2020年2月21日金曜日

2020年2月21日 朝日朝刊10面 (経済気象台)「高齢者」の捉え方議論を

「全世代型社会保障検討会議の中間報告が昨年12月に公表された」が、「具体的な制度改正は相変わらず高齢者優遇のままだ。これでは、支えてもらう子や孫の世代に申し訳ない気がする。」とする論説である。
そして、「今回の改革では、年齢を基準に「高齢者」と一くくりにする捉え方を見直すことが眼目のひとつである。…本当に困る方に集中して支援する考え方に変えていくことは当然だと思う。」とし、「高齢者による負担のあり方についても同じことが言える。年齢で一律に軽減や免除をするのではなく、負担できる能力、すなわち所得や資産の多寡に応じた負担を求めることが筋である。」というのである。
そして、「問題は負担に公平感を持たせられるかであり、それは所得や資産の適正な把握にかかっている。金融資産の捕捉はそう容易ではないことは事実だが、そのためにもマイナンバー活用の検討を早急に進めるべきである。資産状況の捕捉が進み、負担能力のある人はみな平等に負担せざるをえない状況が作り出されれば、ある程度の金融資産を持つ高齢者なら次世代に負担を押しつけようとはしないだろう。」と結んでいる。

だが、「ある程度の金融資産を持つ高齢者なら次世代に負担を押しつけようとはしないだろう。」という認識は、甘いと言わざるを得ない。そういう気持ちがあるのなら、自分自身の判断でも、対応できることはある。実は、公的年金の給付は、必要性がなければ、辞退できる仕組みになっている。
https://www.nenkin.go.jp/faq/jukyu/seidokaisei/shikyuteishi/20140421-01.html
しかし、このような「辞退」を選択した者は、どうやら、ほとんどいないようである。私は、政治家や高級官僚など、年金を受給しなくても困らない人達に辞退を促すために。辞退者に「年金勲章」を授与し、その人達のみを受勲の対象にしたらどうかと提案したことがあるが、何のインセンティブもなしに、今日に到っている。
この論説の奇妙な点は、「高齢者」の捉え方を論じながら、その具体的な内容は記述されていないことである。「本当に困る方」というのなら、それは高齢者には限定されない。年齢を問わずに対応を進めるべきであるということなら、「ベーシック・インカム」の考え方に発展して行ってもよさそうだが、その気配は感じられない。結局、「高齢者は優遇されている」という認識をベースに、「負担能力のある人はみな平等に負担せざるをえない状況」を求めているわけだが、そういう状況にならなければ、現状でも仕方がないというようにもとれる。
高齢者の特殊性は、「働きたくても働けない」人の割合が多いということである。肉体的な面だけでなく、精神的な面や社会的な面も影響する。「次世代に負担を押しつけ」を論じる前に行うべきことは、世代内において、助け合いの精神を醸成することであろう。同世代の困窮者に目をやらずに、次世代にばかり目を向けるでは、足元がおぼつかない。世代内と世代間とを俯瞰して考えなければ、「全世代型社会保障」の在り方も、きちんと考察することはできないのではないか。
2020年2月21日 日経朝刊27面 (経済教室)低下続く労働分配率(下)企業、労働者の努力に報いよ

「低下続く労働分配率」についての特集の最後の下編で、一橋大学の小野浩教授によるものである。
労働分配率低下の「各国に共通する要因としては労働組合組織率の低下、株主資本主義への移行、国際経済と貿易の発展に伴うアウトソーシング(人やサービスの外部委託)の影響などが挙げられる。」という書き出しである。
米国の場合には、低コスト・高収益を実現している「スーパースター企業」の台頭が注目されているが、「現時点で日本にGAFA並みの企業はなく、スーパースター企業説が日本に適応するとは言い難い。」としている。
そこで、日本については、「日本の労働市場全体の動向とガバナンス(統治)・財務会計の面から検討する」とし、第1は「長期雇用を前提とした日本的雇用慣行の反省として、バブル崩壊後、企業が正規採用を減らし、人件費を抑制したこと」、第2は「「失われた20年」を経て、企業が賃上げに慎重になったこと」、第3は「成果主義など賃金制度の改革を介して人件費が縮小したこと」、第4は「内部留保(または利益剰余金)の増加」、第5は「企業の現預金の増加」としている。
また、最後の第5に関連して、一橋大の野間幹晴教授の「日本企業の退職給付にかかる負債」の指摘に触れ、「確定給付型企業の場合、給料が将来の年金に結びついているため、今の給料を上げると退職後の年金も引き上げねばならない。高齢化・長寿化が進むと確定給付型年金の企業負担はさらに膨らむことになる。」としている。
その上で、「ポストバブル期に、日本企業は業務効率化とコスト削減の圧力が高まり、雇用関係にも厳しさが増した。成果主義導入や働き方改革などにより、労働者は着実に生産性を高めている。」とし、「労働時間を減らし、生産性を高めた一方で、評価・給与体系は旧態依然のため、給料が減ったという現場の声も聞こえてくる。」とし、「ポスト働き方改革の日本的経営とガバナンスを模索することが急務だ。」と結んでいる。

