2020年3月11日水曜日

同一労働同一賃金の課題
2020年3月11日 日経朝刊28面 (経済教室)(上)人材確保通じ企業にも利益
2020年3月12日 日経朝刊27面 (経済教室)(下)趣旨も義務内容も不明確

この2つの記事は、同一労働同一賃金の課題についての論説である。
上編は、この問題の研究の第一人者である東京大学の水町勇一郎教授によるもので、「
正規・非正規労働者間の「不合理な待遇差の解消の取組を通じて、どのような雇用形態を選択しても納得が得られる処遇を受けられ、多様な働き方を自由に選択できるようにし、我が国から『非正規』という言葉を一掃する」(働き方改革実行計画)という「目標を掲げて定められたパートタイム・有期雇用労働法(改正法)が4月に施行される。」という書き出しである。
そして、「この改革は、不合理な待遇格差の是正という社会政策の側面と、労働者の能力発揮と賃金上昇を通じ「成長と分配の好循環」を実現するという経済政策の側面をもつ。政策実現のために改正法は、正社員と短時間・有期雇用社員間の不合理な待遇差を禁止し、不合理性を基本給、賞与、諸手当などの個々の待遇ごとに、待遇の性質・目的に照らして判断することとした。」としている。
その上で、「政府は不合理性の判断例を示した「同一労働同一賃金ガイドライン」を策定するとともに、待遇差の内容と理由を「ワークシート」に記載するなどして短時間・有期雇用社員に説明することを事業主に義務づける。各企業は2020年4月(中小企業は21年4月)の施行に向けて急ピッチで準備を進めている。」わけである。しかし、「日本的雇用慣行の根幹にかかわる大改革であるだけに、なお一部には誤解や脱法的な動きもみられる。」としている。
そして、「第1の誤解は「同一労働同一賃金」というスローガンに引きずられたものだ。」とし、「職能給、成果給、勤続給といった職務給以外の賃金形態でも、それぞれの性質・目的に沿った取り扱いがなされていれば適法(不合理でない)とされており、職務給にすることが義務づけられているわけではない。」としている。また、「職務などに違いがあっても違いに応じた均衡待遇が求められるという正しい理解が、ハマキョウレックス事件最高裁判決などを通じて広がった。」としている。
次に、「第2に諸手当と賞与を改善すれば基本給は改善しなくてもよいという誤解」についいては、「基本給についても、その性質・目的に応じた対応が必要なことは改正法とガイドラインに明記されており、改革の趣旨からすれば基本給の改善こそが本丸といえる。」とし、「正規職員と臨時職員間の基本給格差を一定範囲で不合理とする裁判例も出ている」としている。
そして、「第3に長期勤続を予定した正社員を短期雇用の契約社員よりも好待遇とすることは当然許されるという誤解」については、「長期勤続に対する報償という目的をもつ勤続給や退職金」については不合理とはいえないが、「長期勤続の予定とか期待という抽象的・主観的な事情により異なる待遇とすることは不合理とされる。実際に長期勤続した契約社員への退職金の不支給を不合理とした裁判例もある」としている。
さらに、「第4に社会保険未加入や夫の配偶者手当を維持するため、短時間・有期雇用社員本人が賃金引き上げを望んでいない場合、賃金を上げなくてもよいという誤解」については、「不合理な待遇差を禁止した法律規定は、これと異なる当事者の合意を無効とする強行規定と解されている」ので、「労働者がそれでよいと言っても違反は許されない。」とし、「企業経営者としては、就業調整の袋小路に陥る前に、今回の改革を機に短時間・有期雇用社員の待遇を改善し、就業調整枠にとらわれない人材の確保と活用を図ることが大切だろう。」としている。
最後に、「第5に有期雇用社員を無期転換してフルタイムにすれば改正法の適用はなく、待遇を改善しなくてよいという誤解」については、「フルタイムで無期雇用の社員には直接の適用はない」が、「短時間・有期雇用社員の待遇が改善されるなか、低待遇のまま無期転換した、いわゆる「ただ無期」社員が待遇改善を受けず「非正規」的に取り扱われるのは、改正法の趣旨に反する。よって不法行為として損害賠償の対象にもなりうる。」としている。
一方、「改正法の趣旨を正しく理解し、施行前から短時間・有期雇用社員の待遇改善を進める例もある」とし、「(1)正社員と短時間・有期雇用社員に同じ基準で諸手当、福利厚生を支給する、(2)賞与も正社員と同等の基準で支給する、または経過措置を設け段階的に支給額を上げていく、(3)短時間・有期雇用社員も正社員と同じ基本給テーブルのなかに位置づけ、その能力を適正に評価して昇給させる、(4)短時間・有期雇用社員を対象に退職金に相当する企業型確定拠出年金(DC)を導入する、または個人型確定拠出年金(iDeCo)への加入に協力し拠出する――といった動き」を挙げている。
そうして、「共通するのは、人口減少や人工知能(AI)化・ロボット化などの社会変化を見据え、多様で魅力ある雇用形態を武器に有能な人材を確保し活用しようとする経営者や労使の強い意志を反映した改革である点だ。」とし、「正社員の新卒一括採用と終身雇用を特徴とする日本的雇用慣行が転換期を迎えている。企業トップが成長のビジョンを描きつつ、短時間・有期雇用社員の待遇改善を図るとともに、正社員の基本給、諸手当、退職金なども各社員の活躍・貢献に見合うものに変えていくことで、多様で魅力的な雇用の選択肢を提供しようという動きも出てきた。」とし、「これは短時間・有期雇用社員を重要な戦力と位置づける労働集約型産業の大企業だけでなく、正規・非正規の区分にとらわれず優秀な人材の確保と活用を図り成長の原動力としようとする先進的な中小企業でもみられる。改正法の施行に向けた法令順守という視点を超えて、人手不足社会における企業の求人力と人材活用力の強化という視点に立った人への投資であり、未来に向けた経営改革だ。」と評価している。
一方、「政府が果たすべき役割は大きく3つある。改正法を巡る誤解を解き法令順守を促すための情報提供と適切な指導をすること、経営改革を進めるためのノウハウが不足する中小企業に単なる情報提供を超えたオーダーメード型の支援をすること、この個別支援をできる専門家を養成することだ。」と言い、「その拠点として全国に働き方改革推進支援センターが設置されているが、十分に機能していない。これを実効的に機能させるための人材養成、ノウハウ構築と周知啓発が喫緊の課題だ。」としている。
最後に、「今回の改革の根底には、多様性と潜在能力を生かす社会の実現という理念がある。改正法に違反しないように取り繕うという小手先の対応にとどまらず、改革の趣旨や理念に立脚した先見的な取り組みが広がっていくことが、これからの日本社会の発展の鍵となる。」と結んでいる。

