2020年3月6日金曜日

2020年3月8日 朝日朝刊11面 (声)無意識の女性差別、学問の場でも
2020年3月25日 朝日朝刊14面 (声)人事は「性別より実力」望ましい
2020年4月9日 朝日朝刊12面 (声)男女関係なく活躍と証明、目標に
2020年4月9日 朝日朝刊12面 (声)教員採用には多様性考慮が必要

最初の記事は、53歳の男性(大学教員)による投稿で、「女性に議席などを一定数、割り当てるクオータ制は女尊男卑という学生の声を読みました」という書き出しである。「性差別は東大も例外ではないと昨年、入学式で述べた上野千鶴子氏に反発する男子学生もいました。若い方はあまり女性差別に遭遇していないでしょうが、今も隠れたところで続いています。」と続けている。
そして、「ある大学の教員選考の場での経験」として、夫と共同研究している女性について、年配の男性が「この人が主体の研究か旦那が主体か、わからないね」との発言が、そのまま受け入れられてしまいました、としている。
続けて、「女性差別は表面上はなくなったようでも構造的に続いています。反発した男子学生は、自分がこれまでいかに優遇されてきたか、これからいかに優遇されるかを悟るべきです。」とし、「前記の教員選考委員は全員男性でした。もし半数が女性だったら、あの発言は許されなかったでしょう。差別が差別を生んでいるのです。構造的な差別を無くすには、まず強制的に社会に女性を増やすしかありません。被害者を減らすためクオータ制が必要だと私は考えます。」と結んでいる。

次の記事は、この投稿に対する、62歳の男性(大学講師)による反論投稿で、「違和感を覚えた。クオータ制は女尊男卑いくつかの国立大学で、「女性限定」で教員を採用するケースがあるからだ。男性は、どんなに能力があっても採用されない。男性には著しく不利ではないだろうか。」という書き出しである。
そして、「女性限定で数学教員を募集するある大学」を引き、「男性を排除した結果、能力的に優れた人を採用できなかった場合、この大学にとって損失にはならないのか。」としている。「大学教員の採用や昇進に女性差別があることは否定できない。」としながら、「だからといって、男性教員に対し、採用や昇進で不利な扱いをして良い理由にはならない。」とし、「男女共同参画を目指す際に、「能力がほぼ同等とみなされる時は女性を優先する」というのなら、認められると思う。」としている。
その上で、「私は研究・教育能力が高い人が選ばれるとは限らない大学人事の実情を現場で見てきた。特に性差別は重大な人事上の問題だ。「性別より実力」の原則が貫かれるよう望む。」と結んでいる。

3番目の記事は、42歳の男性(看護師)による投稿で、3月2日朝刊の「朝日新聞社ジェンダー平等宣言」を興味深く拝見しましたとし、「数値目標設定を懸念する声もあった中で、ジェンダー平等の実現への達成目標を具体的に示し、日本の男女格差克服に向けて勇気ある一歩を踏み出した、と感心しました。」というものである。
その上で、「男女平等を単なる理念で終わらせず、格差是正へ積極的に取り組むことは、人材や事業の多様性、可能性を広げるはず。なのに、目先のビジネスへの懸念や適性ある女性の人材不足を指摘する人がいます。それは圧倒的な男性優位の社会に慣れきって、能力本位で人を育てる努力を怠ってきた証左だと思います。」としている。
そして、「医療従事者の中でも看護師は全体の9割以上を女性が占めますが、介護や子育てをしながらきつい交代勤務もこなしている。そして今、新型コロナウイルスの感染者対応でも奮闘しています。」とし、「もっと男性がこのジェンダーギャップに気づき、積極的に変えていくべきではないか。」としている。

