2020年1月20日月曜日

2020年1月20日 日経 朝刊 14面 (経済教室)AI、人間の敵ではない

慶大の鶴光太郎教授による論説で、「人工知能(AI)により人間の雇用が奪われてしまう」という危惧に対して、「証拠に基づいた厳密な検討が必要」とするものである。
「AIとロボットを同じように考えるのは適切ではない」とし、「AIに特化した実証分析は緒についたばかりであるが、今のところ雇用や賃金への悪影響はみられない。」とし、「人間とAIは、補完的関係構築をどこまでも目指していくべきだろう。」と結んでいる。

学者としては、こういう分析でいいのだろう。しかし、実際の労働者にとっては、「実証分」を待っていて、仕事がなくなることが分かったのでは遅いのである。
例えば、自動運転が実用化されれば、タクシーやバスの運転手は失業する。自動運転車は、AIではなくロボットだというような戯言は、彼らにとってはどうでもよい。AIとロボットの厳密な区別など、何の意味も持たないことである。
もっとも、新たな技術の登場で、仕事の総量が減るとは限らない。陳腐化した技能は排除されても、新たな技術を用いた仕事が生まれてきたのが、人類の歴史である。
だが、今危惧されているのは、そのような技術を活用して巨額の富を独占できる企業や個人が(今でも)生まれる一方、多くの労働者が、仕事を失うか、失わなくても熟練を要しない低賃金の仕事に追いやられるのではないかということである。
人類が生み出すAIやロボットは、人類の敵であるべきではないし、そうならないように統制すべきであるのは当然の事だが、それらによる利便性の向上が人類全体の利益となるようにするにはどうすればよいのか、課題の本質は、そこにある。
2020年1月20日 日経 朝刊 7 (核心)大波が招く 人づくり競争

原田亮介論説委員長による論説で、「デジタル化とグローバル化の大波があらゆる産業の基盤を掘り起こしつつある。過去と非連続なディスラプション(断絶)を乗り切るには、人材の再教育が欠かせない。」というものである。
各社での取り組みを紹介し、「若手社員にはキャリア形成を重視する傾向が強まっている。終身雇用や年功賃金だけで社員をつなぎ留められると考えるのは時代遅れだろう。社内人材の能力を磨き、成長基盤を固める――。人づくりの大競争こそが日本経済を復活に導く王道になる。」と結んでいる。

示唆に富む内容であるが、「社内人材」に重きを置く点は、「時代遅れ」であろう。「終身雇用や年功賃金」を本気で見直すと、「仕事に見合った人材」が必要になるが、仕事に最適な人材は、社内にいるとは限らず、広く社外にも求める必要があるのではないか。これは例えば、映画製作において、様々な専門家を集めて仕事を行うようなものであり、製作中は専門家としての能力を発揮するが、完成後は解散して個々人の立場に戻るということである。
これからの仕事は、このようなプロジェクト型になると、私は思っている。日本人は器用で、見様見真似で作業を行い、それを改善工夫して立派な製品などを作り出してきたのであるが、そのような仕事の仕方が、専門家中心となる時代に役立つとは思えない。
人材育成についても、団体作業に向くような人間を集め、突出した存在を評価するよりは協調性を評価してきたのが、一括採用・年功賃金・終身雇用というシステムであったと思うが、技術革新の激しい時代には、通用するものではない。
これからの時代の人材育成は、一人で立つ専門性を身に着けるようにすることだと思うが、思考力・想像力を育てるために大学入試に記述式を導入するという程度の発想力しかない文部科学省が牛耳る学校教育には、多くは期待できないだろうと暗たんたる気持ちになってしまう。
2020年1月20日 日経 朝刊 5面 利便追求、重なった誤算 もがくヤマトとセブン


「ヤマトとセブン。昭和のほぼ同じ時期に事業を開始し、生活に溶け込むまでになった。」が、「お客様のため」という錦の御旗のもとで、利便性を追求したサービスや商品の連打が皮肉にも徒(あだ)となった、という記事である。
記事では、「生活者の利便性の捉え方は時代とともに変化する」ので、令和の持続可能な「お客様のため」にどう作り直すか、が課題としている。

この記事を見て、かつてのサッカーの日本代表のトルショ監督が、日本代表が強くなるためには、コンビニと宅急便がある」ようではダメだ、とおっしゃったことを思います。コンビニと宅急便に象徴される利便性は日本の特徴だと思うが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということではないか。
その観点からすると、記事が、「お客様のため」を強調しているのが気になる。ヤマトとセブンの方式が行き詰まっているのは、サービスを提供する従業者に過大な負担がかかっているからであろう。それも、低コストでの提供ということで、ヤマトではサービス残業が、セブンでは残業代等の不払いが表面化し、セブンでは日本人を雇うことが難しく、外国人のアルバイトなどに頼っている状況である。労働基準法の中身を知らないような外国人労働者(日本人の学生バイトも同様のようだが)を適正・適法に処遇しているのか、疑わしいのではないかと思ってしまう。
問題は、過剰なサービスを抑制することではないか。サービス向上が様々な革新につながることは事実で、温水洗浄便座などは外国人が驚嘆するものであり誇らしいが、従業者に過大な負担をかけ続ける仕事は、改善され排除されていくべきものであろう。それについては、消費者も、便益の低下を甘受すべきである。「三方一両損」のような、一見、みなが損をするようでも、関係者間で調和のとれた仕組みが、長続きするのではないか。
2020年1月20日 日経 朝刊 3面 巨大ITが生む格差 労働分配率の反転みえず

