2020年3月2日月曜日

2020年3月2日 日経朝刊30面 (ドキュメント日本)広がる出生数ゼロ地域

「1年間に赤ちゃんが一人も生まれない「出生数ゼロ」の自治体が地方で増え始めた。少子化と過疎化が進む中、こうした地域が増えるのは確実だ。子どもが極限近くまで減った奈良県の山あいの村を訪ね、住民の暮らしを維持する方策を探った。」という記事である。
「大阪市内から車で約2時間、雪が残る山中の道を車で上ること数十分。奈良と和歌山の県境に、民家が点在する集落が見えてきた。標高は平均約900メートル、毎年雪が積もることから「奈良の北海道」と呼ばれる奈良県野迫川(のせがわ)村だ。」の事例である。
唯一の小学校の「在籍児童は7人で、校舎を共有する中学校と合わせても子どもは10人と、15人いる教職員の方が多い。授業はマンツーマン、給食は教職員も含め全員が同じ教室で取るのが日常という。」という実情だそうである。
「年2~4人生まれていた子どもも17年に1人となり、18、19年はゼロとなった。」という状況の中、「子どもには友達をたくさんつくらせたい」と考え、都市部に転出する親世代は相次ぐ、ということが起きている。そして、残った子も、「就職先が乏しく村を離れる。角谷喜一郎村長の息子2人も村外に移った。「働き口や暮らしを考えると残ってとは言いにくい」」ということになるわけである。
「地区の清掃や水道管理、田畑の手入れも行き届かなくなってクマなどの出没が増え」、「子が減れば教職員も減る」ということになる。「人口減が進む中で行政機能をどう維持するか」については、「複数の自治体が行政機能の一部を共通化したり、県が代替したりする「奈良モデル」と呼ばれる仕組み」を行っており、「村の診療所と同センターの医師が連携できるようテレビ電話システムを導入」したり、「中学校では県内の別の学校とインターネットで接続」したりして、「先端技術を駆使したり周辺市町と連携したりして行政機能の低下を防ぐこともできる。住民は過疎化や少子化を自分事と捉え、振興策や公共サービスの見直しを行政と一緒に考えるべきだ」(山梨学院大の江藤俊昭教授)という考え方を実践している。
記事では、「総務省によると、2018年に出生数がゼロの自治体は奈良県野迫川村、東京都青ケ島村、山梨県早川町、和歌山県北山村。いずれも山間部や離島にあって交通が不便な地域だ。」ということも紹介し、「18年は出生数1桁の「ゼロ予備軍」の自治体も約90と08年に比べ約3割増え、子どもが少ない地域が急速に広がっている。」としている。
最後に、厚生労働省の「令和元年(2019)人口動態統計の年間推計」に触れ、「19年の推計で日本人の国内出生数は86万4千人となり、統計開始以来初めて90万人を下回った。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人で過去最多だった。」としている。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei19/dl/2019suikei.pdf

