。
そして、少子化の進展の中では、日本老年医学会も指摘しているように、「高齢者」の定義を変え「、年を重ねても働き続ける選択は、自分自身のみならず、この国に希望をもたらす」ように考えるべであるとしている。
その一方で、「65歳以上の心身の状態はまちまちで、若者並みに働ける人もいれば、介護が必要になる人もいる。」のであり、「健康面で支えが必要な高齢者や、経済的な困難を抱えた人たちも一緒くたにして、「老後に働くのは当然」とばかりに自己責任の論理を押しつける。そんな未来は、悪夢である。」としている。
そして、「人生後半の不安を取り除くセーフティーネットがなければ、喜ぶべきはずの長寿は最大のリスクとなる。働くという「自助」に、社会保障の「公助」を組み合わせ、網から抜け落ちる人を減らすにはどうしたらいいか」については、浜田氏にバトンを渡しつつ、「「高齢になっても働く」という選択は「支え合いの安心」があってこそ。その前提を、社会で共有したい。」と結んでいる。

バトンを受けた浜田氏は、「繰り下げ受給が鍵、備えで年金中継ぎ」として、「「人生100年」時代、安心感を持つために個人の自助努力と社会保障制度を「ベストミックス」させるにはどうすればいいか。参考になるのが「WPP」という考え方だ。」としている。
それは、「働けるうちは長く働く(work longer)。私的年金(private pension)が中継ぎし、最後は公的年金(public pension)で締める。年金の制度と実務に詳しい谷内陽一さん(第一生命)が考案したキャッチフレーズで、2018年の日本年金学会で発表した。」ものとしている。
ここで、「公的年金の受給開始時期は、個人が60歳から70歳の間で自由に選べる。早く受け取る「繰り上げ」受給をすると年金月額は減る。遅くする「繰り下げ」だと増え、70歳からだと約4割増しになる。その分、安心感は増す。国はさらに75歳まで受給開始を待てるようにする方針だ。」というのがカギとしている。
そして、「「繰り下げの勧めは給付をケチりたい政府の陰謀だ」というのは誤解。どの年齢からの受給を選んでも、65歳からの平均余命を生きた場合の受取総額が変わらないよう減額・増額率が決まっているからだ。」としている。
しかし、「こうした準備をしてもなお、不安は残るだろう」として、「健康や病気のこと」という高齢者の不安に触れ、「税や保険料の財源確保は喫緊の課題だ。負担増を国民に説得する姿勢は現政権に感じられないが、それでは「老後レス時代」の安心が得られない、と私は思う。」と締めくくっている。

「老後レス」という少しネガティブな響きのある言葉に対して、不安を和らげる趣のある記事である。不安の源は、知識や認識の不足から来るのだから、記事での年金の「繰り下げ」受給などは、読者も、ちゃんと勉強した方がよいであろう。
 https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/roureinenkin/kuriage-kurisage/20140421-02.html
誤解があるように思うのは、65歳になって老齢基礎年金・老齢厚生年金の支給開始の手続き案内が届いた時に、手続きをしなければ自動的に「繰り下げ」の取り扱いになるが、時効期間の5年以内であれば、遡って65歳からの(増額されない)年金を受け取ることができる点である。何も、慌てて支給開始の手続きをする必要はなく、ゆっくり考えて、66歳超70歳までの時点での増額される年金の受給と比較して決めればよいのである。ところが、受給者も年金事務所も、支給開始手続きを急いでいるような気配が感じられる。
受給者の方には、週刊誌情報などに煽られて、「公的年金は破綻するので、早くもらった方がいい」という意識に引きずられている人もいるように思われる。しかし、公的年金が破綻する時は、医療保険などの仕組みも含めて、国が破綻するに等しい状況になるだろう。そういう状況を想定するなら、多少の年金を早くもらったところで、どうにもなるまい。また、もらった年金を銀行預金にしていたら、預金封鎖だってあり得る。さらには、タンス預金にしていたら、振り込め詐欺に狙われる。手元の現金が必ずしも安全はわけではなく、権利としての年金なら詐欺にも遭わないことは、もっと考えてもよいだろう。
一方、年金事務所の方の問題は、支給開始の手続き書類が来ないのは、本人が熟慮して「繰り下げ」の選択をしているのか、何らかの手違いで書類が未着であったり、受給者が忘れて放置しているのかが不明であることではないか。その観点からすると、年金事務所にとっては、支給開始請求の書類が届いた方が安心ということになるであろう。最新の様式は分からないが、年金の支給開始の手続き書類は、かなり難しい。その中に、「繰り下げ」というより、「後日請求を検討」ということを記入できるようになっていればよいのだが、どうであろうか。

違和感があるのは、「WPP」という用語である。記事では、「十数年前、プロ野球の阪神で活躍したリリーフ投手陣は、その頭文字から「JFK」と呼ばれた」ことになぞられた」としている。しかし、わざわざ、このような造語を作る必要があるのか、疑問である。そもそも、この考え方は、目新しいものではなく、私も、2009.10.20号の『エコノミスト』の88-89ページ「年金給付を企業から切り離して第三者機関に」で発表している。
一部に、「つなぎ年金」という用語を嫌っている向きがあるようだが、もともとの英語表記は、「Bridge pension」であり、それには「橋渡し」というイメージが、よく出ている。造語、しかも英語の頭文字表記で、解説をつけないとイメージが分からないようにするのは、似非専門家の自分勝手というものではないか。
用語的には、谷内陽一氏の「継投型」の方が、ずっとイメージが分かりやすい。これは、年金制度だけではない。就職して1社のみで職業生活を終える「完投型」の働き方も、変革を問われている。人生100年時代には、働き方も年金も、「継投型」である必要があるということではないだろうか。

2020年2月23日日曜日

2020年2月23日 日経朝刊1面 投信運用 成功時のみ報酬 農林中金系、個人向けで国内初
2020年2月23日 日経朝刊3面 (きょうのことば)信託報酬 保有者負担の固定管理費
2020年2月26日 日経朝刊7面 野村、信託報酬0%に つみたてNISA向け

最初の記事は、「投資信託の販売競争が激しくなるなか、手数料の改革が加速している。農林中央金庫系の運用会社は4月、投資信託の時価を示す基準価格が最高値を更新した時だけ運用報酬を取る商品を発売する。運用成功時にしか報酬を取らないのは国内の一般個人向け株式投信で初めてだ。」というものである。
「通常は投信を購入すると、残高に応じて一定比率を信託報酬(総合2面きょうのことば)として運用会社、販売会社、事務を管理する信託銀行に支払う。農林中金バリューインベストメンツ(NVIC)が4月に発売する商品は、この運用会社部分をゼロにする。」とのことで、「この投信でも販売会社と信託銀に支払う信託報酬は必要だが、比率は合計で0.3%だ。一般的にアクティブ型投信の信託報酬は計1.5~2.0%のものが多い。」としている。

次の記事は、上記の「きょうのことば」として、信託報酬を説明したもので、「投信を運用する運用会社、販売会社、ファンドの事務を管理する信託銀行のそれぞれの取り分が合算」されており、「国内の公募株式投信の平均では運用会社と販売会社の比率が、それぞれ5割弱を占める。運用会社は成績結果にかかわらず、報酬を固定で受け取ってきた。」としている。

そして、最後の記事は、「野村証券は25日、国内で初めて信託報酬を0%とする投資信託を設定すると発表した。海外株式に投資する投信で、積み立て型の少額投資非課税制度(つみたてNISA)向けの商品。当初10年間、個人投資家はまったく費用がかからずに投信に投資できるようになる。」というものである。この商品では、「野村信託銀行が販売・運用・管理を請け負い、各社が手数料をゼロにする。」としている。

日本での投信の手数料は高いとされてきたが、ネット販売などの拡大により、手数料競争が激化している。背景には、記事のNISAとイデコへの販売拡張の狙いがある。キャッシュレス還元での各社の競争のようなもので、段々と消耗戦の様相を呈してきている。
このような手数料低下については、評価できる点と、首を傾げる点とがある。評価できる点は、従来から高過ぎると言われていた水準が是正され、適正水準に向かう点である。販売手数料は、以前の対面販売からネット販売に移行してきており、引き下げは当然である。ゼロとするのにも、それなりの合理性があるであろう。
また、運用報酬の成果連動型は、当然あり得るものである。成果が上がらなければゼロで、成果が上がった時には多くとるという仕組みは、投資家と運用者とがリスクを共有する仕組みであり、市場経済の中では合理的である。海外では、そのような仕組みも多いようであるから、日本でも、もっと普及すべきであろう。
首を傾げる点は、信託銀行が管理する分の信託報酬である。投信は、販売会社、運用指図者、信託銀行が、それぞれ役割を分担している。その中での信託銀行の役割は、投資資金を管理することで、運用責任は、運用指図者が負っている。販売会社の分の手数料低減、運用指図者の分の成果報酬には、理があるが、信託銀行の資産管理手数料には、水準見直しの余地はあるかもしれないが、ゼロにするいわれはない。記事での野村証券の投信は、「野村信託銀行が販売・運用・管理」としているが、このように3つの機能を一体化させると、利益相反の懸念も出て来る。販売、運用、管理は、それぞれの専門性をベースとすべきものであり、一体化すると効率も低下することになり得る。
このように、投信の手数料競争が激化しているのには、NISAもあるが、確定拠出年金の個人型イデコで、公務員を中心とした加入者が急増していることが背景にあると見られる。一般的には、競争激化によって需給がバランスした適正水準に向かうというのが市場経済の考え方であるが、その前提として独占は排除する必要があり、販売・運用・管理の一体化も、その観点からは問題であろう。日本の投信のコスト関連については、まだまだ見直すべき点が多いように思われる。

2020年2月22日土曜日

2020年2月22日 日経朝刊5面 転職者数 過去最高に 昨年、正規雇用への転換増
2020年2月23日 朝日朝刊7面 (フォーラム)転勤、ざわつきますか:1 家族の負担
2020年2月28日 日経朝刊17面 UAゼンセン松浦会長「同一労働同一賃金を注視」

最初の記事は、「総務省は21日、2019年の月次平均の転職者数が前年比7%増の351万人となり、比較可能な02年以降で最高になったと発表した。半数近くは若手だが、55歳以上の転職者も同72万人と全体の21%を占めた。堅調な雇用情勢を背景に、非正規雇用から正規雇用への転換も増えた。」との記事である。
「転職者は08年のリーマン・ショック発生後に減少したものの、11年以降は増加傾向が続く。特に女性は出産や育児などを経て働き方を変える人も多く、19年の月次平均は9万人増の186万人で、男性の165万人を上回った。」とのことである。
そして、「有効求人倍率も0.01ポイント低下の1.60倍と、過去3番目に高かった。売り手市場が続くなか、当面は転職市場も活況が続きそうだ。」と結んでいる。

次のフォーラムは、「いまの時代になじみにくそうな転勤について考えます。」というもので、シリーズ第1回のこの記事では、「家族の負担」について論じている。デジタルアンケートに寄せられた声の紹介では、「転居も別居も地獄/同行で再就職できず/独身にしわ寄せ」といったものがあげられている。
「転校後、子どもの精神的安定に母親として神経をすり減らして必死に対応」したのに夫から「うちの子どもはなじんだよな?と夫から言われ」て怒りを通り越してあきれた妻の声、「夫が転勤となり、帯同のため勤務先を辞め」ることとなった母親の「保育園に入っていないと私の再就職もできないし、働いていないと保育園にも入れない」という状況で「家族の負担を会社は何も考えていない」という声、一方で「独身子ナシの公務員」の「様々な生き方、働き方を認めるという建前でしわ寄せにあってる人たちがいることを認識してもらいたいし、平等な異動計画をお願いしたい。」との声などが上がっている。
「雇用側としても広い視野をもつ人材は貴重」とする声もあるが、「マイホーム購入後すぐ単身赴任」「父として後悔せぬため辞退」といった事例もあり、「転勤自体が一概に悪いとは言えないと思う。転勤先での新たな業務や人間関係が刺激に感じられたり、新しい価値観を養ったりする機会となるかもしれないので。ただそれを選ぶかどうかの権利が社員にはあるべきと思う。」としているものもある。
記事へのコメントで、法政大学の武石恵美子教授は、「転勤は戦前、キャリア官僚など一部の層で実施されていたのが、戦後、民間企業に広がりました。一つの会社で安定的に雇用が守られる代わりに「どこにでも行く可能性がある」という契約です。」「転勤は、日本の経済成長に重要な安定的な雇用とセットでした。専業主婦が主流だったために成り立った制度とも言えます。」とし、時代が変わり「夫婦2人が働き続けることを前提にすると、「うちの会社だけ」では済まされません。社会全体で考えるべき問題です。」としている。
また、大和総研の菅原佑香研究員は、武石教授と同様の見解を示しつつ、「本当に転勤にメリットがあるのならば、ライフスタイルの制約が比較的少ない、若手の段階に前倒ししてやっていくべきでは。」とした上で、「勤務地域を限定する「限定正社員」を積極的に増やすことも必要です。…ライフスタイルの変化に応じ、正社員と限定正社員を行き来できるなど、キャリアの柔軟な転換も、これから求められます。」としている。

最後の記事は、正規社員と非正規の不合理な待遇差を禁じる「同一労働同一賃金」(4月から大企業に適用)について、「流通や外食の労働組合が集まり、パートや契約社員などの組合員が6割」のUAゼンセンの松浦昭彦会長へのインタビュー記事である。
「関連法や国のガイドラインは賃金や福利厚生を巡って均等・均衡の待遇を求めている。一時金も、業績など貢献に応じて支給する場合は正社員以外にも支払う必要がある。流通や外食では同じ内容の仕事に正社員やパートらが入り交じって働いており、しっかり守られるか注視する」「個別企業の労働組合から、通勤手当や休暇の制度を正社員と同じように改善させることになったという報告がすでに上がっている。ただ、グレーゾーンなどで色々な動きが出てくると思う。格差改善に向けた情報共有を進めたい」という見解が示されている。

最初の記事の転職者の状況については、新型コロナウイルスの影響で、大きく変化する可能性がある。「リーマン・ショック発生後に減少」した以上の影響があるのではないか。リーマン・ショックとの比較では、次のブログで論評している。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200229NA17.html

次の転勤に関する記事を、ここで取り上げたのは、日本の転職者の状況には、日本型雇用の影響が大きく影響していると思われるからである。日本型雇用では、年功序列・終身雇用という仕組みによって労働者を企業内に囲い込み、外部への流出を抑止している。企業内組合も、企業第一として、これを黙認している。その結果、雇用保障の代償として、従業員には転勤命令に従う義務があるわけである。また、この転勤命令の発令は、経営者側の裁量によって行われており、記事で武石教授が言及している「他の社員との公平性を担保するために転勤させる」という業務上の必要性がない場合もあり得るし、転勤拒否者には冷遇や解雇などの懲罰的な取り扱いもあり得る。要するに、転勤は従業員の管理ツールの一つとなっており、「社畜」と呼ばれる状況を作り出すものとなっているのである。

最後の「同一労働同一賃金」に関する記事は、上記の二つの記事とは関連が薄いように思われるかもしれないが、密接な関連がある。日本での「同一労働同一賃金」に向けた施策では、「均等処遇」ではなく、「均衡処遇」という用語が用いられている。この「均衡」が問題で、正社員には時間外労働や転勤に関して非正社員にはない制約があるため、同一の労働に対して同一に賃金が支払われなくとも、必ずしも、それだけで違法ということにはならず、総合的な「均衡」を考える必要」があるというのである。
とりわけ、転勤については、上記の記事で菅原研究員が言及している「限定正社員」というものが出てきているが、これは地域限定の雇用契約であるため、転勤に可能性や負担が軽減されるというものである。
しかしながら、労働による成果や貢献以外に、このような転勤可能性を用いて労働者を管理するのは、権利の濫用ではないのか。正社員の転勤を「限定」するという考え方に立つのではなく、転勤を行う労働者の方を、例えば「グローバル社員」といった形で峻別した上で、実際に転勤をした場合に限って手当等で配慮すれば済む話である。そのようにすれば、正社員と非正規労働者との垣根はなくなり、「同一労働同一賃金」の均等処遇につながるであろう。
私自身、何度も転勤しており、単身赴任も行ってきた。当時は、やむを得ないものとして受け入れていたが、家族の負担も大きかった。転勤は、経営側の都合だけでなく、労働者側の都合ともマッチングさせて行うべきものであろう。人事異動を、将棋の駒を動かすような気持ちで行われたのではたまったものではないし、そこに働く可能性のある情実は、組織の公平公正を損なうものではないか。
2020年2月22日 日経朝刊1面 企業の厚生年金、加入逃れ対策強化 雇用保険の情報活用

「厚生労働省と日本年金機構は、厚生年金の保険料支払いを逃れる企業への取り締まりを強化する。2020年度から4年間を集中対策期間として雇用保険の加入者情報を新たに使って、対象の可能性がある約34万件の事業所に適用するよう指導していく。働き手の老後の年金を増やすとともに、加入者の増加で制度の基盤強化につなげる。」との記事である。
「まず加入対象となる従業員らが5人以上いるか家族以外の従業員を雇う法人事業所で未加入を解消する。」としており、「年金機構はこれまで国税庁から源泉徴収に関する情報提供を受け、厚生年金の適用を増やしてきた。」が、「新たに雇用保険の加入者情報を使うことで就業状況を把握し加入義務のある企業をあぶり出す。」とのことである。
「現在、厚生年金の保険料逃れをしている企業は問い合わせに応じないなど悪質の例が少なくない。年金機構はこうした接触が難しい企業への立ち入り検査に向けて専門組織を立ち上げる。」とのことである。

記事の内容は、当たり前のことで、「加入逃れ対策強化」といっても、この程度のことに過ぎないのか、と思う。同じ厚生労働省の所管である「雇用保険の加入者情報」を、これまで有効活用してこなかったことに呆れる。これでは、厚生省と労働省とを、一体化した意味はないではないか。「問い合わせに応じないなど悪質の例」に対する対応も、手緩いのではないか。そこには、年金保険料の納付をお願いする、というような過去の姿勢が垣間見える。
税も保険料も、国民にとっては同列のものであり、国家を維持する上で欠かせないものである。この観点から、税と保険料の徴収を一元化している国も少なくない。次の論文「国税と社会保険料の徴収一元化の理想と現実」には作成日付がないが、参照の新聞記事からして15年ほど前に書かれたものと思われるが、税に関わる立場から、当時の税務大学校研究部の松田直樹教授によるものである。
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/kenkyu/ronsou/47/matsuda_01/ronsou.pdf
この論文の参照によれば、米国、カナダ、イギリス、アイルランド、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ハンガリー 、アイスランド、アイルランド、オランダ、ノルウェー、アルベ ニア、アルゼンチン、ブルガリア、クロアチア、エ ストニア、ラトビア、ルーマニア、ロシア、セルビア、スロバニアと、非常に多くの国で徴収一元化が行われているそうである。
論文では、徴収一元化が必ずしも万能の解決策というわけではないとしているが、税と社会保険料の今日的位置づけからしても、事務の効率化の観点からしても、徴収一元化をもっと真剣に考える必要があるのではないかと思われる。

2020年2月21日金曜日

2020年2月21日 朝日朝刊10面 (経済気象台)「高齢者」の捉え方議論を

「全世代型社会保障検討会議の中間報告が昨年12月に公表された」が、「具体的な制度改正は相変わらず高齢者優遇のままだ。これでは、支えてもらう子や孫の世代に申し訳ない気がする。」とする論説である。
そして、「今回の改革では、年齢を基準に「高齢者」と一くくりにする捉え方を見直すことが眼目のひとつである。…本当に困る方に集中して支援する考え方に変えていくことは当然だと思う。」とし、「高齢者による負担のあり方についても同じことが言える。年齢で一律に軽減や免除をするのではなく、負担できる能力、すなわち所得や資産の多寡に応じた負担を求めることが筋である。」というのである。
そして、「問題は負担に公平感を持たせられるかであり、それは所得や資産の適正な把握にかかっている。金融資産の捕捉はそう容易ではないことは事実だが、そのためにもマイナンバー活用の検討を早急に進めるべきである。資産状況の捕捉が進み、負担能力のある人はみな平等に負担せざるをえない状況が作り出されれば、ある程度の金融資産を持つ高齢者なら次世代に負担を押しつけようとはしないだろう。」と結んでいる。

