2020年2月7日金曜日

2020年2月7日 朝日夕刊10面 名目賃金32万2689円、6年ぶり減
2020年2月7日 日経夕刊1面 名目賃金6年ぶり減 昨年、時間外労働減やパート比率増で
2020年2月8日 朝日朝刊8面 名目賃金、6年ぶり減 パート増、労働時間は減 32万2689円

「厚生労働省が7日発表した2019年の毎月勤労統計(速報値)によると、名目賃金にあたる労働者1人あたり平均の月額の現金給与総額が32万2689円だった。前年より0・3%減で、6年ぶりに前年を下回った。」という報道である。
朝日夕刊記事では、「比較的賃金が低いパートタイム労働者の割合が前年より高まったことで、全体の賃金水準が下押しされた。」とし、また、「賞与などにあたる「特別に支払われた給与」も0・9%減の5万8464円だった」とし、「名目賃金から物価変動の影響を除いた賃金の動きを示す実質賃金指数も、前年より0・9%減となり、2年ぶりに前年を割り込んだ。」としている。
日経夕刊も同内容だが、「働き方改革の流れで時間外労働を減らす企業が増えた」ことに増えている。
そして、翌日の朝日朝刊では、夕刊の速報の続報として、「正社員より賃金が低めのパートタイム労働者の比率が高まったのに加え、世界経済の変調や働き方改革などを受けて労働時間が減り、全体の賃金を押し下げた。」とし、「政権は大規模な金融緩和によって企業業績を伸ばし、賃金を増やして消費を喚起する好循環を描くが、いまだ定着していないことが浮き彫りになった。」としている。
では、賃金を国際比較で見たらどうなるのだろうか。為替水準もあり、国際比較はなかなか難しいが、「独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)」が、『データブック国際労働比較2018』の中で「5. 賃金・労働費用」を公表している。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/ch5.html
この中で今回の比較に使えようなデータとして、次の「第5-4表 時間当たり実収賃金指数(製造業)」が目に入る。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/05/p177_t5-4_t5-5.pdf
これによると、2010年を基準100とした場合、2016年の日本の指数は104.0で、先進国中の伸びが最低であることが分かる。また、振り返って2000年を見ると、日本の指数は99.3で、2000年から2010年の間の伸びは僅かであるのに対し、各国での伸びは大きく、失われた20年を彷彿とさせるものになっている。
一方、別のジャンルになるが、総労働時間は、次のようになっている。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2018/06/p203_6-1.pdf
特定年についての単純な時間比較はできないそうであるが、働き方改革で、ようやくにして総労働時間は先進諸国並みになってきたということからすると、時間外労働に頼ってきた賃金の真の水準が、露わになって、貧弱な様相が見えてきたと言えようである。
(なお、上記で参照したJILPTのデータブック国際労働比較は2019年版も出ていることに気づいたが、トレンドは変わらないので、記述は2018年版ベースのままとした。)
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/index.html
2020年2月7日 日経朝刊2面 ●(迫真)惑う就活「新ルール」(5)セミナーに親1000人

昨年5月下旬の土曜日に、「東京・目白にある学習院大が昨年開いた保護者向けの就職説明会につめかけたのは、約1千人」で、「就活をしている2千人の大学3年生のうち、単純計算で2人に1人の親は9カ月前から「就活」だ。」という記事である。「ルール通りに動いては乗り遅れる。就活を心配するのは本人だけでなく、むしろ親だ。」という。
この記事は、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行は変革を迫られている。現実とずれた就活ルールも、誰かが責任を持って見直すべき時がきている。」と結んでいる。

大学の入学式や卒業式に、親が来ると聞いて違和感を抱いた時代は、遠い昔になった。その後に、「入社式」にまで親が来ると聞いて驚嘆したが、今や、企業が親を招いて、学生うを終えて入社した若者が早期に辞めないようにお願いする有様である。
そして、この記事では、「就活」の説明会にも親が詰めかけるとしている。もう、どこの大学でも珍しくもない光景なのだろう。
だが、一連のこのような動きのどこに、当の若者の「自立性」「主体性」を見つけることができるのだろうか。
日本には、かつて「元服」という区切りがあった。「男子が成人になった」ことを示すものであるが、儀式化したのは奈良時代で、11~16歳の間だそうであるが、私の頃は15歳が区切りだった。その時期は、義務教育の中学校の卒業時期辺りになる。
就職が人生の大きな区切りであることは間違いない。厳しい「就活」に、親がやきもきするのも分かる。しかし、大学を卒業すれば、良い大人ではないか。就活の最中でも20歳にはなっている。18歳からの選挙権も与えられるようになった。
元服とまでは言わないが、成人した若者に、親が過度に干渉するのは、「百害あって一利なし」ではないのか。親なりに、就職の情報を集めて、子供に提供したりするのはよいだろう。だが、「いつから始めれば内定をとれますか」というようなレベルに到っては、もはや誰のための就活なのか分からない。
同じようなことが起きている時期がある。それは、子供の「中学生受験」である。中には、小学校や幼稚園への「お受験」すらある。こうした記事の子供の受験は、ほとんど自らが本当に望んでのものではあるまい。親のための受験であり、親が喜ぶのを見たいから、子供は頑張るのである。ところが、その親の見栄に振り回され、受験に失敗して人生に絶望する子供までもいるようである。
就活でも、折角、学生が内定を獲得しても、「そんな会社じゃなく、もっと大手の方がいい」と言うような親もいると聞く。折角、中学受験で合格しても、もっと偏差値の高い学校が良かったのに、という親と一緒である。
子供の人生は、子供自身のものである。親の責務は、子供が自分自身の力で生活できるようになるように、支援することであり、それ以上の干渉は、かえって子供をダメにする。そもそも、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行」にどっぷりつかってきた親が、未来の変化について、適切なアドバイスができるはずはないではないか。
このような干渉は、そのうち、人生のもう一つの転機である「結婚」にも及ぶのではないか。いや、もう干渉が嫌だから、未婚や非婚が増えているのかもしれない。子供の独り立ちを妨げてはいけない。ペットではないのだから。
2020年2月7日 日経朝刊29面 (私見卓見)学力そぐ就活の見直しを

