2020年3月12日木曜日

2020年3月12日 日経夕刊7面 (十字路)正常性バイアス

JPH代表取締役の青松英男氏による「正常性バイアスとは自分にとって不愉快で都合の悪い情報を無視、過小評価する傾向を指す。その場合、回避・抑制できた多大な被害をもろに受けることもある。現在進行形の新型コロナウイルス感染症対策は大丈夫だろうか。」とする論説である。
続けて、「多くの日本企業はこの正常性バイアスに陥っているのではないか。30年以内に70%の確率で発生が予想されているマグニチュード8~9クラスの南海トラフ大地震について事業継続計画(BCP)が十分には整備されていない。特に東日本大震災で露呈したサプライチェーンの脆弱性は未解決のままだ。」としている。
そして、「日本の労働力人口は2065年に現在より4割減少し4000万人弱になると予測されている。しかも主力産業の製造業における労働生産性の水準は、国際比較でかつての1位から14位まで下落した。頼みの女性労働力人口を増やすための施策(待機児童問題の解決など)はほとんど進展なく、生産性を上げる研究開発も欧米と比べ遅れている。」「さらに米中貿易摩擦・覇権争いから、世界の交易関係と情報技術系の分断化が進んでいる。日本企業は両ブロックとどう折り合いを付けるのか非常に難しい局面を迎える。」としている。
その上で、「危機を知らせる煙が上がっているのに、多くの上場企業がしていることは、短期的な株主のみを喜ばせる自社株買いだ。19年はアイ・エヌ情報センターによると7兆5千億円と過去最高を記録し、新株発行による資金調達額(3700億円)を上回る。自社株買いは自己資本比率が高く、自社で意味ある投資案件がなく、かつ株価が本来の価値より低いと会社が判断した時に行う平時の財務行為だ。」とし、「経営者は迫りくる困難を克服するため賢明な事業、研究開発、構造調整の実投資をするのが筋ではないか。長期的な株主は自社株買いより、かかる投資を評価するはずだ。」と結んでいる。

まず、「正常性バイアス」という言葉についてであるが、国土交通委員会の林浩之専門員による次の「災害時の心理学~正常性バイアス」が参考になるであろう。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20190910002.pdf
この中で、「正常性バイアス」とは、「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理するようになっている」心のメカニズムであるとしている。上記の論説では、まず「新型コロナウイルス感染症対策」に触れているが、外国から見た日本人の状況は、まさに「正常性バイアス」そのものに見えるようである。
例えば、日本のマスコミは、若者は重症化しないと言い続けており、重症化の例を稀なもののように紹介しているが、NYの現状では、それどころではないようである。これについては、NYタイムズの動画で、医師が次のように警告している(下部に日本語字幕付き)。
https://togetter.com/li/1486436
日本で重点を置いている報道は、外国人が来なくなっている土産店とか人気のない居酒屋とかであるが、命がかかっている状況を本当に分かっているのか、と背筋が寒くなる。日本人は、政府や自治体による自粛要請に他国より従順とされているが、若者に危機感は乏しく、爆発的感染は、すぐそこまで迫っている。

ところが論説では、この緊急事態に突っ込まないで、南海トラフ大地震や労働生産性の水準といった点に話を進めている。言っては悪いが、これも一種の「正常性バイアス」ではないのだろうか。

南海トラフ大地震について言えば、「30年以内に70%の確率で発生が予想」されているものに対して、日常的な備えをすることは困難であるが、それでも、阪神大震災や東日本大震災の経験を踏まえて、備えは一定程度進められていると思う。このような有事に備えた平時の過ごし方は難しい。「正常性バイアス」と切り捨てるのは、いかがなものか。