だが、「ある程度の金融資産を持つ高齢者なら次世代に負担を押しつけようとはしないだろう。」という認識は、甘いと言わざるを得ない。そういう気持ちがあるのなら、自分自身の判断でも、対応できることはある。実は、公的年金の給付は、必要性がなければ、辞退できる仕組みになっている。
https://www.nenkin.go.jp/faq/jukyu/seidokaisei/shikyuteishi/20140421-01.html
しかし、このような「辞退」を選択した者は、どうやら、ほとんどいないようである。私は、政治家や高級官僚など、年金を受給しなくても困らない人達に辞退を促すために。辞退者に「年金勲章」を授与し、その人達のみを受勲の対象にしたらどうかと提案したことがあるが、何のインセンティブもなしに、今日に到っている。
この論説の奇妙な点は、「高齢者」の捉え方を論じながら、その具体的な内容は記述されていないことである。「本当に困る方」というのなら、それは高齢者には限定されない。年齢を問わずに対応を進めるべきであるということなら、「ベーシック・インカム」の考え方に発展して行ってもよさそうだが、その気配は感じられない。結局、「高齢者は優遇されている」という認識をベースに、「負担能力のある人はみな平等に負担せざるをえない状況」を求めているわけだが、そういう状況にならなければ、現状でも仕方がないというようにもとれる。
高齢者の特殊性は、「働きたくても働けない」人の割合が多いということである。肉体的な面だけでなく、精神的な面や社会的な面も影響する。「次世代に負担を押しつけ」を論じる前に行うべきことは、世代内において、助け合いの精神を醸成することであろう。同世代の困窮者に目をやらずに、次世代にばかり目を向けるでは、足元がおぼつかない。世代内と世代間とを俯瞰して考えなければ、「全世代型社会保障」の在り方も、きちんと考察することはできないのではないか。
2020年2月21日 日経朝刊27面 (経済教室)低下続く労働分配率(下)企業、労働者の努力に報いよ

「低下続く労働分配率」についての特集の最後の下編で、一橋大学の小野浩教授によるものである。
労働分配率低下の「各国に共通する要因としては労働組合組織率の低下、株主資本主義への移行、国際経済と貿易の発展に伴うアウトソーシング(人やサービスの外部委託)の影響などが挙げられる。」という書き出しである。
米国の場合には、低コスト・高収益を実現している「スーパースター企業」の台頭が注目されているが、「現時点で日本にGAFA並みの企業はなく、スーパースター企業説が日本に適応するとは言い難い。」としている。
そこで、日本については、「日本の労働市場全体の動向とガバナンス(統治)・財務会計の面から検討する」とし、第1は「長期雇用を前提とした日本的雇用慣行の反省として、バブル崩壊後、企業が正規採用を減らし、人件費を抑制したこと」、第2は「「失われた20年」を経て、企業が賃上げに慎重になったこと」、第3は「成果主義など賃金制度の改革を介して人件費が縮小したこと」、第4は「内部留保(または利益剰余金)の増加」、第5は「企業の現預金の増加」としている。
また、最後の第5に関連して、一橋大の野間幹晴教授の「日本企業の退職給付にかかる負債」の指摘に触れ、「確定給付型企業の場合、給料が将来の年金に結びついているため、今の給料を上げると退職後の年金も引き上げねばならない。高齢化・長寿化が進むと確定給付型年金の企業負担はさらに膨らむことになる。」としている。
その上で、「ポストバブル期に、日本企業は業務効率化とコスト削減の圧力が高まり、雇用関係にも厳しさが増した。成果主義導入や働き方改革などにより、労働者は着実に生産性を高めている。」とし、「労働時間を減らし、生産性を高めた一方で、評価・給与体系は旧態依然のため、給料が減ったという現場の声も聞こえてくる。」とし、「ポスト働き方改革の日本的経営とガバナンスを模索することが急務だ。」と結んでいる。

この論説での論点は、労働者の生産性の向上によって企業の利益が向上したのかどうかであろう。「労働時間を減らし、生産性を高めた」としても、時間当たりの労働生産性の増加は、労働時間全体の剤・サービスといった生産物の増加には、必ずしも結びつかない。より少ない時間で同じ生産物を生み出すことができるようになった場合の労働者に対する対価は、労働時間の短縮による自由時間の増加と考えられる。企業が、副業の容認に舵を切りつつあるのは、従業員が企業外で収入を稼得する機会を提供しているとも考えられる。
「スーパースター企業」が日本では出現していないとしても、その活動はグローバル化しており、世界中に広がっている。日本の企業も、直接的・間接的に、こうした企業と競争していかなければならない。そうであれば、ITの活用による効率化は必須であるし、また、より賃金の低い労働者を求めて国外でのオフショア活動にも取り組まなければならないわけである。その観点から、日本には、相対的に賃金の低い労働者が豊富なアジア諸国が近隣にある。なお、ヨーロッパにおいては、経済発展に取り残されていた東欧諸国からの労働者がEU拡張によって流入しており、米国には、メキシコなどから多くの移民が、違法であっても押し寄せている。
このような世界中での人間の移動の拡大は、各国での賃金の平準化をもたらすこととなり、先進国での賃金が減少する一方、発展途上国での賃金は上昇することになる。それ自体は、地球的規模からすれば悪いことではないが、影響を受ける国の中では、排斥の動きも出て来ることになる。英国のEUからの離脱、トランプ大統領の移民抑制方針は、このような状況を踏まえたものであり、現代版の「ヒトに対する鎖国」とも言えるであろう。
そのような世界情勢を考えれば、日本の状況のみを考えて、労働者の賃金を引き上げることを説いても、実効性があるとは思えない。結果的に、企業が享受している高収益に対して、課税強化をすることによって、その企業の従業員だけでなく国民全体が利益を得られるようにすべきであろう。ところが、真逆の事が起きている。財務省の「法人課税に関する基本的な資料」を見てみよう。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/c01.htm
「法人税率の推移」を見ると、日本の法人税率は大幅に低下してきたことが分かる。一方で、「法人実効税率の国際比較」を見ると、それでも日本の法人税率が低いわけではない。
これには、「スーパースター企業」をはじめとするグローバル企業の状況が深く関わっている。グローバル企業が活動の拠点を定める場合、法人税の負担は、大きな要素である。そこで、各国が競って法人税率を引き下げ、そうした企業を自国に誘致しようとしてきたわけである。法人税収にはあまり期待できなくとも、雇用にはプラスであるし、経済を活性化できると考えたのである。
さて、そうなると、どうすればいいのであろうか。それが最大の問題になっている。EUのように、個人情報保護を足掛かりに、「スーパースター企業」の君臨を抑制しようとしているところもある。また、国際的な課税基準を整備して、本拠と拠点との間の課税逃れを防止しようとする動きも出てきている。だが、今のところ、そのような取り組みは、試行錯誤の段階であるように思われる。
一方、環境問題では、地球規模の取り組みの必要性が叫ばれている。一国の利益が地球の危機につながるという危惧は、環境問題に限定されるものではない。それでも、地球規模の対応にまで進むのには時間がかかる。各国においては、そのような将来の地球規模での対応の方向性も視野に入れて、現状を改善する必要があるわけだが、さて、日本は、どのような対応から進めていけるのであろうか。
最後に、上記論説の確定給付型年金について述べておきたい。「給料が将来の年金に結びついているため、今の給料を上げると退職後の年金も引き上げねばならない。」というのは、実情を知らない見解である。高度成長期において、給与は大幅に上昇してきた。当時は、確かに給与増が退職金に直接的に反映される制度も多かったようだが、それでは持たないとして、多くの企業で、給与増が退職金に直接に反映されないように、本俸のみを退職金の算定給与とするような変更が行われた。その後は、退職金を給与から完全に切り離し、役職等に応じるポイントの累積を基準とするものも多くなっている。このことは、退職金から切り替えた企業年金にも、そのまま引き継がれている。もちろん、それでも年功序列的な体系が残っている面はあるが、「高齢化・長寿化が進むと確定給付型年金の企業負担はさらに膨らむ」というのは、思い込みによる誤認である。
2020年2月21日 日経朝刊21面 (大機小機) 国民皆が資本家になろう

「今日、企業利益が高水準にあるなか、企業が利益をため込むことが問題視され、内部留保課税論まで浮上する。こうした点についてどう考えればいいか。結論を先に示せば、国民皆が株主になって企業利益にあずかることだ。」という論説である。
「従来、企業利益は3つのルートで世の中に還元され、資金循環をもたらした。第1は、企業の設備投資によるもので、バランスシート上に資産を計上することになる。第2は、賃金など損益計算書上の経費によるもので世の中へトリクルダウンをもたらした。第3は、金融機関などへの利払いで、預金者等に還元された。今日では以上の3ルート全てが滞り、その結果、企業に空前の規模のキャッシュが滞留する状況だ。」としている。
そして、バブル経済崩壊後には、「3つのルート全てのトリクルダウンが縮小し、企業だけが利益をため込む状況になった。一方で、企業の支払う配当は大幅に拡大し、今日の水準は90年代初めの5倍を超える。」という状況になっているが、「企業のため込むキャッシュを国民が取り戻すには、内部留保課税より、むしろ株主として企業の一員になり分配を享受することだ。」と主張している。
その上で、「金融当局から「貯蓄から投資へ」とのスローガンが示されるのも、結局は国民の多くが株主になって企業からの分配を受け取ることで世の中に資金還流を図る動きといえる。」としているものである。

「配当が過去最高水準に拡大したなかで配当による分配にあずかることは理にかなう」というのは、説得力のある主張には見える。しかし、この論説は、重要な論点に、思慮不足か故意にかは分からないが、触れていない。それは、分配の公平性である。
経済が成長し、トリクルダウンというか、ありていに言えば「おこぼれ」が庶民に落ちて来る状況であれば、生活は少し潤うように思えるだろうが、実は、格差は拡大する。持てる者のメリットの方は、持たざる者のメリットよりも大きいのである。そして、この格差を緩和するのが、税の増収による再分配である。この状況下においては、相対的貧困は増加するが、絶対的貧困は減少するわけである。
一方、経済が停滞する状況下においては、絶対的貧困が増加する。相対的貧困は縮小することになると見込まれるが、経済・企業活動のグローバル化・独占化によって、この状況下でも巨額の利益をあげる企業が出現しており、その企業の恩恵を受ける者と受けない者との間に、大きな格差が生じる。そうなると、絶対的貧困に加えて相対的貧困も拡大することになりかねない。
ところが、このような状況下において、世界各国は、高収益の巨大企業を誘致して、「おこぼれ」にあずかろうとするようになる。その手段が、法人税の軽減である。かくして、利益をあげた企業からの税収を、格差是正のために貧困層に向けるという再分配の機能が弱体化することになっているのである。
記事の論説に戻れば、「株主として企業の一員になり分配を享受」することができるのは、持てる者である。持たざる者に「株主になれ」と言ってみても、空論に過ぎない。したがって、この論説は、格差の拡大を肯定・正当化するものと言えよう。
もっとも、「内部留保課税」が適切かどうかには、疑問がある。利益を蓄積し、将来の収益機会に投資するタイミングを図ることは、企業の本来の戦略であろうからである。
してみれば、本来の対応は、法人税率を上げればよいのはないかということになろう。

わが国の法人税率の推移は、次のようになっている。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/082.pdf
基本税率は、ピーク時の43.3%から半分近くの23.2%まで軽減されている。何のことはない、増えた内部留保に、この軽減分が反映されているわけである。その点で、内部留保課税の正当性にも根拠がないわけではないが、それは、実質的に遡及課税の面を持つ。
一方、法人実効税率の国際比較は、次のようになっている。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/084.pdf
英国は少し低いが、日本の水準は、先進各国の中では高くも低くもない水準である。日本の法人税率の引き下げは、このような各国の状況を踏まえながら行われてきたものと言えよう。となると、法人税率の引き上げは、そう簡単ではないことになる。

もう一つ、企業の内部留保が増える要因は、上記の論説の中でも「マイナス金利も含む超低金利政策で企業の利払いは極端に減り、1990年代初めの6分の1程度の水準になっている。」と指摘されている「利払い負担」の軽減である。
これは、結局のところ、預金金利による国民の取り分を削って、企業に回したということである。このことも、内部留保に厳しい目が向けられる要因である。
論説では、「預金金利」が減った分を「配当」で補えばよい、という主張になるわけだが、そう単純にはいかない。預金なら名目価値は基本的に維持されるが、配当をもたらす株式には大きな価格変動リスクがあり、少額の資金では対応できないからである。

一方、こうした中で、日銀は、日本株の上場投資信託(ETF)の買い入れを続けており、2019年3月末の時価ベースでの保有額は、28兆9136億円前年比4.4兆円増、
18%増)となっている。(下記の金銭の信託(信託財産指数連動型上場投資信託))
買い入れは、止めたら株価はどうなるのかという点もあるが、個人の購入機会・配当還元利益を奪っているという見方もある。

いろいろ考えてみても、一筋縄ではいかない問題であり、この論説のような単純な話ではない。

2020年2月20日木曜日

2020年2月20日 日経朝刊29面 (経済教室)低下続く労働分配率(中) 競争促進・規制緩和、反転の鍵

「低下続く労働分配率」の特集の中編で、経済協力開発機構(OECD)経済局のシリレ・シュエルヌス副課長によるものである。
「過去20年にわたり、日本をはじめ経済協力開発機構(OECD)加盟国の多くで労働生産性の伸びが鈍化してきた。資本装備率や全要素生産性の伸び悩みも背景にあると考えられる。実質賃金の上昇率は、ペースダウンした労働生産性の伸びすら下回り、生産性の伸び悩みが賃金上昇率に及ぼす悪影響を増幅している。」という書き出しである。
「生産性の伸びはもはや実質賃金の伸びには直結していない」ことから、「労働分配率は下がることになる」とし、「労働分配率の低下は、少なくとも3つの理由から政策に関わる課題といえる」としている。第1に「実質賃金が伸び悩み、現行の政策や制度への激しい反発を招きかねない」こと、第2に「資本所得の比率が上昇すれば所得格差が拡大する」こと、第3に「イノベーション(技術革新)や成長にも関わってくる」ことである。
その上で、最近のOECD調査によると、「過去30年間の労働分配率低下はグローバルな現象ではない」とし、「米国、日本、ドイツでは低下する一方、フランス、英国、イタリアでは上昇している」と指摘している。
そして、「一部の国で労働分配率が低下している原因」として、「技術進歩は長期的には省力化につながる」という研究を引き、「一般的に労働分配率が低下している国では情報通信関連の資本財価格が下がっていることがわかった。」としている。また、「製品市場を競争促進型に改革すれば、生産者のレントが減るはずだ」とし、「米欧で労働分配率に差がある一因は、欧州に比べて不十分な米国の競争促進政策にあることを示している」とし、日本については、「製品市場の規制が競争促進的でないようだ。」「非正規労働者の採用が急速に拡大していることも、労働者の交渉力の弱体化」としている。
その上で、「人々の幸福を考えるなら労働分配率それ自体を政策目標とすべきではない。目標とすべきは、生産性の向上と労働者の取り分増加の両方を同時に実現することだ。」という認識を示し、「2つの目標を同時にめざす政策対応で重要なのは、貿易自由化や新技術導入に伴う混乱に対処できるようなスキルを労働者に習得させることだ。」とし、「製品市場の競争」を促す必要性にも言及している。
そして、労働市場の問題について、特に日本に関して、「日本の政策や制度が労働者の高賃金の職への移動を妨げ、雇用主の賃金決定力を強めていることもわかった。」とし、「多くの企業が年功序列型賃金体系を採用し、定年を60歳に定めている。」中で、「女性と高齢者を中心に賃金の低い非正規雇用が増えており、労働市場の二極化が深刻化している。」とし、「企業の60歳定年制の廃止と、正規労働者と非正規労働者との雇用保護格差の縮小が望まれる。特に正規労働者の正当な解雇事由に関する法的曖昧さを減らすことが必要だ。労働市場の二極化が解消され、生産性向上に伴う利益が労働者により多く分配されるだろう。」と結んでいる。

実に、多くの視点からの分析で、短い紙面の中に、よくこれだけ詰め込めたものだと感心する。論説の主眼は、労働分配率の低下の原因については、技術進歩と競争不足であるとし、それに対する方策として、労働者のスキル向上と競争促進とをあげている。整理してみると、さほどに新しい所はない。
労働者のスキル向上については、「生涯教育支援や失業者の再活用推進の重要性」に言及し、「日本のような高齢化社会では、高齢労働者に的を絞った教育支援を進め、デジタル技術教育・訓練を実施することが特に望まれる。」としている。
日経から求められた論説故であろうが、日本についての分析や提言は、さほどに深みのあるものではない。日本についての知識や情報は十分なものとは思えず、インタビュアーの誘導にもよるのであろうが、日経的な考え方が随所に窺われる。
焦点の「労働者のスキル向上」について言えば、その機会やコストを、誰がどのようにして提供し、負担するのであろうか。「生涯教育支援や失業者の再活用推進」ということなら、その主体は、企業ではなく政府になるであろう。その支援について考えると、「高齢労働者に的を絞った教育支援」が果して有効で効率的なものなのであろうか。また、その教育期間中の生活コストの負担は、どうすればいいのだろうか。
先進国でも、「食う」ために働いている人は多い。「教育」に目を向けたくても、そうすることができない労働者は、多くが非正規労働者として日々の生活に追われている。「Working Poor」の広がりは世界的なもので、その深刻度は広がりを見せているように思われる。米国においても、教育費の高騰から、大学を中退し、不安定な職業に就くことを強いられた上に、退学で教育ローンの支払に追われるというケースが急増しており、シリコンバレーを抱え、全米有数の富裕者が集うカリフォルニア州では、家賃の高騰から住居を追われてホームレスとなる人々が多数発生している。「欧州に比べて不十分な米国の競争促進政策」と言うが、米国のみならず世界中で議論されているのは、巨大企業による独占の影響を排除する必要があるのではないか、ということである。
「労働分配率それ自体を政策目標とすべきではない」のは、その通りであろう。しかし、技術進歩やオフショアリングについては、それらによる利益を企業側が独占するようなら、資本家の取り分が増える一方で労働者の取り分が相対的に下落するだけでなく、労働者の失業リスクが高まることになる。
生産性の向上は、本来は、労働者にとっても労働時間の短縮などの利益につながるべきものであろう。ところが、技術進歩やオフショアリングが進んでいると、この論説でも評されている日本では、労働時間の長い状態が続いており、過労死までもが社会問題となっている。「働き方改革」が、真に国民のためになるようにするためには、様々な角度からの考察や施策が欠かせまい。
2020年2月20日 朝日朝刊10面 (経済気象台)年功制の限界と企業の今後

「日本企業は長年、長期雇用を前提に若い時の賃金を低く抑え、年齢とともに賃金が上昇する仕組みをとってきた。ベースアップや定期昇給といった春闘とは切り離せない仕組みは、年功制を代表するものだが、若年層を中心に拒否感が強い。」とする論説である。
「優秀な人材は年齢に関係なく成果に比例した処遇を求め、外資系やベンチャーに流れる傾向にある。」のに対し、「AI(人工知能)分野の技術者や国際的に活躍できる経営幹部候補を対象に、初年度から一般的な初任給の何倍もの処遇を提示する事例が出てきた。」としている。
そして、「個人的には「終身雇用制」には賛成だが、成果に比例した処遇とセットが条件だ。組織や個人の成果を公正に評価する仕組みが不可欠である。」とし、「今後10年間の日本企業の変化を興味深く見守りたい。」と結んでいる。

「成果に比例した処遇とセット」で、論者が賛成する「終身雇用制」が成り立つものなのであろうか。そもそも、この「終身雇用制」のイメージが分からない。本人が希望する限る雇用を継続するというのでなければ、定年までの雇用を保証するということなのだろうか。しかし、そのような仕組みは、年齢による差別でもあり、「成果に比例した処遇」と両立するようには思えない。
また、「組織や個人の成果を公正に評価する仕組み」が、年功序列に慣れ親しんできた連中が経営者や管理者を占める会社の中で、確立できるのかどうかも疑わしい。そもそも、そんな仕組みがあるのだろうか。実力主義とされる米国でも、いや米国の方が、上司の決定や評価が絶対的であることは、トランプ大統領が、簡単に政府高官などを更迭している状況を考えれば、推察できるであろう。
難しいのは、保護・育成と、専門性発揮とのバランスである。日本の新卒一括採用は、「保護・育成」面では、評価できる点があると思う。しかし、そうした採用方式のみで、変化の激しい状況下で専門家が育っていくとは思えない。育成によって専門家に育つ人もいるであろうが、やはり即戦力として、外部から採用することが必要であろう。そうだとすると、「年功序列」も「終身雇用」も、維持できるはずはない。
例えば、育成社員は10年の任期制、即戦力社員は5年の任期制という契約にして、新陳代謝を図っていかなければ、ドラスチックな変化には対応できないのではないか。退社もネガティブに考えるべきではない。新しい活躍の場への巣立ちとしては、「卒業」という言葉がふさわしいだろう。

