2020年1月20日月曜日

2020年1月20日 日経 朝刊 5面 利便追求、重なった誤算 もがくヤマトとセブン


「ヤマトとセブン。昭和のほぼ同じ時期に事業を開始し、生活に溶け込むまでになった。」が、「お客様のため」という錦の御旗のもとで、利便性を追求したサービスや商品の連打が皮肉にも徒(あだ)となった、という記事である。
記事では、「生活者の利便性の捉え方は時代とともに変化する」ので、令和の持続可能な「お客様のため」にどう作り直すか、が課題としている。

この記事を見て、かつてのサッカーの日本代表のトルショ監督が、日本代表が強くなるためには、コンビニと宅急便がある」ようではダメだ、とおっしゃったことを思います。コンビニと宅急便に象徴される利便性は日本の特徴だと思うが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということではないか。
その観点からすると、記事が、「お客様のため」を強調しているのが気になる。ヤマトとセブンの方式が行き詰まっているのは、サービスを提供する従業者に過大な負担がかかっているからであろう。それも、低コストでの提供ということで、ヤマトではサービス残業が、セブンでは残業代等の不払いが表面化し、セブンでは日本人を雇うことが難しく、外国人のアルバイトなどに頼っている状況である。労働基準法の中身を知らないような外国人労働者(日本人の学生バイトも同様のようだが)を適正・適法に処遇しているのか、疑わしいのではないかと思ってしまう。
問題は、過剰なサービスを抑制することではないか。サービス向上が様々な革新につながることは事実で、温水洗浄便座などは外国人が驚嘆するものであり誇らしいが、従業者に過大な負担をかけ続ける仕事は、改善され排除されていくべきものであろう。それについては、消費者も、便益の低下を甘受すべきである。「三方一両損」のような、一見、みなが損をするようでも、関係者間で調和のとれた仕組みが、長続きするのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