また、労働生産性の水準に到っては、問題は認識されているのであるから、「正常性バイアス」というよりは、構造改革のスピードの問題であろう。指摘されているように、日本の労働生産性は下落しているが、労働生産性=GDP/就業者数 (または就業者数×労働時間)で、購買力平価(PPP)により換算して示される。
https://www.jpc-net.jp/research/rd/pdf/F3_01.pdf
上記によると、「2017年の日本の就業者1人当たり労働生産性は、84,027ドル(837万円)であった。OECD加盟36カ国の中でみると、21位にあたる(3ページの図3参照)。」「2017年の日本の就業1時間当たり労働生産性は、47.5ドル(4,733円)となっており、OECD加盟36カ国中20位であった(8ページの図8参照)」とのことである。
そして、「特に、製造業が盛んで産業構造が比較的日本と近いドイツは、1人当たり労働生産性でこそ第13位だが、時間当たりでみると第7位となっている。…長時間労働が評価されず、短い労働時間内で仕事を終わらせるために無駄なことを極力省いて仕事を進める意識が高いことが背景にあるといわれている。こうして高い生産性水準を実現していることは、日本の働き方を考える上でも参考になるだろう。(9ページ)」としている。
次に、論説にある日本の製造業の労働生産性は、「1990年代から2000年までトップクラスに位置していたものの、2005年は8位、2010年は11位、2016年は15位と後退している。トップクラスに位置する国々との差はさらに開いている。(23ページの表3)」とされている。
これについてのコメントは資料にはないが、「主要先進7カ国の産業別労働生産性のトレンド(14ページ以下)」を見ると、興味深いことが分かる。日本の場合、卸小売業、飲食・宿泊業で横ばいであるだけでなく、1995年から2000年にかけて上昇率で他国を凌駕していた情報通信業が横ばいに転じ、教育・社会福祉サービス業と娯楽・対個人サービス業に到っては、ずっと下落傾向が続いているのである。もちろん、為替動向が大きく影響する点には注意する必要はあるが、産業別の分析をもっと緻密に行う必要があるのではないか。「正常性バイアス」という言葉で片付けられる問題ではない。

最後の「自社株買い」についてだが、そもそも、この論説は、この点を言いたかったのであろう。すなわち、「自社株買いは自己資本比率が高く、自社で意味ある投資案件がなく、かつ株価が本来の価値より低いと会社が判断した時に行う平時の財務行為だ。」というのである。
しかし、この根本は、企業に資金が余っている点にある。その余剰資金での有効な投資が見つからないため、自社株買いで株式を減らして株主に還元するわけである。では、何故に、資金余剰になっているのか。それは、2007-2010年のリーマン・ショックの爪痕にあると私は思っている。この時、世界的な金融恐慌によって、企業の資金繰りが大きなピンチを迎えた。何が何でも現金が大事ということで、「Cash is King{現金が王様)」と言われた時代である。その後、金融緩和が行われて、特に日本では異次元緩和ということで、企業に資金がたまりやすい状況になった。政府・日銀は、それが投資に向かうことを期待したが、リーマン・ショックの恐怖がさめやらず、リスクを伴う投資には過度に慎重になった企業は、現金をためこむ行動をとったわけである。
このような行動は、「正常性バイアス」ではなく、「杞憂性バイアス」(そんな言葉はないが)とも言えるものではないだろうか。そんな折しも、コロナ・ショックで、ずっと批判されてきた企業の内部留保やキャッシュ・リッチの状態が、一転して評価されるようになってきている。まさに、「歴史は回る」である。未来を見通すのは難しい。
2020年3月12日 日経朝刊19面 (大機小機)米国の格差社会化と大統領選挙
2020年3月27日 日経朝刊6面 (FINANCIAL TIMES)コロナ禍、米政治を左傾化