少子化の影響は、マクロ的には語られることが多いが、こうしたミクロレベルでの実態に触れると、改めて衝撃を受ける。そのことを、「消滅可能性都市」という形で示したのが、日本創生会議による2014年(平成26年)5月8日の発表であった。
http://www.policycouncil.jp/
この時の発表で、「人口移動が収束しない場合の全国市区町村別2040年推計人口」として、2040年に若年女性が50%以上減少する市町村896(人口1万人以上373、未満523)が、「消滅可能性都市」として次のように示され、大きな衝撃を与えたのである。
http://www.policycouncil.jp/pdf/prop03/prop03_2_1.pdf
http://www.policycouncil.jp/pdf/prop03/prop03_2_2.pdf
これに対する反響は、すさまじいものがあり、国土交通省は、日本創成会議・人口減少問題検討分科会の増田寛也座長を国土交通政策研究所の「政策課題勉強会」招いて検討を行っている。
https://www.mlit.go.jp/pri/kouenkai/syousai/pdf/b-141105_2.pdf
「人の噂も75日」ということで、当時の衝撃は薄れたようだが、東京都心で「消滅可能性都市」としてあげられた私の住む豊島区では、地道な対策活動が続いている。
一方、日本の将来人口推計は、2015年の国勢調査をベースにした2017年調査が公表されている。
http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp29_gaiyou.pdf
http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp29_bukai19.pdf
私もそうだが、関心は、マクロ的な全国レベルに向かうことが多い。しかし、この推計では、地域別のものも発表されている。
http://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson18/1kouhyo/gaiyo.pdf
この中で、都道府県別と市町村別の結果が、次のように示されている。
「平成 57(2045)年にはすべての都道府県で 65 歳以上人口割合が 3 割を越える。」
「平成 57(2045)年には 43 道府県で 75 歳以上人口割合が 2 割を越える。」
「平成 57(2045)年には、4 分の 1 以上の市区町村で総人口が 5 千人未満になる。」
「平成 57(2045)年には、平成 27(2015)年に比べて 0-14 歳人口が 4 割以上減少する市区町村 は 6 割を超える。」
「平成 57(2045)年には、0-14 歳人口割合 10%未満の市区町村が 2 分の 1 を超える。」
「平成 57(2045)年には、75 歳以上人口割合 30%以上の市区町村が 3 分の 1 を超える。」
見ていると頭が痛くなるような数値であるが、これが日本の置かれている状況である。
もう一つ、都道府県別のデータとして、平均年齢を見ておこう。元データは下記のように国勢調査である。
https://www.stat.go.jp/library/faq/faq02/faq02a06.html
ここから加工することになるわけだが、それを行っているサイトがある。
https://ieben.net/data/average-age/japan-tdfk.html
検証したわけではないので、あまり確定的な事は言えないが、各都道府県での高齢化の状況は、ざっと見てとれよう。なお、さらに上記データで市町村別を見れば、平均年齢が60歳を超える深刻な市町村の把握も可能であろう。
さて、どうすればいいのか。即効的な対策は見当たらない。少子化対策に地道に取り組み、記事にあるような先端技術の活用や都市間の連携で対応するしかないであろう。論点となるのは、外国人の移民をどう考えるかという点である。だが、移民推進派の中には、当面の若年層のことしか考えていない向きが多いように思われる。本格的に受け入れるつもりなら、その人や家族の老後まで考えなければならない。そのためには、現在の日本国民への対処をきちんと行う必要がある。やはり、「魔法の杖」はないのである。
2020年3月2日 日経朝刊17面 今こそオンライン教育 新型コロナ、休校で注目

「新型コロナウイルスの感染拡大リスクの波が教育現場にも押し寄せている。政府は全国の小中高校などに臨時休校を要請し、高等教育を含めた教育活動が当面の間、滞りかねない。「学校という場に集まらず勉強を続ける方法」として、IT(情報技術)を活用した教育サービス「エドテック」への注目が高まっている。」との記事である。
「中国全土では、学校だけでなく企業も在宅勤務を一斉に始めている。それができるのも、「オンラインで授業やビデオ会議ができるプラットフォームが充実しているという土台があるから」」だという。
また、「新型コロナの感染拡大に備え、ITを活用した新たな教育サービスを提供する動きも出ている。タブレット端末を使った人工知能(AI)教材を塾や予備校に提供しているアタマプラス(東京・品川)は、自宅のパソコンやタブレットでも同じように学習できるシステムを緊急に開発。導入校に配布を始めた。」とのことである。
「オンライン教育で日本の先を行く中国では、全ネット利用者のうち約3割がすでにサービスを活用しているという。新型コロナは日本の教育現場でのICT(情報通信技術)化の遅れを浮き彫りにもしたが、エドテックが根付く契機にもなるだろう。」と結んでいる。