この論説での論点は、労働者の生産性の向上によって企業の利益が向上したのかどうかであろう。「労働時間を減らし、生産性を高めた」としても、時間当たりの労働生産性の増加は、労働時間全体の剤・サービスといった生産物の増加には、必ずしも結びつかない。より少ない時間で同じ生産物を生み出すことができるようになった場合の労働者に対する対価は、労働時間の短縮による自由時間の増加と考えられる。企業が、副業の容認に舵を切りつつあるのは、従業員が企業外で収入を稼得する機会を提供しているとも考えられる。
「スーパースター企業」が日本では出現していないとしても、その活動はグローバル化しており、世界中に広がっている。日本の企業も、直接的・間接的に、こうした企業と競争していかなければならない。そうであれば、ITの活用による効率化は必須であるし、また、より賃金の低い労働者を求めて国外でのオフショア活動にも取り組まなければならないわけである。その観点から、日本には、相対的に賃金の低い労働者が豊富なアジア諸国が近隣にある。なお、ヨーロッパにおいては、経済発展に取り残されていた東欧諸国からの労働者がEU拡張によって流入しており、米国には、メキシコなどから多くの移民が、違法であっても押し寄せている。
このような世界中での人間の移動の拡大は、各国での賃金の平準化をもたらすこととなり、先進国での賃金が減少する一方、発展途上国での賃金は上昇することになる。それ自体は、地球的規模からすれば悪いことではないが、影響を受ける国の中では、排斥の動きも出て来ることになる。英国のEUからの離脱、トランプ大統領の移民抑制方針は、このような状況を踏まえたものであり、現代版の「ヒトに対する鎖国」とも言えるであろう。
そのような世界情勢を考えれば、日本の状況のみを考えて、労働者の賃金を引き上げることを説いても、実効性があるとは思えない。結果的に、企業が享受している高収益に対して、課税強化をすることによって、その企業の従業員だけでなく国民全体が利益を得られるようにすべきであろう。ところが、真逆の事が起きている。財務省の「法人課税に関する基本的な資料」を見てみよう。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/c01.htm
「法人税率の推移」を見ると、日本の法人税率は大幅に低下してきたことが分かる。一方で、「法人実効税率の国際比較」を見ると、それでも日本の法人税率が低いわけではない。
これには、「スーパースター企業」をはじめとするグローバル企業の状況が深く関わっている。グローバル企業が活動の拠点を定める場合、法人税の負担は、大きな要素である。そこで、各国が競って法人税率を引き下げ、そうした企業を自国に誘致しようとしてきたわけである。法人税収にはあまり期待できなくとも、雇用にはプラスであるし、経済を活性化できると考えたのである。
さて、そうなると、どうすればいいのであろうか。それが最大の問題になっている。EUのように、個人情報保護を足掛かりに、「スーパースター企業」の君臨を抑制しようとしているところもある。また、国際的な課税基準を整備して、本拠と拠点との間の課税逃れを防止しようとする動きも出てきている。だが、今のところ、そのような取り組みは、試行錯誤の段階であるように思われる。
一方、環境問題では、地球規模の取り組みの必要性が叫ばれている。一国の利益が地球の危機につながるという危惧は、環境問題に限定されるものではない。それでも、地球規模の対応にまで進むのには時間がかかる。各国においては、そのような将来の地球規模での対応の方向性も視野に入れて、現状を改善する必要があるわけだが、さて、日本は、どのような対応から進めていけるのであろうか。
最後に、上記論説の確定給付型年金について述べておきたい。「給料が将来の年金に結びついているため、今の給料を上げると退職後の年金も引き上げねばならない。」というのは、実情を知らない見解である。高度成長期において、給与は大幅に上昇してきた。当時は、確かに給与増が退職金に直接的に反映される制度も多かったようだが、それでは持たないとして、多くの企業で、給与増が退職金に直接に反映されないように、本俸のみを退職金の算定給与とするような変更が行われた。その後は、退職金を給与から完全に切り離し、役職等に応じるポイントの累積を基準とするものも多くなっている。このことは、退職金から切り替えた企業年金にも、そのまま引き継がれている。もちろん、それでも年功序列的な体系が残っている面はあるが、「高齢化・長寿化が進むと確定給付型年金の企業負担はさらに膨らむ」というのは、思い込みによる誤認である。
2020年2月21日 日経朝刊21面 (大機小機) 国民皆が資本家になろう

