2020年1月22日水曜日

週刊モーニング2020年1月22日(第6号)『ドラゴン桜2』

今回は、少し目先を変えて、標記のマンガについて、紹介してコメントしたい。
『ドラゴン桜』は、三田紀房氏による著作で、テレビドラマにもなったが、荒れた三流高校を、東大合格者を出して、立て直すという物語である。この『ドラゴン桜2』は、その続編にあたる。どちらも受験テクニックを織り交ぜ、受験生心理や教員の指導方針を、風刺を混ぜて浮き彫りにするもので、非常に興味深い。この続編では、SNSなどの今風のツールの活用も織り込んでいる。

ところで、今回、このマンガを取り上げたのは、作中で年金制度について、言及しているからである。主人公の桜木理事が、集まった生徒に対して、次のように言っている。
 「君たちが70歳になる55年後、今とは全く違う社会に変わっていることは確実だ」
 「現在は70歳の多くはすでに仕事を辞めて老後の生活に入っているだろうが、55年後はみんな元気で働いているかもしれない」
 「みんな元気で働けば年金は必要ない。国は制度そのものを廃止するだろう」
 「年金をやめれば国民の面倒を見なくてすむ。その上で税金は多く納めさせたい」
 「そのためにも国民には一生働いてもらいたい。働いて死ぬまで税金を払って欲しい。これが国の本音だ」
そして、次のように続ける。
 「文句を言わず、ただ国の制度に従って働き続ける国民であってほしいのだ」
 「国民を他の言葉に言い換えると・・・馬車馬」
このマンガでは、馬車馬にならないために「東大に行け」と煽り、生徒達が拍手喝采するという進行になっている。ご都合主義だが、ロジックとして説得力のあるように構成されている。

さて、このマンガが提起している問題を、どのように考えればよいのだろうか。まず、東大に行っても、税金を私的に流用して説明責任を果たさない総理の擁護に必死になっている高級官僚の有様を見れば、東大に行くことが解決策にはなりそうもあるまい。
そもそも、年金制度は廃止されるのだろうか。それが正しい方向なのだろうか。少子高齢化の進行で、長生きして子供も少なくなれば、長く働くことが必要になることは、誰にでも分かる。マンガの論調は、そのこと自体にも、否定的なものが感じられる。
このような問題については、もし年金制度がなかったら、と考えてみるのが参考になる。人は、いつまでも働くことはできない。老後の時期は、たとえ後倒しになっても、誰にでも訪れる。もし年金制度がなかったら、その時に頼りになるのは、現役時代から形成したお金なのだろうか。もちろん、それも大事ではある。しかし、自分だけで、自分の老後を賄うことができるのだろうか。その前に、親の老後は、どうするのか。自分を育ててくれた親は、それなりの出費をしている。育てなければ、その分の資産が残っているはずである。ならば、育ててもらった子供には、親の老後に対する一定の扶養責任があるだろう。一方、自分の子育ては、どうか。子供を育てるには費用がかかる。育てなければ、その分を老後に回すことができるのに。だから、親が、子供に老後の一定の扶養を期待することには必然性がある。実に、年金制度は、この世代間連鎖、輪廻を、家族内責任から社会的責任に切り替えたものに他ならない。
年金制度が不要だとか、廃止すべきだとか、あるいは、自分の老後は自分で積み立てるべきだと言っている連中は、この根本を忘れている。そうした連中は、自分の老後のことに頭が一杯で、親の老後のことなど眼中にない。何故か。親の扶養は、年金が担当してくれているからである。
さて、今一度、聞いてみよう。年金は必要ないのか。その時、親子は、どのようにして生きていくのか。

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