オンラインの授業については、すでに、次の「年金時事通信」で論評したところである。
http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin/20-003.pdf
「いつでも、どこでも」学習できる仕組みは、教育現場を根本的に変革しつつある。しかし、日本では、まだ根付いていない。特に、遅れていると思うのが、大学教育である。
上記の「年金時事通信」でも言及しているオンライン・ツールを利用した「反転授業」については、次の重田 勝介氏の論文『反転授業 ICTによる教育改革の進展』を参照していただきたい。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/56/10/56_677/_html/-char/ja
この中で、「反転授業とは,授業と宿題の役割を「反転」させ,授業時間外にデジタル教材等により知識習得を済ませ,教室では知識確認や問題解決学習を行う授業形態のことを指す。」とされている。ただ、授業と宿題とを反転させるという見方は、少し皮相である。これは、小中学校レベルの教育をイメージしているからであろうが、「反転授業」の本質については、次の『反転授業の研究–思索と実践の記録』の方が明解である。
http://flipped-class.net/wp/?p=1437
すなわち、反転授業の本質は、「教育の中心を、教師中心から、生徒中心へと移動」させることであり、「教師が何を教えたのかではなく、生徒が何を学んだのかを中心に据える」ということなのである。
なお、その観点からして、「授業:学校などで、学問や技芸を教え授けること」という用語を用いるのは、適切ではない。「講義:学問の方法や成果、また、研究対象などについて、その内容・性質などを説き聞かせること」の方がふさわしい。辞書でのこの説明には、まだ教師が上位であるような気配があるが、研究会やゼミなども含む概念として、「共に学び、共に考える」というイメージを持つようが良いであろう。であれば、「反転授業」ではなく、「授業」から「(本来の)講義」へと考えた方がよいのではないか。
延々と定義について述べたのは、その概念の理解こそが、新たな教育スタイルの実践にとって重要であると考えるからである。だが、大学教育においても、「授業」レベルのものが蔓延している。本来の「講義」でなければ、学生の好奇心を刺激し、目を輝かさせることはできないであろうに。大事なのは、ツールではなく、姿勢なのである。
2020年3月2日 朝日朝刊26面 「自分の収入だけでは…不安」 男性との賃金格差、結婚観に影響

「フルタイムで働く女性の賃金は、男性を100とすると、73.3――。2018年の厚生労働省の調査結果だ。20代前半の女性は男性とほとんど変わらない賃金を得ているのに、30代に入ると男性の8割ほどになる。非正規雇用の割合が男性の2倍に上り、管理職も少ない。」という書き出しの記事で、参照しているのは、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」である。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2018/dl/13.pdf
そんな中、「内閣府の結婚・家族形成に関する意識調査(14年度)によると、結婚相手に経済力があることを求めるのは、20代の未婚の女性が50・9%、男性は7・2%。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性の就労は進んだが、経済的に男性に依存しがちな構造は根強く残っている。」としている。
上記の意識調査は、次で、「結婚相手に求める条件」は、図表12-1に示されている。
記事でのコメントで、日本女子大・現代女性キャリア研究所長の大沢真知子教授は、「長時間労働によって男性の家事参加が期待できない状況があると分析」し、「自分が育児や家事をして、経済的に支えてくれる人を選ぼう」といった考えは、「現状にあった合理的な選択」と指摘している。
 一方、明治大学商学部の藤田結子教授は、「就活の時点で女性は壁にぶつかってしまう」とし、「大企業の総合職など「一生十分食べていける」職種は男性が優位。女性で採用されるのは、大卒の一部の学生だ。さらに、出産などで離職すると、非正規の職にしか戻れないケースも多い。」ので、「理想は専業主婦、となっても仕方ない。やる気の問題ではない。」としている。
なお、記事での「Dear Girls」は、「世界経済フォーラムの男女格差(ジェンダーギャップ)指数で、日本は過去最低の121位。」であることもあり、「格差のない社会をめざして、朝日新聞が2017年から取り組んでいる企画」の象徴だそうである。

