2020年3月13日金曜日

2020年3月13日 朝日朝刊15面 ●新入社員の皆さんへ 仕事にはまってみませんか

24歳で起業したサイバーエージェントの社長でAbemaTVの社長も務める藤田晋氏による「メディア私評」であるが、「世の若者たちは、働き方改革で労働時間を短くしようというかけ声の中で働き始めます。メディアの論調も労働時間の短縮を求めていて、誰も盾突けないような空気感があります。しかし、私は仕事を始める若い人たちに、あえて言いたいのです、「仕事にはまってみませんか」と。」というものである。
氏は、「今の新入社員は…すぐに活躍し始める人が多くなりました。これはインターネットのおかげで、業界や会社の情報が集めやすくなり、実際に働く前に詳しく知ることができるようになったからです。加えて、インターンシップや内定後のアルバイトで職場を体験する人が増えていることもあります。」としている。
続けて、「とはいえ、どんな会社でも仕事は実際に働いてみないと分からないし、身につきません。だからこそ、初めが肝心です。ここで集中して様々な経験を積めば、仕事の中で何が大事で、何が無駄かを見極めることができるようになります。こうなればしめたもの。効率を上げられるため、長々と働く必要がなくなります。家事や趣味など日々の暮らしでも同じことが言えると思います。」としている。
氏は、24歳でサイバーエージェントを起業した際に、「週100時間働くという目標」を立てたと言い「長く働くことがいいことだと考えていたのではありません。若くて経験が足りないので、働く量でカバーしたかったのです。同じ業界の競争相手が働いていない時間帯にもこちらは対応できるわけですから、スピード感で差をつけることができます。私が業界で生き残り、会社を大きくするにはこの方法しかないと考えたのです。」としている。
その上で、「だからといって、長時間働けと言っているわけではありません。サイバーエージェントはグループ全体で5千人が働いており、長時間労働を押しつける雰囲気はありません。中には、ハードに働きたいという人もいますが、残業しすぎないように抑えています。「助けて」と声を上げなくても、そんな状態にいる社員を見つけ出せるような仕組みも作っています。」としている。
そして、「昨年、ある会社の新入社員が自殺に追い込まれ、メディアで大きく取り上げられました。5年前に広告会社の新入社員が過労自殺したときは、私の会社も広告を扱っているため、大変なショックを受けました。たびたび起きるこういった出来事を報じた記事をみると、「長時間労働、常態化」「問われる自殺防止策」と厳しい批判が続きます。生きるための糧を得る会社で過労死が起きれば、本末転倒です。どの会社でも起こり得ると考え、防ぐためにあらゆる手を尽くさなければならないと思っています。」と言いつつも、「単純に働く時間を減らすだけでは、必要な経験が積めません。だから、入社してすぐは、できる範囲で集中して仕事に取り組むことをおすすめしています。若くして仕事ができるようになれば、社内で目立つし、それ自体が競争力です。経営者の務めは、過労死を防ぐと同時に、新入社員が十分な経験を積めるようにすることではないでしょうか。」というのである。
さらに、「どんな仕事でも、できるようになったら好きになるのです。」とし、「新入社員は、これからどんな仕事にも挑戦でき、新しい経験をたくさん積むことができます。それは大きなチャンスです。働き始めこそ、失敗しても大目に見てもらえます。体を大事にして、周りの大人たちに遠慮せず、自分の道を歩んでください。」としている。