最初の記事は、コラム/大機小機における論説で、「米国の大統領選挙は、民主党の予備選挙がサンダース候補とバイデン候補に絞られた。資本主義の総本山といえる米国で民主社会主義を標榜するサンダース候補が前回に続き、今回の予備選挙でも有力候補となっていることは驚きだ。その背景にあるのは米国の格差社会化といえよう。」という書き出しである。
続けて、「世の中が格差社会になって弊害が目立つようになると出てくるのが社会主義だ。」とし、近代的な社会主義の祖といわれるエンゲルスの「英国における労働者階級の状態」という本を引き、「過酷な労働者階級の生活」の「背景には、人類に大きな発展をもたらした第2次産業革命が英国で激しい格差社会を生んでいたことがあった。」としている。衛生状態の悪い中で、「1831年には、ロンドンでの真性コレラによる死者が数千人に達していたという。何か、最近の新型コロナウイルス騒ぎを思わせるような事態が、格差社会化を背景に起こっていたのである。」としている。
そして、「世界はあらゆるモノがネットにつながる「IoT」や人工知能(AI)の活用による第4次産業革命に突入している。そこで問題になっているのがやはり格差社会化で、それが最も激しいのが米国だ。」とし、「かつての英国と同様に格差社会化の激しい米国で、社会主義が賛同を得るようになってきているのだ。」としている。
最後は、「エンゲルスやマルクスが主張した社会主義と、今日サンダース氏が主張している社会主義とでは、大きく異なる点がある。前者がプロレタリアート独裁を主張して民主主義を否定したのに対して、後者は米国の民主主義の枠内で主張されている。とすれば、それが米国の有権者に受け入れられる可能性は十分にあろう。格差社会化は今や世界中の問題だ。米大統領選から目が離せない状態が続きそうだ。」と結んでいる。

後の記事は、19日付で英フィナンシャル・タイムズに掲載されたUSポリティカル・コメンテーターのジャナン・ガネシュ氏の記事の翻訳で、「サンダース氏が米大統領選で民主党の指名を得ることはほぼないが、彼の「大きな政府が必要」とする考え方は今後も浸透していくという」ものである。
そして、共和党上院議員のミット・ロムニー氏は、2012年の米大統領選挙中に当時の共和党候補だった際には、民主党の現職大統領のオバマ氏を支持する47%の国民は「政府に依存しており、自分たちを犠牲者だと思い込んでいる」と発言したが、今月16日には、「すべての成人の米国民に一律1000ドル(約11万円)を支給するよう政府に求めた。」としている。加えて、「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済対策として、有給休暇や失業保険、栄養支援プログラムの拡大を提案した。」という。
その上で、今回のコロナ危機で得する側として、70代の上院議員でバーモント州選出のサンダース氏を挙げたいとし、民主党の大統領候補になることはないが、「3月上旬には考えられなかったことだが、米政治はここへきて社会民主主義に近い政策が次々と飛び出している。これまで左派的な議論は遅々として進まなかったが、コロナ感染拡大という緊急事態の雰囲気が高まる中、急に勢いを増している。コロナ危機によって、サンダース氏が考える世界のあるべき姿へと社会が変貌しつつある。」としている。
また、「英国は現在、保守党政権であるにもかかわらず、大規模な財政出動を決めつつある。どちらかといえば企業よりとされる大統領が率いるフランスも同じだ。米国が異なるのは、この危機下で家計や企業への支援という短期の議論にとどまっていない点だ。今や根本的な富の再配分の問題まで議論されつつある。だからこそロムニー氏は、常に企業側の立場に立ってきた共和党の議員らしい給与税減税や企業への債務保証だけでなく、踏み込んだ提案をしたのだ。」という。
また、「今回の感染拡大で判明したのは、国民皆保険制度を導入していない限り、国民は誰も医療制度によって保護されていないに等しいという痛いほど単純な真実だ。米国でも皆保険制度が必要だと主張してきたサンダース氏の考え方は異端視されてきたが、長く主張してきたおかげで認められるようになったということだ。」という。
そして、「我々は今、経済学的にどういう考え方が望ましいのかを改めて考え直さなければならない歴史的転換点の入り口にいる」とし、「政府こそが経済に責任を持つべきだ」としたケインズの考え方について、「今なら、国民のコンセンサスを得るまではできないとしても、もう少し大規模で積極的に経済や医療制度に関与する政府が必要だという考え方で合意できる可能性はある。左派はこれまで様々なチャンスを逃してきたが、今回は失敗できないはずだ。」とする。
最後に、「サンダース氏が再び大統領選に出馬することはもうないだろう」が、「過激だとみられた数年、そして今年の予備選挙での躍進、その後、バイデン氏に大差をつけられたが、イデオロギー的には成功した。サンダース氏以外の人物が大統領になり米国が大きな政府を抱えることになるとしたら、同氏が残したレガシーとしては悪くないはずだ。」と結んでいる。