4番目の記事は、69歳の男性(元小学校教員)による投稿で、2番目の投稿「人事は『性別より実力』望ましい」に対して、「男だろうと女だろうと、実力のある人が教員になるのは当たり前だ。ただ考える必要があるのは、その「実力」は「誰」がどのような「視点」と「基準」で測るか、ということである。」というものである。
そして、「教育機関の場合、学識以外にも指導力、協調性といった人間性なども必要とされる。採用者側としては、こうした条件を一定水準でクリアした人の中から、できるだけ優秀な人を採用することになる。」が、「採用者側が男性という属性を優先させることは往々にしてある。家事や出産、育児などに多くの時間や体力を費やすことなく、仕事に邁進(まいしん)しやすい男の方が「使い勝手がよい」と考えるからだ。」としている。
その上で、「男女比を考え、女性を積極的に採用することは理にかなっている。さらに言えば、アカデミックな場であれば、多様な意見があった方いい。そうした意味では、障害がある人やマイノリティーを優先的に採用するということも必要だろう。」と結んでいる。

月をまたがっての論争で、最初の投稿の「クオータ制は女尊男卑という学生の声」は検索しきれなかったが、同様の意見は散見される。朝日新聞朝刊2017年9月15日の声欄には、15歳の男子中学生による「男が傷つく「女尊男卑」の時代」という投書が掲載されていた。興味深いのは、これらの投書がすべて、男性によるものである点である。
男女差別の発想は、今に始まったものではない。1960年代には、「女子大生亡国論」が
声高に語られた。その代表が、早稲田大文学部の暉峻康隆教授による「女子学生世にはばかる」(『婦人公論』1962年3月号)であり、慶應義塾大文学部の奥野信太郎教授(『週刊朝日』1962年6月29日号)である。
この考え方が、現代に到るも払拭されていないことを知らしめたのが、医学部入試における女性差別であった。また、雇用の現場でも、出産・育児という国の将来を担う女性たちを不当に処遇し、非正規労働者に追いやっている現実がある。
そうした社会の歪みを是正しようというのが、「クオータ制」に代表されるアファーマティブ・アクション(affirmative action)で、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための積極的是正措置である。これは、米国などの人種差別の激しいところでは一般的な考え方であり、長年にわたる不利益を是正するためには、一時的な弱者優遇も必要になるという考え方である。その根本思想は、「本来、人間は平等である」という点にある。
そうした考え方が、虐げられてきた女性の能力を開放することにつながってきた。世界の指導者も、例外ではない。ドイツのメルケル首相のように、女性であるばかりでなく、経済格差の著しい東ドイツ出身の指導者など、今や枚挙に暇がない。
今の日本を見ても、長期政権にあぐらをかいて末期症状の安倍総理に比べて、コロナ・ショックにおける小池東京都知事の動きは都民・国民の信頼を集めている。その足を引っ張っているのが、男性で占められている政権やマスコミであることは、もはや国民の眼には明らかなのではないか。
「女尊男卑」と言う男子中学生に聞いてみたい。君は、同い年の女子中学生と同じ環境で競争したとして、相手に勝てますか。少なくとも私には、その確証は持てない。
2020年3月6日 朝日朝刊13面 「パラサイト」が世界席巻 不平等が資本主義を悪夢に

NYタイムズの2月10日付電子版に掲載されたコラムニストのミッシェル・ゴールドバーグ氏による論説の抄訳である。
「ポン・ジュノ監督の「パラサイト」が第92回アカデミー賞で外国語映画として初めて作品賞を受け、単なるすばらしい映画から歴史的な現象へと変貌(へんぼう)した。同作は監督賞、脚本賞と国際映画賞も受賞した。不平等を過激に描いたこの韓国のホラーコメディーは、ゴールデングローブ賞の外国語映画賞、全米脚本家組合賞脚本賞、全米映画俳優組合賞キャスト賞も受けた。」との書き出しである。
続けて、「外国映画が米国でこれほどの栄誉を受けたことは過去になかった。映画作りのすばらしさに加え、寒々とした社会への目の向け方は、ハリウッドの作品とは違い、共鳴できるものが確かにある。この作品の評価が高いことは、資本主義への信頼が危機にあることの証拠であり、その危機は米大統領選の民主党候補者の指名争いでサンダース氏が有力であることの背景と同じだ。」としている。
その上で、「映画を見た米国人は、韓国が極端に階層化された社会だという印象を受けるかもしれない。その通りかもしれないが、見方によっては米国社会ほど不平等ではない。それゆえにこの映画が描く階層間移動についての運命論は、米国人の伝統的な感覚からかけ離れていて、ひときわすがすがしい。」としている。
そして、「米国人は、社会的階級とは、少なくとも一面では、振る舞いにかかわるものだと捉えがちだ。」のにに対し、「対照的にポン監督が描く世界では、階級を上がることはあまりない。」とし、2013年のスリラー映画「スノーピアサー」では、「救いの道は、仕組みをすべて破壊し、新しいものを始めるしかない。」世界を描いているとしている。そして、「繰り返し繰り返し、「パラサイト」は階級を鉄製のわなとして描く。」とし、「しばらくハリウッド的なエンディングがちらつく。ようやく最後の場面で、それが幻想に過ぎず、元いた場所で動けないでいることがはっきりする。」としている。
そして、「経済協力開発機構(OECD)によると、米国での社会階層間の移動は、韓国と同じくらい活発ではない。例外はあるものの、米国の大衆文化は、頭脳や根性だけではより大きい実質的な勢力には対抗できないという世界を描ききれていない。」とし、最後は、「最近、オカシオコルテス下院議員は、自力ではい上がるなどという考えは「冗談だ」と言って、右派メディアから憤慨と嘲笑をあびた。しかし「パラサイト」が人々の琴線に触れたのは、多くの人々にとって不平等が現代の資本主義をただの冗談ではなく、悪夢へと変えているからだ。」と結んでいる。