八大学(旧帝大7校と東京工業大学)工学系連合会会長である東北大学の長坂徹也工学部長による寄稿である。「周囲の大学院生らから就活に関する悩み」を踏まえ、「企業も人財確保に必死な様子がうかがえる。学生は少しでも良さそうな企業へ就職するのに懸命だ。教員は学生を学修・研究に少しでも専念させようと必死で、三すくみの状態といえる。」としている。
連合会は2019年11月に、「大学は引き続き学生の質を保証していくので、企業側も就職・採用活動の早期化・長期化傾向を是正してもらいたいとする内容」の声明を出したそうである。「特にインターンシップの名を借りた実質的な会社説明会は、学生の学業専念を阻害する要因のひとつであり、見直しを求めている。」とのことである。
そして、「今の就活状況では、グローバル化の時代に日本を背負ってもらうべき若者の未来が閉ざされると危惧している。」と結んでいる。

結局のところ、「誰か良い学生はいませんか」とする企業の姿勢が、「若者の研究力や基礎学力の低下を招き、博士課程への進学や海外留学の機会や意欲をそぐことにもつながっている。」ということである。日本型雇用の限界や弊害が指摘されて久しいが、日本の教育現場の荒廃を深めている状況にあるわけである。そのことは、結局、日本の大学の国際競争力を低下させ、日本企業は、それを見て、即戦力になる従業員は、高給で海外の大学・大学院から採用しようとしているわけである。まさに、悪循環の最たるものと言えよう。
しかしながら、言われて久しい弊害の是正や除去は、恐らく、そう簡単には進むまい。その背景には、そもそも、採用活動に限らず、他社を横目で見て活動する日本企業の体質がある。そうなると、経済活動に減速によって就活狂騒曲が終焉し、もう一度冷静な目で、自社に必要な人材の吟味、自分に必要な技能や能力の習得、学生を導くための教育や研究の高度化、という本来の姿に戻る時期を待つしかないのかもしれない。
もっとも、そうなった場合に、今後は一斉に採用を手控える「就職氷河期」が再来するようであれば、馬鹿は死ななきゃ治らない企業が次々に淘汰されないと事態は改善しないのかもしれず、また、そんな無意味な事を繰り返している日本企業が、グローバル競争で駆逐されたり、本当に優秀な学生から見放されたりする可能性もある。
日本の大学について言えば、最新技術の何たるかも知らない文部科学省の役人や政治家が、権限を振りかざして疲弊させている研究現場と、記述式・民間英語検定の導入という愚かしい「入試改革」の惨状を見れば、瀕死の床にあるようにも思えるが。
2020年2月7日 朝日朝刊13面 (コラムニストの眼)米国で増える「絶望死」 責任は社会に、投資を人に

この記事の論評については、下記の「年金時事通信」の20-002号として登載しています。
 http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin201405.htm




2020年2月7日 日経朝刊23面 (大機小機)日本国の資源配分を再考する

「日本の人口が減少している。この事実は、日本において人的資源が貴重化することを意味する。人的資源の有効的な活用と、将来に向けた教育が重要となる。」とする論説である。喫緊の課題として、「産業構造の刷新」「労働力の流動化」「教育」「最新技術の積極的な活用」「働くことの位置づけを政府主導で変えるべき」の5つを挙げている。
そして、5番目の「働くことの位置づけ」については、「多くの国民にとって働くことは生きる手段でしかない。技術革新によって機械が代わりに働く。人間は労働ではなく、優れたアイデアを生み出すことで貢献しうる。」とし、「機械が生み出した成果をいかに再配分し、国民の幸福感をさらに引き上げるのか。これが政府として知恵を絞るべき分野である。」と結んでいる。

「お説ごもっとも」の論説ではあるが、「働くことは生きる手段」という意識から、国民全員が脱却することができるのかどうか、そこがポイントである。例えば、先の前民主党政権の時に、少子化対策として子供手当の拡充を計画したところ、「バラマキ」として、マスコミも先頭に立って袋叩きにした。生活保護の受給者に対しては、「働かないで遊んでいられて結構なご身分だ」として、鵜の目鷹の目で行動を監視し、あげつらう。そんな国民が、連帯意識に支えられた再分配重視に進むことができるのだろうか。
もっとも、この問題は、日本国民だけのものではない。次のブログでも寸評した米国の状況も、また然りである。
 https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200207AA13.html
結局のところ、AIの進化がもたらす状況への対処は、人類共通の課題と言えそうで、それは、資本主義とか共産主義というような体制や思想を超越したものと言えそうである。