2020年2月19日水曜日

2020年2月19日 日経 朝刊30面 (経済教室)低下続く労働分配率(上)資本家の取り分 一部還元を

「低下続く労働分配率」についての特集で、この上編は、ミネソタ大学のルーカス・カラバルブニス准教授によるものである。
この論説では、「企業の利益(付加価値額)のうち労働者の取り分を示す労働分配率が長期にわたり低下し続けている。その一方で同じことだが、資本家の取り分が増え続けている。この問題は、経済論議や政策論議で大きく取り上げられるようになった。」ことに対して、「3つの質問に答えたい」としている。
第1は、「労働分配率低下にみられる特徴的な事実は何か」ということについて、「低下傾向が世界中で見受けられる」ということをあげ、「80年代以降、世界の8大経済大国のうち7カ国で低下している。そのうえ中国、インド、メキシコなど多くの新興国でも労働分配率は下がっている。」としている。そして、「低下傾向は特定の産業に限った現象ではない」もので、「大企業ほど機械化や自動化が進み労働集約度が低い。そして多くの産業では長期的に大企業への集中が進んでいる。」ことに言及している。
次に、第2の「なぜ労働分配率は低下したのか」に移り、「技術の進歩により、生産に要する労働コストに比べて資本コストが下がった」ことで、「労働者の取り分を減らすほど顕著に、資本による労働の代替が加速した」という説に触れている。加えて、「グローバル化や労働組合の交渉力低下の影響」にも考えられるものとして言及している。
第3の「労働分配率の低下が政策に及ぼす影響」については、労働分配率の低下が、「市場支配力の拡大を反映」しているのであれば「市場支配力を抑えるような政策対応が正当化される」が、「グローバル経済の変化で技術の進歩がもたらす自然な副次的影響によるもの」なら「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来へと突入する」ことになるとし、その場合には、「国民配当」、いやむしろ「グローバル配当」といったものを制度化してはどうだろう、としている。
「グローバル配当」は、「すべての人に妥当な生活水準を保証するための配当」ということであるが、「米アラスカ州が原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給するシステムと似ている」が、「世界中のロボット、人工知能(AI)、機械が生み出した付加価値を全市民に分配する点」が異なるとしている。

この論説での「グローバル配当」は、AIの進展に対して必要性が論じられているBI(ベーシック・インカム)の考え方に類似したものと思われるが、その実施範囲を世界中に広げている点で、壮大というか、荒唐無稽に近い印象を与える。ただし、それは、BIの実施を一国内に限定して考えることの限界を指摘しているものであるもと言えよう。
BIを一国内で実施した場合、外国人の取扱いをどうするのかが問題となる。対象に含める場合には、世界中の貧しい国々の人々が押し寄せる結果となる可能性があり、結局、制度としては維持できないことになりかけない。対象から除外する場合には、その国の中での外国人の生産・消費への貢献を差別的に取扱うこととなり、やはり問題になる。このようなジレンマは、現行の生活保護制度も抱えている。参照している米アラスカ州の場合には、「原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給する」ということで、地域限定であるから、BI類似の制度も成り立つわけである。
問題は、「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来」をどのように考えるのか、ということであろう。生み出すべき付加価値が、衣食住といった人間の生存に不可欠なものであるというのであれば、確かに福音と言えよう。しかし、果してどうなのだろうか。現代人、特に先進国の居住者にとっては、そのような基礎的支出の割合は低下している。これに関するエンゲル係数(家計支出に対する食費の割合)の国際比較は、重要なデータであると思われるが、残念ながら政府関連等の資料には見当たらなかった。ネット上には、次の資料がある。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/0211.html
ひとまず、これを正しいものとして論じるなら、主要国のエンゲル係数は3割を下回っており、ドイツや米国では、2割を下回っている。すなわち、国全体としては、「食うに困る」状況からは、ほど遠いわけである。
この家計支出に対する食費の割合を、さらに多くの国について見たものも、ネット上で見つけることができる。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2270.html
このデータの信ぴょう性の検証は行っていないが、国によって大きな違いがあり、発展途上国では、想定通り、食費の割合が高いということになっている。
一方、日本の状況については、総務省統計局がデータを出している。
https://www.stat.go.jp/info/today/129.html
このデータの説明として、「終戦直後の1946年に66.4%であったエンゲル係数は、戦後の復興・高度経済成長にあわせて低下していきます。」とし、「国民生活が豊かになっていく様子がエンゲル係数に表れてきていると言えるでしょう。」としている。
ところが、「昭和から平成にかけて低下を続けてきたエンゲル係数は、平成の半ばから上昇に転じるようになります。近年は急速に上昇しており、特に2015年と2016年は上昇幅が大きく、この2年間でエンゲル係数は1.8ポイント上昇しています」ということになっているのである。
ただし、この説明では、「物価変動がエンゲル係数の変化に与える影響の大きさは、食料物価や消費者物価全体の変動の大きさではなく、その相対比によるものであり、それ自体は、生活水準の高低や生活の苦楽を単純に示すものではないことがご理解いただけるものと思います。」とし、「エンゲル係数の変化を何らかの端的な判定基準として用いるのではなく、その裏側にある、私たちの生活の実態や変化をしっかりと紐解いていくことが肝要と言えるでしょう。」と結んでいる。
それは、確かにそうであろうが、相対的な生活水準を比較する上で、エンゲル係数が一つの重要な指標であることも確かである。
そこで話を戻せば、世界中には、衣食住といった基礎的消費に追われている人もいれば、その内容自体が相対的に豪華であったり、基礎的消費以外の、いわば娯楽的消費に多くを費やしている人々も少なくないという状況である。この娯楽的消費にかかる部分は、人間の個人的感性に依存するものが多く、それらをロボットや人工知能(AI)あるいは機械が効率的に生み出すことができるとしても、そこには人間の介在が避けられないのではないかと思う。すなわち、人間の感性に由来する付加価値は、いったん定式化されればAI等で効率的に生み出すことができるだろうが、最初の創造時点においては、人間そのものの感性による必要があるのではないか、ということである。
例えば、囲碁や将棋を例にとってみよう。今や、AIの能力は、人間を超える水準になっている。しかし、囲碁や将棋を面白いと思って発展させてきたのは人間であり、まったく無の状態から、AIが生み出したものではない。AIは、何も好き好んで囲碁や将棋をやっているわけではなく、技術的改良を行っているに過ぎないのである。もちろん、人間が興味を持つことを分析して、AIが新たな娯楽を提供することは、あり得る。しかしながら、人間のための娯楽を提供するという活動自体に、人間に従属しているという本質が見えるわけである。
さて、また元に戻れば、基礎的消費にかかる標準的な生産物などが、ロボットやAによって生み出されるようになれば、それは人類にとっての福音であり、世界中から貧困を撲滅する成果が期待できることになる。これこそが、BIが目指すべき領域であり、グローバル配当の範疇に入ってくるものではないか。一方で、個々人のニーズに対応する娯楽的消費については、BIの範囲外として、個々人の裁量で享受できるものとすべきであろう。そのようにすれば、人間の向上意識が廃れることもないであろう。
「食うために働く」ことは悲しく辛いが、「衣食足って礼節を知る」段階に到るためには、まず「食うために働く」しかない。動物である人間が、「食う」という動物の宿命を、ロボットや人工知能(AI)あるいは機械によって克服できるのであれば、それは、人類の偉大なる勝利になるのではないかと思うが、その先の想像はつかない。
2020年2月19日 朝日夕刊6面 失踪実習生働かせた疑い 派遣会社代表ら逮捕
2020年2月20日 朝日朝刊29面 失踪実習生5人を派遣容疑 会社代表ら3人逮捕 SNSで人集め

「技能実習先から失踪したベトナム人を違法に働かせたとして、大阪府警は19日、人材派遣会社の代表ら3人を出入国管理法違反(不法就労助長)の疑いで逮捕した。…府警は、失踪したベトナム人技能実習生をSNSなどを通じて集め、仕事のあっせん先から仲介料を得ていたとみて捜査を進める。」というのが夕刊の記事である。
「ベトナム人5人は不法残留や資格外活動の疑いで府警に逮捕され、4人は起訴されている。公判記録などによると、5人はいずれも失踪した技能実習生だった。化学薬品会社側は1人につき時給1750円をMTS側に支払っていたが、ベトナム人が実際に受け取っていた時給は1100円ほどだったとされる。」とのことである。
「法務省によると、日本で働きながら技術を学ぶ外国人技能実習生は2018年末時点で約32万8千人。ベトナム人が最多で半数の約16万人を占める。失踪した実習生は11年の1534人から18年は約6倍の9052人に。同年のベトナム人失踪者は64%と際立つ。」とのことであるが、失踪の理由については、「受け入れ先などから法令違反を含む不正な扱いを受けていた疑いが確認された。内訳は最低賃金違反58人▽契約賃金違反69人▽時間外労働の割増賃金不払い195人▽賃金からの過大控除92人――など。来日時に多額の借金を背負わされている例も少なくないという。」ということで、受け入れ側の問題が多く見られるようであり、「受け入れ企業を監督し、実習生を支援する役割を担う監理団体の一部が、本来の機能を果たしていない」ことにも、記事は言及している。
翌日の朝刊の記事も、同じ趣旨のものであるが、紙面の制約もあるのだろうが、ベタ記事的な扱いである。

「外国人技能実習制度」は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としております。」とされている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/global_cooperation/index.html
しかし、その実態は、安価な労働力として取り扱われており、実習先で不要とされれば、滞在許可を失って帰国せざるを得ないため、劣悪や悪質な労働条件にも耐えることを強いられ、耐えられなければ失踪せざるを得ない状況になっているのである。中には、福島の放射能除染作業に従事させられた人もいる。職業選択の自由はなく、労働者としての取り扱いも十分とは言えない。
このような実態から、「外国人技能実習制度」は、国連と米国から、「奴隷労働」と批判されている状況である。
https://hbol.jp/202393
同様の批判は、ネットで検索すれば、膨大な数が出て来る。何より問題なのは、このような実態によって、「夢の国」と妄想されている日本が、「悪魔の国」であるとの印象が、実習生やその親族などの脳裏に深く刻み付けられることであろう。
「人づくり」に協力、などという綺麗事では済まない。この記事にあるように、失踪実習生に対するピンハネ労働も横行している。これでは、現代版の「安寿と厨子王」の世界である。
では、どうすればよいのか。私は、安易な単純労働力としての外国人の受け入れには反対であるが、すでに技能実習生として入国してきた人々に対しては、日本政府は、きちんと保護する責任がある。そこで考えられるのは、失踪実習生を含め、いったん技能実習生として受け入れた人々に対しては、例えば3年間といった期限を定めて、正規の労働者としての取り扱いをしてはどうかと思う。職業選択の自由も保障し、日本人の労働者と同一の取り扱いとすべきである。
その一方で、これ以上の問題悪化を防ぐため、「外国人技能実習制度」の新規受け入れは停止し、当面は、「特定技能の在留資格」による入国に限定すべきであろう。また、在留期限が切れ、あるいは不法に入国した者に対しては、日本的に本国に送還すべきであり、そのような者を雇用した企業や団体についても刑事罰を科すべきであろう。
外国人を受け入れるのなら、それなりの覚悟がいる。米国や英国のように、いったん正規や黙認で受け入れた後に、排斥的な取り扱いを行うのは、詐欺的行為である。それと同様に、技能実習生の名目で単純労働者として取り扱っている日本の現状も、欺瞞であるとしか言いようがない。「先進国としての役割」「国際社会との調和ある発展」とは、あまりにひどいお題目ではないか。「技能、技術又は知識の開発途上国等への移転」を本当に考えているのなら、日本に来てもらうことではなく、日本から専門家をその国に派遣するのが筋であろう。
2020年2月19日 日経朝刊21面 (大機小機)出生率の回復に政策の照準を

この記事の論評については、下記の「年金時事通信」の20-004号として登載しています。
 http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin201405.htm

2020年2月18日火曜日

2020年2月18日 日経夕刊2面 ●(就活のリアル)人員整理、不況でも不要 雇用調整助成金を活用

就活理論編での雇用ジャーナリストの海老原嗣生による論説で、前回2020年1月28日付の日経夕刊2面の記事の続編である。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200128NY02.html
前回の「不況は遠からず来る。もし実力がある企業なのに人が採れずに困っているのなら、こうした不況期に思いっきり人材を確保すべきだ。」という主張の中で、「「ここで人を採り過ぎたために、その後、成長が止まって経営が厳しくなったらどうするのだ」という反論に対して、「日本にはとても良い「公的支援」がある。それが、雇用調整助成金だ。」とするものである。
「この制度があれば「不況期で人が余った場合」でも人員整理は不要になる。だから安心して「採れるときに採る」という採用戦略が可能になる。便利な公的支援であり、もっと広く認知を得るべきだろう。」というのである。
「この制度は利用日数に上限があり、期間も3年しか適用されない。青息吐息のゾンビ企業は3年たったらやはり淘汰される。」として、弊害にも配慮されているとしている。

雇用調整助成金について、厚生労働省は、次のように説明しいている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/pageL07.html
パンフレットやガイドブックも掲載されている。また、現在、深刻な問題となっている新型コロナウイルスによる影響に対しては、特例措置も行われている。
https://www.mhlw.go.jp/content/000596026.pdf
なお、記事では、「この助成金と似た制度は、市場原理主義が色濃い米国にもある。ドイツにもある。どこの国にでも普通にあるものだからだ。」とあるので、大分探してみたが、ドイツには類似の制度があるが、米国には見当たらなかった。
最終的に行き着いたのは、労働政策研究・研修機構の「データブック国際労働比較2019」の資料の一部である。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/04/d2019_T4-09_jp.pdf
この資料によると、米国にも、工場閉鎖時の再就職支援のためのカウンセリングや職業紹介・職業訓練等にも活用される「再就職支援制度」はあるが、雇用維持のための助成金はないようである。操業短縮などの場合の雇用維持支援制度は企業を対象とするものであるが、再就職支援制度は個人を対象とするものであり、まったく性格は異なる。
ともあれ、日本においては、雇用調整助成金による雇用維持の方策はあるわけである。好不況の波をそのまま人材採用にぶつけるのではなく、この制度を活用して人材採用の平準化を図ることは、企業にとって有益な選択肢であるべきである。その点では、海老原氏の意見に賛成である。
2020年2月18日 日経朝刊25面 (私見卓見)日本企業、株主中心から脱却を

早稲田大学の渡辺宏之教授(会社法)による論説で、「米主要企業の経済団体で、日本の経団連にあたるビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月、「脱株主至上主義宣言」を出した。」ことに触れ、「米国型の株主資本主義が大きな転機を迎えつつある。」とするものである。「従業員や取引先、地域社会、株主といったすべての利害関係者の利益に配慮し、長期的な企業価値向上に取り組む」と米国を代表する経営トップが宣言に署名した意義と衝撃は大きい。としている。
「世界では最近、株主に富が異様に集中し、米国を典型とする極端な格差社会が生じている。貧富の格差は、もはや従来のような単独国家による再分配や税制の調整では立ち行かない問題となっている。米企業社会の指導者レベルが抱く危機感を見落としてはならない。」と言うのである。
「日本企業は、資本効率を示す自己資本利益率(ROE)などの水準が国際的に低いとして、米国の今回の宣言見直しに安易に追従すべきでないとする見解もある。」が、「誰のための稼ぐ力か」という問いかけが重要である、としている。
教授の専門の会社法について、「株主は会社(財産)の所有者」という法規定は米国の会社法にも存在しないとし、「株主の立場に偏重した稼ぐ力という考え方、費用・便益(効率性)分析に終始する会社法の理論から、脱却していかなければならないだろう。」としている。

この宣言については、2019年11月19日に、経団連米国事務所とビジネス・ラウンドテーブル(BRT)の幹部との間で意見交換が行われており、宣言の本文や署名者も確認できる。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2019/1205_11.html
https://opportunity.businessroundtable.org/wp-content/uploads/2019/09/BRT-Statement-on-the-Purpose-of-a-Corporation-with-Signatures-1.pdf
BRT側は、宣言は「企業は顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うことを明示した。」ものとしている。
そして、「1997年以降は企業の目的を株主利益の実現ととらえていた。しかし、その後、米国の多くの経営者は地域への貢献や環境問題への対処など、広く社会課題の解決も企業の目的ととらえるようになってきており、今回の声明はそのような変化を反映させたものである。その意味で、近時経営者が考えていることを文章化したものであり、企業の目的に関する劇的な変化を企図したものではない。」とのことである。
「今回の声明の公表は米国内外で大きな反響を呼び起こしたが、それらは概ね好意的なものである。」とのことであるが、経団連側の評価は記述されていない。

会社の目的は何であるかは、日本でも大きな議論を呼んできた。事業の元々の元手を提供するのは株主であり、会社が破綻した場合には出資金を失うリスクを負うのは株主であってみれば、会社が株主の利益を第一に考えるべきであることは当然とする「株主第一主義」が、世界中に蔓延しており、その先導役を1997年のBRT宣言を担ったことは事実であろう。
一方で、株主のみならず、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会といった関係者を含めたステークホルダーのために会社は貢献する必要があるという考え方も、欧州などから強まってきていた。今回の宣言は、そのことの重要性や意義を再確認するものと言えよう。
日本においては、当初は、ステークホルダー重視は当然で、「株主第一主義」は極論との論調が主流であったが、その論理は自己資本利益率の低迷の言い訳に使われているとして、近年では、「株主第一主義」に傾斜しつつある傾向にあったと思われる。
大きな論点は、「長期的利益の提供」にある。経済や企業活動のグローバル化が進む中で、企業業績の変動も激しくなっており、決算での業績開示は四半期単位が当たり前になった。内部的に月次決算を行っている企業も珍しい状況ではなく、流通業では、毎日の売り上げや利益を日次でチェックしている企業も多いようである。
難しいのは、こうした「短期的なチェック」と「長期的な利益の提供」との関連であり、バランスであろう。企業活動は永続的なものとされるが、長期的はマラソンに、短期的は100メートル走にたとえられよう。してみると、現状は、マラソンでの優勝を目指しつつ、100メートルごとにタイムを競っている状況になりかねない。それでは、マラソンに優勝するためのペース配分もへったくれもないことになる。
そして、経営者をコーチに例えれば、100メートルごとのタイムが良ければボーナスが支払われ、不振が続くと解任されることになるわけだから、経営者が短期志向となるのは当然である。
この弊害を露わにしたのが、他ならぬ日産自動車のカルロス・ゴーンであった。経営危機に陥った日産の立て直しで示した手腕は、後から見ても、称賛に値する。しかし、それは結局、短期的な話だったのであり、20年にわたる独裁の末に残ったのは、会社を食い物にした自己中人物の正体暴露と、食い散らされたあげくに再び危機に陥った日産の有様である。
この短期的と長期的との矛盾を解決するための一つの手段は、取締役の在任期間に制限を設けることではないか。米大統領の任期が2期8年に限られているのは、賢明な措置と言えよう。会社法でも、取締役の通算任期を8年に限っていれば、日産ゴーンの不祥事は避けられたであろう。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」「おごる平家は久しからず」といった名言は、歴史を乗り越えてきたものであると、改めて思う。
その観点からして、自民党総裁の任期3年を連続2期までとしていたのを2017年に連続3期に変更したのが、いかに愚策であったのかは、今の腐りきった安倍首相を見れば、誰の目にも明らかであろう。その点で、小泉元総理が任期延長を固辞した見識には頭が下がる。
2020年2月18日 日経朝刊5面 中小への「残業しわ寄せ」監視 4月から労働時間の規制適用 行政指導も視野に