この記事の内容は、女性の就活にも関わってくるものである。記事では、東京都内の保育士の女性(29)が「相手に望む年収は600万~1千万円」とのことであるが、先の「賃金構造基本統計調査」の厚生労働省の第7表に「賃金階級、性、年齢階級別労働者割合(2-1)」として男性の賃金分布が示されているが、この条件の月収50万円以上の所得のある男性は、30〜34歳区分では2.8%(平均は28万9千円)、35〜39歳区分では6.2%(平均は32万5千円)に過ぎない。言って見れば、「高嶺の花」の状況なのである。
このことは、皮肉な事だが、女性の社会進出にも関わっている。同じ資料の「第1表 性別賃金、対前年増減率及び男女間賃金格差の推移」を見ると、男子に対する女子の賃金は、記事にあるように、2018年(平成30年)は73.3%だが、1999年(平成11年)は64.6%だったのであり、大きく縮まってきている。このことは、もちろん望ましいことであり、男女平等に向けてさらに進めていくべきことであるが、その結果として起きてきたこと、起きていくことは、頭に入れておく必要がある。すなわち、賃金総額が変わらないとすれば、男女間の賃金格差の縮小は、配分の変更によるのであり、男性の相対的にもらい過ぎの賃金が下落し、女性の相対的に搾取されていた賃金が上昇することによるのである。決して、男性の現在の賃金水準に向けて、女性の賃金が上昇していくわけではないのである。そして、このような賃金の配分変更は、年功序列・終身雇用の見直しを背景に、今後、加速していく可能性がある。そうなると、男女の賃金格差が大きい時に成り立っていた「専業主婦モデル」は、成立しなくなる。「理想は専業主婦」は、今後を考えれば、願望から妄想の域に入っていくのではないか。
一方で、記事のもう一つの例の「広告会社で働く都内の女性(29)はアプリで知り合った3人の男性から、「働き過ぎだよ」と異口同音に言われたことがひっかかっている。「仕事をバリバリする女性より、ご飯を用意して家で待つ女性がいいのかな」」という状況についての男性の見解もまた、実情を無視したものと言わざるを得ない。男女の賃金格差がなくなっていければ、経済合理性からも、共働きが増えるのが当然であり、「男女共同参画白書(概要版) 平成30年版」に見られるように、そうなっている。
このような時代の変化の中での働き方については、私も、WEB論文『一人前の社会を目指して ~ 日本社会の構造変革の方向』(2012年1月)で、見解を示しているところである。
その中で、「人材を、意欲と能力、もっと明確に言えば、貢献に応じて1人前に処遇する社会」を目指すべきとした思いは、さらに強まる一方である。
2020年3月2日 朝日朝刊27面 ●就活解禁、でも会えない 感染対策、ウェブ説明会は盛況 新型肺炎

「大学を来春卒業する3年生らを対象にした就職・採用活動の説明会が1日、解禁された。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、対面式のリアルな説明会が相次いで中止される一方、ウェブ上の説明会は盛況だった。異例のスタートを、企業と就活生はどう受け止めているのか。」という記事である。
「就職情報会社のマイナビがこの日、ウェブ上で開いた合同企業説明会には昨年より9割ほど多い256社が参加。視聴を予約した就活生の数は、2・5倍の約6万5千人にのぼった。」とのことである。
この状況に対し、三井住友海上は「自社に興味がなかった就活生との新たな接点が減ることを懸念。「ウェブを通じて出会えればいいが」と話した。」とし、早稲田大学3年の男子学生は「リアルな場でしか分からないこともあり、説明会やインターンがなくなったのはショック。ウェブでの面接や説明会が増えていくと思うが、対策をしないといけない」とコメントしているそうである。また、大学側の「4月後半からは面接も始まるので、感染拡大が続くと心配だ」「インターンシップの時期まで長引いてしまうと、次の学年にも影響が出かねない」との声も紹介されている。

確かに、異例の事態になっているが、新型コロナへの対応では、企業活動にも大きな影響が出てきており、正直、新卒採用どころではないのではないかと思われる。そもそも、新卒採用活動の早期化は、好況による人手不足を背景としたものであるが、新型コロナは経済を直撃しており、リーマン・ショックになぞらえる向きも増えている。売り手市場とされてきた就活の状況を一変させ、一気に、就職氷河期に転落する可能性すらある。
そもそも、3月にまで前倒しされてきた説明会やインターンは、就活前哨戦であり、1日インターンなどは、企業紹介を主目的とする学生との早期接触目的以外の何物でもない。採用数を絞るのであれば、実施する意味も乏しい。
様変わりの状況だが、地方の学生にとっては、悪いことばかりではない。濃厚接触を避けるためのウェブの利用は、遠隔地であることの不利を軽減させる。また、大学にとっても、就活が講義にもたらす悪影響を軽減できる可能性がある。もっとも、新型コロナが4月以降の講義に影響を及ぼす可能性もあるので、何とも言えないが。
では、学生は、どのような対応をしていけばよいのであろうか。考えた方がよいのは、ウェブ技術の習得・利用である。会社からの説明会だけでなく、自身の情報を発信する機会が非常に重要になることは間違いない。企業の中には、「エントリームービー」を要求しているところもある。「自己PR動画」の利用は、海外では一般的になってきており、今後は日本でも大いに活用されていくだろうし、現在の状況が、それを促進することは間違いない。
「エントリームービー」は、企業が要求するものであるが、「自己PR動画」は、自分から発信していくものである点に違いがある。前者は受動的であるが、後者は能動的である上に、IT知識があって活用もできることをアピールできるという利点がある。
「自己PR動画」の作成には、youtubeの利用が便利であろう。ネットで検索すれば、いろいろな作成方法が見つかる。iPoneからの作成・アップも可能のようである。
 http://iphone.f-tools.net/QandA/Move-YouTube-upload.html
iPoneの自撮りで作成した「自己PR動画」のURLを、エントリーシートに記載したり、企業へのアピールとして送信したりすれば、就活に大いに役立つであろう。画像も含め、自分の情報を提供する際には当然注意が必要であるが、少なくとも、この「自己PR動画」の作成方法を確認し、非公開のyoutube等で準備しておくことは、今の時期を有効に活用することになるのではないか。
(迫真)手数料ゼロの奔流
2020年3月2日 日経朝刊2面 (1)ついに野村も動いた
2020年3月3日 日経朝刊2面 (2)カジノ化への反省
2020年3月4日 日経朝刊2面 (3)「投資の助言役」先行く米国
2020年3月5日 日経朝刊2面 (4)顧客と向き合う契機に

