2020年3月9日月曜日

2020年3月9日 日経朝刊14面 高校の文・理コース分け 労働生産性低迷の要因に
2020年3月8日 朝日朝刊4面 仮想通貨を発明し、消えた「サトシ」

最初の記事は、関西学院大学の村田治学長による論説で、「国際学力テストの数学の成績と国の経済成長率や生産性は正の相関関係にあるのに、数学の成績がトップクラスの日本が当てはまらないのは、高校の2、3年で文系・理系に分かれ、数学の学習をやめる生徒が多いからだと指摘」し、「読解力、数学、科学の3つのリテラシーの中で、これからの世界において特に重要と考えられるのが数学リテラシーである。」として、「一刻も早く、高校段階での理系と文系のコース別編成を止め、全ての生徒が数学3まで学べようにすべきだと考える。」と主張しているものである。
その考え方として、昨年12月に発表された経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査(PISA2018年)」で、「数学や科学のスコアはそれぞれOECD加盟国では1位と2位を維持した。」とし、「昨年3月に経済産業省が発表した報告書「数理資本主義の時代」において、「第4次産業革命を主導し、さらにその限界すら超えて先に進むために、どうしても欠かすことのできない科学が三つある。それは、第一に数学、第二に数学、そして第三に数学である!」とうたわれている。」ことを指摘している。また、「昨年6月に統合イノベーション戦略推進会議の報告書「AI戦略 2019」が発表されたが、人工知能(AI)や情報科学の理解には微分、線型代数、統計学の数学能力が欠かせないといわれている。」ことにも言及している。
その上で、「数学に絞ると、OECD加盟国中で09年は4位、12年は2位、15年は1位、18年も1位とトップクラスにある。この傾向は03年から変わらず、数学の学力は15年間トップクラスを維持している。」が、「国際学力テストの数学スコアと経済成長率等の間には正の相関関係が観察されるとの研究成果がある。」のに、「わが国の労働生産性は18年のデータによるとOECD加盟国中21位、16~18年の労働生産性の平均成長率は約0.56%とOECD加盟国中20位である。」という状況になっているとしている。
そして、「この謎を解く鍵はPISAの実施年齢にあると考えられる。PISAは高校1年生が対象となる。従って、高校1年生までは、わが国の高校生の数学リテラシーはOECD加盟国でトップクラスであることは間違いない。」が、「多くの高校は早ければ2年生、遅くとも3年生になると文系と理系にコースを分ける。」という状況なので、「一刻も早く、高校段階での理系と文系のコース別編成を止め、全ての生徒が数学3まで学べようにすべきだと考える。」というわけである。
次いで、「そのためには、初等・中等教育段階から数学それ自体の面白さを生徒に伝える工夫も必要となる。」とし、「一部の私立大学では、こうした風潮に危機感を抱き、受験科目に数学を加える動きも出てきた。入試改革の隠れたテーマの一つである。」と結んでいる。