「今日、企業利益が高水準にあるなか、企業が利益をため込むことが問題視され、内部留保課税論まで浮上する。こうした点についてどう考えればいいか。結論を先に示せば、国民皆が株主になって企業利益にあずかることだ。」という論説である。
「従来、企業利益は3つのルートで世の中に還元され、資金循環をもたらした。第1は、企業の設備投資によるもので、バランスシート上に資産を計上することになる。第2は、賃金など損益計算書上の経費によるもので世の中へトリクルダウンをもたらした。第3は、金融機関などへの利払いで、預金者等に還元された。今日では以上の3ルート全てが滞り、その結果、企業に空前の規模のキャッシュが滞留する状況だ。」としている。
そして、バブル経済崩壊後には、「3つのルート全てのトリクルダウンが縮小し、企業だけが利益をため込む状況になった。一方で、企業の支払う配当は大幅に拡大し、今日の水準は90年代初めの5倍を超える。」という状況になっているが、「企業のため込むキャッシュを国民が取り戻すには、内部留保課税より、むしろ株主として企業の一員になり分配を享受することだ。」と主張している。
その上で、「金融当局から「貯蓄から投資へ」とのスローガンが示されるのも、結局は国民の多くが株主になって企業からの分配を受け取ることで世の中に資金還流を図る動きといえる。」としているものである。

「配当が過去最高水準に拡大したなかで配当による分配にあずかることは理にかなう」というのは、説得力のある主張には見える。しかし、この論説は、重要な論点に、思慮不足か故意にかは分からないが、触れていない。それは、分配の公平性である。
経済が成長し、トリクルダウンというか、ありていに言えば「おこぼれ」が庶民に落ちて来る状況であれば、生活は少し潤うように思えるだろうが、実は、格差は拡大する。持てる者のメリットの方は、持たざる者のメリットよりも大きいのである。そして、この格差を緩和するのが、税の増収による再分配である。この状況下においては、相対的貧困は増加するが、絶対的貧困は減少するわけである。
一方、経済が停滞する状況下においては、絶対的貧困が増加する。相対的貧困は縮小することになると見込まれるが、経済・企業活動のグローバル化・独占化によって、この状況下でも巨額の利益をあげる企業が出現しており、その企業の恩恵を受ける者と受けない者との間に、大きな格差が生じる。そうなると、絶対的貧困に加えて相対的貧困も拡大することになりかねない。
ところが、このような状況下において、世界各国は、高収益の巨大企業を誘致して、「おこぼれ」にあずかろうとするようになる。その手段が、法人税の軽減である。かくして、利益をあげた企業からの税収を、格差是正のために貧困層に向けるという再分配の機能が弱体化することになっているのである。
記事の論説に戻れば、「株主として企業の一員になり分配を享受」することができるのは、持てる者である。持たざる者に「株主になれ」と言ってみても、空論に過ぎない。したがって、この論説は、格差の拡大を肯定・正当化するものと言えよう。
もっとも、「内部留保課税」が適切かどうかには、疑問がある。利益を蓄積し、将来の収益機会に投資するタイミングを図ることは、企業の本来の戦略であろうからである。
してみれば、本来の対応は、法人税率を上げればよいのはないかということになろう。

わが国の法人税率の推移は、次のようになっている。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/082.pdf
基本税率は、ピーク時の43.3%から半分近くの23.2%まで軽減されている。何のことはない、増えた内部留保に、この軽減分が反映されているわけである。その点で、内部留保課税の正当性にも根拠がないわけではないが、それは、実質的に遡及課税の面を持つ。
一方、法人実効税率の国際比較は、次のようになっている。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/084.pdf
英国は少し低いが、日本の水準は、先進各国の中では高くも低くもない水準である。日本の法人税率の引き下げは、このような各国の状況を踏まえながら行われてきたものと言えよう。となると、法人税率の引き上げは、そう簡単ではないことになる。

もう一つ、企業の内部留保が増える要因は、上記の論説の中でも「マイナス金利も含む超低金利政策で企業の利払いは極端に減り、1990年代初めの6分の1程度の水準になっている。」と指摘されている「利払い負担」の軽減である。
これは、結局のところ、預金金利による国民の取り分を削って、企業に回したということである。このことも、内部留保に厳しい目が向けられる要因である。
論説では、「預金金利」が減った分を「配当」で補えばよい、という主張になるわけだが、そう単純にはいかない。預金なら名目価値は基本的に維持されるが、配当をもたらす株式には大きな価格変動リスクがあり、少額の資金では対応できないからである。

一方、こうした中で、日銀は、日本株の上場投資信託(ETF)の買い入れを続けており、2019年3月末の時価ベースでの保有額は、28兆9136億円前年比4.4兆円増、
18%増)となっている。(下記の金銭の信託(信託財産指数連動型上場投資信託))
買い入れは、止めたら株価はどうなるのかという点もあるが、個人の購入機会・配当還元利益を奪っているという見方もある。

いろいろ考えてみても、一筋縄ではいかない問題であり、この論説のような単純な話ではない。