「手数料の「ゼロ化」は長期投資時代へのシフトのきっかけになるのか。関係者の動きを追う。」という特集の連続連載記事である。
(1)では、野村が新たに打ち出した「ネットでの販売なら無料で管理・運用をするというものだ。販売時にも手数料をとらない。2030年末までの期間限定で、積み立て型の少額投資非課税制度(つみたてNISA)専用とはいえ、常識を覆す料金設定だ。」という投信に対する波紋を取り上げている。
「野村は、積み立てと運用の成功で資産が膨らんだ10年後から報酬をもらえばよいと考えている。まずは多くの個人に投資してもらい、裾野を広げる狙いがある。」のだが、「最大手として富裕層の顧客を多く抱える野村は、金融商品の小口での販売や値下げ競争には消極的とみられてきた。執行役員の鈴木伸雄は「これからは資産形成層を応援する」と話す。信託報酬ゼロの投信はその第1弾。」ということで、「ついに野村も動き始めた」と運用業界がざわめいている、というわけである。
背景には、「金融商品の手数料無料化は、ここ3カ月で急激に進んでいる。個別株や投信など、金融商品の販売手数料で稼いできた証券会社でも「ゼロ化」へ競争が激しい。」という事態がある。「ベストプライス宣言」を打ち出したauカブコム証券が「流れを決定づけ、主要なネット証券では投信や信用取引の売買手数料はほぼゼロになった。」のである。
ただ、「信用取引では投資家にお金を貸して得られる金利がある。投信は信託報酬で稼げる。現物株は売買手数料をゼロにすると他の収益はない。」のだが、「それでもゼロ化の流れに逆らえないのは、顧客にどんな付加価値を与えてお金をもらっているのか、根本の見直しが始まっているからだ。」という。すなわち、「株や投信の販売では顧客に「売買の取り次ぎ」や運用の「助言」、リポートなど「投資情報」などの付加価値を与えている。ところが、日本では売買手数料に他のサービスの対価も集約され、助言や投資情報の価値は区別して考えられてこなかった。」のであるが、「投資情報もあふれている。対価を払ってもらえるのは助言しかないのではないか」(ある国内証券幹部)という状況になっているわけである。

続く(2)では、「インターネット証券会社は安い手数料を武器に個人投資家の売買の9割弱を手がけるまでになった。そのけん引役の一人であるマネックスグループ社長の松本大は1月、自ら創業したマネックス証券の代表権を返上した。」という書き出しである。「顧客に取引の助言をする投資顧問会社を新設、そのトップとして短期売買の仲介から脱する決意の表れだ。」という。
その背景には、「松本らネット証券の雄には、値下げ競争に血道を上げた結果、株式市場が「カジノ化」してしまったとの反省がある。個人の売買代金の8割を占めるのは、月に100回以上売買する「スーパーデイトレーダー」だ。値動きが荒い材料株に群がるため「いなご」とも呼ばれる。」という状況になっていることがある。
「楽天証券はネット一本足からの脱却を進める。社長の楠雄治は「日本の対面サービスを変えていこう」と独立系金融アドバイザー(IFA)100社超と提携した。IFAは証券会社に属さず、顧客の資産作りを助ける。楽天証券は顧客の預かり資産が増えれば、IFAへの報酬を増やし、新たな顧客作りに挑む。」という動きも出てきている。
そして、「投資家の世代交代もネット証券に変身を迫る。」とし、「野村アセットマネジメントなどが高齢の投資家約2000人を対象に実施した調査では、今後の投資について45%が「撤退または縮小」と答えた。」「売買代金の約4割を70代が占めるようになった。」という状況の中、「20~50代の資産形成層の取り込みを急ぐ。値下げ競争がゼロの領域に迫る中、生き残り競争は始まっている。」と記事は結んでいる。