前の記事から次の記事までの間に、サンダース氏が民主党の大統領候補に指名される可能性は、ほぼなくなった。だが、皮肉にも、コロナ・ショックは、氏の提唱してきた政策こそが、危機に陥った米国にとって必要なものであることを明らかにしたのである。
中でも深刻なのが、国民皆保険制度の不在による医療危機であろう。世界で最も豊かであるとされる米国で、医療崩壊の危険が日に日に高まっている。トランプ大統領は、オバマ大統領の施策を次々と覆してきたが、そのツケを払うことになったわけである。
それでも、民主党の大統領選有力候補のバイデン氏が、どのような政策をとろうとしているのかは、あまり見えてこない。世界からの分断を辞さず、国内での分断も助長してきて、サンダース氏から史上最悪とまで言われているトランプ大統領を、米国民がどのように審判するのか、その日は、刻一刻と近づいている。
2020年3月12日 朝日朝刊15面 (異議あり)株主優先の経営、社会の格差広げる
2020年3月12日 日経朝刊6面 (創論)脱・株主第一主義の行方
2020年3月14日 朝日朝刊10面 (経済気象台)企業は誰のためにあるのか

株主優先の経営が主体の状況に対し、「会社は一体誰のものなのか」とし問いかける3つの論説記事である。
共通して言及している昨夏の「グローバル企業の経営者でつくるビジネス・ラウンドテーブル(BRT)」による「72年の設立以来掲げてきた株主第一主義を見直す」との宣言については、すでに次のブログで取り上げているので、参照されたい。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/2020218NA25.html
また、今年1月の次の「世界経済フォーラム・ダボス会議2020」にも言及がある。
https://jp.weforum.org/events/world-economic-forum-annual-meeting-2020