「中小企業について1年間猶予されていた残業時間規制が4月から始まる。「月100時間未満、年720時間」を上限とする規制が先行している大企業からしわ寄せがいく形で、中小の長時間労働が続くことのないように政府は監視を強める。」という記事である。
「残業時間に上限を設けた働き方改革関連法は2019年4月に大企業に適用され、20年4月から中小企業も対象になる。原則は月45時間、年360時間で、労使で合意すれば年720時間以内までは可能。月100時間を超えてはならず、2~6カ月平均で月80時間以内といった内容だ。建設業など猶予期間が続く一部業種を除き、違反すれば30万円以下の罰金か6月以下の懲役となる。」という状況の中で、大企業ではすでに従業員の勤務時間管理が厳しくなっている。その分、無理な短納期発注や休日出社の強制など、下請け中小企業へのしわ寄せが強まっているとの指摘がある。公正取引委員会の幹部も「短納期発注などが目立つ」と話す。」ということが起きているわけである。
「企業への監視を強めるため、経産省と厚生労働省は合同で働き方改革の対策チームを立ち上げた。」と同時に、「公取委や経産省は大企業など約20万社に書面で中小企業へのしわ寄せを防ぐよう要請した。」としている。
だが、「企業側に改革の負担を押しつけるのは限界がある。IT(情報技術)の活用拡大や大企業を含めたサプライチェーン全体の見直しを官民挙げて進めるなど、産業全体の生産性を高める取り組みと働き方改革を同時に進めることが欠かせない。」と記事は結んでいる。

厚生労働省は、「時間外労働の上限規制-わかりやすい解説」という手引きを作成し、掲示している。
https://www.mhlw.go.jp/content/000463185.pdf
時間外労働が野放しで、そのまま過労死が「Karo-shi」として英語で通用するまでになった過酷な労働環境の改善に向けた措置としては、大きな一歩である。
しかし、今回の改正でも、国際的に見劣りする割増賃金の見直しは行われなかった。
少し古いが、内閣府が2013年10月4日に「第2回経済の好循環実現検討専門チーム」に提出した次の資料を見れば、割増賃金の是正が必要なことは明らかであろう。フランスは週35時間労働であることに注意が必要)。
https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/2th/shiryo4.pdf
この資料には、「労働者の方が、あえて残業して、割増賃金を稼ぐ」という懸念も記されているが、労働時間管理は、管理者の重要な責務であり、残業は本来、業務のやむを得ない必要性によって、管理者の命令・指揮下において行われるべきものである。この懸念は、そんな基本的な事すら、日本企業の労働現場では行われていないことを示唆している。
記事では、「中小企業は労働生産性の停滞が続いている。法人企業統計調査を使って中小企業庁がまとめた資料によると、製造業では大企業が09年度から17年度の間に約40%向上した半面、中小企業は11%の上昇にとどまった。非製造業でも同じ期間に大企業が23%、中小企業は8%と改善の幅に差がある。」ともしている。
まず、そもそも日本の労働生産性は低く、2018年の「時間当たり労働生産性は 46.8 ドルで、OECD加盟36カ国中21位」とされている。
https://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2019.pdf
ここで、きちんと理解しておく必要性があるのが、「時間当たり労働生産性」の算定方法である。上記の資料では、次のように算定している。
 1時間当たり労働生産性=GDP÷(就業者数×労働時間)
この式から「1時間当たり労働生産性」を引き上げるためには、まず労働時間を減らすことが考えられる。もちろん、それによってGDPが減少したら効果が減殺されるわけだが、そうならないようにするのが「働き方改革」であり、人力をAIなどに置き換える省力化も重要な要素になる。
一方、就業者数については、日本の人口の少子高齢化によって、生産労働人口が減少し、それによってGDPも減少する恐れがあるが、女性や高齢者の就労増加によって、その影響を緩和しようというのも「働き方改革」の一面である。
最後の問題は、分子がGDPでよいのか、という点である。成長がなければ国家は衰退するとされているが、その考え方の下で建設された「箱もの」は、建設時にはGDP増加に寄与したのだろうが、その後の管理では、むしろお荷物となっている状況である。この修繕・維持費用だけで、GDPの数パーセントが必要であるという議論があるが、そのために「箱もの」をまた作れば、将来世代が、その負担を背負うことになる。つまりは、建設のみをプラス要因と考えるGDPの算定方法に問題があるのではないか。この欠陥の象徴が、原子力発電所で、今や廃炉のコストや方法も見通せない状況になっている。
GDPの欠陥や代わりの指標は、ずっと以前から指摘されているが、代替手段のないまま、今日に到っている。しかし、深刻化する温暖化問題に見られるように、GDPというか成長至上主義のツケは増大する一方である。どこかで、AI技術などの進展により、短い労働時間でも基本的な不足のない生活水準が維持できるようにならなければ、人類は破滅に向かうことになるのではないだろうか。

2020年2月17日月曜日

2020年2月17日 朝日朝刊24面 (職場のホ・ン・ネ)「正規」こそ正しい?
2020年2月17日 日経朝刊5面 (経営の視点)「オブジェ社員」を生むな シニア活性化、企業が左右

最初の記事は、「派遣社員として働いていますが、「就職氷河期世代の非正規雇用」と呼ばれることに違和感があります。まるで「正規」こそが正しいと言われているように感じます。」という40代女性の声である。「政府には「正規」「非正規」を自由に行き来できる社会をめざしてほしいです。」としている。

後の記事は、多摩大学大学院の人事論担当の徳岡晃一郎教授による、役職定年・定年延長のシニア社員についての周囲の評価をヒアリング調査を紹介したものであるが、「明らかに時間内だけ事務所にいれば、たいして頑張らなくても給料がもらえるというオーラを放つ人もいる」「アドバイザー的な役割しかになわず、まるでオブジェのよう」などと否定的な声が大半としている。
記事では、「政府は企業に70歳までの就業機会確保の努力義務を課す「高年齢者雇用安定法」の改正案をまとめたが、これは問題の解決ではなく、むしろ悪化させるだろう。」としている。
その背景には、「日本企業の人材投資は新入社員と管理職に集中」という企業側の側面と、「社外での学習や自己啓発に取り組む会社員の比率は日本は他国に比べて非常に低い」という働く側の意識改革の側面とがあるとしている。

「非正規」という用語は、「non-regular」の訳語であるが、日本では、「abnormal」すなわち異常に近いニュアンスを持たれているように感じられる。政府や学者も、「非正規」という用語を使わないようにしたらどうかと模索したことがあるが、うまく行っていない。もっと言えば、日本では、「正社員」が「正規」であり、中途入社者すら色眼鏡で見る傾向が、まだまだ続いているように感じられる。

「オブジェ社員」というのは、以前の朝日の記事では、「妖精さん」と呼ばれていた。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200119AA07.html
こちらも、日本の労働慣行から生み出されたものである。すなわち、新卒一括で採用した社員を、当分の間は能力でなく年功的に処遇し、徐々に管理者や幹部候補生を選別し、対象外となった者は飼い殺しにするという「日本型雇用」のシステムによるものである。それでも離職しないのは、年功賃金と定年までの雇用保障があるからで、対象外となれば頑張ったところで見返りはしれているから、そのうち「オブジェ社員」や「妖精さん」になるという道筋である。そして、こういう業績や貢献に見合わない報酬を享受できるのは、「(元)正社員」に限られるという構造なのである。
これで、会社が活性化したら、それこそ不思議である。それでも、日本企業がこのシステムから脱却できないのは、経営幹部がその中で育ってきたからであり、また、業績や貢献あるいは能力をあからさまにする報酬体系への切り替えは、このぬるま湯に慣れた正社員や、彼らがベースとなって構成している企業内労働組合の反発を招くからであろう。
脱却のカギは、公正な評価と処遇にあるわけだが、ぬるま湯システムに慣れた者が管理職になっているのだから、容易ではない。そのうち土台から腐って倒れることになるのだろうが、それが日本での「大企業病」の実態なのであろう。

2020年2月15日土曜日

2020年2月15日 日経夕刊17面 (大機小機)ドルの覇権崩すデジタル通貨

「日銀や欧州中央銀行(ECB)など6つの中央銀行と国際決済銀行(BIS)は、中銀デジタル通貨に関して情報共有などをするグループを新たに設立した。各中銀が足並みをそろえて中銀デジタル通貨の創設に動くことを視野に入れているわけではない。中銀デジタル通貨の発行に向けた各中銀の姿勢や狙いなどは、ばらばらだからだ。」という論説である。
「米フェイスブックが主導するデジタル通貨・リブラと、中国が発行準備を進める中銀デジタル通貨・デジタル人民元に対する強い警戒心から形成されたのは間違いない。」としている。
一方、「米国もグループに参加していない。米国がデジタル通貨の発行に後ろ向きなのは、リブラや中銀デジタル通貨の利用が世界に広がると、米国の金融覇権が突き崩されてしまうからだ。」という。「米国は、国際銀行送金の際にその情報を伝える国際銀行間通信協会(SWIFT)と米銀を通じて、国際的な資金の流れに関する情報をほぼ独占し、国際戦略に使っているとされる。」が、「従来型の銀行間送金でなくブロックチェーン技術に支えられたデジタル通貨が国境を越えて広く利用されるようになれば、米国による送金情報の独占は崩れ、有効な経済制裁も実行できなくなる可能性が生じる。」というのである。
そして、「米国も今の方針を転換し、通貨覇権と技術覇権の維持を優先して、中銀デジタル通貨の発行に乗り出す可能性が出てくるのではないか。その結果、中銀デジタル通貨で各国が連携し、リブラやデジタル人民元を封じ込める動きも強化されるだろう。鍵を握るのは、やはり米国である。」と結んでいる。

リブラやデジタル人民元といった世界は、まだ私にはピンと来ない。だが、お金の流れに猛烈な変更が生じていることは実感する。特に、国際送金では、もはやSWIFTは完全な時代遅れである。その理由は、国際送金でやり取りされるのは、実際の通貨ではなく、通貨の価値だからであろう。このことは、テロの映画などでも、クリック一つで大金が送金されるシーンを思い浮かべれば明らかである。価値の伝達であってみれば、銀行間経由である必要はなく、ネットを介して誰にでもできることになる。実際、ビット・コインなどの仮想通貨は、犯罪でも利用されるようになっている。アマゾンのポイントなどは、実際の通貨と変わらない価値を持ってきている。
ただ、仮想通貨には、少し前のハッキング被害のような脆弱性がある。その脆弱性は、発行・管理主体の基盤が弱く、信頼性に乏しいことにある。Facebookのリブラや中国政府のデジタル人民元は、この点に着目し、巨大企業や政府の信用力によって、仮想通貨の信頼性を高めようとするものであろう。
よく分からないのは、ブロックチェーンのメカニズムである。いろいろな説明が行われているが、今一つ、ピンとこない。そこで探してみて、原論文にたどり着いた。
https://bitcoin.org/bitcoin.pdf
また、この論文の各国語訳も、掲示されている。
https://bitcoin.org/ja/bitcoin-paper
ざっと目を通したが、難度の高い論文である。社会への影響という点では、「ノーベル賞級」というのも、納得できる。ただ、この現代流の論文を理解できる審査員の数がそろうかどうかは疑問であるが。
中核的な点で理解できたのは、この技術が、peer-to-peer(P2P)の考え方で構成されていることである。P2Pは、中央制御機関を経由せず、端末と端末とで直接的に情報をやり取りするものである。この考え方により、ブロックチェーンの管理は、分散型で行われるようになり、障害にも強く、改ざんの可能性も低くなるというわけである。
改ざんの可能性が低くなるのは、取引の全データが全参加者に送信され、その認証の最も多いものが、最長ブロックチェーンとして認知されて、台帳が更新され継続していくことによるようである。細かな点までは理解できなかったが、これは、多数決を模したものであり、デジタル民主主義の産物と言えるのかもしれない。
大変興味深いのは、国家や巨大銀行などの中央独占的な組織に対して、デジタル民主主義が挑戦しているという図式になるわけだが、その技術の利用を図るリブラやデジタル人民元の管理主体が、独占的な企業や専制的な国家であるという点である。さて、この矛盾に満ちた動きの行く末がどうなるのか、興味は尽きない。
2020年2月15日 朝日朝刊33面 ●(ニュースQ3)「内定辞退させて頂きたく」 指南本、完売続出

「就職活動で学生が有利な売り手市場が続く中、企業に入社を断る「内定辞退セット」が人気になっている。手紙の書き方や電話のかけ方を指南するものだが、取り扱う書店や文具店では売り切れが続出。購入者からは「断れてほっとした」という声も聞かれる。」という記事である。
「春の入社が迫るこの時期でも、内定を断っていない学生もおり、売れ行きにつながっているという。」が、「人生で断る機会がほとんどなかったから、どうしたらいいのかわからなかった」という内定式の直前になって泣きながら社長に電話した男子学生の例も紹介されている。
記事では、「お断り」の悩みは大学生にとどまらないとして、本人の代わりに会社を辞めたいと伝える「退職代行サービス」にも言及している。「断れないのは、思いやりのはき違え」「ビジネスは恋愛にも通じます」という銀座の伊藤由美ママの声も紹介されている。「大事なのはいい子ぶらないことだという。」とし、「相手を気遣うことも大事ですが、大切にすべきは自分です」と締めくくっている。

この「内定辞退セット」については、当ブログでも、すでに取り上げたところである。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200121NY02.html
そんなに追記することもないのだが、この記事の最後の「相手を気遣うことも大事ですが、大切にすべきは自分です」は、間違ったコメントとしか思えない。
「大切にすべきは自分」だからこそ、何もしないのではないか。相手に嫌な顔をされたりして、自分の感情が揺らぐのが嫌だから、何の行動も起こさないのであろう。「相手を気遣う」などとは、まったく無縁である。相手に迷惑がかかることは少し想像すれば分かるはずだが、そんなことはどうでもよいということなのである。
もっとも、内定辞退や退職申出ができないのは、企業側にも問題があると思える。人手不足の中、内定や退職のつなぎとめに過剰に対応している場合も、あるのではないか。
この問題の当事者に考えて欲しいのは、「何もしないことも意思表示」だということである。それは、若者世代での「既読スルー」にも通じるし、シカトによるイジメと同列のものでもある。人生は、決断の連続である。その決断には、能動的な意思表示も、消極的な現状追認も含まれる。その中で、回避的な決定遅延は、結局、消極的な現状追認が続くものであるということである。その結果の責任は、本人が負わざるを得ない。本人が何もしていないつもりでも、実際には何かをしているのが、人間社会というものなのである。
2020年2月15日 朝日朝刊12面 (経済気象台)「全世代型」の回りくどさ

「政府が全世代型の社会保障改革を進めている。「全世代型」の言葉には、すべての世代が得をするかのような響きがあるが、決してそうではない。」という論説である、
「現行の社会保障制度を続ければ、将来の世代の負担は着実に重くなる。世代間の受益と負担の調整を進めなくてはならない。」とし、政府の「70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする方針」については、「めざす方向は適切だが、なんとも中途半端だ。」としている。
「長寿はこの国の誇るべき財産だが、その分、国民全体の生活費や医療費は膨らむ。人口が減っていく子や孫の世代に多くを負担させるのは、いかにも無理がある。」とし、「いま必要なのは、定年制を廃止し、年金支給の開始年齢を引き上げる議論を、早く始めることだろう。政治には、国民から反発を買ってでも説得を続ける覚悟と、実行する胆力を期待したい。」と結んでいる。

その通りの正論であるが、「年金支給の開始年齢を引き上げる議論」が、すんなりと進められるかどうかという点になると、途端に先行き不透明になる。実は、「支給開始年齢の引き上げ」が検討課題として取り上げられた時がある。それは、旧民主党政権下の社会保障審議会年金部会で2011年10月11日のことであった。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001r5uy-att/2r9852000001r5zf.pdf
ところが、これを検討課題と提示しただだけで、マスコミや世論は、袋叩きにしたのである。厚生労働省には、その時のトラウマは、今も払拭されていないのではないかと思われる節がある。「支給開始年齢の引き上げ」がタブー視され、「支給開始年齢の弾力化」「70歳までの雇用環境の整備」で、状況変化を待っているのではないかと思われる。
一方、上記論説は、「将来の世代の負担は着実に重くなる」ので、支給開始年齢の引き上げを主張するものであるが、実は、若者の中にも、引き上げに反対する意見は少なくないのである。それは、引き上げは過去にもそうであったように、段階的に行われざるを得ず、結局、若者の方が割りを食う結果になることによるのであろう。
この点は、上記の年金部会資料の24ページでも、次のように言及されている。
「マクロ経済スライドによる給付抑制の調整期間が短くなることから、「スライド調整終了後」の年金給付水準の低下が緩和されることとなる。このため、世代間格差の縮小に寄与する面がある。」
「一方で、支給開始年齢の引上げが行われる以降の世代については、年金給付費の減少が生じることとなる。つまり、支給開始年齢の引上げは、将来世代に影響が強く出ることについて、どう考えるか。」
残念ながら、この点についての抜本的な解決策はない。乱暴な意見なら、今の年金受給者の給付を3割引き下げるべきだというような意見があるが、そんな事をすれば、年金制度は崩壊し、政権も倒れて社会・経済は大混乱に陥り、収拾がつかなくなるだろう。何でも、言えばいいというものではない。無責任極まる暴言である。
また、上記論説では、「定年制を廃止」に言及している。一連の流れからすると、「高年齢でも働ける間は働き」という感じに思えるが、「定年制廃止」は、「定年制延長」とは、まるで異なる。「定年制延長」は延長後の年齢までの雇用保障がセットされるが、「定年制廃止」なら、その保障はない。すなわち、業績や貢献次第で解雇される可能性が高まることになる。「好きなだけ働ける」のは理想だが、景気変動の中で、それだけの柔軟性を持つ企業は、皆無であろう。したがって、「定年制廃止」は、企業外への国家主体の生活保障の必要性を高めることになる。これも、支給開始年齢の引き上げに反対することにつながる可能性がある。
このように、支給開始年齢の引き上げの議論は、一筋縄ではいかない。それでも、寿命が延びれば、働く期間を長くして、年金の受給期間を短くするようにしなければ、年金制度が維持できないのは、理の当然である。現在のマクロ経済スライドによる年金減額は、年金制度の財政を成り立たせるための方策とか言われているが、年金額が老後生活の基本的所得保障ができなくなるまで落ち込めば、制度は実質的に破綻するわけで、年金財政もへったくれもあったものではない。むしろ、支給開始年齢引き上げへの誘導手段と考えるべきであろう。
その観点からすると、支給開始年齢の引き上げと言う言い方ではなく、長寿化の中での、標準的な引退年齢の提示というマイルドな形の方がようのではないか。欧米各国でも、寿命が延びた分に対応して年金の支給開始年齢を調整するという考え方が浸透してきている。一方で、高齢期における個々人の差異は大きい。適切な言い方を模索しながら、長寿化の中での年金のあり方を国民に考えてもらう姿勢が、政府や年金専門家には必要なのではないか。

2020年2月14日金曜日

2020年2月14日 朝日夕刊10面 正社員との待遇差、「日本郵便是正を」 150人提訴
2020年2月15日 朝日朝刊3面 非正社員の待遇差、改善求め150人提訴 日本郵便、賞与や手当巡り

「日本郵便で働く非正社員ら約150人が14日、正社員との格差是正を求める訴訟を全国6地裁で起こした。ボーナスや手当、休暇の格差が、正社員と非正社員との間に不合理な格差をもうけることを禁じた労働契約法に違反すると主張している。」という記事である。
「今年4月には「同一労働同一賃金」に関連する法律や指針(ガイドライン)が施行されるが、各企業がどう対応するかは労使交渉や司法判断に委ねられている部分が大きい。異例の規模の訴訟を起こすことで会社側に是正を求めるという。」としている。
「原告側によると、格差是正を求めているのは、ボーナスのほか、住居手当、年末年始勤務手当、祝日手当、扶養手当など。労働契約が無期か有期かで不合理な格差をもうけてはいけないとする労契法20条に違反するとして、損害賠償を請求している。」そうである。
翌日の朝刊記事は、これをフォローしたもので基本的に同じ内容であるが、「訴状によると、正社員と非正社員の間で賞与や祝日手当の支給額に大きな差があるほか、住居手当、年末年始勤務手当、扶養手当などは正社員だけに支給されている。」と、より具体的な記述になっている。
「日本郵便を被告とする訴訟は、東京・大阪・福岡の各高裁で判決が出ている。一部で原告の請求が認められたが、現在は最高裁に移っている。」とのことで、「地裁や高裁では賞与の差を不合理だとした判決はないが、代理人の棗(なつめ)一郎弁護士は「賞与は10倍から20倍の差がある。賞与の格差が縮まるような判決が出てくれば、非正規労働者の生活はかなり楽になる」と話す。」としている。