一つの映画が、社会の問題を描き出し、それによって人々の考え方や行動に変化をもたらすことは、稀な事ではない。私は、まだ「パラサイト」を見ていないが、この論説にも、その影響が強く感じられる。
記事で言及されているOECDの情報は、次の「社会的流動性の機能不全に対処する行動が必要」(2018年6月16日発表)であろう。
原文は、次である。
日本については、次のように報告されている。
「日本では、親の財産やその社会的優位性が人の人生において重要な役割を果たすと考えている人の割合は、他のOECD諸国に比べて少ない。」が、「日本でも、人々の経済状況は親のそれと相関関係にある。日本における不平等の水準と、ある世代から次の世代への流動性を考慮すると、所得階層の最下層の家庭に生まれた子どもが平均所得を得られるようになるまでには、少なくとも4世代分の時間を要する。」
その上で、日本で優先すべき主要政策として、次の3つを挙げている。
 目標1 労働市場の二重性を縮小することで、労働市場の流動性を高める。
 目標2 雇用における男女格差を解消する。
 目標3 後期中等教育における職業教育の魅力を、実習を重視することで高める。

目標に掲げられた3点は、日本国内でも広く問題として共有されているところであり、着実かつ迅速な対応が迫られている。
2020年3月6日 日経朝刊7面 ノルウェー年金基金、三菱地所本社ビルの一部取得 797億円で
2020年1月29日 日経朝刊7面 「50年先見てESG投資」 ノルウェー政府年金基金CEO

最初の記事は、「世界最大級の政府系ファンド、ノルウェー年金基金は5日、三菱地所が保有する大手町パークビルディング(東京・千代田)の一部を797億円で取得すると発表した。ノルウェー年金基金は株式や債券に加えて、不動産にも分散投資を進めており、日本での不動産投資は2件目となる。三菱地所は簿価(取得価格)が高く利回りが低い不動産を売却し資産効率を高める狙いだ。」というものである。
「ノルウェー年金基金は北海油田から得るノルウェー政府の収入を原資とし、足元で約125兆円を運用する。日本での不動産投資は17年に東急不動産と共同で商業施設5物件を取得して以来、2件目となる。」とし、「三菱地所は優良資産を多く持つ。古くから所有する不動産は簿価が低く不動産利回りが高いが、比較的新しい物件は簿価が高く利回りも低い傾向がある。このため、丸の内の立地であっても資産効率の点から売却を進めている。」と結んでいる。