最初の「異議あり」は、関西経済連合会の松本正義会長に対する インタビュー形式の記事で、「この半世紀、「会社は株主のもの」という米国発のコーポレートガバナンス(企業統治)の考え方がビジネスの世界では支配的だった。経営者は自社の株価を気にしながら、短期的な利益を追い、投資や賃上げより、株主への配当を優先してきた。」ことに対し、「会社は株主だけのものではない」と異を唱えているというものである。
まず、会長は、「企業が決算を3カ月ごとに公表する四半期開示義務の廃止」を主張し、「企業の中長期的な成長を妨げる恐れ」があるとし、「『会社は株主のもの』と考える米国流の企業統治の負の側面の表れ」で、日本の主な企業人は「違和感を感じている」と思う、としている。
次に、資本主義社会である以上「会社は株主のもの」ではないかとの問いかけに対しては、「背景には、経済学者ミルトン・フリードマンが『企業が株主利益の最大化に専念することが、社会のためになる』と提唱した」ことがあるが、「そんな経営が幅をきかせた結果、いま米国は上位1%の超富裕層が総資産の30%の富を独占する格差社会となり、ポピュリズムが広がっている」としている。そして、「かつての米国は富の配分について公的な感覚」を持っていたが、「豊かな中間層がなくなって米国社会は分断され、不安定さが増しました。いま最も厳しいまなざしが注がれているのが、巨額の報酬を得ている企業経営者たちです」という。
さらに、「米国企業の経営者の意識が変わる可能性」について、前述のビジネス・ラウンドテーブル宣言の「事業を長く続けて経済を成長させるためには、顧客や従業員、地域社会、取引先、株主らすべての関係先に貢献するという内容」に触れ、今年1月に渡米して経営者の団体や投資家、研究者らに幅広く話を聞き、「社会的、政治的、学問的など複合的な要因による潮目の変化」を感じたとしている。
次いで、「元企業経営者のトランプ大統領は変わらない」ようにみえるということに対しては、「共和党、民主党の双方から行きすぎた株主偏重への疑念」が出ているとし、「民主党の大統領候補選びでも、格差への対応が争点の一つ」になっており、「多くの政治家が今の株主第一主義の経営では格差が広がり、社会の安定が保てなくなると気づいている」としている。
一方、「日本では品質偽装や関西電力の金品受領問題など大企業の不祥事が目立ち…共通の企業統治ルールはやはり必要では」との問いかけには、「各企業が法令を順守することは言うまでもなく、企業統治の取り組みを強化することは重要」だが、「東証によるコーポレートガバナンス・コードを一律適用することには疑問」とし、「東京の経団連もその順守を求めていますが、各企業の個別事情を配慮しないままの適用は逆効果で、かえって企業の価値を損なう恐れもある」としている。その理由は、「例えば、現行のルールは独立社外取締役を2人以上入れるよう定めて」いるが、「専門的な知識を持ち、経営者に適切なアドバイスができて、企業の利益を向上させることに役立てる人材」を「実際に探すのは難しく、一人が何社も社外取締役を掛け持ちしているケースが目立ちます。事情は米国でも同じようです。一律に人数を決めるのではなく、各社の裁量に任せるべき」とする。
さらに、「不祥事を防ぐためには経営に対する外部の目は多い方が良いのでは」との問いかけに対しては、「石川五右衛門が『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』と語ったように、いつの世も不祥事はなくなりません。企業の不祥事を少なくするのに必要なのは外部の目よりも、リーダーの自覚です」とし、「住友電気工業も過去に自動車部品のカルテルで摘発されました。住友グループの事業精神である『浮利を追わず』が浸透していれば、起こらなかった事件です。私も自責の念に駆られました。加担した社員は上司から命じられたそうです。これからは『誰が正しいのか』ではなく『何が正しいのか』を常に社員が考えるような教育をしていきたいと考えています」としている。
続けて、「これからのリーダーに必要な素養」については、「まず、リーダーは投資家に対して経営戦略や考え方を丁寧に説明する。そして、倫理観や道徳観を持つことです。リーダーが『会社は社会の公器である』という自覚を持たない限り、不祥事は減らない」とし、「リベラルアーツ(教養)も重要です。古典や優れた絵画や音楽など歴史から学ぶことです。その中に込められたテーゼに対して自問自答し、自分なりの解釈や解決策を持つことが重要」としている。
そして、「資本主義は時代の変化とともに変わらざるをえないのか」という質問に対しては、前述のダボス会議2020で『マルチ・ステークホルダー・キャピタリズム』が議論のテーマになったことに触れ、「会社の利益をバランスよく社会に配分していこうというこの考え方は、関西に根付いている近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの『三方よし』の根底にある経営哲学と合致するものです」とし、「日米で慣行や労働環境は全然違うのに、米国の経営者らが近江商人と同じことを考え始めた。このタイミングをとらえて企業と社会の関係について彼らと継続的に議論していきたい。日本の経営者がかたくなに、従来の米国型企業統治を追いかけていては、また周回遅れになります」としている。
最後に、「「三方よし」の伝統がある日本社会でも格差は広がっているのでは」という点については、「社会の安定度を高めるには、年功序列や終身雇用の要素を入れて、中間層がちゃんと暮らせるようにすることが重要です。私たち経営者は事業で利益を上げ、一緒にやっている人たちに利益を配分し、社会を安定させる責務があると感じています」とし、「行政の政策だけでは今の格差や不平等は解消できません。社会の公器である会社は何をすべきなのか。今、私たち経営者の真価が問われていると思います」と結んでいる。
記事では、「安倍政権は2014年、成長戦略の一環で、コーポレートガバナンス(企業統治)の強化を打ち出した。株主の経営への影響力を強め、日本企業の「稼ぐ力」を取り戻すのがねらい。背景には、米国発の「会社は株主のもの」とする考え方がある。」とし、「この方針を受けて15年、東京証券取引所の上場企業を対象に「コーポレートガバナンス・コード」が導入された。2人以上の独立社外取締役を選任すべきだとしたほか、取締役会の3分の1以上を占めることが望ましいと明記した。コードを守らない場合はその理由を株主に説明しなくてはならない。東証1部上場企業では2人以上の独立社外取締役がいる企業は93%にのぼる。売上高や利益などの決算情報の四半期開示は金融商品取引法で、08年に義務づけられた。関西経済連合会は「四半期は企業の状況を理解するには短すぎる」「働き方改革に逆行する」として開示義務の廃止を求めている。米国でも四半期の業績予想の廃止を求める声がある。」と背景を説明している。
そして、「取材を終えて」として、「松本さんや一部の米国の経営者と同様に、短期的な利益を追う経営に疑問を感じる人たちがいる。2000年前後に世の中に出たミレニアル世代と、それ以降に生まれた若い世代だ。」とし、「彼らはSDGs(国連の持続可能な開発目標)に高い関心を示し、購入する商品や就職先の選択にも同様の価値観を反映させる。経営者は、今の株主だけでなく、将来の株主、消費者への目配りも不可欠だろう。」と締めくくっている。