この訴訟への朝刊の論評で、沢路毅彦編集委員は、「労働契約法20条が禁じる正社員と非正社員の不合理な待遇差」について、政府は「同一労働同一賃金」の関連法を整備し、「今年4月から大企業に、来年4月から中小企業にそれぞれ適用する。合わせて何が不合理かを具体的に示した指針(ガイドライン)をまとめた。」ことに触れつつ、手当については差別禁止や是正の判決が出てきているが、「指針は基本給や賞与については、職業経験や能力などに基づく違いを認めるとしながらも、「業績への貢献に応じて支給する場合、貢献に応じた部分について正社員と同じように支給しなければならない」などとしており、どこまでの待遇差なら許容されるかが依然としてあいまいだ。日本郵便をめぐる一連の訴訟が企業現場に与える影響は大きい。」と結んでいる。

労働契約法(2007年12月5日制定)は、「期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止」(この条項は2012年に追加)について、次のように規定している。
「第20条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。」
これについて、厚生労働省は、次のように説明していた。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/index.html
「同一労働同一賃金」の関連法は、「パートタイム・有期雇用労働法」(正式名称:短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律、2018年7月6日交付改正であるが、これについての厚生労働省の説明資料は、次のようになっている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000144972.html
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000190591.html
だが、ガイドラインも、「現時点で、今回のガイドラインを守っていないことを理由に、行政指導等の対象になることはありません。」という位置づけのものであり、法の趣旨については、今後、訴訟を含めた社会的合意形成によって、定着が図られていくことになるであろう。

この同一労働同一賃金の関連で、もう一つ念頭に置いておかなければならないのが、国際労働機関(ILO)の基本条約である第111号「雇用及び職業についての差別待遇に関する条約」に、日本が未批准であることである。
https://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_239068/lang--ja/index.htm
この問題については、当ブログでも取り上げている。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200118NA11.html
また、次の東京新聞の記事でも取り上げられている。「未批准はわずか13カ国です。G7では日本と米国のみ未批准です。」とのことである。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/seikatuzukan/2015/CK2015011402000182.html
政府が、「同一労働同一賃金」に基づく「働き方改革」を進めたいのなら、早急に
第111号条約(と第105号条約)の批准を行うべきであろう。本気の改革であるのなら、何ら支障はないのではないか。
2020年2月14日 日経朝刊1面 企業の終身年金、支給抑制可能に 長寿化で財務負担増 総額は維持
2020年2月14日 日経朝刊3面 (きょうのことば)企業年金 確定給付は940万人加入

1面の記事は、「長寿化で企業年金の負担が増している」ことに対し、「企業の財務負担を抑えるため、厚生労働省は平均余命が延びたら年間の支給額を減らせる仕組みを2021年度にも導入する。」というものである。
「厚労省が制度変更を検討するのは、確定給付のうち受給者が亡くなるまで年金を払い、長生きする人が増えると企業の支出も増える終身年金だ。」ということで、「厚労省は政省令を改正し、企業の負担増を抑える仕組みをつくる。5年に1度公表する寿命計算のベースとなる「死亡率」の改定に合わせ、企業が保証期間後の支払額を自動的に調整できるようにする。まだ年金を受け取っていない加入者の3分の2の同意を得たうえ、労使で規約を結ぶことを条件とする。」という対応だそうである。
「政府は高齢化に向けた企業年金の改革で、確定拠出で積み立てのできる加入期間を延ばし、受給額を増やすための法案を今国会に提出する予定だ。一方で確定給付は大きな見直しが実施されてこなかった。」が、「今後は長生きすることを前提に、老後の資金を手当てする取り組みが大切だ。公的年金が先細りするなか、高齢者が長く働いて所得を得られる社会づくりが重要になる。」と結んでいる。

一方、2面の用語解説では、「2019年3月末の加入者は確定給付が940万人、確定拠出が688万人だ。」とし、「少子高齢化で公的年金の給付水準が低下する中、企業年金の重要性は高まっている。退職後、企業年金などを活用しながら公的年金の受給開始時期を繰り下げれば、その分だけ公的年金の年間受給額が増えるためだ。厚生労働省は老後の資産形成を促すため、企業年金に長く加入し将来の受給額を増やせるようにするための法案を今国会に提出する方針だ。」としている。

厚生労働省による今国会への提出法案は、上記の記事にあるように、「確定拠出で積み立てのできる加入期間を延ばし、受給額を増やすための法案」で、「確定給付は大きな見直しが実施されてこなかった。」状況である。
その点では、この確定給付企業年金での終身年金の調整にも、意義がないわけではない。
しかし、確定給付企業年金における終身年金の比重が小さいことは、社会保障審議会企業年金・個人年金部会の資料(下記の24ページ)でも報告されている。
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000494946.pdf
資料の表には、確定拠出年金(企業型)を記されているが、この場合の終身年金は、生命保険会社が提供する投資商品としての「個人年金」であり、そもそも提供主体にとっての安全度を見た割高なものであり、実際の選択率は非常に少ない。
一方の確定給付企業年金には、制度として死に体となった厚生年金基金制度からの移行が多いと思われるが、「基金」という形態を維持した基金型での終身年金の実施割合が高いのは、厚生年金基金制度において終身年金が義務付けられていたことの名残であろう。
規約型の方には、新設された確定給付企業年金も含まれるが、2016年の方が2011年よりも終身年金の実施割合が少しだが高いようになっているのは、そもそも、税制適格退職年金(適年)の廃止によって確定給付企業年金の実施企業が減少しているためと思われ、終身年金の採用企業が増えたわけではないであろう。
欧米の企業年金では、確定給付型では終身年金が事実上義務付けられており、長寿化によるコスト増を嫌った企業が確定拠出型に移っていった。だが、日本では有期年金でも可としており、実際にも有期年金の設計が一般的である。このことが、確定給付型→確定拠出型への急激な移行(英米では、確定給付型は死滅状態)を抑止した一因と思われる。
したがって、この終身年金の設計緩和が確定給付企業年金の存続に及ぼす影響は、限定的なものと考えられる。ただし、あまり意味がないわけでもないと思うのは、個々の企業ではなく、解散や中途脱退の加入者の年金資金を受け入れて通算年金として支給している企業年金連合会にとっては、終身年金の提供リスクの軽減に役立つのではないか。

ともあれ、確定給付企業年金制度の存続・普及に向けて、この改善策の寄与度合いは低いだろう。特に、適年の廃止によって企業年金から離脱した中小企業にとっては、この施策の持つ意味は、無に等しい。大企業にとっても、確定給付企業年金の維持を困難にさせているのは、増え続ける可能性のある退職者の存在ではないかというのが、私の見立てである。ゼロ金利という厳しい投資環境の中では、企業責任の確定給付型→個人責任の確定拠出型へと流れていくのが当然であるという見方もあるだろう。しかし、ならば企業責任の退職金が広範に残っているのは何故なのか。また、リーマン・ショックという大波を受けつつも、日本では、それなりの規模で確定給付企業年金が残っているのは、何故なのか。
問題を解決するためには、事態の総括的な分析が不可欠であろう。さもなくば、「企業年金の重要性は高まっている」と言ってみたところで、無意味になる。

2020年2月13日木曜日

2020年2月13日 日経夕刊7面 (十字路)景気後退下の人手不足

りそな総合研究所の荒木秀之主席研究員による論説である。「日本経済に新たな現象が起きようとしている。景気後退下の人手不足である。」が、「一般的に企業の業況が悪化すれば、人手不足はある程度解消するが、今の日本にその経験則は当てはまらない。結果として、景気の後退と人手不足が同時進行するという、過去に経験のない局面に突入する。」という。
それは、「近年の人手不足が景気とは別要素の影響を受けているからだろう。団塊の世代による本格リタイアが始まったのが2012年。新卒者の減少も重なり、この頃から企業の人手不足が一気に深刻化した。」というのである。
そして、「景気後退下では企業の余裕がなくなり、人手不足に対しても打つ手が限られる。おのずと求人を断念する企業や、設備投資による省人化を見送る企業が増えるはずだ。」と続けている。
そして、「業績の悪化に人繰りの悪化も加われば、やはり倒産の増加が連想される。」とし、「真っ先に中小企業の倒産や廃業の急増に警戒が必要となる。特に、4月を境にした情勢の変化には注意すべきだ。」と結んでいる。

景気後退の中で、特に中小企業の倒産や廃業には注意する必要があるが、それ以外の特殊性の話は、腑に落ちない。「企業の業況が悪化すれば、人手不足はある程度解消する」のが今回は当てはまらないというロジックに、説得性があるように思えない。
「近年の人手不足が景気とは別要素の影響を受けているからだ」という認識には、違和感がある。人手不足の最大の要因は、やはり好景気ではないのか。
「新卒者の減少」は、少子高齢化の進展の中で、ずっと続いている。それでも、2007年のリーマン・ショックによる不況で、就職氷河期が到来した。団塊の世代は、1947年~1949年に生まれであり、一般的な定年60歳に到達したのは、2007年~2009年頃であり、「団塊の世代による本格リタイアが始まったのが2012年」というのも、事実とは異なる。
もっとも、公的年金の支給開始年齢の引き上げで、高齢者の退職は65歳に向けて引き上げ中である点には、考慮が必要であるが。
雇用の調整弁としては、非正規労働者が、真っ先に首を切られた。同一労働同一賃金の動きが出てきてはいるが、当面、そのような動きは続くであろう。「景気後退下の人手不足」が、真に技能を持つ人材のことであれば、その通りであろうと思うが、一般的な労働力の事を言うのであれば、「見立て違い」と思わざるを得ない。
もっと深刻なのは、「設備投資による省人化」が、好景気の中でも着々と進んできていることの方で、真に考慮すべきは、「好景気の中での人員余剰」なのではないかというのが、AI革命の影響を考え、格差の拡大を懸念する識者の見立てではないか。
2020年2月13日 日経朝刊3面 (米大統領選2020)格差是正 若者が支持 民主第2戦サンダース氏勝利
2020年2月13日 日経朝刊33面 (経済教室)格差是正、停滞脱出のカギ 

「米大統領選の民主党候補指名争いは、第2戦の東部ニューハンプシャー州予備選を制した左派のバーニー・サンダース上院議員(78)が先行する展開となった。」というのが最初の記事である。「勝利の原動力は若者の支持だ。米メディアの出口調査によると、18~29歳の51%、30~44歳でも36%の支持を得て他候補を引き離した。」という。
「サンダース氏は全米で1.5兆ドル(約165兆円)の残高がある学生ローンを政府が負担して全額免除すると表明。国民皆保険も公約に掲げ、富裕層や企業への増税で10年で14兆ドルの財源を確保すると主張する。格差への不満と将来不安が強まる低中所得層には、「民主社会主義者」を自称するサンダース氏の構想が魅力的に映る。」としている。
「とはいえ、大規模増税を伴う同氏の政策には党内主流派の反発も強い。」とし、「サンダース氏の急進的な政策に心酔する支持者は、穏健派の候補が勝った場合、本選では投票にいかないリスクを抱えている。左派と中道派の二極化が進む民主の指名争いは混迷を深めそうだ。」と結んでいる。

一方、後者の「経済教室」欄での記事は、慶大の小林慶一郎客員教授によるもので、「政府の過剰債務を解消するには歳出カット、増税、インフレなど様々な方法があり、どれを選ぶかで、国民のどの階層がコストを負担することになるかが大きく変わる。政府の過剰債務は、将来のコスト負担について巨大な不確実性を国民にもたらし、経済に非効率を作り出す。」という書き出しである。
そして、「通常の理論モデルで考えると、日本の政府債務は国内総生産(GDP)の240%を超え、税収の割引現在価値を大幅に上回っているので、インフレが起きるはずだと予想される。」が、「増税や歳出削減が将来起きるだろう」と国民が思っている限り、デフレや低インフレが続いてもおかしくはない。」とし、「負担増大が予想されれば企業は投資をためらうだろう。消費者が増税を予期すれば、貯蓄を増やし、消費を減らそうとする。こうして経済は停滞する。」としている。
その上で、経済学的分析を踏まえ、「格差の拡大は、個人の不確実性を増やし、長期停滞(マイナス金利とほぼ同じ)を引き起こす。」としている。そして、「実質金利をプラスにすることが経済の正常化だとしたら、そのためには所得格差を軽減する必要がある。言い換えれば、個人が人生で直面する不確実性を減らし、結果として社会全体の所得配分の不平等を緩和することが重要である。」としている。
そして、「それには、根本的な社会保障制度の改革が必要だろう。新しい社会保障制度は、最新のテクノロジーを駆使することによってあらゆる階層の個人の社会的包摂を目指すものになる。長期停滞からの脱却は金融政策だけの問題ではない、というべきではないだろうか。」と締めくくっている。

まず、米大統領選については、すでに別のブログで論評したところである。サンダース上院議員が勝ち進むのかどうかが注目だが、米国民に巣くう「赤の恐怖」の克服ができるのかどうかも注目点であろう。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200209AA01.html
米大統領選でも争点となっている「格差」について、様々な角度から検討されるようになった。上記の「経済教室」欄での論説も、その一つである。経済学的分析については専門外なので論評できないが、議論の広がりについては興味深い。
ただ、「個人の所得格差の拡大が長期停滞の一因」なのだとしても、その所得格差の是正の手段を考察しなければ、単なる学術評論になってしまうのではないか。「根本的な社会保障制度の改革」も、何をどうすべきと考えているのか、イメージが湧かない。
その点では、政策を競う米大統領選の方策は明確である。学生ローンの全額免除、国民皆保険、富裕層や企業への増税は、格差の縮小につながることは確実である。一方で、格差是正のための大規模増税が、景気を悪化させ、結局、格差の縮小の足かせになるのではないかという論点もある。よく言われるのは、パイの公平な分け方も大事だが、パイを大きくすることも大事だということである。
そう考えると、なかなか先行きが見えないことになる。だが、格差に押しつぶされそうになる大衆が増えると、体制の転換が起きることも、歴史の教訓である。専制君主から民主政治に、果して人類は進歩してきたのかどうか。独裁色を強めるトランプ大統領、プーチン大統領あるいは習近平出席といった各国のリーダーの状況が、民主主義の限界を示すものなのかどうか、現在の社会・政治情勢は、そうした根源的な問いかけにもつながっている。
2020年2月13日 日経朝刊19面 (大機小機)TOPIXは出直し的な改革を

「2019年末、金融審議会市場ワーキング・グループの市場構造専門グループが市場構造の在り方の検討結果を公表した。」なかで、「注目すべきはTOPIXの在り方である。」という論説である。
「我が国の株価インデックスはTOPIX一色といっても過言ではない。」が、「TOPIXを構成するのは東証1部上場の全銘柄だ。もともと上場資格が緩いうえに退出基準も甘い。企業価値を毀損したゾンビ企業さえ生き残ると酷評されている。」という状況である。
「一方、米国株の代表的なインデックスにS&P500種株価指数、MSCI USA、FTSE USAがある。それぞれ構成銘柄数は505、637、614だ。我が国の市場規模は米国の約7分の1しかないのに、TOPIXの構成銘柄数は2000超である。いかにも特異だ。」というのである。
「我が国の株式市場の停滞を懸念する声が多い。要因の一つは、投資家よりも企業側を向いた市場運営にあると指摘されている。市場活性化に向けた改革の第一歩は、報告書の指摘を待つまでもなくTOPIXの出直し的な改革を断行することである。」と締めくくっている。

うかつな事に、私は、TOPIXについての問題意識を持ってこなかった。米国にも種々のインデックスがあると言っても、やはりS&P500種株価指数が主体であるし、日本では、日経平均連動ファンドという、指数対象の225銘柄の株価の平均値という、およそインデックス運用とはかけ離れたものまである始末なので、TOPIX以外の指標に警戒感を持っていたのである。
ということで、遅まきながら、金融審議会市場ワーキング・グループの市場構造専門グループ報告書「令和時代における企業と投資家のための新たな市場に向けて」(2019年12月27日)に目を通してみた。
TOPIXについては、9・10ページで、とりあげられているが、記事の論説で、「金融審のワーキング・グループ報告書は、TOPIXに次のような注文を付けた。現在の不十分な浮動株定義を見直し、流通時価総額(浮動株時価総額)を基準にすること、銘柄数に上限を設け定期的に入れ替えること、構成銘柄と市場区分とは切り離すこと、独立性やプロセスの公平性が担保される運営に努めることなど、踏み込んだ内容である。」とされている通りである。
もっともな内容であり、報告書には、「経過措置等」を記されているが、可及的速やかな対応が求められると言えよう。

2020年2月12日水曜日

2020年2月12日 日経夕刊6面 確定拠出年金の終わらせ方 換金予定なら事前にリスク減
2020年2月13日 日経夕刊7面 (投信番付)海外REIT型に資金流入 毎月分配、シニアに人気

最初の記事は、Q&Aスタイルで、50代の会社員「企業型の確定拠出年金に加入しています。60歳になったら運用してきた資金はどうすべきでしょうか。」という質問に、ファイナンシャルプランナーの高橋忠寛氏が答えるという体裁である。
回答の方は、「60歳になりすぐ使う予定があるなら、50代から徐々に預金などリスクの低い商品中心に切り替えましょう。換金するタイミングで急な相場変動が起き、想定した金額を受け取れないリスクを減らすためです。」という常識的なものである。
「しばらく手を付ける予定がないのであれば、株式中心のままの運用の継続を勧めます。最長で70歳まで非課税で運用できます。その後は一般の課税口座に移して運用するのも手です。」ともし、受給の仕方には、一時金と年金とがあるが、「現状では一時金受け取りを選ぶ人が大半です。」とし、「一時金で受け取った資金をきちんと管理することは安心した老後生活にとって不可欠です。」としている。

一方、後の記事は、「海外の不動産投資信託(REIT)に投資するファンドへ資金が戻りつつある。」というもので、「半年で最も資金が流入したのは「ダイワ・US-REIT・オープン(毎月決算型)Bコース(為替ヘッジなし)」の750億円強。同期間の騰落率は6.9%だった。毎月分配型は資金を取り崩しながら運用するシニア層中心に根強い人気がある。」としている。
毎月分配型でも、「普通分配金の割合を示す分配金健全度も改善し、元本を払い戻す特別分配金を支払うファンドは減っている。」とのことだが、「老後の備えなど将来に向けた長期の資産形成を考える場合、運用収益の一部を分配金として毎月支払う毎月分配型への投資は複利効果の恩恵を最大限に得られないので留意しておきたい。」と結んでいる。

毎月分配型の問題点については、下記のブログで指摘したところである。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200202NA02.html
「元本を払い戻す特別分配金」は論外で、それで運用手数料をとっているのは、悪質な詐欺行為に等しい。
なお、「為替ヘッジなし」の「海外の不動産投資信託(REIT)」の場合には、為替差損が先送りされる可能性がある。本来、為替変動が大きい商品が、「毎月分配」などという安定配当に向いているはずはない。購入者は、そのことを理解していないのではないか。

一方で、毎月分配型が「シニア層中心に根強い人気」なのは、日本で私的企業年金が行き詰まっている証左でもある。「現役期は確定拠出年金で運用」→「退職後は毎月分配型投信で受給」というパターンが定着してきているわけである。
そのことの何が問題なのか、という人もいるだろう。確定拠出年金制度が創設される前は、税制適格退職年金制度(適年)が広範に普及しており、現役期の運用は、一括して企業が責任を負っていた。適年が廃止された主因の一つは、「年金に結び付いていない」ということだったが、今の確定拠出年金も、年金に結び付いていないことは同じではないか。
この点は、社会保障審議会の企業年金・個人年金部会でも課題とされ、確定拠出年金で蓄積された資産を、企業年金連合会が実施している「通算企業年金」に移せるようにすることも課題とされたが、実現していない。確定拠出年金制度の中で年金給付を望む場合には、結局、個人年金商品を購入することになるが、割高であり、拠出終了後の税制優遇は、制度の管理手数料も取られて魅力が薄いので、一時金で流出しているわけである。
適年の廃止で、企業年金の加入者は、中小企業を中心に500万人減った。自己責任での運用を迫られる確定拠出年金への中小企業の移行は少なく、大企業でも、多くの加入者は、損失を恐れて元本確保型の運用を選択している。それでは老後資金の形成につながらないという大義名分の下で、加入者本人が投資商品を選択しない場合に、金融機関が手数料を稼げる投資信託を自動選択することも緩和された。
従業員・加入者の利益を重視する私的年金改革は、このところ行われておらず、公務員が税制優遇を享受できる個人型確定拠出年金(イデコ)への対象者拡大と加入期間延長が、このところの「企業年金・個人年金改革」の中核である。日本の私的年金は、少子高齢化の進展の中で、その期待される役割を果たせる方向に向かっているようには思えない。
2020年2月12日 日経夕刊6面 定年後の働き方とお金(中) 厚生年金、高収入で減額も

