2020年3月6日金曜日

2020年3月8日 朝日朝刊11面 (声)無意識の女性差別、学問の場でも
2020年3月25日 朝日朝刊14面 (声)人事は「性別より実力」望ましい
2020年4月9日 朝日朝刊12面 (声)男女関係なく活躍と証明、目標に
2020年4月9日 朝日朝刊12面 (声)教員採用には多様性考慮が必要

最初の記事は、53歳の男性(大学教員)による投稿で、「女性に議席などを一定数、割り当てるクオータ制は女尊男卑という学生の声を読みました」という書き出しである。「性差別は東大も例外ではないと昨年、入学式で述べた上野千鶴子氏に反発する男子学生もいました。若い方はあまり女性差別に遭遇していないでしょうが、今も隠れたところで続いています。」と続けている。
そして、「ある大学の教員選考の場での経験」として、夫と共同研究している女性について、年配の男性が「この人が主体の研究か旦那が主体か、わからないね」との発言が、そのまま受け入れられてしまいました、としている。
続けて、「女性差別は表面上はなくなったようでも構造的に続いています。反発した男子学生は、自分がこれまでいかに優遇されてきたか、これからいかに優遇されるかを悟るべきです。」とし、「前記の教員選考委員は全員男性でした。もし半数が女性だったら、あの発言は許されなかったでしょう。差別が差別を生んでいるのです。構造的な差別を無くすには、まず強制的に社会に女性を増やすしかありません。被害者を減らすためクオータ制が必要だと私は考えます。」と結んでいる。

次の記事は、この投稿に対する、62歳の男性(大学講師)による反論投稿で、「違和感を覚えた。クオータ制は女尊男卑いくつかの国立大学で、「女性限定」で教員を採用するケースがあるからだ。男性は、どんなに能力があっても採用されない。男性には著しく不利ではないだろうか。」という書き出しである。
そして、「女性限定で数学教員を募集するある大学」を引き、「男性を排除した結果、能力的に優れた人を採用できなかった場合、この大学にとって損失にはならないのか。」としている。「大学教員の採用や昇進に女性差別があることは否定できない。」としながら、「だからといって、男性教員に対し、採用や昇進で不利な扱いをして良い理由にはならない。」とし、「男女共同参画を目指す際に、「能力がほぼ同等とみなされる時は女性を優先する」というのなら、認められると思う。」としている。
その上で、「私は研究・教育能力が高い人が選ばれるとは限らない大学人事の実情を現場で見てきた。特に性差別は重大な人事上の問題だ。「性別より実力」の原則が貫かれるよう望む。」と結んでいる。

3番目の記事は、42歳の男性(看護師)による投稿で、3月2日朝刊の「朝日新聞社ジェンダー平等宣言」を興味深く拝見しましたとし、「数値目標設定を懸念する声もあった中で、ジェンダー平等の実現への達成目標を具体的に示し、日本の男女格差克服に向けて勇気ある一歩を踏み出した、と感心しました。」というものである。
その上で、「男女平等を単なる理念で終わらせず、格差是正へ積極的に取り組むことは、人材や事業の多様性、可能性を広げるはず。なのに、目先のビジネスへの懸念や適性ある女性の人材不足を指摘する人がいます。それは圧倒的な男性優位の社会に慣れきって、能力本位で人を育てる努力を怠ってきた証左だと思います。」としている。
そして、「医療従事者の中でも看護師は全体の9割以上を女性が占めますが、介護や子育てをしながらきつい交代勤務もこなしている。そして今、新型コロナウイルスの感染者対応でも奮闘しています。」とし、「もっと男性がこのジェンダーギャップに気づき、積極的に変えていくべきではないか。」としている。

4番目の記事は、69歳の男性(元小学校教員)による投稿で、2番目の投稿「人事は『性別より実力』望ましい」に対して、「男だろうと女だろうと、実力のある人が教員になるのは当たり前だ。ただ考える必要があるのは、その「実力」は「誰」がどのような「視点」と「基準」で測るか、ということである。」というものである。
そして、「教育機関の場合、学識以外にも指導力、協調性といった人間性なども必要とされる。採用者側としては、こうした条件を一定水準でクリアした人の中から、できるだけ優秀な人を採用することになる。」が、「採用者側が男性という属性を優先させることは往々にしてある。家事や出産、育児などに多くの時間や体力を費やすことなく、仕事に邁進(まいしん)しやすい男の方が「使い勝手がよい」と考えるからだ。」としている。
その上で、「男女比を考え、女性を積極的に採用することは理にかなっている。さらに言えば、アカデミックな場であれば、多様な意見があった方いい。そうした意味では、障害がある人やマイノリティーを優先的に採用するということも必要だろう。」と結んでいる。

月をまたがっての論争で、最初の投稿の「クオータ制は女尊男卑という学生の声」は検索しきれなかったが、同様の意見は散見される。朝日新聞朝刊2017年9月15日の声欄には、15歳の男子中学生による「男が傷つく「女尊男卑」の時代」という投書が掲載されていた。興味深いのは、これらの投書がすべて、男性によるものである点である。
男女差別の発想は、今に始まったものではない。1960年代には、「女子大生亡国論」が
声高に語られた。その代表が、早稲田大文学部の暉峻康隆教授による「女子学生世にはばかる」(『婦人公論』1962年3月号)であり、慶應義塾大文学部の奥野信太郎教授(『週刊朝日』1962年6月29日号)である。
この考え方が、現代に到るも払拭されていないことを知らしめたのが、医学部入試における女性差別であった。また、雇用の現場でも、出産・育児という国の将来を担う女性たちを不当に処遇し、非正規労働者に追いやっている現実がある。
そうした社会の歪みを是正しようというのが、「クオータ制」に代表されるアファーマティブ・アクション(affirmative action)で、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための積極的是正措置である。これは、米国などの人種差別の激しいところでは一般的な考え方であり、長年にわたる不利益を是正するためには、一時的な弱者優遇も必要になるという考え方である。その根本思想は、「本来、人間は平等である」という点にある。
そうした考え方が、虐げられてきた女性の能力を開放することにつながってきた。世界の指導者も、例外ではない。ドイツのメルケル首相のように、女性であるばかりでなく、経済格差の著しい東ドイツ出身の指導者など、今や枚挙に暇がない。
今の日本を見ても、長期政権にあぐらをかいて末期症状の安倍総理に比べて、コロナ・ショックにおける小池東京都知事の動きは都民・国民の信頼を集めている。その足を引っ張っているのが、男性で占められている政権やマスコミであることは、もはや国民の眼には明らかなのではないか。
「女尊男卑」と言う男子中学生に聞いてみたい。君は、同い年の女子中学生と同じ環境で競争したとして、相手に勝てますか。少なくとも私には、その確証は持てない。

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