後の記事は、少し前のものだが、「世界最大の政府系ファンドであるノルウェー政府年金基金は、環境・社会・企業統治を考慮する「ESG投資」で運用業界をリードしてきた。近く退任する運用機関のイングベ・スリングスタッド最高経営責任者(CEO)が取材に応じ、ESGは超長期の投資に不可欠だと強調した。トップ退任後も組織にとどまり、新エネルギー分野などの投資戦略に関わる意向も明らかにした。」というものである。
 まず、ESG重視の理由については、「(ノルウェーの)将来世代のためのファンドとして50年以上先のことを考えている。長期で投資収益を上げるには世界経済が持続可能な形で成長していくことが欠かせない。50年の時間軸でリターンを確保すべくESGに取り組んでいる」としている。
次に、ESG投資の実際については、「長期で持続可能ではないとみた約240社からこれまでに投資を引き揚げた。一方で環境ポートフォリオも持っており、世界に良い影響をもたらすと考える200社ほどに投資している。水処理技術や代替エネルギー関連などが含まれる」「ノルウェーの人々は兵器やたばこから利益を得たくない。石炭もそれらに加わった。考え方は単純で、社会に有益だと判断した製品やサービスに投資するということだ。撤退対象は3つ。我々が生み出したくないと思う製品をつくる企業、倫理的に擁護が難しい企業、そして30年ほど先を見通してビジネスが持続可能と思えない企業だ」としている。
さらに、「企業側の変化」については、「特にこの5年で大きく変わった。今や気候変動のような問題は多くの取締役会で何らかの議論が交わされている。10年前なら自分たちのビジネスには無関係だと言っていたであろう企業も、そうは考えなくなった」「企業に求めたいのは情報開示のさらなる拡充だ。サステナビリティー報告書は重要で、持続可能性に関する戦略やリスク管理について明確にしてほしい。二酸化炭素(CO2)やメタンをどれくらい排出しているのか、規制が今後強化された場合の必要な削減量、そのための費用など知りたいことはたくさんある」との見方である。
記事では、補足として、ノルウェー政府年金基金は、「北海油田から得るノルウェー政府の収入を原資とする年金ファンド。足元の運用残高は約10.5兆クローネ(約125兆円)で、政府系ファンドで世界最大。株式や債券、不動産に分散投資し、日本株も7兆円程度持つ。運用は中央銀行傘下のノルウェー銀行インベストメント・マネジメント(NBIM)が担う。」と記述している。

下記は、ノルウェー政府年金基金について、在ノルウェー日本国大使館が2014年3月にまとめた資料である。
https://www.no.emb-japan.go.jp/Japanese/Nikokukan/nikokukan_files/pension_fund_global.pdf
また、在日ノルウェー大使館も、次のように説明している。
https://www.norway.no/ja/japan/norway-japan/news-events/news/5/
この基金は、「石油・天然ガスからの収入が得られなくなった将来のノルウェー国民の年金資金等に備えるため、ノルウェー大陸棚の石油・ガス事業からの国の収入を積み立てている基金」で、ノルウェー政府と直結したものである。
当面で言えば、石油・天然ガスによる収入で困ることはないから、資産運用についても、「50年先」という長期の視野を持つことができるわけである。年金資産の運用としては、理想的とも言えよう。ただし、基金は年金給付は行わないが、投資収益の4%以下を国家予算に繰り入れるものとしているから、毎年の投資収益率に無関心というわけにはいかない。恐らく、大手町パークビルディングへの投資も、安定的なインカム収益に期待してのものであろう。
一方、石油・天然ガスといった地球温暖化の元凶に依存しながら、環境重視のESG投資に傾斜しているのは、皮肉な事だとも言えよう。「責任ある投資」ということで、「基金の投資対象企業の監視・除外指針には、基本的人道主義に反する兵器(クラスター爆弾や核兵器など)を製造している企業には基金の資産を投資しない」と定められているそうである。世界的な年金資産運用の動向を見る上で、このノルウェー政府年金基金の動向ウォッチは欠かせない。
2020年3月6日 日経夕刊7面 (十字路)「1万年に一度」の急落
2020年3月4日 日経朝刊17面 企業年金利回り低水準 R&I調べ、2月はマイナス2%