次の(3)では、証券会社や運用会社に属さない独立系アドバイザー「RIA(公認投資助言者)」が米国の資産運用業界の中核になりつつある、ことを取り上げている。「日本でも増えてきたIFA(独立系金融アドバイザー)の一つだが、日本のほとんどのIFAと違って売買手数料は取らず、預かり資産残高の1%程度を報酬として受け取る。金融危機以降、手数料狙いの営業が批判され、RIAへの転職が盛んになった。18年までの9年間でRIAの社数は2割増えた。」という。
「証券・運用会社もRIAを支える側に回ってきた。」ということで、「RIAは運用に集中し、訴訟リスクも分散できる。預かり資産の大きい優秀なRIAは争奪戦だ。」ということになっており、「残高に応じた報酬は顧客の資産が増えると高まる。証券会社は支援で分け前をもらう。顧客とRIA、証券会社の3者がウィンウィンの関係を築く体制が米国で広がる。」という状況になっているそうである。

最後の(4)では、営業改革で、「証券会社は顧客に値上がりした資産の売却を促し、別の商品を買わせることで手数料を稼いでいた。」という状況からの脱却を目指す日本国内での動きが紹介されている。「顧客にかける時間を増やし、保険やローン、不動産など証券投資以外に商機を広げていく。」という動きもあり、「証券会社を飛び出し、「顧客との接点」に特化するIFAも数多く生まれる。共通するのは「自分なりに顧客本位を追求したい」という思いだ。」という状況になっているそうである。
この特集は、「人生100年時代を迎え、資産運用は重要さを増す。手数料ゼロはその担い手を育てる契機になる。」という記述で、締めくくられている。

衝撃をもたらしている野村証券の動きについては、すでに下記で論評している。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/2020223NA01.html
この特集記事は、「貯蓄から投資へ」と言いながら、顧客を利益を無視して売買手数料稼ぎを主体としてきた国内証券会社の実像が、あぶり出されている。それが、「米国で数十年かけた変化が、日本で始まろうとしている。」ということで、大きな変化が出てきているわけである。
もっとも、記事にあるように、日本のほとんどのIFAは売買手数料(の一部)を受け取っているようであり、独立した金融アドバイザーというには程遠い状況にある。これは、保険商品などの購入アドバイスでも同じであり、多くの会社の商品を紹介すると言いながら、販売手数料の多い商品に誘導するような「アドバイザー」も少なくないものと見られる。
その背景としては、売り手側の問題も大きいが、買い手側の消費者や投資家の意識の問題も大きい。日本では、「サービスは無料」という感覚が国民に根付いており、製品のように形のあるものには対価を払うが、目に見えない助言などに対しては、弁護士や医者などが提供するものを除き、無料の方がいい、無料であって当たり前、と意識が行き渡っていると思われるからである。これは、チップなど、サービスに対する対価の違いが一般的である米国などとの風土の違いと思われる。
しかしながら、専門家や専門サービスが台頭してきている現代においては、このことは、大きなハンディになる。良質なものには高い対価を払う、ということでないと、一流、超一流の人材は育たないからである。日本から、一流の学者やスポーツ選手が海外に出ていくことの背景にも、このことがある。しかも、失われた20年とも言われる状況の中で、日本国内で得られる報酬の相対水準は、米国などと比べて低く、半分程度に過ぎないという業種も見受けられるようである。
日本の教育や社会は、個人の特異な才能をのばすのではなく、集団の力で発展してきた、と考えている人は、今でも多いであろう。しかし、例えば、いま学校教育で力を入れているプログラミングの能力は、百人・千人力の人もいれば、半人前の人もいるというような能力差がある。このことを最近の例で知らしめたのが、香港の天才プログラマー大臣であり、新型コロナでの対応に、日本のマスコミも注目しており、ネットでも礼賛の声が相次いでいる。
https://matomedane.jp/page/48064
上記でも引用しているWikipediaの記述によると、このデジタル担当政務委員(大臣に相当)のオードリー・タン氏は、「台湾のコンピューター界における偉大な10人の中の1人」とも言われているプログラマーであり、「トランスジェンダーの人物が閣僚に任命された世界で最初の事例」だそうである。翻って日本の状況を鑑みれば、彼我の差が、いかに大きいかが分かる。
いつの世でも、未来を切り拓くのは、若者である。その若者を大事にするどころか、子供の虐待死すら続いており、そうした事件の中で「大人」の身勝手さや責任逃れが、次々に明らかになっている。そんな日本に、明るい未来はあるのか。この「手数料ゼロの奔流」は、そのことを問いかける社会現象の一つに過ぎないのではないか。
2020年3月2日 日経朝刊7面 (FINANCIAL TIMES) 急進左派の増税案の矛盾

