2020年2月7日金曜日

2020年2月7日 日経朝刊2面 ●(迫真)惑う就活「新ルール」(5)セミナーに親1000人

昨年5月下旬の土曜日に、「東京・目白にある学習院大が昨年開いた保護者向けの就職説明会につめかけたのは、約1千人」で、「就活をしている2千人の大学3年生のうち、単純計算で2人に1人の親は9カ月前から「就活」だ。」という記事である。「ルール通りに動いては乗り遅れる。就活を心配するのは本人だけでなく、むしろ親だ。」という。
この記事は、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行は変革を迫られている。現実とずれた就活ルールも、誰かが責任を持って見直すべき時がきている。」と結んでいる。

大学の入学式や卒業式に、親が来ると聞いて違和感を抱いた時代は、遠い昔になった。その後に、「入社式」にまで親が来ると聞いて驚嘆したが、今や、企業が親を招いて、学生うを終えて入社した若者が早期に辞めないようにお願いする有様である。
そして、この記事では、「就活」の説明会にも親が詰めかけるとしている。もう、どこの大学でも珍しくもない光景なのだろう。
だが、一連のこのような動きのどこに、当の若者の「自立性」「主体性」を見つけることができるのだろうか。
日本には、かつて「元服」という区切りがあった。「男子が成人になった」ことを示すものであるが、儀式化したのは奈良時代で、11~16歳の間だそうであるが、私の頃は15歳が区切りだった。その時期は、義務教育の中学校の卒業時期辺りになる。
就職が人生の大きな区切りであることは間違いない。厳しい「就活」に、親がやきもきするのも分かる。しかし、大学を卒業すれば、良い大人ではないか。就活の最中でも20歳にはなっている。18歳からの選挙権も与えられるようになった。
元服とまでは言わないが、成人した若者に、親が過度に干渉するのは、「百害あって一利なし」ではないのか。親なりに、就職の情報を集めて、子供に提供したりするのはよいだろう。だが、「いつから始めれば内定をとれますか」というようなレベルに到っては、もはや誰のための就活なのか分からない。
同じようなことが起きている時期がある。それは、子供の「中学生受験」である。中には、小学校や幼稚園への「お受験」すらある。こうした記事の子供の受験は、ほとんど自らが本当に望んでのものではあるまい。親のための受験であり、親が喜ぶのを見たいから、子供は頑張るのである。ところが、その親の見栄に振り回され、受験に失敗して人生に絶望する子供までもいるようである。
就活でも、折角、学生が内定を獲得しても、「そんな会社じゃなく、もっと大手の方がいい」と言うような親もいると聞く。折角、中学受験で合格しても、もっと偏差値の高い学校が良かったのに、という親と一緒である。
子供の人生は、子供自身のものである。親の責務は、子供が自分自身の力で生活できるようになるように、支援することであり、それ以上の干渉は、かえって子供をダメにする。そもそも、「新卒一括採用と終身雇用に象徴される日本型雇用慣行」にどっぷりつかってきた親が、未来の変化について、適切なアドバイスができるはずはないではないか。
このような干渉は、そのうち、人生のもう一つの転機である「結婚」にも及ぶのではないか。いや、もう干渉が嫌だから、未婚や非婚が増えているのかもしれない。子供の独り立ちを妨げてはいけない。ペットではないのだから。

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