氏の主張に一理あると思う人は、日本には少なくないだろう。言及している新入社員の自殺についても、「自分の若い時は、もっと働いた」とか「我慢や気力が足りない」と批判する声は多かった。こうした人々が分かっていないのは、他ならぬ藤田氏が述べていることだが、昔に比べて、仕事の密度と責任が各段に重くなり、息つく暇もないという現実である。今の若い人たちの置かれている状況は、批判者が若かった時のようなチンタラしたものではないのである。
もう一つの重要な違いは、藤田氏が経営者であるということである。経営者であれば、様々な出来事に対処していかなければならない。ちょっとした事故でも発生すれば、全力で当たらないと命取りになりかねない。氏のように若くて起業したてなら、何でも対応しなければならないわけで、だから「週100時間働く」とか言い出すのである。緊急事態が発生すれば、不眠不休で対応しなければならないのだから、時間なんか関係ない。そうでなければ、自分の会社が潰れてしまうのである。居酒屋の経営者などでも、自分で自分の店に責任を持っている人は、また、農業などに携わる人でも、自己責任で対処しないといけない人は、いざと言う時には、時間など構ってはいられない。ホットな例で言えば、新型コロナ対策に明け暮れている医療従事者も、同じ状況にある。
けれども、新入社員のみならず社員は、経営者と同じ立場にはない。第一には、生活のために働いているのである。その違いを無視してハードに働くことを推奨するような事を言うのは、無責任極まる事ではないか。
それに、実際にやってみれば分かるが、密度の高い仕事を続ければ、1日8時間でもクタクタになる。そうならないのは、適当に手を抜いているからで、それなら1日10時間でも12時間でも働けるだろうが、それを密度の8時間の方が時間が少ない、とされたのでは、たまったものではない。そして、そんな手抜き上司が、くだらない会議なんかを、就業時間外にセットしたりするのである。「働き方改革」の本質は、そのようなくだらない時間の解消であろう。
一方、氏の「どんな仕事でも、できるようになったら好きになるのです」という言葉には、正しい面がある。ただし、「好き」で論じるのは、適切とは思えない。嫌々やる仕事では、何にも身につかない。だから、氏は「好き」という言葉を用いたのであろう。私は、氏の言葉の本質は、「一生懸命やったことだけが残って、自分を支える」ということなのだろうと思う。それは、私の座右の銘でもある。
2020年3月13日 日経朝刊1面 試行錯誤の一斉テレワーク 働き方改革 浮かんだ弱点

「1時間34分――。総務省が調べた東京都の通勤・通学時間の平均(往復、2016年)だ。大都市のビジネスパーソンは毎日の長い移動で疲弊してしまう。日本の生産性の低さの一因だ。」という記事である。
続けて、「テレワークはもともと今夏の東京五輪・パラリンピックの混雑対策として、官民で導入機運は高まっていた。社員らが一斉に出社しない「テレワーク・デイズ」イベントの19年の参加団体は2887団体と前年の1.7倍、参加者数は68万人で2.2倍に増えた。新型コロナを機に様々な企業で前倒しされ、手をつけられなかった無駄を削る好機になる可能性はある。」としている。
だが、「では業務ははかどるのか。2月下旬から原則テレワークになった電通。営業部門に務める30歳代の男性社員は自宅で仕事をし、顧客企業への訪問も最小限に抑えている。先方の顔が見えず「空気がつかみづらく営業マンとしてもどかしい」。未就学児の子供が家の中を走り回り、業務効率が下がることもあるという。ビジネスチャットなど効率化のツールはあるものの、習熟度には個人差があり組織での運用に課題が残る。」としている。
そして、「総務省によると、日本のテレワーク制度を導入した企業の割合は18年時点で19.1%。85%の米国、38%の英国に比べまだ低い。米国では国内の感染拡大が顕著になった3月に入り、グーグルやフェイスブックなどIT(情報技術)大手が従業員に在宅勤務を勧める。現状はシリコンバレーの多くの企業が原則在宅勤務に切り替わり、朝夕の渋滞はなくなった。」としている。
これに対し、「日本ではインフラの準備不足もみられる。ある銀行の部署では所属する約60人が原則在宅勤務になったが、社外から社内ネットワークに接続するための通信システムがパンクし、全員一斉だったのを半分ずつの交代制に切り替えたという。」という。
そして、「押し寄せるテレワークの波は、デジタル時代に沿った働き方の改革ができない企業を浮かび上がらせる。生産性を高めるため、経営層や社員の模索は続く。」と結んでいる。