「十字路」での論説は、「リーマン・ショック、チャイナ・ショック、VIXショック……。人々の記憶に残る歴史的な株価急落には、そのあと語り継がれるのにふさわしい名前がつく。先週の世界のマーケットを襲った連鎖株安には早速「コロナ・ショック」という名前がついた。」という書き出しである。
「野村証券によると、投資家心理を指数化した米国株センチメント指数の週間悪化幅は「マイナス5.2シグマ(標準偏差)」に達したという。統計学の正規分布の仮定に従えば、この数字は392万分の1の発生確率。縄文時代の約1万1200年前から現在まで、一度しか起きないぐらいの急落を意味する。」としている。
「だが理論と現実は異なる。同じように「5シグマ超え」を記録した冒頭の3つのショックは、約10年の間に起きた。統計上は「1万年に一度」の急落が、頻繁に繰り返されているのが今の市場だ。」と続け、バブルの生成と崩壊が頻繁に繰り返される背景には、金融緩和によるカネ余りがある。ところが3日の緊急利下げ後に米国株が大きく下げたように、その神通力も薄れつつある。「緩和で危機を解消しようとするセントラルバンカーの元祖といえるグリーンスパン氏。その名言を、今こそかみ締めたい。」と結んでいる。

一方、その記事に先立つ企業年金についての記事は、「新型コロナウイルスが企業年金の運用にも影響を与えている。格付投資情報センター(R&I)によると2020年2月の企業年金の利回り(推計値)は2.10%のマイナスと、1年2カ月ぶりの低水準となった。新型コロナウイルスの感染拡大が世界景気を冷え込ませかねないとして、国内外の株式相場が下落した。」ことを報じている。
しかし、「19年度(4~2月まで)でみた推定利回りは1.72%のプラスで、18年度(1.56%)と同水準を確保している。」とし、R&Iの宇野陽子資産運用コンサルティング事業部長の「企業年金は株価が大きく下落した場合、中長期に決めた資産配分計画を維持するために株式を買い増す傾向がある」とのコメントを掲載している。

まず、「1万年に一度」という、荒唐無稽の話が、「理論」に基づくものとされ、それが、まことしやかにまかり通っているバカバカしいに呆れる。それは、「統計学の正規分布」に基づいているとのことであるが、統計学では、例えば大集団の中での身長の分布が正規分布であるとした場合、平均値と、そのバラツキを表す標準偏差を用いて、平均値から乖離する確率を示すことができる。
この考え方は、実は、身近な所でも応用されている。「偏差値」である。これは、高校の先生が受験の合格可能性を判定する上で考案したものとされているが、その算定式は、「偏差値=50点+10点×(得点ー平均点)/標準偏差」となっている。模擬試験などでの生の「得点」を見ても、その受験生の相対的成績を測ることはできない。同じ50点であっても、難しい試験と易しい試験とでは、相対的成績が異なるからである。そこで得点を変換し、平均点とバラツキを考慮した偏差値で考えれば、相対的な成績や順位を把握できるという考え方である。
ただし、この「偏差値」の有効性も、成績分布の形状に依存し、正規分布に近い形状である場合の方が有効である。そのことは考案者は熟知しているはずで、データの蓄積で有効性を確認していたことであろう。結果的に、「偏差値」は有効に機能し、受験対策では絶対的な指標にまでなった。成績分布が正規分布であるとした場合、平均点の受験生の偏差値は50点であるが、平均点からバラツキ尺度の標準偏差のプラスマイナス1倍の範囲、すなわち40点から60点までの範囲に、約3分の2の受験生が入る。また、標準偏差のプラスマイナス2倍の範囲外に、約5%の受験生が入る。このことから、偏差値70点以上の受験生は、全体の2.5%ということになるわけである。
現代投資理論では、投資のリスクを、投資収益率(リターン)のバラツキと考え、その分布が正規分布であると仮定している。仮に、正規分布という仮定がまずまず妥当であるとしても、何年に一度、といった使われ方には疑問がある。使われている投資収益率は、身長や模擬試験での成績のように同時点のデータではなく、過去のデータである。これには、日次、週次、月次、年次があるが、どれを用いるのかによっても、標準偏差(シグマ)は変わってくる。リーマン・ショックの時には、「100年に一度」の下落といわれたが、これは3シグマ(以下)の確率に対応するものとされている。記事で言及している「1万年に一度」は、「投資家心理を指数化した米国株センチメント指数の週間悪化幅」ということだが、また訳のわからないもので、どれだけの過去データの蓄積があるのかも不明である。そもそも、同時生起にかかる分布確率に、時間的要素を持ち込み、「何年に一度」という言い方をすること自体がいかがわしい。
その上、正規分布の仮定自体が実態とかけ離れているのではないという議論も起きている。「1万年に一度」は論外だが、「100年に一度」にしても、まったく実情にそぐわず、ショックは何度も起きている。そのため、分布の形状は、正規分布ではなく、もっと標準偏差から離れた部分(尾、テール)の確率が大きいファット・テール(尾が太い)の形状なのではないかと論じられているような状況である。