マサチューセッツ工科大のデービッド・オーター教授へのインタビュー記事である。「スーパースター企業」の出現により、収益の取り分が株主や経営者に偏り、労働者に向かいづらくなったというのが、教授の考え方だそうである。
「イノベーション(革新)を起こした一握りの企業が圧倒的なシェアやネットワークを持ち、低コストで優れた商品やサービスを大量に売ることができる。たくさん人を雇ったり、高い賃金を支払ったりする必要性が薄れる一方、株主や経営者は過去の時代とは不釣り合いなほど巨額の利益を得るようになった。」ことが格差を生む一因になっており、「社会全体の労働分配率はさらに下がる」という見方である。
「仕事がなくなってしまうのではないか」という不安に対しては、「社会的に問題なのは仕事が不足することではなく、比較的スキルの低い仕事の割合が増えていることだ」としている。
そして、「すぐに効くような解決策は見いだしづらいが、政府は労働分配率を反転させるための策を十分に検討する必要がある」と結んでいる。

そう目新しい分析や意見があるわけでもないが、現状への危機感は感じられる。問題は、政府が「労働分配率を反転させるための策」を見出せるかどうかだが、巨大企業への税負担を強化するどころか、そうした企業を自国に誘致しようとして各国が法人税引き下げ競争に励んでいる有様では、一国内での対応は難しいものがある。さて、世界は、今後どのような方向に向かっていくのであろうか。
2020年1月20日 日経 朝刊 2面 (社説)格差是正の政策を誤っていないか

「グローバル化やデジタル化は経済的な成功の条件を塗り替え、新たな環境に適応できる者と適応できない者の二極化を促した。」ことで格差が拡大したことに対し、「政府が地に足の着いた施策を確実に実現し、包摂的な経済や社会をつくる努力を続けたい。」とするものであるが、「欧州ではいったん導入した富裕税を撤回した国が少なくない。資本逃避などの弊害も無視できないからである。」とし、「サンダース氏やウォーレン氏が唱える国民皆保険なども、巨額の財源を要する非現実的な公約だ。」として、切り捨てている社説である。

何を主張したいのか、さっぱり分からない。「政策を誤っていないか」というのなら、代替策を提示しているのかと思いきや、「危うい排斥とばらまき」を批判するだけで、何ら建設的な議論に役立つものはない。お題目的問題提起と受け止めるべきなのであろうが、これが、新聞社を代表する「社説」なのかと思うと、何ともやるせない。
2020年1月20日 朝日 朝刊 33面 (職場のホ・ン・ネ)残業は管理職ばかり

「銀行の課長職です。会社は定時退社や有休取得を勧めてきます。若手社員は当然のように午後6時にはいなくなります。仕事量は減っていません。気がつけば、中間管理職ばかりが夜のオフィスで働いています。」というものである。「我々が若手の頃は上司が残業していると帰りづらく、気の利く上司が早く帰るよう心がけていました。」というものである。

この投書だか取材だか分からないものを、朝日新聞は、何故掲載したのだろうか。その意図を疑う。恒常的な残業が発生するのは、仕事量と人員とがマッチしていない場合ばかりでなく、管理職が無能である場合もある。この記事の場合、後者であるとしか思えない。その上に、「上司が残業していると帰りづらく」と、暗に無意味な気遣い残業まで求めているのである。なるほど、こんな管路職なら、無駄な残業が続くだろうし、経営も傾くであろう。
本来の「仕事量と人員とがマッチしていない場合」に手を打つ責任を負うのが管理職である。仕事の中には、突発的な緊急事態で、残業がやむなく発生するものもある。その「いざ鎌倉」の場合に備え、あるいは、より仕事を効率的に行うための研鑽の時間を確保するために、残業で心身を消耗することは避けるべきであろう。「気の利く上司が早く帰るよう心がけていました」という自分勝手な管理者がのさばっている会社なら、潰れてしまえ。
2020年1月20日 朝日 朝刊 33面 待遇改善?…非正規公務員の困惑 新制度「会計年度任用職員」の記事に反響
2019年12月2日 朝日 朝刊 29面 ボーナス出ても月給が減るなんて… 非正規公務員、来春スタートの「会計年度任用職員」