テレワークができる仕事や企業ばかりではない、という声は根強い。だが、それ以前に、長時間通勤を抑止し、仕事の効率性・生産性をあげようとする意識が、日本の企業では乏しかったのでないか。かねてより、無駄な会議や稟議が多いことは、多方面から指摘されていたのに、それに対する改善を怠ってきたことのツケが回ってきているように思われる。
記事にある総務省による日本のテレワーク制度導入企業の割合は18年時点で19.1%というのは、次の令和元年『情報通信白書』に記載されている。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd124210.html
英米の数値は探してみたものの確認できなかったが、大分遅れを取っているのは間違いないであろう。
もっとも、テレワークという手段が、必ずしも効率的とは限らない。記事では、「現状はシリコンバレーの多くの企業が原則在宅勤務に切り替わり、朝夕の渋滞はなくなった」としているが、それが重要な事であるのなら、コロナ・ショックより前から、そうした対応が可能であったはずである。しかし、オフィスという仕事のために限定された場所・時間の有効性や、対面での意見交換の効率性といった面もある。
さりながら、今回のような緊急的な事態への対応のみならず、体調や時間的都合がつかない場合でもネットで会議に参加できることなど、テレワークで業務の効率性を向上できる機会は多い。その点では、日本の取り組みは、まだまだ遅れていると言ってもよいであろう。
最後に、総務省の『テレワークの最新動向と総務省の政策展開』(2020年5月31日)を紹介しておこう。
http://teleworkkakudai.jp/event/pdf/telework_soumu.pdf
2020年3月13日 朝日朝刊4面 定年65歳改正案、閣議決定へ 付則に能力主義徹底 国家公務員
2020年3月14日 朝日朝刊4面 公務員65歳定年、法案を国会提出
2020年3月14日 日経朝刊4面 社保の担い手、公務員先行 定年65歳に上げ法案決定 検察官延長、火種にも

最初の13日付朝日記事は、「政府は、国家公務員の定年を段階的に65歳へ引き上げる国家公務員法などの改正案について、13日に閣議決定する。自民党内での議論で、単純に定年年齢だけを引き上げることに「待った」がかかり、能力・実績主義の徹底を念頭に置いた付則が盛り込まれることになった。」ことを報じるものである。
「改正案は現在、原則60歳となっている定年を、2022年度から2年ごとに1歳ずつ引き上げ、30年度に65歳とする。60歳以降の給与は当分の間、それまでの7割とする。」としている。
これに対し、「自民党内の議論では、公務員改革が「進んでいない」点が問題視された。08年に成立した国家公務員制度改革基本法で課題としていた「能力・実績主義の徹底」が今回の法案に反映されていないとみるからだ。党行政改革推進本部の塩崎恭久本部長は取材に対し、「民間企業が定年延長を導入する時は人事評価と賃金制度を見直している」と説明。「それをやらずに、定年だけ延ばして7割の給与を出すのは、税金を使っている意識がない」と指摘した。」としている。
そして、「こうした意見を受け、政府は、改正案の付則に施行日となる22年4月1日までに給与制度の前提となる人事評価を見直すことを明記した。政府が当面7割とする60歳以降の給与については、能力・実績によってメリハリをつけるよう検討していくという。」とのことである。
一方、「今回は国家公務員法とは別に定年年齢を定めている検察庁法の改正案も提出する。検察官の定年を63歳(検事総長は65歳)から65歳に引き上げる内容。」とのことだが、「野党は、東京高検の黒川弘務検事長の定年延長問題で追及を強めており、関連する検察庁法改正案の審議も、一筋縄ではいかない状況だ。」としている。