問答方式の記事で、「定年後も元気なうちはバリバリ働かないといけないと思ったんだけど、稼ぎすぎると年金が減らされてしまう」「会社員などが加入している厚生年金の月額と働いて得た給与などの月額の合計が一定の基準額を超えると、厚生年金が減ったり支給停止になったりする」という在職老齢年金を話題にしているものである。
「60代前半の基準額を28万円から47万円に引き上げる方針」や「65歳以降も働いて厚生年金の保険料を払う人について…毎年1回計算して年金額に反映する仕組みに変える」という「在職定時改定」が、法案として審議されることにも触れられている。
また、「年金の受給を遅らせるとお得」ということで、「働き続けていて年金収入に頼らなくていい人は、繰り下げて受給額を増やす手もある」「65歳時点の年金額を基準に受給を1カ月繰り下げるごとに0.7%増額する」として、繰り下げ支給の仕組みにも触れている。また、「年金の繰り下げをしたからといって在職老齢年金の基準額を気にしなくていいわけではない」とし、「減額された金額を基に将来の年金額が増額されるから」と注意点も明確である。
なお、この記事でのコメントで、社会保険労務士の森本幸人氏は、「最良の老後対策は夫婦で一年でも長く厚生年金に加入しながら働き、将来の年金額を増やすことでしょう」としつつ、「フリーランスで収入を増やしたりするのも手」とし、「働き長生きに備えるか、家族で話し合うことが重要です。」と結んでいる。

バランスの良い記事で、読者に親しみやすい問答形式で、この問題についての、ほとんどすべての事項に触れている。法改正の動向は、当ブログでも論評している。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200205NA01.html
注意を付け加えるとすれば、「年金の受給開始年齢は、自ら申請することで早めたり遅らせたりすることができる」という点であるが、「遅らせる」申請は必要ではない。「支給開始」を請求するだけであり、請求しなければ、自動的に遅らせたことになる。この選択を求める通知が65歳になった時点で日本年金機構から来るが、多くの人は、「もらえるものなら、今からもらった方がよい」と考えるようで、支給開始の選択をする傾向があるようである。
誤解があるのは、請求せずに遅らせたとしても、65歳から請求時点までの年金がもらえなくなるわけではない点である。各期の年金受給の時効期間は5年間であり、5年以内の分は、遡って一時金で支給される。このことを知っていれば、慌てて支給請求する必要はまったくなく、70歳までの5年間の間に、遡って増額前の年金を受給した方がいいの、それとも税額後の年金を今後受給した方がいいのかを、冷静に考えることができることになる。少なくとも、直ちに年金をもらい始めても、結局、低金利の預金とかにするのなら、年率4.2%で増加して死ぬまで支払われる年金の選択肢を持ったままの方がよいのではないか。
年金は、「知って得する」ということはあまりないかもしれないが、「知らないで損する」ことは少なくない。このような記事を契機として、自分に関係する年金については、自ら正しい知識を求めるようにした方がよいであろう。そのために、最も有益なのは、日本年金機構の各種のパンフレットである。
https://www.nenkin.go.jp/pamphlet/index.html
断片的な伝聞や、不安やお得情報と題すると売れる週刊誌などの情報を鵜呑みにすると、思わぬ落とし穴に落ちることもある。例えば、「年金は破綻するから、保険料は払わない方がいい」と書いている輩が、自分ではしっかりと年金保険料を支払っていることは、大いにあり得る。自分で調べ、考える努力を怠ってはならないことは、世間のすべてのことに当てはまるだろう。
2020年2月12日 朝日朝刊4面 メガバンク、企業年金見直し相次ぐ 確定給付の利率変動、実質減額に

「長引く低金利を受け、メガバンクが相次いで企業年金を見直している。三井住友銀行は6月から、みずほフィナンシャルグループ(FG)は10月から、確定給付年金の利率を変動型に改める方針。今の金利環境下では利率が下がるため、実質的な減額となる。」という記事である。
「三井住友銀行も終身年金分の給付利率を6月以降に変動制へ変える。」とし、「変更前に拠出した掛け金分は減額分を補う制度も導入する。」とのことである。「三菱UFJ銀行は11年から変動制へ切り替えたという。」としている。
「厚生労働省によると、確定給付型の導入企業は08年に36・4%あったが、18年に14・1%に減少。確定拠出型はこの間に6・0%から11・4%に増えた。確定給付型の給付利率を変動に改める流れも2000年代前半ごろから続いている。」と結んでいる。

少し不思議な記事である。みずほフィナンシャルグループのこの年金制度変更については、昨年2019年11月下旬に各紙やNHKが一斉に報じている。付加的価値があるとすれば、「メガバンクが相次いで」という点になるだろうが、ならば、三井住友銀行がメインの記事になるのではないか。
ともあれ、「給付利率を変動型」にしたということなのだが、そんなことは一般企業では当たり前の事で、正直、ここまで変更が遅かったのか、としか思えない。
この記事を最初に見た時は、いよいよ「リスク分担型」の確定給付企業年金に切り替えたのか、と思ったが、そうではないようである。なお、三井住友銀行の「変更前に拠出した掛け金分は減額分を補う制度」というのは、「リスク対応掛金」の事ではないかと思われる。「リスク分担型」制度は、企業が掛金を多めに拠出する代わりに、運用が不振なら給付を減額する仕組みで、「リスク対応掛金」は、企業が掛金を多めに拠出して、運用不振に備えるものである。それらの仕組みの概要は、次の資料の40-45ページを参照されたい。
 https://www.mhlw.go.jp/content/10600000/000509684.pdf
「リスク分担型」制度は、企業に追加の掛金負担が基本的には生じないので、確定給付企業年金を退職給付会計の退職給付債務に計上しなくてもよいという極めて姑息な考え方から出てきたものであるが、労働組合の同意が得られにくいだけでなく、極めて複雑な制度である。労使のためになるとは到底考えられないものである。企業年金の制度設計を担う金融機関でも、まったく採用の動きがないことが露呈したと言えよう。
気がかりなのは、確定給付企業年金の採用企業が減少してきていることである。私は、この背景には、受給権者分の債務が加入者分との対比で増加しており、企業活動に寄与しない退職者分であることから、運用不振の場合の穴埋めが、株主にも現役の従業員にも、理解してもらえない点にあると思っている。ソニーが2018年10月に確定給付企業年金から全面的に確定拠出年金に移行するとの方針を発表した背景には、この点が大きいと思っている。その観点からすると、退職給付債務について、加入者分と退職者分とを区分していない現況は、企業の将来の動向を見る上で、不足があるともいえるであろう。
また、「確定拠出型」が増えているとしているが、中小企業では、元の退職金の規模が小さく投資教育の負担もあって、活用されていない。確定給付企業年金の方も、退職者の管理が必要になるため活用されておらず、税制適格退職年金の廃止によって、中小企業は企業年金から離脱した形になっている。中小企業を企業年金に復帰させるのが最大の課題であるはずだが、この点での検討や対応は、遅れている。

2020年2月11日火曜日

2020年2月11日 日経朝刊15面 (一目均衡)「黒船」フィデリティの衝撃

「日本の資産運用ビジネスを変える」と意気込むフィデリティ証券の考え方や動向を取り上げたものである。同社は、「金融庁の認可を前提に、年内にも「投資助言代理業」として登録し、投資家1人ずつに運用をアドバイスする。」とのことであり、「取り扱いのある600本超の投信の手数料撤廃はその第1段階にすぎない。」という。
当たり前の戦略のように思うが、「証券・運用業界はざわついた。将来、日本の個人向け金融で手数料がとれるのはアドバイザリーのみとなり、「単純な売買の取り次ぎや執行は無料化に向かう」(日本資産運用基盤グループの大原啓一社長)という認識は広がりつつある。」のだという。
同社は、「第2段階では、すでに実績のあるロボットアドバイザリーツールも導入し、基本的な資産構成の提案や入れ替えを効率的にできるようにする。」そうで、「日本でもグローバル水準のサービスを持ち込む方針に切り替えた。」とのことである。
そして、「笛吹けど踊らず」だった日本の資産運用ビジネスが大きく動く気配がする、と論説は結んでいる。

改めて見てみると、日本で投資が一般化しなかったのは、当然に思える。「日本の個人金融ビジネスは現状、特殊な市場だ。中核となるべき低コストのインデックス(指数連動)型や日本株投信はそれほど成長せず、毎月分配型やレバレッジ型が幅をきかせる。」というのは、まともな投資の状況ではない。
「単純な売買の取り次ぎや執行」で手数料がとれるから、乗り替えと称して、必要もない有価証券の売買を投資家に勧めてきたのが、証券業界の体質であろう。当たり前のことを「黒船」と大騒ぎするのは、後進性を象徴するもので、投資鎖国の現状を物語る以外の何物でもない。
一方で、日本人は、「サービスは無料」と考えていると言われて久しい。細やかなサービスは、その質の分だけの対価に値する、という考え方は、今でもあまり浸透していないように思える。例えば、美味しい料理なら、どんどん値段を上げていってもよいという考え方に対し、そんなことをすれば庶民が食べられなくなるとして値段の引き上げを抑え、長く顧客になってもらうというような考え方が、根強くあるように思われる。
どちらの考え方にも理はあるが、商品やサービスの回転が非常に速くなっている現代では、長期的な関係に依存するだけではうまく行かないことも多いのではないだろうか。
ともあれ、市場の開放や拡大は、新たな商品やサービスを生み出す。それによる活性化が魅力を引き出し高めることは、投資市場においても例外ではあるまい。
2020年2月11日 日経朝刊5面 日本の40年後、高齢化でGDP25%下振れ IMF報告

「国際通貨基金(IMF)は10日、日本の経済情勢を分析する対日報告書を公表した。少子高齢化の影響で40年後の実質GDP(国内総生産)が25%下振れする可能性があると警告し、非正規労働者の技術訓練など労働市場の構造改革を求めた。」という記事である。
「今回の報告書では19年の消費税増税で日本の実質経済成長率は20年が0.7%、21年は0.5%にとどまると試算。政府は20年度に1.4%の成長を見込んでおり、見解の差は鮮明だ。物価上昇率もそれぞれ1.1%、1.2%と日銀が目指す2%には届かないと分析した。」とのことである。
「長期的なリスクとしては少子高齢化と人口減少を挙げた。現行の政策を続けた場合、40年後の日本のGDPは12~17年並みの成長率を維持できた場合に比べて25%も下振れすると結論づけた。」とし、「経済力を高めるには労働生産性の引き上げが欠かせないと指摘し、非正規労働者のスキルアップへ「同一労働同一賃金」の徹底などを求めた。」としている。

ほぼ記事全文を参照することになったが、IMFの発表を探すと、次が見つかる。
https://www.imf.org/ja/News/Articles/2020/02/10/na021020-japan-demographic-shift-opens-door-to-reforms
https://www.imf.org/ja/News/Articles/2020/02/07/pr2039-japan-imf-executive-board-concludes-2019-article-iv-consultation
だが、この日本語の内容は、記事には、そのままはつながらない。そこで、英文資料を探してみると、次が出てくる。
https://www.imf.org/en/Publications/CR/Issues/2020/02/07/Japan-2019-Article-IV-Consultation-Press-Release-Staff-Report-and-Statement-by-the-Executive-49032
https://www.imf.org/~/media/Files/Publications/CR/2020/English/1JPNEA2020001.ashx  (このリンクで、PDFがダウンロードされる)

このIMFの報告書については、NHKも取り上げており、「社会保障費の増加による財政悪化に対処するためには、歳出の削減に加えて、2030年までに消費税率を今の10%から15%に、2050年までに20%に段階的に引き上げることや、富裕層の資産に対する新たな課税制度を導入することが必要だと提案しています。」としている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200211/k10012280881000.html

人口が減少すれば、GDPが小さくなるのは避けられまい。その減少を少しでも減らす努力も大事だが、国民の豊かさとしては、全員に行き渡るような、より公平な分配も考える必要があるだろう。その分配問題は、世界中で課題となっているものであり、日本でも、もっと本気で検討する必要があるのではないか。

2020年2月10日月曜日

2020年2月10日 朝日夕刊9面 (現場へ!)人生100年、キャリアよ続け:1 「働くのは生きている証し」

「いよいよ人生100年時代がやってくる」として、「老後資金、年金への不安や生きがい探しのため働き続けたいと願う人も多く、後半人生の課題として「セカンドキャリア」が注目を集めている。再就職に賭ける人や新天地に挑む人、起業を支援する動きなどを追った。」という記事である。
「人手不足や高齢化に悩む多くの自治体がセカンドキャリア支援に乗り出している」そうだが、「東京セカンドキャリア塾」が出色で、「都内の日大キャンパスの一室では60~70代の約30人が熱心に授業を受けていた。」とのことである。
「終身雇用が当たり前ではなくなったいまとのことで、、セカンドキャリアに進む人も増えている。」状況で、シニアライフアドバイザーの松本すみ子さんの「シニアも働きたいと思い、起業も増えている。働くのは生きている証しなんです」という言葉で締めくくっている。

寿命が長くなっている中では、個々人においても、働く期間と働か(け)ない期間とのバランスをとっていかないと、生活は成り立たなくなる。大学を卒業してから60歳の定年までの40年に満たない期間の就労で、就労開始までの約20年と、定年以降の約20年の40年を支えていけるわけがない。
就労開始までは親にみてもらうので関係ない、自分は自分の老後だけみればいいというのが、就労開始までの分は、子供の養育に恩返しし、自分の老後は子供にみてもらうという世代間連鎖で、人類は存続してきた。公的年金制度は、その世代間連鎖を家族単位から謝意単位に転換したものに過ぎないから、積立方式で運営することなどできるはずはなく、世代間の扶養、すなわち賦課方式で運営すべきものなのである。
少し、話が脱線したが、働き続ける「動機」と働き方の関係については、考えてみた方がよいように思う。すなわち、「老後資金」か「生きがい」なのかの違いである。もちろん、両面があるのであろうが、比重がどちらにあるのかということである。
「老後資金」、すなわち「生きるためのカネ」を求めてであれば、シニアかどうかは関係ない。自分の商品価値を高めて、少しでも多くの資金を得られるようにする必要があり、この場合の働き方は、より若い世代と競合するものになる。
一方、「生きがい」のためということにばれば、「何のために働くのか」を、もっと自分に問いかける必要があるだろう。この場合には、俗っぽく言えば、「世のため、人のため」に働くことが理想であろう。「働くのは生きている証し」というのは、自分のため以上に、社会のためになって初めて意味を持つ。とすれば、カネを得ての働き方に限定する必要はない。この分野では、見事な先例がある。「スーパー・ボランティア」の尾畠春夫さんである。
 https://www.fujitv.co.jp/fnsaward/28th/tos.html
ともあれ、まず自分を見つめ直すという点では、知らなかったが、「東京セカンドキャリア塾」に参加するのもいいだろう。これは、「シニア就業応援プロジェクト」の3事業の一つだそうである。
 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2019/08/20/09.html

2020年2月10日 日経夕刊2面 エンジニア争奪戦活発化 即戦力求め、中途採用も
2020年2月11日 日経朝刊25面 (私見卓見)専門人材の評価、世界基準で

最初の記事は、「製造業で設計や開発に携わる電気・機械系エンジニアが足りないとの声を聞きます。新卒採用に苦労し、即戦力を求めて中途採用に踏み切る企業も増えてきました。」というもので、「日本では一企業に長く勤める慣行が続いてきましたが、保守的とみられがちな製造業でも地殻変動が起きているようです。」としているものである。

次の記事は、慶応義塾大学の小熊英二教授による寄稿で、「IT(情報技術)や金融など知的産業が台頭するなか、世界では専門的な技能や知識をもとにした人材の評価基準の共通化が進み、国をまたいだ高度人材の流動化が加速している。だが日本は独自の進化を遂げた雇用慣行のため、世界から隔絶されている。」というものである。
「専門職を評価する基準は、もはや国境を越えて共通化が進んでいる。専門性の評価基準がない雇用慣行を続ければ、わざわざ日本で働こうとする高度人材はいなくなる。それは労働市場に限らず、企業活動が次第に国内に閉ざされていくことも意味する。」という見解である。

教授の見立てはその通りで、欧米では、「マネジメントの専門能力がない人は、管理や経営はできないと考える。」が、日本では、「概念を扱う専門職はあまり認めておらず、評価する基準もないといっていい。結果、こうした分野に弱い。」ということになる。その象徴が社長の選定で、経営能力のある人を広く社内外に求めるべきであるのに、「熱意や協調性」を基準にする結果、社内の叩き上げが社長になることが多く、「社長、社員のなれの果て」という有様である。
いずれ、企業の中核は、専門人材のみになるであろう。いや、そもそも、「企業」という概念より、専門人材の「集合体」が事業推進の主体ということになるのではないか。IT技術の進展で、世界中に人材を求めることが可能になっており、増える一方のフリーランサーは、そのような人材供給のインフラとなり得る。
一つの企業に生涯勤め続けることは、一貫性があって誠実なように見えるが、そのような価値観は、徳川三百年の幕藩体制の中で培われてきたものであろう。その前の戦国時代には、有能な主君や適切な働き口を求めて、転身を図ることが当たり前であったようである。
今の世は、グローバル戦国時代とも言えよう。専門能力を磨かなければ、自分の価値を高めることができないのは、いつの世でも同じであるが、時代の風は、さらにそのことを求めている。
2020年2月10日 日経夕刊2面 今年の賃上げどうなるの? 成果反映の動きが加速
2020年2月11日 日経朝刊1面 三菱UFJ銀、一律の賃上げ廃止へ 評価重視に
2020年2月11日 日経朝刊2面 (社説)デジタル時代に賃金が上がる基盤固めを
2020年2月12日 日経朝刊4面 (中外時評)雇用改革、経団連の本気度

最初の夕刊の記事は、「今春の賃上げ交渉の特徴などについて、大友由美さんと藤里美さんが水野裕司編集委員に聞いた。」という体裁のものである。
今年の場合、先導役のトヨタ自動車の動きについて、「労組が今春、賃上げに関して新制度導入を提案します。基本給を底上げするベースアップ(ベア)について、人事評価によって個々人の上げ幅に差をつける内容です。労組は一律のベア要求を基本にしてきました。トヨタの動きは他企業への影響も大きいだけに、日本の賃金制度にとって転換点となるかもしれません。」としている。
そして、「経団連は今年の交渉開始を前に、終身雇用や年功序列に象徴される日本型雇用の見直しを重点課題に掲げました。」とし、「賃金のうち、職務や成果に応じて決める部分は大きくなっていくでしょう。景気回復には賃上げが重要だと思います。」としている。

実際の動きも出てきている。次の記事では、「三菱UFJ銀行の労使は今年の春季労使交渉で、行員ごとの人事評価に基づいて賃上げ率を決める方式で合意する見通しだ。一律の賃上げをやめることになる。」としている。「日本の労使による交渉は賃金水準を一律で底上げするベースアップ(ベア)を軸に議論されてきた。」が、「産業界では労使ともに優秀な人材には賃金を手厚く配分し、企業の競争力につなげるべきだとの認識が強まっている」とのことである。

次の社説では、「経営環境が不透明さを増すなかだからこそ、できるだけ外部要因に左右されず、継続的に賃金を上げていける土台を固めたい。」としながらも、「デジタル化の急速な進展で企業の競争はかつてなく激しい。業種の垣根を越えた競争が広がり、新しいビジネスモデルを引っ提げた新興企業が次々に台頭する。個人の創造性や専門性は今まで以上に問われる。成果に応じた報酬制度の拡充は不可欠だ。」としている。「能力開発の強化策を労使は議論すべきだ。」という主張である。