「今年4月に始まる非正規公務員の新制度「会計年度任用職員」の記事を昨年12月に掲載しました。待遇改善を目指すはずが、必ずしも狙い通りにはなっていない事例を紹介したところ、読者からも同じような事例のメールを頂きました。新制度での募集は今年に入って本格化していますが、当事者の困惑はおさまっていないようです。」という書き出しで始まる記事である。
くだんの記事は、上記の2019年12月2日付朝日朝刊29面のもので、「すべての非正規公務員をボーナス支給の対象にすることが目的」の制度整備のはずなのに、「実態はボーナスを支払う代わりに月額を減らす自治体が目立ちます」というものだった。
前回の記事で寄せられたものとして、「年収が減る」ケース(初回ボーナス、対象4月分のみ)や「パートタイムに移行」(15分残業扱い、退職金は出ず)が紹介されている。

この「会計年度任用職員」の制度は、同一労働同一賃金の考え方に沿って、不合理な差別的待遇を禁止しようとしたもので、「パートタイムの会計年度任用職員はボーナス、フルタイムの場合はボーナスだけでなく退職金など他の手当も対象になる。」というものだが、骨抜きにしようとしているわけである。範を示すべき自治体がこの有様では、民間でも、様々な違法・脱法の行為が蔓延するだろう。嘆かわしいが、それが、この国の実態なのであり、それを見つめることから始めるしかあるまい。
2020年1月20日 朝日 朝刊 6面 (声)富の再分配で米大統領に対抗を

朝日新聞への投書で、「米大統領選に向け、民主党の台湾系米国人で実業家のアンドリュー・ヤン氏が最低生活保障制度(ベーシックインカム)を掲げ、世論の支持を広げているという」ことから、「AIや自動化でどんなに効率良く商品が生産されても、それを買う消費者がいなければ企業は成り立たない。」とし、「富の再分配に応えることで資本主義は生き残れると考える。日本も、賃金の上昇が望み薄の昨今、ヤン氏の主張に学ぶべき点はある。」と結んでいるものである。

限られた字数の中で、簡潔に要点をまとめておられ、正直、感服する。主張には、まったく同感である。この投書の質的水準は、記事内での論説よりも高いのではないか。朝日新聞には、もっと問題の本質を衝いた論説を期待したい。
2020年1月20日 日経 朝刊 1面 「違反」残業なお300万人 月80時間超 人手不足、管理職の負担増

「大企業の残業に罰則付き上限が導入された20194月以降も月80時間超の残業をしている人が推計で約300万人に上ることが総務省の調査で分かった。」という記事である。
「働き方改革の動きが広がる中で統計上の残業が減らない理由の一つは、これまで隠れていた残業が表に出てきたためだ。」という。「もう一つは部下の残業時間を抑えたしわ寄せも受ける形で、管理職の労働時間が高止まりしているためだ。」ともしている。
そして、「生産性の向上を伴わずに残業時間だけを減らすと、働き手の手取り収入が減り、それが消費を下押しする構図に日本経済がはまりかねない。労働時間を厳しく管理するだけでなく、収益を高める生産性向上と一体的に進め、その果実を働き手にも還元する好循環をつくることが課題になる。」と結んでいる。

まず、「サービス残業」が論外であり、これまで時間管理が厳格に行われてこなかったことに一番の問題がある。時間を売っている労働者に対する経営者による搾取であり、もっと厳格に管理し、不払賃金の時効期間を延長し、ペナルティも強化すべきであろう。
管理職の残業について、不思議に思うのは、管理職には残業手当はつかないのではないか。もちろん、過労死対策から、管理職についても時間管理は必要であろう。だが、一般の従業員から管理職の方に残業が移ることが問題視されるのには違和感がある。そもそもの残業は管理職が一般の従業員に命じるものではないのか。時間やコストの管理が強化されて減る残業は、もともと管理職が命じるべき残業の範疇に入るべきものではなかったのではないか。管理職には業務や人員を適正に管理する義務があり、自分の「残業」が増えるのは、その管理がずさんだからであろう。同情すべき余地があるとは思えない。
最後に、「生産性の向上」は、残業時間の減少の影響にとどまらずに、「働き手の手取り収入」が減ることにつながり得る。所定内賃金を減らすことはできなくても、賃金の上昇抑制要因には、なり得る。「効率を上げると賃金が減る」というパラドックス的な現象に対しては、個々の従業員の労働の価値を引き上げていくしかないが、非正規労働者の多用に見られるように、企業では、むしろ「使い捨て労働」が蔓延している。これを抑止するための一つの方策は、最低賃金の引き上げによる賃金水準の底上げだが、日経新聞は、これに対して、生産性に見合った賃金という考え方を損なうものとして、反対してきた。
賃金を生産性に見合ったものにすることを徹底するなら、生活を維持する糧は、賃金以外に求めるしかない。それが、ベーシック・インカムの考え方であるが、そこまで踏み込まずに、残業減の影響だけを論じているのが、この記事の限界と言えるであろう。