一方、上記の2番目の記事は、朝日新聞の「シンギュラリティー」(特異点)特集記事の一つで、「仮想通貨を発明し、消えた「サトシ」」についてのものである。
出張先の欧州で「サトシ・ナカモトって、日本語でどんな意味?」と聞かれたそうだが、
「サトシとは、世界初の仮想通貨(暗号資産)ビットコインの生みの親と言われる謎の天才技術者」のことなのである。「2008年10月に、「ビットコイン」という9ページの英語の論文をネット上に投稿。そこで提唱したのが、仮想通貨を可能にした理論、ブロックチェーンだった。」わけである。
その論文を契機として、「ブロックチェーンは、世界各地のコンピューターが対等につながるピア・ツー・ピア(P2P)と呼ばれる分散型の仕組みで、その中で暗号化された記録の連鎖(チェーン)が取引を記録・保証する。国家や中央銀行などの「中央」が介在する余地はない。技術者の間で少しずつ話題になり、翌年、ビットコインの運用が始まった。」のである。
ところが、「サトシの正体をめぐってはその名の響きから、世界的なミステリーを解くカギが日本にあると考える人もいる。」が、正体は分からず、「内容から読み取れたのは、既存の金融システムに対する強い不信感だった。」というのである。
これについて、黎明(れいめい)期からビットコインに携わってきてマウント・ゴックス社を世界最大の仮想通貨交換所に育てたマルク・カルプレスは、「今まで名前のあがった人物に本物のサトシはいない」とし、「本人が名乗り出ない以上、私が言うべきではない」「日本はテクノロジーで世界の最先端だった。それに敬意を表して、日本人の名前にしたのかもしれません」としているそうである。
一方、その取材の過程の中で出会ったのが、都内でIT企業を経営する古橋智史(さとし)(31)で、「2年ほど前から、天才と呼ばれた技術者の生涯を追っている」そうである。その技術者が金子勇であり、「02年、高速でデータをやり取りできるファイル共有ソフト「ウィニー」を開発し、ブロックチェーンの先駆けとなるP2P技術の実用化に成功した。無料で公開無料で公開され、多くの人が音楽や映像の交換に使うようになったが、違法コピーの温床にもなった。金子は04年に著作権法違反の幇助(ほうじょ)容疑で逮捕。最高裁で11年に無罪が確定したものの、2年後に急性心不全で死去した。42歳の若さだった。」という人物である。
古橋は「日本がつぶしてしまった才能だと思う。出る杭が打たれる社会を変えないと、日本に未来はない」とし、「事件を改めて世に問おうと映画化を企画し、映画祭のコンテストで優勝。資金を集め、事件の真相に迫ろうと奔走」しており、古橋に協力する弁護士の壇俊光は、金子の弁護団で事務局長を務め、今年1月の都内の講演で「金子の死を早めた責任は私にもある。発明家を犯罪者にしてはいけないと、罰金判決を受け入れず闘うよう促したから」と胸中を語ったそうである。
裁判では、日本のインターネットの父と呼ばれる慶応大教授の村井純も証人に加わり、「ウィニーの開発が著作権法違反の幇助なら、インターネットを開発した私も幇助になってしまう」とも述べている中で、「日本ではP2Pなどの技術開発は停滞し、米欧に大きく後れを取った。「萎縮効果は抜群だった」と壇は振り返っているという。
講演を聞いた国際大学GLOCOM客員教授の城所岩生は「欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者はその後、インターネット電話のスカイプで大成功した。米国でナップスターを開発した技術者も時の人になった。金子さんは、日本に生まれて不幸だったかもしれない」としているそうである。
そんな中、「金子こそがサトシだ」という仮説の発信者は、ブロックチェーンの専門家で起業家の仲津正朗で、「金子と交流のあった技術者の理論や、P2Pの仕組みなど技術的な共通点に加え、サトシの論文ににじむ「既存システムへの不信感」を、仲津は金子に重ね合わせている。」そうである。「ビットコインのような存在が世の中に必要だ、と悟る体験がサトシにはあったはず。才能と時間を国家に空費させられた金子にとって、それがウィニー事件だった」と仲津は言っているそうである。
記事は、「サトシが保有するとされる100万ビットコイン(約9千億円相当)が一度も使われていないことも、本物のサトシが名乗り出ないことも「サトシ=金子」と考えれば説明がつく。さまざまな反論はあるが、仲津は「議論を呼ぶこと自体が私の狙い」と語る。」とし、「悲劇の英雄が、姿を変えて活躍する。この仮説は義経伝説にも似て、日本人の心に響く。もし金子がサトシとしてあの論文を書いたのなら、天国で何を思うのだろうか。」と整理している。
そして、最後に「ビットコインは仮想通貨として花開き、現在の時価総額は約15兆円。サトシが「存在しないこと」によって本当の分散型ネットワークが実現した。一方でブロックチェーン技術は、米フェイスブックが進めるデジタル通貨「リブラ」や中国のデジタル人民元計画に採用されるなど、巨大権力の道具になりつつある。2人の天才が求めた自由は実現するのか。そして日本社会は、新たなイノベーションを育めるのか。今ほど試されている時はない。」と結んでいる。

