2020年2月18日火曜日

2020年2月18日 日経夕刊2面 ●(就活のリアル)人員整理、不況でも不要 雇用調整助成金を活用

就活理論編での雇用ジャーナリストの海老原嗣生による論説で、前回2020年1月28日付の日経夕刊2面の記事の続編である。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200128NY02.html
前回の「不況は遠からず来る。もし実力がある企業なのに人が採れずに困っているのなら、こうした不況期に思いっきり人材を確保すべきだ。」という主張の中で、「「ここで人を採り過ぎたために、その後、成長が止まって経営が厳しくなったらどうするのだ」という反論に対して、「日本にはとても良い「公的支援」がある。それが、雇用調整助成金だ。」とするものである。
「この制度があれば「不況期で人が余った場合」でも人員整理は不要になる。だから安心して「採れるときに採る」という採用戦略が可能になる。便利な公的支援であり、もっと広く認知を得るべきだろう。」というのである。
「この制度は利用日数に上限があり、期間も3年しか適用されない。青息吐息のゾンビ企業は3年たったらやはり淘汰される。」として、弊害にも配慮されているとしている。

雇用調整助成金について、厚生労働省は、次のように説明しいている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/pageL07.html
パンフレットやガイドブックも掲載されている。また、現在、深刻な問題となっている新型コロナウイルスによる影響に対しては、特例措置も行われている。
https://www.mhlw.go.jp/content/000596026.pdf
なお、記事では、「この助成金と似た制度は、市場原理主義が色濃い米国にもある。ドイツにもある。どこの国にでも普通にあるものだからだ。」とあるので、大分探してみたが、ドイツには類似の制度があるが、米国には見当たらなかった。
最終的に行き着いたのは、労働政策研究・研修機構の「データブック国際労働比較2019」の資料の一部である。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/04/d2019_T4-09_jp.pdf
この資料によると、米国にも、工場閉鎖時の再就職支援のためのカウンセリングや職業紹介・職業訓練等にも活用される「再就職支援制度」はあるが、雇用維持のための助成金はないようである。操業短縮などの場合の雇用維持支援制度は企業を対象とするものであるが、再就職支援制度は個人を対象とするものであり、まったく性格は異なる。
ともあれ、日本においては、雇用調整助成金による雇用維持の方策はあるわけである。好不況の波をそのまま人材採用にぶつけるのではなく、この制度を活用して人材採用の平準化を図ることは、企業にとって有益な選択肢であるべきである。その点では、海老原氏の意見に賛成である。
2020年2月18日 日経朝刊25面 (私見卓見)日本企業、株主中心から脱却を

早稲田大学の渡辺宏之教授(会社法)による論説で、「米主要企業の経済団体で、日本の経団連にあたるビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月、「脱株主至上主義宣言」を出した。」ことに触れ、「米国型の株主資本主義が大きな転機を迎えつつある。」とするものである。「従業員や取引先、地域社会、株主といったすべての利害関係者の利益に配慮し、長期的な企業価値向上に取り組む」と米国を代表する経営トップが宣言に署名した意義と衝撃は大きい。としている。
「世界では最近、株主に富が異様に集中し、米国を典型とする極端な格差社会が生じている。貧富の格差は、もはや従来のような単独国家による再分配や税制の調整では立ち行かない問題となっている。米企業社会の指導者レベルが抱く危機感を見落としてはならない。」と言うのである。
「日本企業は、資本効率を示す自己資本利益率(ROE)などの水準が国際的に低いとして、米国の今回の宣言見直しに安易に追従すべきでないとする見解もある。」が、「誰のための稼ぐ力か」という問いかけが重要である、としている。
教授の専門の会社法について、「株主は会社(財産)の所有者」という法規定は米国の会社法にも存在しないとし、「株主の立場に偏重した稼ぐ力という考え方、費用・便益(効率性)分析に終始する会社法の理論から、脱却していかなければならないだろう。」としている。

