2020年1月22日水曜日

2020年1月22日 日経 夕刊 7面 (十字路)「株式貯蓄」再び?

「株式貯蓄」という言葉は、1980年代に証券会社が編み出したもので、「比較的リスクが低い優良株への長期投資を個人に促すという戦略」にかかるものだそうである。
「再び?」としている背景には、「2018年度の上場企業全体(変則決算を除く)の支払配当額は14兆円に上る。加えて日本独特の株主優待もある。」ということがある。「今の高配当の恩恵を直接には享受できていない。しかし、高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要になる。その主役のはずの債券投資にはリターンが無いに等しく、しかも、日本では個人が買える玉(ぎょく)が少なすぎる。」として、株式を貯蓄のように利用したらどうかというのである。

確かに、低金利の状況の中、預金金利はスズメの涙だし、債券投資は、クーポン金利を得るものではなく、さらなる金利低下による価格上昇狙いのものとなっている。しかし、だからといって配当狙いの株式投資に進むのがよいとは、いちがいには言い切れない。配当は一つの着眼点だが、満期のない株式への投資の最終的な成果は、売却時の価格水準によることになる。「高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要」ということに目をつけて「毎月配当型の投信」が大々的に売られてきたが、投資収益が振るわず、元本を毀損したものもあり、金融庁から販売自粛を迫られるに到った。個別の株式では違法配当になって抑止されるものの、配当重視で株式投資を考えることの危険性は、十分に認識する必要があるだろう。
2020年1月22日 日経 朝刊 19面 (大機小機)国家規模のスマートシュリンクを

「そろそろ人口問題についての基本姿勢を再考すべきではないか」「現実を踏まえて我々は人口1億人に固執するのをやめるべきだ」とし、「人口が減っても国民一人一人の福祉水準を維持・向上できる」社会を目指すべきだ、とする論説である。
そして、これからは国全体が、賢く人口減少と共存する「スマートシュリンク」を目指すべきではないか、と結んでいる。

この論説の論調に異論はないが、国家規模の「スマートシュリンク」の中身は、何なのだろうか。個人規模なら、「断捨離」として、不要な物を捨て、「足るを知る」暮らしが考えられる。そこから推察すると、日本の現状はどうなるのか。今年は東京オリンピックと浮かれており、大阪万博だ、カジノIRだと、とても必要とは思えない催しが目白押しである。結果的に、不要な物を作り、その維持費や後始末に、将来世代が追われることになるのではないか。「スマートシュリンク」がまず必要なのは、政治家をはじめとする日本人の頭の中のように思える。
2020年1月22日 日経 朝刊 7面 (中外時評)2050年からの警鐘

上級論説委員の藤井彰夫による論説で、1997年元旦からの連載企画「2020年からの警鐘」を振り返り、「当時から識者は少子高齢化の問題を指摘していたが、結局、抜本的な対策はとられず、昨年の国内出生数はついに90万人を割り込んだ」遠い将来に感じられた「2020年」がついにやってきた、という書き出しである。
そして、「問題の本質は、識者の多くが将来の危機を認識しながら、結局、改革が進まなかったことだ。少子高齢化も日本型雇用の行き詰まりも決して「想定外」の危機ではない。」としている。
そして、「給付抑制や増税など痛みを伴う改革は避けられない」とし、先送りしていけば、30年後には再び「わかっていたのになぜやらなかったのか」と後悔することにならないだろうか、と警鐘を鳴らすものである。

今に固執すると未来は展望しにくくなる。未来から今を考えると、今の課題が浮かび上がってくることになる。この記事の要点は、そこであろう。一方、日本の政財界のリーダーは高齢化している。30年後の2050年に、自らは生存していないと考える人も、少なくないであろう。なればこそ、若いリーダーが必要なのである。スウェーデンの環境活動家であるグレタ・エルンマン・トゥーンベリさんの切実な訴えが耳に入らないような年代の人では、もうダメなのである。そんな例には、事欠かない。米国のムニューシン財務長官は、「大学で経済を勉強してきてから、我々に説明してほしいものだ」と皮肉ったそうだが、情けないものであり、学問の意義も理解していない愚か者としか思えない。
週刊モーニング2020年1月22日(第6号)『ドラゴン桜2』

今回は、少し目先を変えて、標記のマンガについて、紹介してコメントしたい。
『ドラゴン桜』は、三田紀房氏による著作で、テレビドラマにもなったが、荒れた三流高校を、東大合格者を出して、立て直すという物語である。この『ドラゴン桜2』は、その続編にあたる。どちらも受験テクニックを織り交ぜ、受験生心理や教員の指導方針を、風刺を混ぜて浮き彫りにするもので、非常に興味深い。この続編では、SNSなどの今風のツールの活用も織り込んでいる。