次の「創論」は、「米国企業の間で株主最優先の経営方針を改める動きが出てきた。行き過ぎた利益重視を反省し、従業員などの利害関係者や環境・社会問題に目配りしようとしている。バンク・オブ・アメリカのブライアン・モイニハン最高経営責任者(CEO)に米国企業の変化を問い、池尾和人立正大教授と日本企業の未来図を考えた。」というものである。
まず、モイニハンCEOは、「経営者が集まるふたつの団体がほぼ同じタイミングで企業経営の原点に立ち返ることになった」とし、「一つは米経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」だ。2019年8月に「企業の目的」を再定義し、(1997年以降の「株主第一主義」を改め)すべての利害関係者(ステークホルダー)を重視しなければならないと宣言した。私もバンク・オブ・アメリカの最高経営責任者(CEO)としてこの声明にサインした。」「もう一つは世界中の経営者が集まる「ダボス会議」。今年1月、発足当初の理念を再確認した。それは主宰者のクラウス・シュワブ氏が最初から提唱していた「ステークホルダー主義」だ。」としている。
そして、「経営者はまず株主と顧客、従業員に利益をもたらす、そして地域社会にも貢献するということだ。企業は株主還元、または公益の「どちらか(Or)」を追求するのではなく、「両立(And)」を求められる時代だ。2つを達成できなければ、顧客や従業員から受け入れられなくなり、経営者は退任を余儀なくされる。」としている。
続けて、例として「株主利益と公益の両立を考えるとき、同時に達成できる分野に環境がある」とし、「著名投資家ウォーレン・バフェット氏が率いるバークシャー・ハザウェイは、バンカメの発行済み株式数の10%超を保有する大株主だ。バフェット氏に当社の評価を聞いてほしい。多くの投資家が株主還元の拡大と同時に、社会問題の解決に企業が関与することを望んでいる。両立が重要だ。」と続けている。
さらに、「昨今、世界では資本主義を再定義したり、企業活動のあり方を見直したりする議論が活発だ。私は資本主義のあり方を根本から変えても問題の解決にはつながらないと考える。政府や慈善活動だけで社会を変えるのには力不足だ。どうしても企業の力が必要になる。それには資本主義の進むべき道を調整し、むしろ企業が貧困や気候変動といった問題の解決に照準を合わせればよい。」とする。
また、「国連が定めた持続可能な開発目標(SDGs)達成には年間6兆ドルもの資金が必要とされる。慈善事業に使われる寄付金は世界で8千億ドルほど。全く足りないし、財政赤字のためにお金の面で余裕がない国もある。目標達成のために使われた資金はまだ少ない。
こうした分野にあらゆる企業が参画すれば大きな力になる。金融機関は自社の業務に加え、どのプロジェクトにどれだけの融資をつけるか考えなければならない。」としている。
さらに、「ESG(環境・社会・企業統治)投資を促す取り組みも重要だ。年金基金などの資産保有者や、運用を受託するアセットマネジャーの間で、ESGの情報を基に企業を選別する手法が広がっている。ただ開示される情報の内容や様式は企業ごとにばらばら。次々新しい指標もでてくる。こうした乱立状態は、企業にも投資家にも望ましくない。開示様式はわかりやすく統一する必要がある。」とし、「20年のダボス会議では「国際ビジネス委員会」の委員長として、ESG情報の新しい開示様式をとりまとめた。世界の4大会計事務所にも策定に加わってもらい、企業が「汚職防止」や「気候変動対策」「人材の多様性」といった取り組みを外部に分かりやすく説明できるようにした。」とし、「一から作ったわけではない。金融安定理事会(FSB)が設置した「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」の提唱する基準など既存のものを組み合わせて、標準的で包括的な開示になるようにした。様式をそろえれば、企業が都合の良い数字だけを選んで公表するのを防げる。投資家は企業の取り組みを比較しやすくなる。企業と投資家の目標共有もやりやすくなるだろう。当社の企業調査チームによると、ESGに積極的に取り組む企業に投資していた場合、05年以降、9割の確率で投資先の破綻に巻き込まれずに済んだ。こうした考え方が広がれば、投資家は低評価企業への投資を避けるようになる。企業側もESGの開示を充実させる動機になるだろう。」と結んでいる。