最後の「中外時評」での論説は、最初の記事の水野裕司上級論説委員によるもので、「経団連が企業向けにまとめた今年の春季労使交渉の指針は日本型雇用の見直しを訴えた点が目を引いた。…職務を明確にした「ジョブ型」雇用を取り入れるよう提案した。」ことに着目したものである。
しかし、「ジョブ型といっても欧米のように雇用保障の緩いかたちではなく、めざす雇用システム改革には曖昧なところがある。日本型雇用は「転換期を迎えている」というが、本気度に疑問もわく。」としている。
それは、経団連の経労委報告で、ジョブ型雇用について、「『欧米型』のように、特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない」としているからである。
その背景には、「本来のジョブ型の導入を避け、日本型雇用の踏み込んだ改革にためらいがみられるのは、企業にとっての利点を守りたいからとも読める。」とし、「日本の正社員は、急な仕事もこなし転勤命令にも従う使い勝手の良い労働力だ。長期の雇用保障の見返りに会社が得るメリットは少なくない。日本型雇用の見直しとは、当たり前のように享受してきた恩恵を手放していくことでもある。」と進めている。
締めくくりは、「経団連内部の保守的な声が思い切った改革に待ったをかけるのだろうか。日本の停滞を破るのは難しくなる。」となっている。

経団連のような旧来型の大企業が主導して、大きな改革を進めるのは、至難の業ということなのであろう。この図式を見ると、幕末の動乱に揺れる江戸幕府が思い起こされる。体制の維持を前提として、幕府も、様々な「改革」を行ったようである。しかし、それらは、因習や前例に縛られた既得権重視の守旧派の中で、効果をあげられなかった模様である。
「ベアを実施している企業でも、すべての組合員一律にというわけではなく、若年層を厚くしたり、職務や資格によって傾斜配分したりすることはありました。」ということだが、「若年層」が成果が高いとは言い切れない。恐らくは、社外の欲しい若年層との給与の比較で、流出を抑制し、流入を図るということなのだろうが、結局、それは、貢献や能力に応じた処遇ではないから、失望を招くことにつながりかねない。
今般のデジタル革命に対する対応にも、その轍を踏みかねない気配がある。明治維新は、様々な苦難を乗り越え、日本の近代化を推し進めたが、その原動力となったのは、開国とともに、旧来の士農工商制から解き放たれた多様な人材ではなかったか。人材鎖国を続けるのか、それとも広く人材を世界に求めるのか、日本の労働市場は、今、大きな分岐点に立っている。
2020年2月10日 朝日夕刊1面 韓国映画「パラサイト」米アカデミー賞
2020年2月3日 日経朝刊35面 「極狭」物件 無駄ない生活 1人寝転ぶのでやっとのアパート、若者に人気

最初の朝日の記事は、「昨年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が9日(日本時間10日)、米アカデミー賞の国際映画賞(旧・外国語映画賞)と脚本賞などを獲得した。」というものである。歴史的快挙と言える。
「物語で描かれた現地の住宅を訪ねると、韓国が抱える格差と社会の歩みが垣間見えた。」としている。「ソウル南部の冠岳区三聖洞。高層マンションが立つ小高い丘の崖下に、3階建ての集合住宅が並んでいた。1階部分は空間のおよそ半分が地面より低い半地下の部屋になっており、雨が降ると屋内が水浸しになるところもある。」という。「空気もよくないし、好きで住むわけがない。金がないんだ」というのが住民の声である。
「韓国に半地下の部屋ができたのは、北朝鮮との緊張関係が影響している。」という特殊事情があるようだが、この映画が注目を集めたのは、記事でのコメントで、韓国に住む西京大学の泉千春副教授が「半地下住宅は韓国にとって現在もリアルかつローカルな題材だ。それが映し出す社会の格差は、世界的に共通するテーマでもある」としている格差問題を象徴的に描き出したからだろう。

一方、次の日経の記事は、少し前のものだが、韓国の状況が、日本とかけ離れたものではないことを示すものである。東京都心の「居室の広さ約5平方メートル(約3畳)」という「極狭(ごくせま)アパート」が、「さぞ息が詰まると思いきや、満足して暮らす人が多いという。」記事である。それでも都心の京王線笹塚駅の例では、「家賃が月6万4500円」という。
記事では、「若者をひき付けるのは安さだけではない。」とし、最大の要因は、「時間の無駄」だとしている。「浮いた時間やお金を投資の勉強などに充てられるようになった。生活空間の狭さに対応して家具などを厳選するうち、自分が本当に好きな物に気付くこともできたという。」のが取材を受けた若者の考えだそうである。
記事では、「彼らの姿は持ち物を極力減らす流行の生き方「ミニマリスト」に通じる。」とし、「家は住む人の価値観を映す。都心で増殖する極狭アパートは、物質的な豊かさとは異なるものに価値を見いだす人々が増えている表れといえる。」と結んでいる。

後の記事では、「極狭アパート」を肯定的に描いているが、果して、それが実相なのだろうか。記事でも「部屋探しで同社を訪れた際にいったんは間取りや広さを気にする」とのことであり、やはり最終的な決定要因は「家賃」であろう。
今や、当たり前の状況となり、報道もあまりされなくなったが、「ネットカフェ難民」も少なくない。「ミニマリスト」ときどるのなら、彼らの方が、もっとそれらしいが、実質的な「ホームレス」とも言えるのではないか。日本だけでなく、アカデミー賞の地ハリウッドのあるカリフォルニア州では、高騰する家賃でホームレスが急増し、車の中に住む人も多いそうである。
「衣食住」は、日本の生活の基本である。都心にも、高層のタワーマンションの最上階のフロアに住む富裕層も、少なからずいる。そのような貧富の差が、自己責任の名の下に許容されるものなのか、社会正義や公平とは、一体何なのか。時あたかも、来年の米大統領選に向けて論じられるべき大きな争点である。

2020年2月9日日曜日

2020年2月9日 朝日朝刊1面 (2020米大統領選 分極社会)若者が支える、78歳革新派 広がる貧富の差、怒り
2020年2月9日 朝日朝刊2面 (2020米大統領選 分極社会)「OK、ブーマー」世代間の確執 若者「気楽に生きて富を独占」

最初の2つは、今年2020年11月の米大統領選に向けた状況についての特集記事である。
1面では、「収入にかかわらず、すべての米国民が高等教育を受けられるようにすべきだ。公立大学の無償化と学生ローンの免除をともに実現しよう」とする民主党の大統領候補を目指すバーニー・サンダース上院議員(78)が、若者から支持を集めている模様が報じられている。
「サンダース氏の主張は、米社会では「極端」と受け止められがちだったが、ここに来て勢いを増す。支えるのは、若者だ。」という。「富裕層に高い税金を課す税制政策を最も評価している。ほかの候補は口だけ。ちゃんと実行できるのはバーニーだけだ」という意見も記されている。「米国の若い世代には「将来に希望が持てない」との思いが広がる。こうした閉塞感(へいそくかん)が、大統領選の行方を左右する可能性がある。」というのが、1面記事のしめくくりである。

一方、2面記事では、「米国社会を形作るのに大きな役割を果たし、経済成長などのメリットも最大限に受けてきた」1946~64年に生まれたベビーブーマーたちに対して、
「同じような恩恵が受けられず、閉塞(へいそく)感が強まる若い世代からの突き上げも強い。」としている。
「気楽に生きてきた上の世代は富を独占し、気ままに生き続けられるシステムを作り上げた。犠牲になるのは若い世代」というのが若者たちのミレニアム世代であるのに対し、「我々の世代が子育てに失敗した。若い世代は自分から何かを勝ち取ろうとせず、なんでもただで与えられると思っている」というのが、ブーマー世代の言い分だそうである。

上記のような世代間の考え方の違いを象徴するのが、「学生ローン」であるが、東洋経済オンラインは、「アメリカを静かに殺す「学生ローン」という爆弾ーローンの総額がついに1兆ドルを突破」として、この問題の深刻さを報じている。
https://toyokeizai.net/articles/-/319779
このように米国の学生ローンの負担が高騰した背景には、ローンを担う「サリー・メイ」が、当初は政府支援機関として設立されたが、完全に民営化されたことがある。すなわち、市場経済の論理が直接的に反映されているわけである。
この学生ローンの負担は大きく、その返済のために、多くの理数系の学生が収入の高いウォール街に流れたとか、返済免除となる軍に在籍したというような話もある。そもそも、それでも大学に行くのは、より高い給与を求めてという自己利益のためではあるのだが、このような状況では、高等教育の荒廃は、米国でも、さらに進むのではないかと危惧される。

2020年2月8日土曜日

2020年2月8日 朝日朝刊14面 (声)緊急帰国中、オンラインで「授業」

この記事の論評については、下記の「年金時事通信」の20-003号として登載しています。
 http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin201405.htm

2020年2月8日 朝日朝刊12面 (経済気象台)極まった官僚人事の私物化

「安倍政権が東京高検の黒川弘務検事長の定年延長を決めたことに批判が集まっている。異例の措置で政権に近いとされる黒川氏を検事総長に登用するための延長と言われる。長期政権の弊害、官僚組織の私物化もついに検察組織にまで及んだ格好だ。」という論説である。
この論説では、人事には、「公平・中立・客観性・透明性が担保されていなければならない」としている。「霞が関で真に枢要な本省局長はせいぜい100人程度。そんな幹部たちは省庁の枠を超えて様々な場面で一緒に仕事をしている。」とし、「餅は餅屋というではないか。霞が関の人事は霞が関に聞くべきなのだ。」と結んでいる。

安倍政権のなり振り構わぬ無体は論外で、その意味では、この論説に共感できる点もあるのだが、霞が関の論理を信用しろ、という言い分には、違和感を持つ国民も少なくないだろう。米国では、政権が民主党と共和党の間で動くたびに、高級官僚は一新されるという。我が国はそうなっていないが、行政の責任を担う内閣を支えるのが官僚であってみれば、そうなっていても不思議はない。官僚が公正無私だと思っている国民は、今はいないだろう。いや、昔から、官僚や役人は、「お上」の存在であり、「泣く子と地頭には勝てぬ」というのが、大衆の感覚だったのである。
では、今回の官僚人事の特殊性は何か。それは、「検察組織」のトップ人事にからむという点であろう。政権の腐敗を追及すべき検察のトップに、安倍首相の「お友達人事」をされたのでは、たまったものではないということであろう。
だが、検察も行政の一員である。この問題については、次のブログも指摘している。
 https://plaza.rakuten.co.jp/s201945/diary/201802050000/
ついでに言えば、最高裁判所の判事も、日本国憲法第6条「によって、「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」により、時の内閣の意向によって決定されるのである。
「立法」「行政」「司法」の三権分立は、民主主義の基本とされる。しかし、日本では、上記のように、司法に直結する検察は行政の一部であり、司法の長も内閣が指名するものである。つまり、司法の独立性は、十分なものとは言えないわけである。
では、他国はどうか。米国の場合には、行政の「各省を率いる長官は、大統領によって任命されるが、上院の承認を必要とする。」という仕組みになっている。この仕組みは、わが国よりも格段に三権分立に配慮したものと言えよう。
その一方で、大統領の権限は、各段に強い。あれだけの疑惑を抱えるトランプ大統領が、再選を目指して居座ることができるのは、共和党が上院を握っているからである。民主主義の危機が声高に叫ばれるようになっているが、誰もが注目する11月の米国大統領選挙が、大きな分水嶺であることは間違いない。

2020年2月7日金曜日

2020年2月7日 朝日夕刊10面 名目賃金32万2689円、6年ぶり減
2020年2月7日 日経夕刊1面 名目賃金6年ぶり減 昨年、時間外労働減やパート比率増で
2020年2月8日 朝日朝刊8面 名目賃金、6年ぶり減 パート増、労働時間は減 32万2689円

「厚生労働省が7日発表した2019年の毎月勤労統計(速報値)によると、名目賃金にあたる労働者1人あたり平均の月額の現金給与総額が32万2689円だった。前年より0・3%減で、6年ぶりに前年を下回った。」という報道である。
朝日夕刊記事では、「比較的賃金が低いパートタイム労働者の割合が前年より高まったことで、全体の賃金水準が下押しされた。」とし、また、「賞与などにあたる「特別に支払われた給与」も0・9%減の5万8464円だった」とし、「名目賃金から物価変動の影響を除いた賃金の動きを示す実質賃金指数も、前年より0・9%減となり、2年ぶりに前年を割り込んだ。」としている。
日経夕刊も同内容だが、「働き方改革の流れで時間外労働を減らす企業が増えた」ことに増えている。
そして、翌日の朝日朝刊では、夕刊の速報の続報として、「正社員より賃金が低めのパートタイム労働者の比率が高まったのに加え、世界経済の変調や働き方改革などを受けて労働時間が減り、全体の賃金を押し下げた。」とし、「政権は大規模な金融緩和によって企業業績を伸ばし、賃金を増やして消費を喚起する好循環を描くが、いまだ定着していないことが浮き彫りになった。」としている。
では、賃金を国際比較で見たらどうなるのだろうか。為替水準もあり、国際比較はなかなか難しいが、「独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)」が、『データブック国際労働比較2018』の中で「5. 賃金・労働費用」を公表している。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/ch5.html
この中で今回の比較に使えようなデータとして、次の「第5-4表 時間当たり実収賃金指数(製造業)」が目に入る。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/05/p177_t5-4_t5-5.pdf
これによると、2010年を基準100とした場合、2016年の日本の指数は104.0で、先進国中の伸びが最低であることが分かる。また、振り返って2000年を見ると、日本の指数は99.3で、2000年から2010年の間の伸びは僅かであるのに対し、各国での伸びは大きく、失われた20年を彷彿とさせるものになっている。
一方、別のジャンルになるが、総労働時間は、次のようになっている。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/06/p203_6-1.pdf
特定年についての単純な時間比較はできないそうであるが、働き方改革で、ようやくにして総労働時間は先進諸国並みになってきたということからすると、時間外労働に頼ってきた賃金の真の水準が、露わになって、貧弱な様相が見えてきたと言えようである。
(なお、上記で参照したJILPTのデータブック国際労働比較は2019年版も出ていることに気づいたが、トレンドは変わらないので、記述は2018年版ベースのままとした。)
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/index.html
2020年2月7日 日経朝刊2面 ●(迫真)惑う就活「新ルール」(5)セミナーに親1000人

昨年5月下旬の土曜日に、「東京・目白にある学習院大が昨年開いた保護者向けの就職説明会につめかけたのは、約1千人」で、「就活をしている2千人の大学3年生のうち、単純計算で2人に1人の親は9カ月前から「就活」だ。」という記事である。「ルール通りに動いては乗り遅れる。就活を心配するのは本人だけでなく、むしろ親だ。」という。
この記事は、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行は変革を迫られている。現実とずれた就活ルールも、誰かが責任を持って見直すべき時がきている。」と結んでいる。

大学の入学式や卒業式に、親が来ると聞いて違和感を抱いた時代は、遠い昔になった。その後に、「入社式」にまで親が来ると聞いて驚嘆したが、今や、企業が親を招いて、学生うを終えて入社した若者が早期に辞めないようにお願いする有様である。
そして、この記事では、「就活」の説明会にも親が詰めかけるとしている。もう、どこの大学でも珍しくもない光景なのだろう。
だが、一連のこのような動きのどこに、当の若者の「自立性」「主体性」を見つけることができるのだろうか。
日本には、かつて「元服」という区切りがあった。「男子が成人になった」ことを示すものであるが、儀式化したのは奈良時代で、11~16歳の間だそうであるが、私の頃は15歳が区切りだった。その時期は、義務教育の中学校の卒業時期辺りになる。
就職が人生の大きな区切りであることは間違いない。厳しい「就活」に、親がやきもきするのも分かる。しかし、大学を卒業すれば、良い大人ではないか。就活の最中でも20歳にはなっている。18歳からの選挙権も与えられるようになった。
元服とまでは言わないが、成人した若者に、親が過度に干渉するのは、「百害あって一利なし」ではないのか。親なりに、就職の情報を集めて、子供に提供したりするのはよいだろう。だが、「いつから始めれば内定をとれますか」というようなレベルに到っては、もはや誰のための就活なのか分からない。
同じようなことが起きている時期がある。それは、子供の「中学生受験」である。中には、小学校や幼稚園への「お受験」すらある。こうした記事の子供の受験は、ほとんど自らが本当に望んでのものではあるまい。親のための受験であり、親が喜ぶのを見たいから、子供は頑張るのである。ところが、その親の見栄に振り回され、受験に失敗して人生に絶望する子供までもいるようである。
就活でも、折角、学生が内定を獲得しても、「そんな会社じゃなく、もっと大手の方がいい」と言うような親もいると聞く。折角、中学受験で合格しても、もっと偏差値の高い学校が良かったのに、という親と一緒である。
子供の人生は、子供自身のものである。親の責務は、子供が自分自身の力で生活できるようになるように、支援することであり、それ以上の干渉は、かえって子供をダメにする。そもそも、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行」にどっぷりつかってきた親が、未来の変化について、適切なアドバイスができるはずはないではないか。
このような干渉は、そのうち、人生のもう一つの転機である「結婚」にも及ぶのではないか。いや、もう干渉が嫌だから、未婚や非婚が増えているのかもしれない。子供の独り立ちを妨げてはいけない。ペットではないのだから。
2020年2月7日 日経朝刊29面 (私見卓見)学力そぐ就活の見直しを

八大学(旧帝大7校と東京工業大学)工学系連合会会長である東北大学の長坂徹也工学部長による寄稿である。「周囲の大学院生らから就活に関する悩み」を踏まえ、「企業も人財確保に必死な様子がうかがえる。学生は少しでも良さそうな企業へ就職するのに懸命だ。教員は学生を学修・研究に少しでも専念させようと必死で、三すくみの状態といえる。」としている。
連合会は2019年11月に、「大学は引き続き学生の質を保証していくので、企業側も就職・採用活動の早期化・長期化傾向を是正してもらいたいとする内容」の声明を出したそうである。「特にインターンシップの名を借りた実質的な会社説明会は、学生の学業専念を阻害する要因のひとつであり、見直しを求めている。」とのことである。
そして、「今の就活状況では、グローバル化の時代に日本を背負ってもらうべき若者の未来が閉ざされると危惧している。」と結んでいる。

結局のところ、「誰か良い学生はいませんか」とする企業の姿勢が、「若者の研究力や基礎学力の低下を招き、博士課程への進学や海外留学の機会や意欲をそぐことにもつながっている。」ということである。日本型雇用の限界や弊害が指摘されて久しいが、日本の教育現場の荒廃を深めている状況にあるわけである。そのことは、結局、日本の大学の国際競争力を低下させ、日本企業は、それを見て、即戦力になる従業員は、高給で海外の大学・大学院から採用しようとしているわけである。まさに、悪循環の最たるものと言えよう。
しかしながら、言われて久しい弊害の是正や除去は、恐らく、そう簡単には進むまい。その背景には、そもそも、採用活動に限らず、他社を横目で見て活動する日本企業の体質がある。そうなると、経済活動に減速によって就活狂騒曲が終焉し、もう一度冷静な目で、自社に必要な人材の吟味、自分に必要な技能や能力の習得、学生を導くための教育や研究の高度化、という本来の姿に戻る時期を待つしかないのかもしれない。
もっとも、そうなった場合に、今後は一斉に採用を手控える「就職氷河期」が再来するようであれば、馬鹿は死ななきゃ治らない企業が次々に淘汰されないと事態は改善しないのかもしれず、また、そんな無意味な事を繰り返している日本企業が、グローバル競争で駆逐されたり、本当に優秀な学生から見放されたりする可能性もある。
日本の大学について言えば、最新技術の何たるかも知らない文部科学省の役人や政治家が、権限を振りかざして疲弊させている研究現場と、記述式・民間英語検定の導入という愚かしい「入試改革」の惨状を見れば、瀕死の床にあるようにも思えるが。
2020年2月7日 朝日朝刊13面 (コラムニストの眼)米国で増える「絶望死」 責任は社会に、投資を人に

この記事の論評については、下記の「年金時事通信」の20-002号として登載しています。
 http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin201405.htm




2020年2月7日 日経朝刊23面 (大機小機)日本国の資源配分を再考する

「日本の人口が減少している。この事実は、日本において人的資源が貴重化することを意味する。人的資源の有効的な活用と、将来に向けた教育が重要となる。」とする論説である。喫緊の課題として、「産業構造の刷新」「労働力の流動化」「教育」「最新技術の積極的な活用」「働くことの位置づけを政府主導で変えるべき」の5つを挙げている。
そして、5番目の「働くことの位置づけ」については、「多くの国民にとって働くことは生きる手段でしかない。技術革新によって機械が代わりに働く。人間は労働ではなく、優れたアイデアを生み出すことで貢献しうる。」とし、「機械が生み出した成果をいかに再配分し、国民の幸福感をさらに引き上げるのか。これが政府として知恵を絞るべき分野である。」と結んでいる。