次の14日付朝日記事は、改正案が閣議決定を経て、国会に提出されたというものである。

最後の14日付日経記事は、内容としては朝日記事と同じであるが、国家公務員の定年延長は、「社会保障費負担の担い手が減るのに対応する。企業では65歳定年の導入率は2割弱にとどまる。公務員が先行して制度設計のひな型を示し、民間への波及をめざす。」としている。なお、「地方公務員の定年は地方自治体が国に準拠して条例で定める。国家公務員の定年が延長されれば、地方公務員の定年も同じペースで30年度に65歳となる。」とのことである。
一方、「企業では65歳定年の採用はまだ少ない。厚生労働省の19年の調査によると全体の2割弱にとどまる。政府が国家公務員の定年延長に踏み切るのは、労働力人口の減少に備えて社会全体で高齢者雇用の促進につなげる狙いがある。」とし、「武田良太行政改革相は13日の記者会見で「国家公務員から率先垂範し、民間企業のロールモデルとして役割を果たしたい」と述べた。」そうである。
なお、「定年を迎えて退官する予定だった黒川弘務東京高検検事長の勤務を半年延ばすと決めた」政府の対応について、政治問題化していることにも言及している。

国会に提出された法案(提出日:2002年3月13日)は、次の通りである。
https://www.cas.go.jp/jp/houan/200313/siryou1.pdf
また、厚生労働省の「高年齢者の雇用状況」(2019年)の集計結果は、次のようになっている。
https://www.mhlw.go.jp/content/11703000/000569181.pdf
上記の日経記事にもあるが、民間企業での65歳定年の導入率は17.2%に過ぎない。定年延長に当たっては、朝日記事が引用しているように、「能力・実績によってメリハリをつける」必要が出てくるが、民間でも推進できているとは言い難い。その結果として、8割の企業が、「継続雇用制度の導入」により、身分を正社員から非正規社員に変更し、給与も減額しているわけである。
一方で、IT技術に精通した若手の給与は、対外・対内的競争の観点から、引き上げざるを得なくなっている。もちろん、人によって個人差があるから、その考慮が必要になるが、その事情は、高齢者についても変わらない。要するに、年功序列・終身雇用の従来型処遇では対応できないのである。能力・実績による適正な評価が行えるのであれば、雇用保障の定年延長ではなく、定年撤廃で対応すべきこととなる。
では、どんなスピード感で、その方向に向かっていけるのか、少子高齢化が急速に進む日本にとって、それが命運を握る課題であろう。
2020年3月13日 日経朝刊25面 ●(私見卓見)大学での学業生かす新卒採用を

リクルートワークス研究所の茂木洋之研究員による寄稿で、「2021年卒の就職活動が本格化している。リクルートワークス研究所の「大卒求人倍率調査」によると20年卒の大卒求人倍率は1.83倍と、企業は採用困難な状況だ。21年卒も続くとみられる。」としている。
そこで、「企業は学生の本分である大学での学業をもっと評価してはどうか」と提案し、背景として、「今の学生はよく勉強する。総務省の「社会生活基本調査」によると、16年時点の学生の1週間あたりの勉強時間は238分と、20年前の1996年(177分)より34%長い。また当研究所の「全国就業実態パネル調査」では「学生時代に勉強していたか」との問いで、今の20代は「勉強していた」という回答が60代より7.5ポイント高い。」という。一方で、「大卒求人倍率調査では新卒採用で学業(成績)をみる企業はわずか6.7%。日本企業は正社員中心の職場内訓練(OJT)を重視し、大学名で学生の潜在能力を判断して採用後に育成してきた。文系では大学で学んだことが企業での仕事に直結しにくい。」としている。
これに対し、「しかし今後は転職市場が発達し、雇用が流動化するだろう。企業も従来のように新卒の学生を一から育てる人的投資を回収できる保証はなく、教育訓練費用は重荷になっている。IT(情報技術)はここ十数年で格段に進歩している。一部の専門能力は大学での育成に期待がかかるはずだ。学生は大学で学ぶことで人的資本を蓄積し、新卒でも即戦力となることが求められるケースも増えよう。IT系のスキルを持つ人材が厚待遇で迎えられるのはその兆しだ。」というのである。
そして、「今後は修士や博士ももっと評価されるべきだ。そもそも教育サービスは労働市場における派生需要で、企業内訓練の一部を大学が負担する流れは自然だ。大学が一様に「就職予備校」となるのは望ましくないが、ある程度は企業のニーズにあう教育が必要だ。」とし、「企業が必要なスキルを身に付けた学生をエントリー段階で選別するには、大学の受講科目や成績、ゼミといった学業が一つのシグナルになる。大学での訓練は、企業にコストがかからない。企業が求める人材を大学が育てれば学生はさらに勉強し、シグナリング機能が高まるだろう。好循環を促し大学での学びと労働市場におけるスキルのつながりを強化すべきだ。」と結んでいる。

