2020年2月10日月曜日

2020年2月10日 日経夕刊2面 エンジニア争奪戦活発化 即戦力求め、中途採用も
2020年2月11日 日経朝刊25面 (私見卓見)専門人材の評価、世界基準で

最初の記事は、「製造業で設計や開発に携わる電気・機械系エンジニアが足りないとの声を聞きます。新卒採用に苦労し、即戦力を求めて中途採用に踏み切る企業も増えてきました。」というもので、「日本では一企業に長く勤める慣行が続いてきましたが、保守的とみられがちな製造業でも地殻変動が起きているようです。」としているものである。

次の記事は、慶応義塾大学の小熊英二教授による寄稿で、「IT(情報技術)や金融など知的産業が台頭するなか、世界では専門的な技能や知識をもとにした人材の評価基準の共通化が進み、国をまたいだ高度人材の流動化が加速している。だが日本は独自の進化を遂げた雇用慣行のため、世界から隔絶されている。」というものである。
「専門職を評価する基準は、もはや国境を越えて共通化が進んでいる。専門性の評価基準がない雇用慣行を続ければ、わざわざ日本で働こうとする高度人材はいなくなる。それは労働市場に限らず、企業活動が次第に国内に閉ざされていくことも意味する。」という見解である。

教授の見立てはその通りで、欧米では、「マネジメントの専門能力がない人は、管理や経営はできないと考える。」が、日本では、「概念を扱う専門職はあまり認めておらず、評価する基準もないといっていい。結果、こうした分野に弱い。」ということになる。その象徴が社長の選定で、経営能力のある人を広く社内外に求めるべきであるのに、「熱意や協調性」を基準にする結果、社内の叩き上げが社長になることが多く、「社長、社員のなれの果て」という有様である。
いずれ、企業の中核は、専門人材のみになるであろう。いや、そもそも、「企業」という概念より、専門人材の「集合体」が事業推進の主体ということになるのではないか。IT技術の進展で、世界中に人材を求めることが可能になっており、増える一方のフリーランサーは、そのような人材供給のインフラとなり得る。
一つの企業に生涯勤め続けることは、一貫性があって誠実なように見えるが、そのような価値観は、徳川三百年の幕藩体制の中で培われてきたものであろう。その前の戦国時代には、有能な主君や適切な働き口を求めて、転身を図ることが当たり前であったようである。
今の世は、グローバル戦国時代とも言えよう。専門能力を磨かなければ、自分の価値を高めることができないのは、いつの世でも同じであるが、時代の風は、さらにそのことを求めている。

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