ともあれ、今回の株式市場での暴落が、年金資産の運用に及ぼす影響は大きい。上記記事は、企業年金についてのものであるが、株式運用比率の大きい公的年金での運用結果は、さらに厳しいものと危惧される。企業年金では「19年度(4~2月まで)でみた推定利回りは1.72%のプラス」とのことであるが、3月に入っても大幅下落は続いており、年度でマイナス利回りとなる可能性も高いと思われる。
一方で、「中長期に決めた資産配分計画を維持するために株式を買い増す傾向」というのは、基本としているポートフォリオ(資産構成)の比率を維持するための行動であるが、結果的に、安値で株式を購入することになり、中長期的に見れば、株式市場の回復によって賢明な投資行動となることが、過去にも実証されている。
ただ、確定拠出年金制度で運用している個人は、株式価格の暴落に、冷静に対処することはできないのではないか。株式投資に馴染んでいる個人投資家でも、このような場合には、狼狽売りに陥ることが少なくない。投資の要諦は、安く買って高く売る、ことなのであるが、不慣れな個人は、上り切った頃に買って、下がると狼狽売りする、という真逆の行動に傾きがちである。これは、株式だけの事ではない。今回のコロナ騒動でも、トイレット・ペーパーの供給不安というデマに踊らされて、慌てて買い込むような人は、投資には向いていない。一方で、マスク不足のように、供給不足を見込んで買い入れたものを高値で転売して儲ける者もいる。倫理的に問題だと思うが、そんな倫理など屁とも思わない連中がうようよしていて、「生き馬の目を抜く」と言われるのが、投資の世界である。
そのような世界に対して、個人の力量で立ち向かうのには限界がある。だから私は、集団で運用する「年金給付機構」を提唱しているのである。
http://www.jscpa.or.jp/library/pdf/201706_01_Report_kubo.pdff
2020年3月6日 日経朝刊5面 年金資金でデジタル革新 経団連・GPIF・東大
2020年3月27日 日経朝刊5面 経団連・GPIF、デジタル革新へ投信や指数開発

前の記事は、「デジタル技術を使った企業や社会の革新を投資によって促す仕組み作りが動き出す。年金資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)はスマート社会の実現を後押しする投資方針を検討。経団連は投資先選定の参考になるよう技術情報などの開示を企業に求める。気候変動で関心が高まるESG(環境・社会・企業統治)投資をモデルに、資金調達の面から変革を促す。」というものである。
「経団連、GPIF、東京大学は2019年6月に着手した共同研究の報告書を20年3月下旬にまとめる。」とし、「人工知能(AI)などをうまく活用したスマート社会「ソサエティー5.0」の実現を目標に掲げ、デジタル革新につながる投資の促進に向けた3者の行動計画を盛り込む。」という。「世界最大規模の機関投資家であるGPIFは、投資原則に「ソサエティー5.0の実現も考慮する」方針を明記する方向で検討する。委託先の運用機関はGPIFの投資原則に基づいて株式や債券を売り買いするので、デジタル革新を担う企業に年金の運用資金が向かいやすくなる。」とのことである。
一方、「こうした投資マネーの流れを後押しするため、経団連は会員企業などに対し、スマート社会の実現に役立つ技術・サービスといった情報開示の充実を促す。東大は学内の関連する先端技術の情報を集約し、企業との共同研究を後押しする。」としている。「官民挙げた次世代産業政策」は、ドイツや中国にもあるが、資金調達の面からもデジタル革新を促す仕組みは「海外にもない」(経団連)という。
「報告書はデジタル革新がもたらす経済効果の試算も盛り込む。ソサエティー5.0の実現が中長期的な投資収益の拡大につながると示すためだ。試算では、無人運転技術やシェアリングサービス、家庭用ロボットなど約70の先端技術を「ソサエティー5.0の実現に役立つ技術」と定義。すべての技術を社会に広く普及させた場合、30年に760兆円の新たな市場が生まれ、名目国内総生産(GDP)を250兆円押し上げると推計した。」とする。
そして、「内閣府は現実的な成長率が続けば29年度の名目GDPは637兆円になると試算している。これをもとに、経団連などはスマート社会が実現すれば、30年の名目GDPが900兆円に達するとはじいた。試算は経済統計の研究などを専門とする野村浩二慶大教授に依頼した。」とのことである。
その上で、「経団連などは経済効果も明示し、投資マネーを日本企業のデジタル技術やサービスに呼び込みたい考えだ。ただ技術開発が進んでも、法体系が整わなければ、社会実装がなかなか進まない可能性もある。一時的に規制を凍結して新技術の実証を進める「サンドボックス」制度の活用をはじめ、政府が規制緩和を加速することもスマート社会の実現には欠かせない。」と結んでいる。