ところで、今回、このマンガを取り上げたのは、作中で年金制度について、言及しているからである。主人公の桜木理事が、集まった生徒に対して、次のように言っている。
 「君たちが70歳になる55年後、今とは全く違う社会に変わっていることは確実だ」
 「現在は70歳の多くはすでに仕事を辞めて老後の生活に入っているだろうが、55年後はみんな元気で働いているかもしれない」
 「みんな元気で働けば年金は必要ない。国は制度そのものを廃止するだろう」
 「年金をやめれば国民の面倒を見なくてすむ。その上で税金は多く納めさせたい」
 「そのためにも国民には一生働いてもらいたい。働いて死ぬまで税金を払って欲しい。これが国の本音だ」
そして、次のように続ける。
 「文句を言わず、ただ国の制度に従って働き続ける国民であってほしいのだ」
 「国民を他の言葉に言い換えると・・・馬車馬」
このマンガでは、馬車馬にならないために「東大に行け」と煽り、生徒達が拍手喝采するという進行になっている。ご都合主義だが、ロジックとして説得力のあるように構成されている。

さて、このマンガが提起している問題を、どのように考えればよいのだろうか。まず、東大に行っても、税金を私的に流用して説明責任を果たさない総理の擁護に必死になっている高級官僚の有様を見れば、東大に行くことが解決策にはなりそうもあるまい。
そもそも、年金制度は廃止されるのだろうか。それが正しい方向なのだろうか。少子高齢化の進行で、長生きして子供も少なくなれば、長く働くことが必要になることは、誰にでも分かる。マンガの論調は、そのこと自体にも、否定的なものが感じられる。
このような問題については、もし年金制度がなかったら、と考えてみるのが参考になる。人は、いつまでも働くことはできない。老後の時期は、たとえ後倒しになっても、誰にでも訪れる。もし年金制度がなかったら、その時に頼りになるのは、現役時代から形成したお金なのだろうか。もちろん、それも大事ではある。しかし、自分だけで、自分の老後を賄うことができるのだろうか。その前に、親の老後は、どうするのか。自分を育ててくれた親は、それなりの出費をしている。育てなければ、その分の資産が残っているはずである。ならば、育ててもらった子供には、親の老後に対する一定の扶養責任があるだろう。一方、自分の子育ては、どうか。子供を育てるには費用がかかる。育てなければ、その分を老後に回すことができるのに。だから、親が、子供に老後の一定の扶養を期待することには必然性がある。実に、年金制度は、この世代間連鎖、輪廻を、家族内責任から社会的責任に切り替えたものに他ならない。
年金制度が不要だとか、廃止すべきだとか、あるいは、自分の老後は自分で積み立てるべきだと言っている連中は、この根本を忘れている。そうした連中は、自分の老後のことに頭が一杯で、親の老後のことなど眼中にない。何故か。親の扶養は、年金が担当してくれているからである。
さて、今一度、聞いてみよう。年金は必要ないのか。その時、親子は、どのようにして生きていくのか。
2020年1月22日 日経 朝刊 2面 (社説)雇用のあり方をめぐる突っ込んだ議論を
2020年1月22日 日経 朝刊 5面 雇用「脱一律」で人材磨く 経団連春季指針 世界標準の環境に

「2020年の春季労使交渉に向け経団連がまとめた経営側の指針」に対する社説である。
「目先の賃上げだけでなく、持続的に企業が成長するための本質的な議論をすべきだという経団連の考え方は理解できる」とし、「労働組合も経団連の問題意識を真摯に受け止めるべきだ」としている。その上で、「時代遅れになっている雇用制度の改革論議が産業界全体で進むことを期待したい」としつつ、「通年で協議する場を設け会社の将来像を含め議論を深めるべきだ」と結んでいる。

経団連の「経営労働政策特別委員会報告」の内容については、5面で報じている。「年功序列賃金など日本型雇用制度の見直しに重点を置いた。海外で一般的な職務を明確にして働く「ジョブ型」雇用も広げるべきだと訴えた。」と要点を整理している。中西宏明会長は、「新卒一括採用と終身雇用、年功序列を柱とする日本型雇用制度」について、「現状の制度では企業の魅力を十分に示せず、意欲があり優秀な若年層や高度人材、海外人材の獲得が難しくなっている」と指摘し、「海外への人材流出リスクが非常に高まっている」と危機感を示したという。