一方、池尾教授は、「ステークホルダーの議論は、縦軸に株主の利益を置き、横軸に株主以外のステークホルダーの利益を置いた図で考えるべきだろう。」とし、「米国の場合、株主の利益を追求して収益を上げ、縦軸では上のプラスに位置する。半面、格差が拡大し、雇用は不安定化している。従業員など他のステークホルダーの利益は害され、横軸では左側のマイナスの側に入っている。このまま分断が止まらず、社会が壊れてしまっては、企業は中長期に価値を高められないし、株主の利益も増やせない。他のステークホルダーの利益も確保する必要がある。図でいえば、両方がプラスの「第1象限」に移そうという動きが今の修正なのだろう。つまり持続可能性(サステナビリティー)への認識の高まりだ。資本主義が健全に発展していく基盤を掘り崩してしまっては、資本主義自体の存続が揺らぎかねないとの反省があるのだと思う。」としている。
そして、「産業社会から急速に情報社会に変わった。ものづくり中心の産業社会では、中間層向けの比較的良質な雇用が大量に生み出された。しかし情報社会は、ハイスキルとロースキルの人材に分かれ、中間層の雇用が供給されにくい中間層が没落する産業構造の変化に、米国の政治も対応策を見いだせていない。だから企業も心配し、各ステークホルダーに配慮した経営を考えているともいえる。」とする。
さらに、「そもそも米国も、株主が第一だとする考え方ばかりでない。伝統的な優良企業は広くステークホルダーに配慮する経営をしている。ジョンソン・エンド・ジョンソンが企業理念に掲げる「我が信条」では、最も重要なのは顧客であり、その次は従業員、第3が地域社会、株主が来るのは4番目だ。」とし、「日本企業は、従業員など他のステークホルダーの利益をある程度確保できていても、肝心の株主の利益を毀損してしまっている。多くの企業が、PBR(株価純資産倍率)が1倍割れの評価しか市場で得られていない。先の縦軸でいえば水面下のマイナスだ。」としている。
一方、「(脱株主第一主義に動く)米国企業をみて、日本は今の経営でいいとするのは全く違う。株式会社であるのに利益を上げられない経営は「三方よし」といえまい。他のステークホルダーの存在を低収益の理由に使うのは言い訳だ。日本企業も米国企業も、広くステークホルダーの利益を増やす第1象限を目指すという意味で向かうべきところは同じだ。ただし出発点が日本と米国で異なる。日本の問題は株主の利益を毀損していることなのだから、改革は稼ぐ力を高めるという方向になる。とし、最後に、「一連の企業統治改革は中長期の企業価値向上へ、さまざまなステークホルダーと協働で達成するとうたっている。どこか到達点があるわけではなく、常に質を高める終わりなき努力が求められる。」と述べている。
記事のとりまとめとして、「アンカー」では、「未来に自分たちの会社は選ばれているだろうか――。この問いが、多様なステークホルダーに企業はどうこたえていくかを考えるカギだ。」とし、「永久に保有したい企業に投資するという考え方で富を築いた米著名投資家、ウォーレン・バフェット氏。重要視するのが自己資本利益率(ROE)だ。高い利益を生み出し続ける強い企業を選ぶ。顧客にも地域社会にも支持されるのが大前提。そうでなければ雇用も維持できない。」とし、「その意味で多様なステークホルダーに応えるという考え方は、米国の資本主義の根底にはある。それが「近年、株主に偏りすぎた」との反省と修正がいま起きている。」としている。そして、「世界は分断に直面している。世界のリーダーが集まる「ダボス会議」にあわせ、国際非政府組織オックスファムが公表したのは、世界の富豪2153人が保有する資産は、貧困層46億人が持つ資産を上回るという数値だ。」という。だが、「広くステークホルダーを考えるなかで、環境問題への取り組みも加速してきたが、モイニハン氏を含め経営者の高額報酬をどう考えるかの答えはまだみえてこない。」としつつ、「これに対し、日本企業の立ち位置は異なる。そもそもの本業で高い価値を生み出せず、市場から評価を得られていない。それを他のステークホルダーへの配慮の結果だと説明することは誤りだろう。稼ぎ続ける力を高める経営でなければ、未来から選ばれる企業にはなれない。振り子の向きは違うだけで、目指す先は米国も日本も同じはずだ。」と締めくくっている。