主張している内容には、違和感はない。しかし、如何せん、コロナ・ショックで事情は激変した。就職戦線は様変わりし、企業は、手当たり次第に学生を確保するのではなく、採用数を厳選するようになるだろう。そのことは、期せずして、学業成績にも重きを置くようになるはずである。もっとも、「修士や博士」の評価向上については、修得内容と企業ニーズがマッチするかどうかに加え、新卒一括採用などの日本型雇用の変革が必要であろう。
ただし、学生の「勉強」が評価され得るものかどうかには、疑問がある。本来、大学は、知識をつけるというよりは、自ら考え判断する力を養う場ではないかと思う。一方、講義内容からして、「新卒でも即戦力となる」とは到底思えない。そもそも実社会では、問題の解決の前に、問題を発見することが重要になる。「自ら考える力」が必要なのはそのためで、この点では、知識詰め込みを重視してきた日本の教育は、大きく見劣りする。
ともあれ、この論説の言う「採用困難な状況」が続くとは思えない。下記のブログで、すでに内定取消が発生していることにも触れたところである。
こうした新たな厳しい状況に対しては、ここ数年の就活ノハウなど、役には立たないだろう。「大学生の新卒採用が売り手市場なのは、少子化とは関係のない、好景気による一時的なものだ」とし、「不況が来れば氷河期は襲来する」と雇用ジャーナリストの海老原嗣生氏が危惧していた就職氷河期が、コロナ・ショックで予想より早く襲来しそうである。
中小企業にとっては、むしろ人材確保のチャンスになるという氏の力説に、対応できる企業は数少ないだろうが、学生にとっては、この事態こそが、良質の中小企業を見分ける機会となる。「寄らば大樹の陰」で、大企業に傾斜していく気持ちは分かるが、それは、すべての学生が考えるわけだから競争率も高くなり、企業側も、少なくなる採用枠の中では、寄りかかろうとするだけの学生を振り落とすことが必須の状況になる。
投資の世界には、「人の行く裏に道あり花の山」という言葉がある。他人と同じ事をしていたのでは、成果を上げることはできないという意味であるが、例えば、現在急落している株式市場で、多くの人が狼狽売りに走っているが、投資のプロなら、慌てずに、じっと買い場を探しているということになるわけである。これは、人生全般に通じる。「ピンチこそチャンス」なのである。こんな時だからこそ、中小企業に目を向け、可能なら仕事場を訪問して、話を聞いて見るといい。たとえ入社することにはならなくても、実社会の姿を垣間見ることができるだろう。
<点検2020 春季交渉>
2020年3月13日 日経朝刊13面 (上)富士通、「横並び」増額崩す
2020年3月14日 日経朝刊11面 (中)トヨタ、脱ベアにシフト
2020年3月17日 日経朝刊16面 (下)鉄鋼労組、隔年交渉の呪縛 7年ぶりベアゼロ

「2020年の春季労使交渉は、日本企業の賃金の考え方が変わる節目となった。基本給の底上げに当たるベースアップ(ベア)の横並びが崩れただけではない。」という特集記事である。