この宣言については、2019年11月19日に、経団連米国事務所とビジネス・ラウンドテーブル(BRT)の幹部との間で意見交換が行われており、宣言の本文や署名者も確認できる。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2019/1205_11.html
https://opportunity.businessroundtable.org/wp-content/uploads/2019/09/BRT-Statement-on-the-Purpose-of-a-Corporation-with-Signatures-1.pdf
BRT側は、宣言は「企業は顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うことを明示した。」ものとしている。
そして、「1997年以降は企業の目的を株主利益の実現ととらえていた。しかし、その後、米国の多くの経営者は地域への貢献や環境問題への対処など、広く社会課題の解決も企業の目的ととらえるようになってきており、今回の声明はそのような変化を反映させたものである。その意味で、近時経営者が考えていることを文章化したものであり、企業の目的に関する劇的な変化を企図したものではない。」とのことである。
「今回の声明の公表は米国内外で大きな反響を呼び起こしたが、それらは概ね好意的なものである。」とのことであるが、経団連側の評価は記述されていない。

会社の目的は何であるかは、日本でも大きな議論を呼んできた。事業の元々の元手を提供するのは株主であり、会社が破綻した場合には出資金を失うリスクを負うのは株主であってみれば、会社が株主の利益を第一に考えるべきであることは当然とする「株主第一主義」が、世界中に蔓延しており、その先導役を1997年のBRT宣言を担ったことは事実であろう。
一方で、株主のみならず、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会といった関係者を含めたステークホルダーのために会社は貢献する必要があるという考え方も、欧州などから強まってきていた。今回の宣言は、そのことの重要性や意義を再確認するものと言えよう。
日本においては、当初は、ステークホルダー重視は当然で、「株主第一主義」は極論との論調が主流であったが、その論理は自己資本利益率の低迷の言い訳に使われているとして、近年では、「株主第一主義」に傾斜しつつある傾向にあったと思われる。
大きな論点は、「長期的利益の提供」にある。経済や企業活動のグローバル化が進む中で、企業業績の変動も激しくなっており、決算での業績開示は四半期単位が当たり前になった。内部的に月次決算を行っている企業も珍しい状況ではなく、流通業では、毎日の売り上げや利益を日次でチェックしている企業も多いようである。
難しいのは、こうした「短期的なチェック」と「長期的な利益の提供」との関連であり、バランスであろう。企業活動は永続的なものとされるが、長期的はマラソンに、短期的は100メートル走にたとえられよう。してみると、現状は、マラソンでの優勝を目指しつつ、100メートルごとにタイムを競っている状況になりかねない。それでは、マラソンに優勝するためのペース配分もへったくれもないことになる。
そして、経営者をコーチに例えれば、100メートルごとのタイムが良ければボーナスが支払われ、不振が続くと解任されることになるわけだから、経営者が短期志向となるのは当然である。
この弊害を露わにしたのが、他ならぬ日産自動車のカルロス・ゴーンであった。経営危機に陥った日産の立て直しで示した手腕は、後から見ても、称賛に値する。しかし、それは結局、短期的な話だったのであり、20年にわたる独裁の末に残ったのは、会社を食い物にした自己中人物の正体暴露と、食い散らされたあげくに再び危機に陥った日産の有様である。
この短期的と長期的との矛盾を解決するための一つの手段は、取締役の在任期間に制限を設けることではないか。米大統領の任期が2期8年に限られているのは、賢明な措置と言えよう。会社法でも、取締役の通算任期を8年に限っていれば、日産ゴーンの不祥事は避けられたであろう。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」「おごる平家は久しからず」といった名言は、歴史を乗り越えてきたものであると、改めて思う。
その観点からして、自民党総裁の任期3年を連続2期までとしていたのを2017年に連続3期に変更したのが、いかに愚策であったのかは、今の腐りきった安倍首相を見れば、誰の目にも明らかであろう。その点で、小泉元総理が任期延長を固辞した見識には頭が下がる。
2020年2月18日 日経朝刊5面 中小への「残業しわ寄せ」監視 4月から労働時間の規制適用 行政指導も視野に