後の記事は、前の記事の報告書が26日に公表されたことを受けたものである。経団連の中西宏明会長は同日の記者会見で「環境に限らず社会課題の解決に向けて、企業が投資を誘うメッセージを出していくべきだ」と語ったとし、GPIFの高橋則広理事長は「短期的な課題を克服し長期のリターンを年金受給者に供給できると信じている」と指摘し、「足元の金融市場は新型コロナウイルスの感染拡大で混乱しているが、デジタル革新への投資促進が長期的な収益拡大につながるとの認識を示した。」という。
その上で、「投資を促す指数としては、指数算出会社がつくるESG指数がある。また経済産業省と東京証券取引所は2020年からデジタル技術を活用して事業モデルの抜本的な変革に取り組む企業を「デジタルトランスフォーメーション銘柄」として選ぶ。経団連などはこれらを参考に新しい指数の設計を検討する。」とし、「GPIFは、投資原則に「ソサエティー5.0の実現も考慮する」方針を明記する方向で検討する。委託先の運用機関はGPIFの投資原則に基づいて株式や債券を売り買いするので、デジタル革新を担う企業に年金の運用資金が向かいやすくなる。」としている。

言及されている3月26日に公表された報告書は、次の通りである。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/026.html
方向性については、異論はない。相対的に遅れているとされるデジタル革新に取り組む必要性は高まっているから、積極的に推進してもらいたい。しかし、違和感を感じるのは、ここに年金資金が大きく関わってくる点である。
デジタル革新が立ち遅れたのは何故なのか。その最大の理由は、人材の育成であろう。初期段階においては、日本は世界をリードしていたとの評価すらあった。しかし、その先進性を理解せず、次のエピソードのように、高度な人材や続く世代のやる気を失わせたのである。まず、その認識が出発点ではないのか。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/03/20200309NA14.html
なのに、まず出て来るのが、カネである。人材に関わるのは、東京大学中心ということのようだが、地球と人類社会の未来に貢献する「知の協創の世界拠点」と胸を張って言えるだけの実績や覚悟を有しているのか。とても、そうは思えない。
カネについての危惧は、後の記事にも感じる。投資の基準となる指数について、「経団連などはこれらを参考に新しい指数の設計を検討」としているが、投資において選別されるべき企業の集合体が、その投資指標の設計に関わるのは、不適切そのものではないのか。例えば、会長企業の日立が対象から漏れることなど、考えられないであろう。
そもそも、ESG投資が、「短期的な課題を克服し長期のリターンを年金受給者に供給できる」というのであれば、指数をいじくる必要はない。基準となる指数は、市場全体を表すものであるべきである。ESG投資というのは、一つの視点に立脚したアクティブ投資の一つであり、その成否は、パフォーマンスによって判定されるべきものであろう。「短期」ではなく「長期」というのなら、それでもよいが、例えば、過去10年程度のデータで検証する必要があるだろう。今後のことは誰にも分からない中で、ただ「長期」というのでは無責任極まる。