「お説ごもっとも」の論説ではあるが、「働くことは生きる手段」という意識から、国民全員が脱却することができるのかどうか、そこがポイントである。例えば、先の前民主党政権の時に、少子化対策として子供手当の拡充を計画したところ、「バラマキ」として、マスコミも先頭に立って袋叩きにした。生活保護の受給者に対しては、「働かないで遊んでいられて結構なご身分だ」として、鵜の目鷹の目で行動を監視し、あげつらう。そんな国民が、連帯意識に支えられた再分配重視に進むことができるのだろうか。
もっとも、この問題は、日本国民だけのものではない。次のブログでも寸評した米国の状況も、また然りである。
 https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200207AA13.html
結局のところ、AIの進化がもたらす状況への対処は、人類共通の課題と言えそうで、それは、資本主義とか共産主義というような体制や思想を超越したものと言えそうである。

2020年2月6日木曜日

2020年2月6日 朝日朝刊12面 (社説)賃金の時効 原則の「5年」を早急に

「未払いの残業代などをさかのぼって会社に請求できる期間(時効)を今の過去2年分から3年分にする。そんな労働基準法改正案が国会に提出された。」ことに対する社説による論説である。
「4月施行の改正民法で、一般的なお金の支払いを請求できる期間が原則5年に統一されるのに合わせた見直しだが、なぜ賃金は3年なのか。」と疑問を呈するものである。
「働く人を守るための法律が、民法の原則を下回るルールを定めて権利を制限するのはおかしい。早急に民法と同じ5年にするべく、国会でしっかり議論しなければならない。」というのは、まさにその通りの正論である。
「厚生労働省の審議会で、労働側が改正民法と同じ5年にするよう求めたのに対し、経営側は賃金台帳といった記録を保存する事務負担が増えるなどと反対」し、「「当分の間」は3年とし、施行5年後に見直しを検討する折衷案で折り合った。」ということである。
そして、「賃金は働く人の生活の糧である。労基法が民法に優先する特例を定めたのも、保護の必要性が高いからに他ならない。労基法の趣旨、働く人たちの権利を守る視点に立ち返って考える必要がある。」と結んでいる。

論説としては、非の打ちどころのない正論である。だが、法案が提出されている以上、正論だけを振りかざしてみても、事態は改善しないであろう。
この問題を考える場合には、諸外国の状況を見てみる必要もあるだろう。審議会での議論に先立ち、学者による「賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会」が開催され、そこで論点整理が行われているが、その検討会の議論の中で「賃金請求権に関する外国法制の整理」が提示されている。
 https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000211191_2.pdf
これを見ると、民法より短い賃金債権の3年という時効が、必ずしも異例というものではないことが分かる。このことが、検討会での論点整理にも影響を与えているのであろう。
ただし、この中のドイツの項にある「主観的起算点」という概念には注目しておく必要があるだろう。それは、「請求権が発生し、かつ債権者が請求権を基礎づけている事情及び債務者を知り、または重大な過失がなければ知っていたはずの年の末。」というものである。
これを賃金債権について考えれば、労働者は使用者が適正な賃金を払っているものと信頼しているはずであり、使用者側が適正な賃金を支払っていなかったことを知った時から、時効の起算が始まるということであろう。論点整理では、これについて、「どのような場合がそれに当たるのか専門家でないと分からず、労使で新たな紛争が生じるおそれ」があるとしている。
一方、社説では、「残業代の不払いを指摘されて100万円以上を支払った企業は18年度、1768社、総額124億円(約12万人分)にのぼる。問題が発覚した企業の多くは、労基法で定められた2年分しか払っていない。」としている。最大の問題は、このような違法な賃金不払いを、いかにして抑止するかということであろう。
そこで提案したいが、法案の骨子はそのままとしつつ、「過去3年間におうて、賃金の不払にかかる行政処分を受けた企業については、賃金債権の時効期間を5年とする」といった趣旨のただし書きを付加してはどうか。
多くの企業においては、適正な賃金が支払われているのであろう。そうでなければ、正常な労使関係は破綻する。問題は、故意または重大な過失によって賃金不払いを行っている企業であり、そのような悪質な企業は、ほとぼりがさめれば、また悪事を繰り返す可能性が高いであろう。「事務負担が増える」と5年間に反対している経営側も、適正な賃金支払いを行っていれば3年で問題ないのだから、この追加条項に反対するいわれはないであろう。
核心は、いかにして悪質企業から労働者を保護するかであろう。その本質にのっとって、法案の国会審議を行って欲しいものである。
2020年2月6日 日経朝刊2面 (迫真)惑う就活「新ルール」(4)「採用弱者」中小の逆襲

「就活の前倒しが進み、最近は学生の動きが読めない」と「中小企業の採用担当者は頭を抱える」との書き出しの記事である。「リクルートワークス研究所によると、2020年卒の求人倍率は従業員300人未満の企業で8.6倍。5千人以上(0.4倍)との格差は大きい。大手が通年採用に本格移行すれば一段と難しくなる。」という。
これに対して、「「採用弱者」とされる中小企業も、ただ手をこまねいているわけではない。」として、二つの事例を紹介している。
一つは、システム開発の日本ナレッジ(東京・台東)による「地方の大学生や専門学校生に照準」である。「脱東京」に活路を求める、としている。
もう一つは、板金加工の浜野製作所(東京・墨田)で、「これまで一緒に仕事をした全国の大学や高等専門学校の先生を通じ、インターンシップに参加する学生を募る。」としている。このインターンは、「4人の学生を前後半に分けて約1カ月間受け入れ」だそうで、「1~2日で終わる短期間インターン」とは、まったく別物だそうである。

新卒一括採用で、数を集めて、自社流に染め上げていくという採用活動は、大きな曲がり角を迎えている。入社後に「育てる」と言われているが、それは自社の都合のよいように教育するものであって、合わない学生の離職率は、3年で3割とも言われている。
上記の最初の事例では、「東京で文系の大卒を採用してエンジニアに育てても、すぐに離職してしまう」とのことだが、その仕事への適性や興味がなければ、そうなるのは必然であろう。何とか内定を得たい学生の方も、「何でもやります」という態度を示すのだろうが、そう簡単にいくものではない。もっとも、どんな仕事でも簡単ではないのだが。
二番目のケースの「インターン」は、それが本来のものである。「1~2日で終わる短期間インターン」は、単なる顔合わせに過ぎず、仕事内容の理解につながるものではない。それは、人手不足の中の就活の事前活動に過ぎないが、経済活動が減速して人手不足が和らげば消え失せる仇花のようなものであろう。
今、新型コロナウイルスで、経済活動への影響が懸念されている。人命に関わるものであるのに、経済の事を気にする向きが少なくないのは、「地球環境より経済優先か」として「How dare you!」と一括したグレタさんに、また叱られそうだが、情報統制で新病を蔓延させた中国の政治リスクの顕在化の影響で、就活も大きな変化の節目を迎えそうである。

2020年2月5日水曜日

2020年2月5日 日経朝刊21面 (大機小機)デジタル経済と安倍政権のレガシー

「本来自分のデータの価値は自分に帰属するはずだが、プラットフォーマーが人工知能(AI)やアルゴリズムを活用して初めて市場価値となる。」という状況の中、「個人情報保護を厳しくして勝手な利用を制限したり、不公正取引の観点から優越的地位の乱用を防いだりする対応が始まっている。だが、それだけでは格差拡大は収まらない。」とし、「社会規範、モラルの再構築」が必要であるとする論説である。
そして、「OECD統計による比較では、我が国の税・社会保障再分配後の平等度は大きく低下し、先進国中で最も低い部類に属する。」という状況下でも、「アベノミクスは、かたくなにトリクルダウンに固執し、本格的な税・社会保障改革に手を付けないままだ。」と批判し、「所得再分配こそ今日の国家に与えられた役割で、これに本格的に取り組んでこそ安倍長期政権のレガシーをつくることになる。」と結んだものである。

興味深い論説であるが、このところ、アベノミクスの弊害を説く論説が目につくようになっている。先にプログに書いた次も、その一つである。
 https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200204AA12.html
結局、長期政権の弊害が露わになってきているということだが、「社会規範、モラルの再構築」に最も遠いのが安倍首相なのだから、所得再分配など望むべくもない。モリカケ問題に始まり、今回の桜騒動における安倍首相の国会答弁なとは、これで一国の首相なのかと天を仰がざるを得ない有様である。長期政権への忖度を続けてきた官僚達も、さすがに自分達だけを悪者にして乗り切ろうとする宰相の姿には、愛想が尽きているのではないか。IR汚職や選挙活動費・政治資金問題など、相次ぐ不祥事は、「組織はサンマやイワシと同じで頭から腐る」の典型例であろう。モラルなき社会からの脱却の第一歩は、頭を替えることなのではないか。
2020年2月5日 日経朝刊1面 働くシニアの年金減額、22年4月から縮小 制度改正、就労を後押し

下記のブログで取り上げた「70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする法改正案」閣議決定に関するものであるが、この記事の焦点は、「在職老齢年金」の見直しに当たっている。
 https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200204NY01.html
「現在は賃金と年金の合計額が月28万円を超えると年金が減る。2022年4月からはこの基準を月47万円に上げる。」という改正案である。この「在職老齢年金」による年金減額は、60歳から65歳までの厚生年金被保険者にかかるものであるが、「厚生年金の受給開始を65歳に上げる時期に差があるため、対象者は男女で異なる。男性は1957年4月2日~61年4月1日生まれ(58~62歳)、女性は57年4月2日~66年4月1日生まれ(53~62歳)で将来の年金が増える可能性がある。」ということである。
ただし、公的年金の財政的には、「年金支給額は約3千億円増えその分は将来世代の年金が減る。」としている。

「働けば年金が減る」という在職老齢年金制度は、少子高齢化の急速な進展を背景とした高齢者の就労促進という国策に、まったくそぐわない。そのため、厚生労働省は、65歳以上の在職老齢年金制度(高在労)についても、減額対象所得の引き上げを検討したのだが、月額62万円では高過ぎると言われ、月額50万円に下げても、そんな高給者の年金を増やす必要があるのかとの反発が大きく、結局、高在労の見直しはあきらめ、60歳から65歳未満の在職老齢年金制度(低在労)のみの改正案としたのである。
それでも、「働けば年金が減る」というのは、いかにもおかしい。一方で、高給者を優遇するのはおかしいというのも正論である。この矛盾を正すのは、年金制度の枠内では難しく、税制と連携した「税と社会保障の一体改革」が必要になるはずだが、今回の改正案では連携の気運は乏しく、結局は、空回りの議論に終わったといえよう。もっとも、低在労に見直しも大事な事だという指摘は多く、私もそう思う。
ともあれ、一般の国民にとって、65歳を超えて働くという状況は、これから始まるものである。「70歳現役社会」というのなら、「働けば年金が減る」という仕組みの見直しは必須であり、税制と連携した再度の検討が必要となるのも、そう遠い将来ではないだろう。
2020年2月5日 日経朝刊7面 (中外時評)米国ゆがめる「赤の恐怖」

小竹洋之論説委員によるもので、「1950年2月9日、米南部ウェストバージニア州ホィーリング。ジョセフ・マッカーシー上院議員の有名な演説が、ソ連との冷戦に臨む米国に災いをもたらした。」という書き出しである。この「排斥的な扇動者の台頭によって、第2次世界大戦後の「赤狩り」は頂点に達する。ソ連の原爆開発や中国の共産化などに強い危機感を抱いた米国は「反共ヒステリー」の状態に陥り、曖昧な根拠で多くの要人を糾弾したのである。」としている。
そして、「マッカーシーの演説から70年。いまの米国は中国との新冷戦のさなかにある。」とし、「米国は国際テロ組織アルカイダによる2001年9月の同時テロにも過剰反応し、アフガニスタン・イラク戦争の泥沼にはまったといわれる。中国の影におびえるあまり、かつての過ちを繰り返してほしくはない。」と結んでいる。

この記事に描かれた「赤の恐怖(Red Scare)」をベースとした「赤狩り」は、多くの米国民の脳裏に染みついているようである。当時の状況は、それほどに熾烈だったと思われるが、その様子は、『ビッグコミックオリジナル』誌の山本おさむ氏の連載マンガ『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』にも、生々しく描かれている。
https://bigcomicbros.net/comic/akagari/
記事では、中国との冷戦の行方を気にしているが、「赤の恐怖」は今年2020年11月の米大統領選にも、大きな影を落としている。現在、民主党の予備選が行われているが、若者に大きな支持を得ているのが、バーニー・サンダース上院議員である。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200209AA01.html
しかし、急進左派とされる彼が、大統領になるのは難しいと見込まれている。共和党支持者の富裕層の抵抗もあるだろうが、最も大きな要素は、「左派」=「赤」=「恐怖」という短絡的な大衆の思考にあるように思われる。若者には、そのような桎梏がないから、純粋な応援ができるのだとも思われる。
ウソや職権乱用の塊でありながら、経済好調を背景に、弾劾裁判をも一蹴したトランプ大統領が、再選されるのかどうか。その振る舞いは、わが国の安倍首相の状況にもつながる。一部には、トランプ大統領が再選されるようなら、仲の良い安倍首相が続投した方がよいのではないかという声まである。
山本おさむ氏のマンガでは、「赤狩り」の一派は、当時の大統領選でニクソン候補を推し、対立するケネディ候補を失脚させようと動いたように描かれている。どこまで史実に忠実なのかは分からないが、「さも、ありなん」と思わせる展開である。だが、結局、ケネディ大統領が誕生することとなった。
トランプ大統領の再選を許すのか、それとも、「赤狩り」の桎梏を離れて、新たな大統領が誕生するのか、今度の米大統領選は、米国のみならず世界の今後の情勢を左右する。

2020年2月4日火曜日

2020年2月4日 日経夕刊1面 70歳までの就業機会確保 企業の努力義務に 改正案決定
2020年2月5日 朝日朝刊3面 70歳まで就労機会、関連法案閣議決定 企業に努力義務
2020年2月5日 日経朝刊5面 70歳現役社会へ一歩 シニア雇用、法改正案閣議決定

2月4日の日経夕刊1面の記事は、「政府は4日、70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする高年齢者雇用安定法などの改正案を閣議決定」ことを伝えている。「今国会で成立すれば2021年4月にも適用する見通しだ。」という。

これについて、2月5日の朝日朝刊3面の記事は、「70歳まで働く機会の確保を企業の努力義務とする高年齢者雇用安定法改正案」に焦点を当て、現行法で企業に義務付けている(1)定年の廃止(2)定年の延長(3)定年後に再び雇うなどの継続雇用、という三つの選択肢の延長に加えて、(4)別の会社への再就職(5)フリーランスとして独立(6)起業を助ける(7)社会貢献活動への参加支援、の選択肢を加え、これら七つの選択肢のいずれかを設けるよう努力義務を課す、としている。(5)~(7)は企業から離れて収入が不安定になるおそれがあるため、「収入が途切れないように企業に対して従業員やその勤め先と業務委託契約を結び続けるといった対応を求める。」そうである。

一方、2月5日の日経朝刊5面の方は、「意欲のある人が長く働ける環境を整える狙いだが、企業には人件費の負担増につながる可能性もある」とし、「企業が活力を保てるよう、年功型賃金など雇用慣行の見直しも欠かせなくなる。」としている。
その上で、「企業が従業員の年齢を理由に一律で退職させる定年制は「年齢差別」として、英米では原則として禁じている。今回の改正法案ではまず、努力義務として就業機会の確保を求め、義務化も視野に入れる。日本も長期的には年齢差別をなくす方向に動いている。」と見ている。
そして、「定年制度は企業の新陳代謝を促す仕組みとして機能してきた面もある」とし、「欧米では職務を明確に定めた「ジョブ型雇用」が定着しているため、年齢に関係なく働ける」と続けている。

このような状況について、一部に、理解が進んでいない面があるが、「定年延長」と「定年撤廃」は、まるで異なる。「定年延長」の先に「定年撤廃」があるという誤解は、「働ける期間が長くなる→いつまでも働ける」という幻想によるものであろうが、「定年撤廃」は、英米のように、成績次第で解雇する(される)ということであり、「解雇を金銭で解決する仕組み」も視野に入ってくるものである。
定年のない英米での解雇の厳しさの例として、野球の大リーグで、選手が一番緊張するのは、クリスマスの時だという記事を見た事がある。ロッカーを開けると、「今日で解雇」という張り紙があり、新年を迎えることができないというのである。外資系の企業でも、解雇されるとパソコンの使用不可どころか、事務所への入室もできなくなり、後日、宅急便で私物が送られてくるという記事も見たことがある。噂に尾ひれがつく分はあるが、退職者の送別会が行われる日本文化とは別物であることは確かのようである。
そうした一方で、フリーランスのような働き方が増えているのは、企業に縛られたくないという面もあるだろうが、企業が雇用保障を嫌って請負契約のようなものに転換しているという面もあるだろう。正社員を増やさずに、非正規社員を増やしてきたのと同じ構造である。
「70歳現役社会」は甘くなく、若いうちから働く能力に磨きをかける必要があることを十分に自覚すべきである。考えて見れば、それが当然の事なのだから。
2020年2月4日 日経朝刊7面 運用会社、代替投資を強化 手数料競争が変革迫る

「大手運用会社がビジネスモデルの転換を迫られている。収益源としていた投資信託で手数料引き下げ競争が起きていることから、ヘッジファンドや不動産といった比較的高い手数料が見込めるオルタナティブ(代替投資)に進出している。」との記事である。
オルタナティブは、「複雑な運用手法や、流動性が低い投資先を管理するノウハウが必要なため、信託報酬が相対的に高い。」ためである。「低金利に悩み、ある程度リスクをとっても運用したいという投資家からの需要」が、その背景にある。
この記事は、基本的には個人の投資についてのものだが、企業年金の方では、一足先にオルタナ投資が導入されており、「2019年8~10月に700超の企業年金基金や厚生年金基金が答えた日経企業年金実態調査では、「今後増やす」と回答した比率が最も高い資産はオルタナティブだった。」という状況にある。

さて、このオルタナ投資を、どう考えればよいのであろうか。これに注目が集まるのは、債券や株式といった伝統的資産への投資が、低金利や不透明な投資環境の中で、思ったようなパフォーマンスをあげられないことによる。「代替」というのは、そのような伝統的な投資対象に代わるものということで名づけられたものである。
私は、1月末に米国年金会議に出席し、それについてブログにも書いた。
 https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200124.html
実は、その会議の中でも、オルタナ投資が取り上げられていた。
 https://www.asppa.org/sites/asppa.org/files/DOCs/LA_Pension/WS26-%20Alternative%20Investments%20in%20Retirement%20Plans.pdf
そこで、その概要を、ざっとご紹介しよう。
オルタナ投資は、給付建て制度(DB)から始まったものであるが、この資料では、掛金建て制度(DC)での取り扱いについて触れている。
米国での法規制にからむので、禁止取引、受託者責任、差別禁止の観点が、まず述べられている。例えば、差別禁止では、高給の従業員だけが利用できるものではないのか、といった具合である。
また、気を付けなければならない問題として、流動性の問題が指摘されている。これは、オルタナ投資は、債券や株式と違って、市場で簡単に売買できるものではなく、換金や処分に制限があったり時間を要するものが多いことによる。
上記資料では、いろいろなタイプのオルタナ投資について、事例を示して注意点を述べているが、オルタナ投資で重要なのは、流動性の他に、透明性である。すなわち、実際には、どのような投資対象に、どのように投資しているかという中身である。
ところが、その把握が難しい。オルタナ投資の提供側の言い分は、それこそが「企業秘密」であって、様々な工夫をしているから成果があがっているのであり、そのノウハウは全面的には開示できないというのである。
これは、都合の良い言い分で、実際のところ、日本の企業年金でも、「AIJ事件」という詐欺事件が起き、多くの企業年金が多額の資産を失っている。それは、「オルタナ投資」を前面に打ち出していたわけではなさそうだが、透明性を欠くという点では同列である。
現代投資理論では、様々な投資対象を組み込むことによって、リスクを減らして最良のリターンを追及することができるとしている。中には、オルタナ投資の収益の債券や株式との連動度合(相関係数)は小さいので、分散投資の意味があるとするものもあるが、中身が分からないのなら、戯言と言うしかない。
先行したDBの資産運用では、外貨建て資産への投資やオルタナ投資で、痛い目にあっている経験がある。手数料の安いパッシブ運用が増えて儲からなくなった運用会社が、手数料目当てでオルタナ投資の販売に力を入れるのは、そもそも胡散臭い。投資することが悪いとは言わないが、「分からないものには手を出さない」ことが賢明なのは、古来からの真実であろう。