経団連の考え方は理解できるが、「時代遅れになっている雇用制度」を作り上げ、維持してきた主体は、経営側である。「ジョブ型」の場合、その業務に関わる労働者が結集して職種別労働組合を結成するのが自然の流れであるが、日本の企業は、労働者が会社を超えて団結するのを嫌い、企業内組合にとどめることに力を入れてきた。「日本型雇用制度」は、そのような、「社会」より「会社」を重視させるための仕組みだったわけである。「ジョブ型」なら、自分の能力が十分に活用できない会社とは、さっさと縁を切って、新たな活躍の場を求めることになるだろう。「海外への人材流出リスク」という認識は甘いのであり、国内でも、「社外への人材流出リスク」は高まるし、それが「外部からの人材獲得チャンス」ともなるわけである。そうなった場合、既存の概念にどっぷり染まった大企業は、解体的変革を迫られる可能性があるわけだが、さて本当に、その途に進んで行けるのか。日本型雇用の都合の良いところだけ残して、「ジョブ型」の利点を取り入れようとしても、そうは問屋が卸さない。
社説が言及している「成果重視の賃金制度の必要性がバブル崩壊後から叫ばれながら、浸透していない」真の原因は、そこにある。物事を成すには、まず「隗より始めよ」と言う。年功序列で成り上がった経営幹部を一掃する覚悟がなければ、真の改革は為し得まい。

2020年1月22日 朝日 朝刊 10面 (経済気象台)若者の未来に期待

「2020年代、世界の技術革新はさらに進む」という変化の中で、「自ら考え、自ら改善行動ができる学び」をしっかりやっていくことが、これからを生きていく大事な要素となる、という論説である。「文系理系と分ける時代でもない。幅広い教養と自分の得意分野をみがいて専門性を身につける。未来のあるべき姿を描き、現実とのギャップを縮めていくのが真にやるべきことだろう。」とし、「未来志向の経営者として学び直さなくては、と年の初めに誓った。」と結んでいる。

「自ら考え、自ら改善行動ができる学び」は、多くの人が口にするようになっているが、我々日本人にとって、大きな課題であると思う。この「学び」の中の重要な要素は、自身の考えをキチンと発信し、他者の考えを受け止めて、相互の対話によって相乗的に知を高めていくことであろう。特に、インターネットの活用によって、地理的・時間的制約から解放された英知の共有は、自身を成長させ、社会を変革する力を持つ。しかし、この点で、日本人は発信力が弱いように思える。私は現在、大学で教えているが、質問や意見を促しても、「大勢の前で発言するのは気後れする」として、発言をしない学生がほとんどである。しかし、アンケートに書かせてみると、様々な意見が出てくる。
「沈黙は金」「出る杭は打たれる」と、積極的な言動を抑止する「金言」も多い。しかし、黙っていては分かってもらえないし、沈黙は、体制への消極的賛成となる。一言発する勇気、それが人の交流には欠かせない。
2020年1月22日 朝日 朝刊 7面 春闘一律賃上げ、経団連「適さぬ」 日本型雇用、変革求める
2020年1月23日 朝日 朝刊 6面 連合会長「格差是正に力」 「日本型雇用」見直しを批判 春闘

経団連が「21日、今春闘で経営側の指針となる経営労働政策特別委員会(経労委)報告を発表」したことを受けた記事である。

22日の記事では経営側の考え方を伝えており、「年功型賃金や新卒一括採用、終身雇用などの日本型雇用システムの見直し」を前面に掲げ、「欧米で主流とされ、年功ではなく仕事の内容で賃金が決まる「ジョブ型」との併用を呼びかけた」としている。

一方、23日の記事では、労働側の考え方として、連合の神津里季生会長が、22日の記者会見で、「大企業と中小企業、正社員と非正規社員の賃金格差の是正に力を入れる考えを示した」としている。また、「日本的な雇用の良い部分が毀損されてきたことが(格差が広がった)今日を招いている」と批判したそうである。

「春闘」は、「春季闘争」の略で、労働組合が毎年春に賃上げ要求を中心とする闘争のことであるが、かつては交通機関のストライキなどもあり、大きな影響力を持ったが、バブル崩壊後の経済低迷期には、賃金は上昇が抑えられ、春闘の意義が問われたこともあった。ここ数年は、年功を反映した定期昇給に加え、一時は死語のようになっていた賃金水準全体を底上げする「ベースアップ(ベア)」も行われるようになっているが、これには安倍政権の意向も大きく、「官製春闘」とも呼ばれていた。
今回は、賃金上昇に拘る連合に対して、経営側は「日本的雇用」の見直しを重要課題に掲げているわけだが、そうせざるを得ないほどに、労働市場が変容しており、「日本的」に拘ると世界的な潮流に取り残されるという思いがあるようである。
一方の連合は、「日本的雇用」を評価するような言い方をしているが、それは、既存の考え方に固執している感じで、今後の労働市場のあり方についての考察が欠けているように思われる。「格差の拡大」と非正規雇用の増大は、切り離すことができないが、かつての連合は、「日本的雇用」の中核である正社員を保護するために、経営側が進める非正規拡大を容認してきたし、その事を後に自己批判したはずである。今回のコメントには、その反省に立った考え方が窺われない。フリーランス的な働き方が増加している中で、労働組合は、どのように対応していけばいいのか。今や、労働組合にとっても、正念場であるはずなのだが。