「中小企業について1年間猶予されていた残業時間規制が4月から始まる。「月100時間未満、年720時間」を上限とする規制が先行している大企業からしわ寄せがいく形で、中小の長時間労働が続くことのないように政府は監視を強める。」という記事である。
「残業時間に上限を設けた働き方改革関連法は2019年4月に大企業に適用され、20年4月から中小企業も対象になる。原則は月45時間、年360時間で、労使で合意すれば年720時間以内までは可能。月100時間を超えてはならず、2~6カ月平均で月80時間以内といった内容だ。建設業など猶予期間が続く一部業種を除き、違反すれば30万円以下の罰金か6月以下の懲役となる。」という状況の中で、大企業ではすでに従業員の勤務時間管理が厳しくなっている。その分、無理な短納期発注や休日出社の強制など、下請け中小企業へのしわ寄せが強まっているとの指摘がある。公正取引委員会の幹部も「短納期発注などが目立つ」と話す。」ということが起きているわけである。
「企業への監視を強めるため、経産省と厚生労働省は合同で働き方改革の対策チームを立ち上げた。」と同時に、「公取委や経産省は大企業など約20万社に書面で中小企業へのしわ寄せを防ぐよう要請した。」としている。
だが、「企業側に改革の負担を押しつけるのは限界がある。IT(情報技術)の活用拡大や大企業を含めたサプライチェーン全体の見直しを官民挙げて進めるなど、産業全体の生産性を高める取り組みと働き方改革を同時に進めることが欠かせない。」と記事は結んでいる。

厚生労働省は、「時間外労働の上限規制-わかりやすい解説」という手引きを作成し、掲示している。
https://www.mhlw.go.jp/content/000463185.pdf
時間外労働が野放しで、そのまま過労死が「Karo-shi」として英語で通用するまでになった過酷な労働環境の改善に向けた措置としては、大きな一歩である。
しかし、今回の改正でも、国際的に見劣りする割増賃金の見直しは行われなかった。
少し古いが、内閣府が2013年10月4日に「第2回経済の好循環実現検討専門チーム」に提出した次の資料を見れば、割増賃金の是正が必要なことは明らかであろう。フランスは週35時間労働であることに注意が必要)。
https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/2th/shiryo4.pdf
この資料には、「労働者の方が、あえて残業して、割増賃金を稼ぐ」という懸念も記されているが、労働時間管理は、管理者の重要な責務であり、残業は本来、業務のやむを得ない必要性によって、管理者の命令・指揮下において行われるべきものである。この懸念は、そんな基本的な事すら、日本企業の労働現場では行われていないことを示唆している。
記事では、「中小企業は労働生産性の停滞が続いている。法人企業統計調査を使って中小企業庁がまとめた資料によると、製造業では大企業が09年度から17年度の間に約40%向上した半面、中小企業は11%の上昇にとどまった。非製造業でも同じ期間に大企業が23%、中小企業は8%と改善の幅に差がある。」ともしている。
まず、そもそも日本の労働生産性は低く、2018年の「時間当たり労働生産性は 46.8 ドルで、OECD加盟36カ国中21位」とされている。
https://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2019.pdf
ここで、きちんと理解しておく必要性があるのが、「時間当たり労働生産性」の算定方法である。上記の資料では、次のように算定している。
 1時間当たり労働生産性=GDP÷(就業者数×労働時間)
この式から「1時間当たり労働生産性」を引き上げるためには、まず労働時間を減らすことが考えられる。もちろん、それによってGDPが減少したら効果が減殺されるわけだが、そうならないようにするのが「働き方改革」であり、人力をAIなどに置き換える省力化も重要な要素になる。
一方、就業者数については、日本の人口の少子高齢化によって、生産労働人口が減少し、それによってGDPも減少する恐れがあるが、女性や高齢者の就労増加によって、その影響を緩和しようというのも「働き方改革」の一面である。
最後の問題は、分子がGDPでよいのか、という点である。成長がなければ国家は衰退するとされているが、その考え方の下で建設された「箱もの」は、建設時にはGDP増加に寄与したのだろうが、その後の管理では、むしろお荷物となっている状況である。この修繕・維持費用だけで、GDPの数パーセントが必要であるという議論があるが、そのために「箱もの」をまた作れば、将来世代が、その負担を背負うことになる。つまりは、建設のみをプラス要因と考えるGDPの算定方法に問題があるのではないか。この欠陥の象徴が、原子力発電所で、今や廃炉のコストや方法も見通せない状況になっている。
GDPの欠陥や代わりの指標は、ずっと以前から指摘されているが、代替手段のないまま、今日に到っている。しかし、深刻化する温暖化問題に見られるように、GDPというか成長至上主義のツケは増大する一方である。どこかで、AI技術などの進展により、短い労働時間でも基本的な不足のない生活水準が維持できるようにならなければ、人類は破滅に向かうことになるのではないだろうか。