2020年2月19日水曜日

2020年2月19日 日経 朝刊30面 (経済教室)低下続く労働分配率(上)資本家の取り分 一部還元を

「低下続く労働分配率」についての特集で、この上編は、ミネソタ大学のルーカス・カラバルブニス准教授によるものである。
この論説では、「企業の利益(付加価値額)のうち労働者の取り分を示す労働分配率が長期にわたり低下し続けている。その一方で同じことだが、資本家の取り分が増え続けている。この問題は、経済論議や政策論議で大きく取り上げられるようになった。」ことに対して、「3つの質問に答えたい」としている。
第1は、「労働分配率低下にみられる特徴的な事実は何か」ということについて、「低下傾向が世界中で見受けられる」ということをあげ、「80年代以降、世界の8大経済大国のうち7カ国で低下している。そのうえ中国、インド、メキシコなど多くの新興国でも労働分配率は下がっている。」としている。そして、「低下傾向は特定の産業に限った現象ではない」もので、「大企業ほど機械化や自動化が進み労働集約度が低い。そして多くの産業では長期的に大企業への集中が進んでいる。」ことに言及している。
次に、第2の「なぜ労働分配率は低下したのか」に移り、「技術の進歩により、生産に要する労働コストに比べて資本コストが下がった」ことで、「労働者の取り分を減らすほど顕著に、資本による労働の代替が加速した」という説に触れている。加えて、「グローバル化や労働組合の交渉力低下の影響」にも考えられるものとして言及している。
第3の「労働分配率の低下が政策に及ぼす影響」については、労働分配率の低下が、「市場支配力の拡大を反映」しているのであれば「市場支配力を抑えるような政策対応が正当化される」が、「グローバル経済の変化で技術の進歩がもたらす自然な副次的影響によるもの」なら「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来へと突入する」ことになるとし、その場合には、「国民配当」、いやむしろ「グローバル配当」といったものを制度化してはどうだろう、としている。
「グローバル配当」は、「すべての人に妥当な生活水準を保証するための配当」ということであるが、「米アラスカ州が原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給するシステムと似ている」が、「世界中のロボット、人工知能(AI)、機械が生み出した付加価値を全市民に分配する点」が異なるとしている。

この論説での「グローバル配当」は、AIの進展に対して必要性が論じられているBI(ベーシック・インカム)の考え方に類似したものと思われるが、その実施範囲を世界中に広げている点で、壮大というか、荒唐無稽に近い印象を与える。ただし、それは、BIの実施を一国内に限定して考えることの限界を指摘しているものであるもと言えよう。
BIを一国内で実施した場合、外国人の取扱いをどうするのかが問題となる。対象に含める場合には、世界中の貧しい国々の人々が押し寄せる結果となる可能性があり、結局、制度としては維持できないことになりかけない。対象から除外する場合には、その国の中での外国人の生産・消費への貢献を差別的に取扱うこととなり、やはり問題になる。このようなジレンマは、現行の生活保護制度も抱えている。参照している米アラスカ州の場合には、「原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給する」ということで、地域限定であるから、BI類似の制度も成り立つわけである。
問題は、「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来」をどのように考えるのか、ということであろう。生み出すべき付加価値が、衣食住といった人間の生存に不可欠なものであるというのであれば、確かに福音と言えよう。しかし、果してどうなのだろうか。現代人、特に先進国の居住者にとっては、そのような基礎的支出の割合は低下している。これに関するエンゲル係数(家計支出に対する食費の割合)の国際比較は、重要なデータであると思われるが、残念ながら政府関連等の資料には見当たらなかった。ネット上には、次の資料がある。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/0211.html
ひとまず、これを正しいものとして論じるなら、主要国のエンゲル係数は3割を下回っており、ドイツや米国では、2割を下回っている。すなわち、国全体としては、「食うに困る」状況からは、ほど遠いわけである。
この家計支出に対する食費の割合を、さらに多くの国について見たものも、ネット上で見つけることができる。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2270.html
このデータの信ぴょう性の検証は行っていないが、国によって大きな違いがあり、発展途上国では、想定通り、食費の割合が高いということになっている。
一方、日本の状況については、総務省統計局がデータを出している。
https://www.stat.go.jp/info/today/129.html
このデータの説明として、「終戦直後の1946年に66.4%であったエンゲル係数は、戦後の復興・高度経済成長にあわせて低下していきます。」とし、「国民生活が豊かになっていく様子がエンゲル係数に表れてきていると言えるでしょう。」としている。
ところが、「昭和から平成にかけて低下を続けてきたエンゲル係数は、平成の半ばから上昇に転じるようになります。近年は急速に上昇しており、特に2015年と2016年は上昇幅が大きく、この2年間でエンゲル係数は1.8ポイント上昇しています」ということになっているのである。
ただし、この説明では、「物価変動がエンゲル係数の変化に与える影響の大きさは、食料物価や消費者物価全体の変動の大きさではなく、その相対比によるものであり、それ自体は、生活水準の高低や生活の苦楽を単純に示すものではないことがご理解いただけるものと思います。」とし、「エンゲル係数の変化を何らかの端的な判定基準として用いるのではなく、その裏側にある、私たちの生活の実態や変化をしっかりと紐解いていくことが肝要と言えるでしょう。」と結んでいる。
それは、確かにそうであろうが、相対的な生活水準を比較する上で、エンゲル係数が一つの重要な指標であることも確かである。
そこで話を戻せば、世界中には、衣食住といった基礎的消費に追われている人もいれば、その内容自体が相対的に豪華であったり、基礎的消費以外の、いわば娯楽的消費に多くを費やしている人々も少なくないという状況である。この娯楽的消費にかかる部分は、人間の個人的感性に依存するものが多く、それらをロボットや人工知能(AI)あるいは機械が効率的に生み出すことができるとしても、そこには人間の介在が避けられないのではないかと思う。すなわち、人間の感性に由来する付加価値は、いったん定式化されればAI等で効率的に生み出すことができるだろうが、最初の創造時点においては、人間そのものの感性による必要があるのではないか、ということである。
例えば、囲碁や将棋を例にとってみよう。今や、AIの能力は、人間を超える水準になっている。しかし、囲碁や将棋を面白いと思って発展させてきたのは人間であり、まったく無の状態から、AIが生み出したものではない。AIは、何も好き好んで囲碁や将棋をやっているわけではなく、技術的改良を行っているに過ぎないのである。もちろん、人間が興味を持つことを分析して、AIが新たな娯楽を提供することは、あり得る。しかしながら、人間のための娯楽を提供するという活動自体に、人間に従属しているという本質が見えるわけである。
さて、また元に戻れば、基礎的消費にかかる標準的な生産物などが、ロボットやAによって生み出されるようになれば、それは人類にとっての福音であり、世界中から貧困を撲滅する成果が期待できることになる。これこそが、BIが目指すべき領域であり、グローバル配当の範疇に入ってくるものではないか。一方で、個々人のニーズに対応する娯楽的消費については、BIの範囲外として、個々人の裁量で享受できるものとすべきであろう。そのようにすれば、人間の向上意識が廃れることもないであろう。
「食うために働く」ことは悲しく辛いが、「衣食足って礼節を知る」段階に到るためには、まず「食うために働く」しかない。動物である人間が、「食う」という動物の宿命を、ロボットや人工知能(AI)あるいは機械によって克服できるのであれば、それは、人類の偉大なる勝利になるのではないかと思うが、その先の想像はつかない。

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