上編は、「富士通は大卒初任給の上げ幅について、業界の慣習を破り、一律要求3000円を大きく上回る1万円超にする。デジタル人材の獲得は資金力のある外資系に劣り危機感を強めているためだ。ボーダーレスの競争が当たり前のデジタル時代は、伝統的な日本企業の賃金制度にも変革を突きつけている。」という書き出しである。
「富士通は3000円のベア要求に対し、1000円と回答。これは電機連合の「1000円以上」という統一獲得目標に沿ったものだが、大卒初任給…は議論をせずに各社横並びになるのが長年の慣例だ。富士通の経営陣は今回、3000円を要求した同社の組合に対し、大幅超の1万2500円と回答した。」とのことである。
背景として、「富士通は、ビジネス全体をデジタル技術で変えるデジタルトランスフォーメーション(DX)を成長領域として強化する」が、「データサイエンティストや人工知能(AI)技術者など実績のあるIT高度人材を中途採用で獲得するには、年収数千万円以上の高額報酬が必要になる。」し、「他産業を巻き込んだグローバルでの人材獲得競争にさらされ、豊富な資金を有するGAFAなど米IT大手に奪われることが多い。」としている。
そして、「こうした状況から富士通は中途採用の枠をこれまでの百数十人から300人規模に拡大させると同時に、新卒採用の質向上に取り組む。優秀な新社会人を大量採用し、社内教育で有能な技術者に育て上げる。一部はIT大手に奪われても大半は社内にとどまる上、「外部流出した人材が活躍してくれたら富士通の評価も上がる」(時田社長)からだ。」というのである。
ただ、「1万円超の初任給増額だけですべてがうまくいくわけではない。富士通と同じくDX事業を強化するコンサルティング大手、アクセンチュアのコンサル職の初任給と比べると開きがある。入社後の賃金上昇カーブも外資系と比べ日本企業は緩やかで、優秀な人材ほど能力と報酬の乖離(かいり)に不満を持ちやすい。」ということである。
一方、他社の動きとして、「NECは…新卒初任給の一律同額支給をやめ、役割に応じて報酬水準を変える仕組みを21年4月入社の新社会人から導入すると発表した。」とし、「同社は昨年、特定分野の研究者向けに、新卒でも年収1000万円以上を支払う制度を始めた。専門人材への報酬を手厚くする一方、「メリハリを付ける方が重要」(同社)として、大卒初任給の上げ幅は横並びに従い3000円で回答した。」としている。
また、「今回の労使交渉では電機各社の一律ベアが崩れた。トヨタ自動車やマツダ、日本製鉄など鉄鋼大手はベアを見送った。」ことについて、第一生命経済研究所の永浜利広・首席エコノミストは「労使交渉の脱・横並びは、新卒一括採用に代表される日本型雇用の転換点となる」と指摘しているそうである。
最後は、「各社各様の取り組みが形になった今回の交渉だが、人材獲得の施策は企業に負担増としてのしかかり、初任給の引き上げは中高年にしわ寄せがいく可能性がある。多様な人材を生かし国際競争力を得るには、稼ぐ力を磨くことが避けられない。」と結んでいる。