2月27日付のFINANCIAL TIMESのUSポリティカル・コメンテーターのジャナン・ガネシュ氏の記事を訳したものである。
「米国の民主主義の舞台は首都ワシントンや各州都の議事堂ばかりではない。」として、「民主党の党員集会が開かれたネバダ州ラスベガスの高級ホテル」での集会に言及し、「サンダース上院議員が党の大統領候補になればと願うホテルの清掃員らも制服姿のまま駆けつけた。サンダース氏は低賃金で働く彼らの境遇を間違いなく改善したがっている。原則に固執し妥協したがらない左派もいるが、同氏は所得の再分配につながる政策ならほぼ何でも実現させようとしている。国民皆保険や法定休暇など先進国では当たり前の制度だ。そのためサンダース氏はライバルのウォーレン上院議員もそうだが、米国を「欧州化」しようとしていると思われがちだ。」であるが、「この考え方はあながち誤りとはいえないだけに、どこに無理があるか指摘しておかねばならない。」というのである。
「米国の左派が目指すのは巨万の富を持つ人からの課税収入を、多くの国民が恩恵を受ける制度の財源に充てる社会民主主義なのだろう。」が、「大統領選が近づく中、こうした提案にケチはつけられない。政治家は現実的でなくてはならないからだ。」としている。
「だが一握りの富裕層頼みの構想は、広く厚く課税する欧州の制度とは別物だ。税収が国内総生産(GDP)の45%相当額に上るデンマークでは、超富裕層にだけ高率の税金を課しているのではなく、中間層などもそれなりに税負担をしている。租税負担率が46%のフランスや38%のドイツも同様だ。」であるのに対し、「米国は24%にとどまる。…民主党左派は確実にお金を持っている上位1%の富裕層に狙いを定めている。」という。
その上で、「仮にこの層への課税で政策財源を確保したとしても、原則の問題がある。超富裕層のみを対象とすることで、民主党左派は福祉国家とはそのコストを払う人がいなければあえて実現させる価値がないものだと言っているに等しい。…民主党は北欧的な普遍主義や連帯というより、超富裕層が倫理的な義務を果たすことを求めているといえる。」というのである。
そして、「サンダース氏は課税対象を広げ、国民が支え合うことが愛国心だと主張したがっているようにも見える。ところがそれではトランプ大統領の思うつぼだ。中間層の有権者はたとえトランプ氏が嫌いでも、増税の可能性を察知すれば11月の大統領選挙でサンダース氏に投票することに及び腰になる。民主党もそこはよくわかっている。だからこそ米国では、過去数十年で最も左傾化している民主党候補でさえ、掲げる政策がそれほど社会的でも民主的でもなく、ラスベガスにある仏エッフェル塔のレプリカのように疑似欧州的でしかないのだ。」と結んでいる。