まず、最初の記事であるが、次の「国立教育政策研究所」のサイトで公開されている。
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/01_point.pdf
2018年の結果についてのOECDの分析では、「数学的リテラシー及び科学的リテラシーは、引き続き世界トップレベル。調査開始以降の長期トレンドとしても、安定的に世界トップレベルを維持」「読解力は、OECD平均より高得点のグループに位置するが、前回より平均得点・順位が統計的に有意に低下。長期トレンドとしては、統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプ」と、記事にある通りである。
一方、経済産業省の発表報告書『数理資本主義の時代 ~数学パワーが世界を変える~』は、次のサイトに掲載されている。
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/risukei_jinzai/20190326_report.html
ここに、記事にある「第一に数学、第二に数学、そして第三に数学」と記されているわけである。この報告書は、産業界と大学の有識者による意見交換会を踏まえたものである。
統合イノベーション戦略推進会議の報告書「AI戦略 2019」は、次である。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/pdf/aisenryaku2019.pdf
また、米国の経済学者ハヌシェック(Eric A. Hanushe)によるPISAなどの国際学力テストのスコアの経済成長率等への影響分析は、次のようなものがある。
http://hanushek.stanford.edu/publications/high-cost-low-educational-performance-long-run-impact-improving-pisa-outcomes
このように、この記事での論説は、多くのエビデンスに基づいた質の高いものである。理系と文系という諸外国では一般的ではない区分の撤廃も、私がかねてより主張しているところであり、大いに賛成する。
しかし、それでも、少し気がかりな面がある。それは、「全ての生徒が数学3まで学べようにすべき」という過剰とも思える数学礼賛である。もちろん、本人が学習を選択するのなら、何ら問題はない。だが、国民全員が高騰数学の知識を身に着けるべきだという考え方につながると、話は違ってくる。それは、「国民全員が英語を習得すべき」とし、今は「英会話」に力点を移している英語教育の愚の轍を、また踏みかねないからである。
記事で、「数学それ自体の面白さを生徒に伝える工夫も必要」としているように、PISAの点数が良いとされる日本でも、小学校中学校時代から、多くの算数・数学嫌いが続出している。「面白さ」は、教える側の技量にもよるが、受ける側の興味によるところが大きい。
日本の学校教育では、「得手を伸ばす」ことよりも、「不得手を減らす」ことに重点が置かれてきたように思う。「得手を伸ばす」のなら、数学ができなくても構わないのである。実のところ、そうした平均点人間を作ってきたことが、今は、日本の教育の大きな問題点となっているのではないか。「得手を伸ばす」ことを主眼にするなら、人の数だけ道はあることになる。そして、この場合、得意分野で競合することが少ないから、別の得意分野の人のパフォーマンスを素直に褒めることができるだろう。しかし、「不得手を減らす」ことで道を狭めると、人々での間の競争意識が強くなる。そうなると、ライバルの好成績は素直には称賛できず、嫉妬の対象になりかねないわけである。

日本のこの問題を、露わにしたのが、2番目の記事の3人の大天才、村井純氏、金子勇氏、そしてサトシ・ナカモト氏と言えるだろう。筆頭に、裁判の証人だった村井純氏を挙げているのは、彼自身が「ミスター・インターネット」とされる大天才であるのに、日本社会が、それにふさわしい評価と待遇を提供しているとは思えないからである。金子勇氏は、あまりに悲惨だし、サトシ・ナカモト氏が実在する日本人であるとしても、日本社会がその才能にふさわしい評価ができるかどうか、疑わしい。そんな例は、枚挙に暇がない。大リーグに渡って活躍した野茂英雄投手も、イチロー野手も、その挑戦を後押しするどころが、失敗するに決まっている、思いあがっている、裏切り者といった罵声を浴びて向かっていったのである。金子勇氏も、有罪を認めて罰金を払ってでも、外国に行った方が良かっただろう。青色発光ダイオード(LED)を開発してノーベル物理学賞を共同受賞した中村修二氏も、日本では不遇で、海外では「スレイブ(奴隷)・ナカムラ」と呆れられていた。
天才が、「日本に生まれて不幸」なら、そんな国に未来がないのは当然である。
(なお、サトシの論文については、次のブログを参照されたい。)
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/2020215NY17.html

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