中編では、「トヨタ自動車は2020年の春季労使交渉で、基本給を底上げするベースアップ(ベア)を7年ぶりに見送った。新型コロナウイルスの感染拡大で先行きは不透明だが、業績や財務面の余力がある中でのベアゼロは波紋を呼ぶ。一律ベアに象徴される日本型雇用では、社員の能力とやる気を引き出せなくなっているという危機感がトヨタの決断の背景にある。」との書き出しである。
 豊田章男社長は「賃金を上げ続けることは競争力を失うことになる」とし、「トヨタの競争力が低下すればリストラを迫られる可能性があるという危機意識を訴えた。」そうであるが、「ベア制度そのものを廃止する布石と受け止められている」とのことである。
しかし、「好調トヨタの突然のベアゼロ宣言が与えた影響は大きい。連合の神津里季生会長は13日の会見で「マイナス心理をまき散らすのはこの局面ではあってはならないことだ」と指摘した。」とのことであり、「交渉を預かるものとして本当に申し訳ない」。6万9千人の組合員を束ねる労組の西野勝義執行委員長は11日、会社側からのベアゼロの提示を受け、愛知県豊田市の組合会館で苦悶(くもん)の表情を浮かべた。」という。
そして、「経営側のベア廃止の意向を察知していた労組は、今年の春季交渉で、組合員の成果に応じてベアを傾斜配分する制度の導入を会社側に提案するという奇策に出た。それでも豊田社長の決断を止められなかった。」としている。
 一方、「米PR会社のエデルマンが19年に実施した調査では、「自分が働いている会社を信頼している」と答えた日本の従業員の比率は64%だった。調査対象の28カ国・地域での平均は76%で、日本は韓国やロシアに次ぎ、所属企業への信頼が低い。」としている。
そして、「トヨタの従業員の平均給与は…日本の製造業ではトップクラスだ。しかし、成果の有無にかかわらず、全体の賃金が緩やかに上がる従来型ではやる気は引き出せない。総合職での中途採用を中長期的に5割まで高めると掲げ、新卒一括採用からのシフトも進む。成果報酬型の賃金体系への移行が欠かせない。」としている。
一方、「経営側はベアゼロを通告する一方で、「組合員の頑張りに答える」(豊田社長)と一時金では年6.5カ月分の満額回答を出した。総合職の組合員は「ベアなしはやむを得ない。新型コロナの悪影響が出てくるのは必至で、賞与の満額のほうがむしろありがたい」と語る。」とのことである。
以上から記事は、「春季労使交渉のリード役だったトヨタ自動車がベースアップから距離を置くことは、日本型の賃金や雇用の制度が大きな転換点を迎えていることを象徴する。一律のベアや定期昇給を核にした年功序列型の賃金体系から、職務内容を明確にして専門的な能力に応じて処遇する「ジョブ型雇用」への移行が進みそうだ。」としている。
そして、「トヨタだけでなく、日本の大企業は一律に給料が上がる従来型の雇用から、社員の実績や職務内容に応じて報いる成果主義型への移行を進めている。経団連が今年1月に発表した調査では、3割強の企業が雇用の柔軟化・多様化を図ると回答した。」とし、「経団連は今年、春季交渉の方針にジョブ型雇用の拡大を掲げた。グローバル化が進むなかで、トップクラスのIT(情報技術)人材などの獲得競争が激化していることが背景にある。中途採用ではジョブ型の処遇を重視する企業が既に6割以上になっているが、今後は新卒にも広がりそうだ。」としている。
最後は、「ジョブ型には「社員の意欲を引き出し生産性を向上させる効果が期待できる」(デロイトトーマツグループの古沢哲也パートナー)。一方で、「日本の強みは普通の人々の規律の高さにあり、成果主義もベアも両方必要だ」(日本総合研究所の山田久副理事長)との指摘もある。新たな日本型の雇用モデルの模索が続く。」と結んでいる。

最後の下編では、「日本製鉄など鉄鋼大手は基本給を底上げするベースアップ(ベア)を7年ぶりに見送った。賃金を2年ごとに話し合う取り決め「隔年交渉」により、2020年度と21年度がベアゼロとなった。一部の労働組合は、21年度だけ再協議したいと申し入れたが、結局取り決めに縛られ実現しなかった。20年以上続く仕組みがこのままでいいのかどうか、労使双方に課題を残した。」という書き出しである。
続けて、「鉄鋼大手の労組は統一交渉を始める際、2年分を取り決めるルールにのっとり、ベアを3000円ずつ求めた。これに対し、会社側は当初から2年ともゼロ回答だと強硬な姿勢だった。」のに対し、一部の労組は「21年度については再協議することにしてほしい」としたが、「会社側の答えはノー。重要なのはその理由だった。「もともと2年ルールとして要求してきたのは労組側だ」」としている。「隔年交渉は労使の合意のもと、1998年に始まった。双方にとって負担となる毎年の賃金交渉を2年に1度と改め、賃金を交渉しない年に様々な労働条件を話し合う点が先進的とされた。」とのことである。
これについては、「会社側には隔年交渉を見直すべきだとの考えがある。世界経済のリスクが増し業績が短期で変化しやすいことに加え、人手不足も要因だ。…基本給を1回決めたら、2年は原則として変えないやり方は、人材確保にマイナスに働く。」とする一方、「労組側にとっても、こうした人材確保の重要性は同じ。過去の合理化で現場の人員が減る一方、団塊世代の大量退職に伴って技能伝承も難しくなっている。」ということで、三菱総合研究所政策・経済研究センターの森重彰浩氏の「旧来の仕組みを固定化するとイノベーションを阻害しかねない」とのコメントにつながるわけである。
また記事は、「鉄鋼業界に限らず、春季労使交渉で積み残された課題は多い。約2100万人と労働者の4割まで増えた非正規社員を特に製造業の労組が取り込めず、正社員中心の要求を掲げがちなこともそのひとつ。会社側も、女性や外国人など多様な働き手の意欲を高める取り組みが十分とはいえない。」としている。
最後に、「昭和女子大学の八代尚宏特命教授は、成長を前提につくられてきた春季交渉の仕組みについて「制度疲労となっている面がある」と話す。実力に応じた賃金体系に作り直すなど「仕組みを大胆に変えないと国際競争力を失う」と指摘している。」ということで結んでいる。

