2020年2月8日土曜日

2020年2月8日 朝日朝刊12面 (経済気象台)極まった官僚人事の私物化

「安倍政権が東京高検の黒川弘務検事長の定年延長を決めたことに批判が集まっている。異例の措置で政権に近いとされる黒川氏を検事総長に登用するための延長と言われる。長期政権の弊害、官僚組織の私物化もついに検察組織にまで及んだ格好だ。」という論説である。
この論説では、人事には、「公平・中立・客観性・透明性が担保されていなければならない」としている。「霞が関で真に枢要な本省局長はせいぜい100人程度。そんな幹部たちは省庁の枠を超えて様々な場面で一緒に仕事をしている。」とし、「餅は餅屋というではないか。霞が関の人事は霞が関に聞くべきなのだ。」と結んでいる。

安倍政権のなり振り構わぬ無体は論外で、その意味では、この論説に共感できる点もあるのだが、霞が関の論理を信用しろ、という言い分には、違和感を持つ国民も少なくないだろう。米国では、政権が民主党と共和党の間で動くたびに、高級官僚は一新されるという。我が国はそうなっていないが、行政の責任を担う内閣を支えるのが官僚であってみれば、そうなっていても不思議はない。官僚が公正無私だと思っている国民は、今はいないだろう。いや、昔から、官僚や役人は、「お上」の存在であり、「泣く子と地頭には勝てぬ」というのが、大衆の感覚だったのである。
では、今回の官僚人事の特殊性は何か。それは、「検察組織」のトップ人事にからむという点であろう。政権の腐敗を追及すべき検察のトップに、安倍首相の「お友達人事」をされたのでは、たまったものではないということであろう。
だが、検察も行政の一員である。この問題については、次のブログも指摘している。
 https://plaza.rakuten.co.jp/s201945/diary/201802050000/
ついでに言えば、最高裁判所の判事も、日本国憲法第6条「によって、「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。」により、時の内閣の意向によって決定されるのである。
「立法」「行政」「司法」の三権分立は、民主主義の基本とされる。しかし、日本では、上記のように、司法に直結する検察は行政の一部であり、司法の長も内閣が指名するものである。つまり、司法の独立性は、十分なものとは言えないわけである。
では、他国はどうか。米国の場合には、行政の「各省を率いる長官は、大統領によって任命されるが、上院の承認を必要とする。」という仕組みになっている。この仕組みは、わが国よりも格段に三権分立に配慮したものと言えよう。
その一方で、大統領の権限は、各段に強い。あれだけの疑惑を抱えるトランプ大統領が、再選を目指して居座ることができるのは、共和党が上院を握っているからである。民主主義の危機が声高に叫ばれるようになっているが、誰もが注目する11月の米国大統領選挙が、大きな分水嶺であることは間違いない。

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