2020年2月24日月曜日

2020年2月24日 朝日朝刊7面 (記者解説)老後レス時代の生き方

編集委員の真鍋弘樹氏と浜田陽太郎氏による解説という形の論説記事で、「高齢になっても働くのが当たり前、そんな時代がやって来るのだろうか。…老後が消えていく時代の生き方について、「波平さん世代」の記者2人が考えた。」というものである。

真鍋氏は、「支え合い」が前提、働けばメリットも、としているが、「政府は今月初め、「70歳まで働く機会の確保」を企業の努力義務とする関連法案を閣議決定した。いったい何歳まで働けばいいのか……。私もうなだれた一人だ。」と書き出している。
しかし、「高齢で働くことは必ずしも悪い話ではないのかもしれない。」として、「高齢者の希望として「働く場が欲しい」という声が群を抜いて多かったという。」千葉県柏市の調査を紹介している。加えて、「働くことは家に閉じこもりがちな高齢者に明確な外出の目的を与え、活動の幅が有意に広がるなど、健康に良い効果のあることが判明したのだ。」としている。
そして、「職場に行けば仲間がいるというのは大切なこと。高齢になっても働き続けられるようにすることは貧困と孤立の両方を減らす効果がある」という、みずほ情報総研の藤森克彦主席研究員の声も紹介している。
そして、少子化の進展の中では、日本老年医学会も指摘しているように、「高齢者」の定義を変え「、年を重ねても働き続ける選択は、自分自身のみならず、この国に希望をもたらす」ように考えるべであるとしている。
その一方で、「65歳以上の心身の状態はまちまちで、若者並みに働ける人もいれば、介護が必要になる人もいる。」のであり、「健康面で支えが必要な高齢者や、経済的な困難を抱えた人たちも一緒くたにして、「老後に働くのは当然」とばかりに自己責任の論理を押しつける。そんな未来は、悪夢である。」としている。
そして、「人生後半の不安を取り除くセーフティーネットがなければ、喜ぶべきはずの長寿は最大のリスクとなる。働くという「自助」に、社会保障の「公助」を組み合わせ、網から抜け落ちる人を減らすにはどうしたらいいか」については、浜田氏にバトンを渡しつつ、「「高齢になっても働く」という選択は「支え合いの安心」があってこそ。その前提を、社会で共有したい。」と結んでいる。

バトンを受けた浜田氏は、「繰り下げ受給が鍵、備えで年金中継ぎ」として、「「人生100年」時代、安心感を持つために個人の自助努力と社会保障制度を「ベストミックス」させるにはどうすればいいか。参考になるのが「WPP」という考え方だ。」としている。
それは、「働けるうちは長く働く(work longer)。私的年金(private pension)が中継ぎし、最後は公的年金(public pension)で締める。年金の制度と実務に詳しい谷内陽一さん(第一生命)が考案したキャッチフレーズで、2018年の日本年金学会で発表した。」ものとしている。
ここで、「公的年金の受給開始時期は、個人が60歳から70歳の間で自由に選べる。早く受け取る「繰り上げ」受給をすると年金月額は減る。遅くする「繰り下げ」だと増え、70歳からだと約4割増しになる。その分、安心感は増す。国はさらに75歳まで受給開始を待てるようにする方針だ。」というのがカギとしている。
そして、「「繰り下げの勧めは給付をケチりたい政府の陰謀だ」というのは誤解。どの年齢からの受給を選んでも、65歳からの平均余命を生きた場合の受取総額が変わらないよう減額・増額率が決まっているからだ。」としている。
しかし、「こうした準備をしてもなお、不安は残るだろう」として、「健康や病気のこと」という高齢者の不安に触れ、「税や保険料の財源確保は喫緊の課題だ。負担増を国民に説得する姿勢は現政権に感じられないが、それでは「老後レス時代」の安心が得られない、と私は思う。」と締めくくっている。

「老後レス」という少しネガティブな響きのある言葉に対して、不安を和らげる趣のある記事である。不安の源は、知識や認識の不足から来るのだから、記事での年金の「繰り下げ」受給などは、読者も、ちゃんと勉強した方がよいであろう。
 https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/roureinenkin/kuriage-kurisage/20140421-02.html
誤解があるように思うのは、65歳になって老齢基礎年金・老齢厚生年金の支給開始の手続き案内が届いた時に、手続きをしなければ自動的に「繰り下げ」の取り扱いになるが、時効期間の5年以内であれば、遡って65歳からの(増額されない)年金を受け取ることができる点である。何も、慌てて支給開始の手続きをする必要はなく、ゆっくり考えて、66歳超70歳までの時点での増額される年金の受給と比較して決めればよいのである。ところが、受給者も年金事務所も、支給開始手続きを急いでいるような気配が感じられる。
受給者の方には、週刊誌情報などに煽られて、「公的年金は破綻するので、早くもらった方がいい」という意識に引きずられている人もいるように思われる。しかし、公的年金が破綻する時は、医療保険などの仕組みも含めて、国が破綻するに等しい状況になるだろう。そういう状況を想定するなら、多少の年金を早くもらったところで、どうにもなるまい。また、もらった年金を銀行預金にしていたら、預金封鎖だってあり得る。さらには、タンス預金にしていたら、振り込め詐欺に狙われる。手元の現金が必ずしも安全はわけではなく、権利としての年金なら詐欺にも遭わないことは、もっと考えてもよいだろう。
一方、年金事務所の方の問題は、支給開始の手続き書類が来ないのは、本人が熟慮して「繰り下げ」の選択をしているのか、何らかの手違いで書類が未着であったり、受給者が忘れて放置しているのかが不明であることではないか。その観点からすると、年金事務所にとっては、支給開始請求の書類が届いた方が安心ということになるであろう。最新の様式は分からないが、年金の支給開始の手続き書類は、かなり難しい。その中に、「繰り下げ」というより、「後日請求を検討」ということを記入できるようになっていればよいのだが、どうであろうか。

違和感があるのは、「WPP」という用語である。記事では、「十数年前、プロ野球の阪神で活躍したリリーフ投手陣は、その頭文字から「JFK」と呼ばれた」ことになぞられた」としている。しかし、わざわざ、このような造語を作る必要があるのか、疑問である。そもそも、この考え方は、目新しいものではなく、私も、2009.10.20号の『エコノミスト』の88-89ページ「年金給付を企業から切り離して第三者機関に」で発表している。
一部に、「つなぎ年金」という用語を嫌っている向きがあるようだが、もともとの英語表記は、「Bridge pension」であり、それには「橋渡し」というイメージが、よく出ている。造語、しかも英語の頭文字表記で、解説をつけないとイメージが分からないようにするのは、似非専門家の自分勝手というものではないか。
用語的には、谷内陽一氏の「継投型」の方が、ずっとイメージが分かりやすい。これは、年金制度だけではない。就職して1社のみで職業生活を終える「完投型」の働き方も、変革を問われている。人生100年時代には、働き方も年金も、「継投型」である必要があるということではないだろうか。

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