一方、下編は、神戸大学の大内伸哉教授によるもので、「2020年4月から大企業で改正パートタイム労働法が施行される(中小企業は21年4月)。「同一労働同一賃金により非正規という言葉を一掃する」という安倍政権の働き方改革の柱の一つだ。非正社員と正社員の労働条件について不合理な格差を禁止するものであり、中でも重要なのが賃金だ。企業は個々の賃金項目について格差の不合理性を点検し、必要に応じて是正することが求められる。」という書き出しである。
しかし、「この法的ルールは内容面でも、政策の方向性でも問題がある。以下では特に3点を指摘したい。」として法律的観点から論じているものである。
まず、「第1に趣旨も義務内容も明確でない。趣旨については不合理な処遇格差を解消するという理念自体は明確だが、格差があることが問題なのか、非正社員の労働条件が低いことが問題なのかがはっきりしない。」とし、「また労使の自主的な判断を尊重したうえで、著しい格差のみ禁止する趣旨なのか、格差をつける場合は常に均衡のとれたものにせよという趣旨なのかも明確でない。」としている。
そして、「法律で理念を明記し、具体的にどうすべきかを行政が指針で明確にし、違反があれば裁判所が無効とするというのは一見完璧なシナリオ」だが、「このルールを先行して適用した労働契約法の現状をみると、このシナリオの欠陥も明らかだ。肝心の義務内容を明確にしきれていないのが原因だ。」としている。
そして、「行政は指針を出し、不合理性の内容の明確化に努めているが、不合理である場合と不合理でない場合の典型例を示すにとどまる。」し、「基本給、賞与、退職金など複数の趣旨が混在する賃金の格差については不合理性の基準を示せないでいる。」ことから、「企業が労働者側との話し合いで合意できても、法が要請する不合理性の基準が明確でないため、後から裁判所により無効とされる可能性は残る。」とし、「この問題を解決するには、著しい格差のみを無効とする、あるいは法律は理念を示しただけで裁判所による事後介入を想定していないといった解釈をとることが検討されるべきだ。」とする。
第2の問題は、「政府が強い法的効力を付与することにこだわったのは、格差是正への強い意思を示したいからだろう。「同一労働同一賃金」というわかりやすい名称を付与し、さらに欧州では一般的に適用される原則だと強調したのも、国民へのアピールとなると考えたからだろう。」という点にあるとしている。
それは、「日本の労働立法はより進んでいる欧州を参考にすべきだという議論は、労働法が各国固有の事情と密接に関連して形成されている実態を軽視するものだ。」とし、1998年発表の菅野和夫東大教授・諏訪康雄法政大教授(肩書は当時)の論文(正社員と非正社員の賃金格差の論拠として挙げられる同一労働同一賃金は、職種による産業横断的な賃金決定をするという社会基盤を前提として成立するものであり、そうした社会基盤がない日本には当てはまらないと論じる内容)に触れている。
すなわち、「日本の正社員は、特定の職種に従事するために採用されるのではない。また基本給は従事する職種に関係ない年功型だし、特定の職種に能力がなくても即解雇にはつながらない。つまり日本型雇用システムは職種に関係のない非ジョブ型であり、採用も賃金も雇用の継続も職種を基本とするジョブ型社会の欧州とは根本的に異なるのだ。」とし、「不合理な格差を是正するには、まずは正社員と非正社員の格差が日本型雇用システムの構造に起因するという認識を持つことが必要だ。」としている。
3つ目の問題は、「不合理な格差の禁止は構造的な原因にメスを入れるものではないので、根本的な解決につながらない。」という点だとしている。「日本型雇用システムの目的は、若い人材を確保し、長期的な雇用を保障しながら、企業に長く貢献できるよう育成することにある。このシステムの対象となる正社員は「いつでも何でもどこでも」といった拘束的な働き方と引き換えに、雇用と賃金の安定という保護を享受してきた。一方、非正社員はそうした保護はないものの、拘束性の低い働き方を享受できた。つまり正社員、非正社員どちらにも一長一短がある。」というのである。
しかし、「それでも政府がこの問題に介入すべき理由は2つある。」とし、「一つは、正社員の短所である拘束的な働き方は安定した賃金で補償されうるが、非正社員の短所である処遇の低さは自由な働き方では補償しきれないことだ。これが貧困問題を生んでいる。ただそこで政府に求められるのは、低賃金で生活困難に陥っている者への直接的な支援(金銭だけでなく住宅、医療面などのサポートも含む)だ。貧困問題を、生産性と関連して論じられるべき賃金の問題として企業に解決を任せるのは政府の責任転嫁だ。」とする。
そして、「もう一つは、正社員になるルートが学卒時に集中しており、非正社員になると後から正社員を選択するのが極めて難しいことだ。若年期に良好な教育機会に恵まれない影響はその後の職業人生にも及び、正社員への道が遠くなり、貧困問題にもつながる。低技能の非正社員が増えることは国力低下ももたらす。これらが格差の持つ真の問題だ。ただその主たる原因が中途で正社員になる機会の少なさにある以上、その解決方法は雇用の流動化であるべきだ。遅々として進まない解雇の金銭解決の早期導入こそ検討されるべきだろう。」というのである。
その上で、「今後デジタル経済化が進むと、標準的な作業は自動化され、その作業を担っていた非正社員はもちろん、正社員も不要となる。求められるのはデジタル技術を活用し付加価値を生み出す創造力に富んだ人材だ。ただ急速な技術革新が進む中での今後の人材投資は、不確実性が大きくリスクが高い。人材の内部育成は、フリーを含む外部からの人材調達へと変わっていくだろう。情報通信技術の発達やマッチングの精度を高める人工知能(AI)が外部調達を一層促進するはずだ。」としている。
最後は、「経団連が新卒一括採用や年功型賃金を見直し、ジョブ型雇用を増やそうとしていることも、デジタル化の動きと軌を一にする。こうなると格差や貧困の問題は雇用形態に起因するものから、デジタル技術を活用する技能の差に起因するものに様変わりする。特に心配なのはデジタル技術に疎い中高年層だ。今後の雇用政策はデジタル格差を防ぐため、デジタル教育と一体で進められる必要がある。」と結んでいる。