この記事の冒頭にあるように、今春闘が「日本企業の賃金の考え方が変わる節目となった」のかどうかは、まだ分からない。今回は、新型コロナ・ウイルスの影響が甚大で、企業としても当面の対応に手一杯であるはずであり、将来像を組合側とじっくり協議する余裕はなかったと思われるからである。
確かに、上編の富士通や、中編のトヨタなどに、新しい動きは見られる。しかし、今春闘の企業側回答が厳しいものとなり、組合側がやむなく受け入れたのも、コロナ・ショックの影響があったればこそ、であろう。
そこで、コロナ・ショックを除く面を抽出してみよう。一つは、富士通による大卒初任給の大幅引き上げである。コロナ・ショックは、日本の新卒一括採用に冷水を浴びせ、就活は激変し、リーマン・ショックを契機としたような就職氷河期が、またしても訪れるのではないかと危惧されている。しかし、そのような状況の中で、初任給を大幅に引き上げるというのである。これは、何を意味しているのであろうか。まず考えられるのは、採用者の厳選であるが、富士通は、「優秀な新社会人を大量採用し、社内教育で有能な技術者に育て上げる」という。だが、断言するが、この戦略はうまくいかない。それがうまくいくのなら、すでに社内に有能な技術者が沢山いるはずである。そうなっていないから、「中途採用の枠をこれまでの百数十人から300人規模に拡大」するのであろう。横並びの水準から見れば高く見えるかもしれないが、上がった水準で見ても初任給は、たかがしれている。有能な技術者は、若い時から頭角を現してくる。その人達が求めるのは、報酬もさることながら、自由と裁量であろう。それを認識せず、「社内教育」などと言っているのでは、話にならない。
中編のトヨタの方は、豊田社長に強い危機感が窺われる。「一律はフェアではない」との社長の考え方に対し、労組は「組合員の成果に応じてベアを傾斜配分する制度の導入を会社側に提案するという奇策」と打って出たが、ベア・ゼロで頓挫したわけである。仮に、コロナ・ショックがなかったら組合の「奇策」が成功したかというと、それにも疑わしい面がある。社長が考えているのは、給与体系全般の話であり、底上げのベア分程度ではないと思われるからである。記事では、年功序列型の賃金体系から、職務内容を明確にして専門的な能力に応じて処遇する「ジョブ型雇用」への移行が進みそうだ、としているが、製造工場を抱えるトヨタにとっては、その途は選びやすいとは思うが、オール・トヨタの気風は失われかねない。今後、トヨタが、社内の体制変更と社外との連携強化とを、どのように進めていくのかは、注目に値する。
最後の下編での鉄鋼大手での春闘は、2年ごとと日本の他の業界とは異なっているが、海外では3年ごとの賃金改定協定なども業界によって行われている。記事では、非正規労働者への対応も十分ではないとしているが、「実力に応じた賃金体系」を目指せば、雇用形態ごとの格差はなくなるが、個人間の格差は拡大するだろう。だから悪いというのではなく、そうした格差拡大も織り込んで検討を進める必要があると思うのだが、それには、企業内での対応には限度があり、政府によるセーフティ・ネットも再編成も必要になるだろう。
ともあれ、日本的雇用が、大きな転換的を迎えていることは、間違いない。