「増税案の矛盾」とあるが、それは、福祉国家のコストについて、「北欧的な普遍主義や連帯」によるのではなく、「超富裕層が倫理的な義務を果たす」ことに頼っている民主党左派の問題点を指摘しているのである。鋭い論点であり、「課税対象を広げ、国民が支え合うことが愛国心」と主張したがっているように思えるサンダース氏は、「中間層の有権者はたとえトランプ氏が嫌いでも、増税の可能性を察知すれば11月の大統領選挙でサンダース氏に投票することに及び腰になる。」というのである。
ガネシュ氏の福祉国家に対するスタンスは不明であるが。コメンテーターという立場なら、それを示す必要はないのであろう。記述されているように、増税への懸念が、民主党の予備選で、中道穏健派とされるバイデン候補がサンダース候補の対抗馬として復活した理由なのであろう。一方で、スーパー・チューズデーから参戦したブルンバーグ氏の支持が広がらなかったのは、大富豪に対する反感が、民主党内には根強いことを示すものでもあったであろう。これは、前回の大統領選で、金持ちに成り上がったことをひけらかすようなイメージのあるヒラリー・クリントン候補の弱点でもあった。
しかし、では、米大統領選の行方は、どうなるのであろうか。バイデン候補が前回のヒラリー・クリントン候補と少し異なるように思えるのは、黒人有権者の支持も得ているように思える点である。サンダース候補は、若者の熱狂的な支持を得ているとされるが、その中心は白人なのだろうと思われる。大学の高額な授業料や学生ローン返済の免除という主張は、高学歴層には受けているが、教育格差で大学進学など夢物語の黒人層にはアピールできるものではないだろう。
となると、バイデン氏が民主党の有力候補ということになりそうだが、果して、トランプ大統領に勝てるのかどうか、そこが焦点である。この点で、トランプ大統領の先を見る力は秀逸で、予備選前から、ウクライナ疑惑や女性問題で、バイデン氏を揺さぶってきた。バイデン氏が、スーパー・チューズデー前に撤退寸前の状況に追い込まれたのは、その揺さぶりのせいでもあろう。
もしも、バイデン氏が民主党候補となった場合、トランプ大統領に勝つためには、何をすればいいのだろうか。高齢であることやウクライナ疑惑・女性問題は、致命傷にはならないであろう。この点では、トランプ大統領と同じ穴のむじなだからである。重要なのは、サンダース候補を支持している若者たちとの対話であろう。彼らがそっぽを向けば、秋の大統領選でトランプ大統領の再選を阻止することは困難であろう。若者たちを苦しめている大学の高額な授業料や学生ローン返済は、社会問題となっているのであるから、それに対する対応が必要である。そのための財源捻出には知恵を絞る必要があるが、例えば、富裕層を想定した基金を作り、寄付金控除のような形で拠出を促すといったようなことも考えられよう。この点では、サンダース候補の動向がカギになるが、自身が民主党候補にならなかった場合には、「史上最悪の大統領」を倒すためにバイデン氏と連携すべきであろう。
一方、サンダース氏が民主党候補になった場合には、節を曲げない方がよい。「課税対象を広げ、国民が支え合うことが愛国心」という主張を、これまで堂々と掲げた大統領候補はいないと思う。その主張が、米国民に、どのように響くのか、それを問いかけることには非常に大きな意味がある。たとえ、トランプ大統領に敗北したとしても、それは「偉大な敗北」になるであろうし、今回は高齢者ばかりとなった大統領選だが、将来の若者による挑戦の礎にもなるであろう。
なお、以上の点の関連では、先に書いた次のブログも参照されたい。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200205NA07.html
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/2020213NA03.html
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/02/20200209AA01.html

また、焦点である税制については、次に国際比較がある。
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/itn_comparison/j01.htm
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/itn_comparison/j02.htm
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/itn_comparison/j03.htm
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/itn_comparison/j04.htm
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/itn_comparison/j05.htm
税制は、国の状況を浮き彫りにする。例えば、米国は相続税がかからず、格差は拡大する状況になっている。これは、共和党・民主党を問わずに、政府が行ってきたことの結果である。だからこそ、「国民皆保険や法定休暇など先進国では当たり前の制度」を主張するサンダース氏が、「急進左派」に位置づけられるわけである。
一方、日本の「国民負担率(対国民所得比)」は米国に次いで低い。それでも、欧州にならった制度を維持していけるのは、借金で賄っているからで、それが将来世代の負担となる状況になっているわけである。言ってみれば、米国では世代内の格差、日本では世代間の格差で、現状の制度を維持しているわけである。米大統領選や米国の行方も気がかりではあるが、日本には日本なりの気がかりな点があるわけである。