まず、施行される法律やガイドラインの内容については、次のブログを参照されたい。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/03/20200309NA11.html

最初の水町教授の論説は、限られた紙面の中に、よくこれだけの情報を盛り込んだものだと感心する。その結論は、末尾にまとめられているように、「多様性と潜在能力を生かす社会の実現という理念」に「立脚した先見的な取り組みが広がっていくことが、これからの日本社会の発展の鍵となる。」というものである。その視点から5つの誤解について述べているが、これらは。「小手先の対応」であり、改正法の趣旨に違反するとしている。
その法令違反の観点から、「改正法につながる近時の代表的な判例・裁判例」を6つ挙げている。これらの概要については、厚生労働省の中央労働委員会の労使関係セミナーで(2019年7月31日)に、明治大学法科大学院の野川忍教授の講演資料「同一労働同一賃金をめぐる裁判例の新しい傾向」がある。
https://www.mhlw.go.jp/churoi/roushi/dl/R010801-1.pdf

一方、下編の大内教授の論説は、最後に述べた「格差や貧困の問題は雇用形態に起因するものから、デジタル技術を活用する技能の差に起因するものに様変わりする」という点に重点を置き、「今後の雇用政策はデジタル格差を防ぐため、デジタル教育と一体で進められる必要がある」というものである。「同一労働同一賃金」については、「労働法が各国固有の事情と密接に関連して形成されている実態」を重視すべきとしているようで、新法の成立を積極的には評価しないスタンスのようである。また、少し奇妙だが、法学者であるのに、判例等に触れた記述はない。
なお、記事で言及している1998年発表の菅野和夫・諏訪康雄両氏の論文は、『労働市場の変化と労働法の課題--新たなサポート・システムを求めて』のようであるが、ネットでは入手できないようで、チェックし切れなかった。ただ、菅野和夫氏の現時点での考え方について、次の資料が見つかった。
https://www.rengo-soken.or.jp/info/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%92%8C%E5%A4%AB%E6%95%99%E6%8E%88%E8%B3%87%E6%96%99.pdf

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