最後の「経済気象台」も、ビジネス・ラウンドテーブル宣言「企業は、より幅広い利害関係者とその長期的利益に配慮」を皮切りとし、「企業の長い歴史の中で「利益」が企業の「目的」と同一視されるようになったのは、最近の60年に過ぎない。20世紀、個人・機関投資家の株式保有の拡大で「所有と経営の分離」が進む。経営陣の説明責任への株主の懸念が「株主の利益の最大化が企業の社会的責任」というフリードマンの思想や株主第一主義を生んだ。これは「企業の将来の枠組み」に関する英国学士院での議論だ。」とする。
そして、「企業の目的(存在意義)は利益そのものではなく事業にあり、利益はその産物。株式所有と企業や事業の所有は同義ではない。企業所有者の行うべきは、先見性を持った目的実現・事業で、株式価値の最大化ではないとも述べる。」としている。
だが、「株主第一主義の見直しには批判もある。幅広い利害関係者の資本主義は、結局正当性の無い経営者を守ることになりかねない。株主は企業の所有者で、経営陣には株主への説明責任が問われるべきだ、と英エコノミスト誌は指摘する。これは年金基金などの米機関投資家協議会の立場で、BRTの声明に懸念を示した。」としている。
その上で、「企業の目的は利益ではなく事業にあり幅広い利害を反映すべきだとして、事業や長期的利益の妥当性は一体誰が判断するのか。やはり株主への説明責任が決め手なのか。」と問い掛け、「日本では主として株主重視の視点からの企業統治改革議論が続く。だが、世界では一歩先に、企業は誰のためのものかが改めて問われ、企業統治改革を超えて、企業を取り巻く税制などの諸制度にまで議論が及ぶ。」と結んでいる。

「会社はだれのものか」は、以前からある問い掛けで、2005年に東京大学の岩井克彦名誉教授も、そのものズバリの題名の著書を出版している。この議論が、ここに来て活発になっているのは、何と言っても、昨夏のビジネス・ラウンドテーブル宣言の影響が大きい。ただし、この動きについて、一部から「日本的経営が見直されている」との声が出てきていることに対しては、「日本の問題は株主の利益を毀損していること」(池尾教授)だから、論外という考え方が支配的であるようである。
ともあれ、格差問題が深刻化している背景には、「情報社会は、ハイスキルとロースキルの人材に分かれ、中間層の雇用が供給されにくい中間層が没落する産業構造の変化」(池尾教授)があると思われるので、それにどう対応していくのかが問題になるわけである。単純な「持てる資本家による搾取」というものではなく、「持たなくともハイスキルの起業家が起こした事業が、グローバルに市場を席捲して、新興資本家として台頭する中で、中間層がハイスキルとロースキルに分化して格差が拡大している」のが実相であろう。GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)は、そのようにして台頭してきた代表である。どう対応していく必要があるのか、これからも議論が活発になるであろう。