2020年2月20日木曜日

2020年2月20日 日経朝刊29面 (経済教室)低下続く労働分配率(中) 競争促進・規制緩和、反転の鍵

「低下続く労働分配率」の特集の中編で、経済協力開発機構(OECD)経済局のシリレ・シュエルヌス副課長によるものである。
「過去20年にわたり、日本をはじめ経済協力開発機構(OECD)加盟国の多くで労働生産性の伸びが鈍化してきた。資本装備率や全要素生産性の伸び悩みも背景にあると考えられる。実質賃金の上昇率は、ペースダウンした労働生産性の伸びすら下回り、生産性の伸び悩みが賃金上昇率に及ぼす悪影響を増幅している。」という書き出しである。
「生産性の伸びはもはや実質賃金の伸びには直結していない」ことから、「労働分配率は下がることになる」とし、「労働分配率の低下は、少なくとも3つの理由から政策に関わる課題といえる」としている。第1に「実質賃金が伸び悩み、現行の政策や制度への激しい反発を招きかねない」こと、第2に「資本所得の比率が上昇すれば所得格差が拡大する」こと、第3に「イノベーション(技術革新)や成長にも関わってくる」ことである。
その上で、最近のOECD調査によると、「過去30年間の労働分配率低下はグローバルな現象ではない」とし、「米国、日本、ドイツでは低下する一方、フランス、英国、イタリアでは上昇している」と指摘している。
そして、「一部の国で労働分配率が低下している原因」として、「技術進歩は長期的には省力化につながる」という研究を引き、「一般的に労働分配率が低下している国では情報通信関連の資本財価格が下がっていることがわかった。」としている。また、「製品市場を競争促進型に改革すれば、生産者のレントが減るはずだ」とし、「米欧で労働分配率に差がある一因は、欧州に比べて不十分な米国の競争促進政策にあることを示している」とし、日本については、「製品市場の規制が競争促進的でないようだ。」「非正規労働者の採用が急速に拡大していることも、労働者の交渉力の弱体化」としている。
その上で、「人々の幸福を考えるなら労働分配率それ自体を政策目標とすべきではない。目標とすべきは、生産性の向上と労働者の取り分増加の両方を同時に実現することだ。」という認識を示し、「2つの目標を同時にめざす政策対応で重要なのは、貿易自由化や新技術導入に伴う混乱に対処できるようなスキルを労働者に習得させることだ。」とし、「製品市場の競争」を促す必要性にも言及している。
そして、労働市場の問題について、特に日本に関して、「日本の政策や制度が労働者の高賃金の職への移動を妨げ、雇用主の賃金決定力を強めていることもわかった。」とし、「多くの企業が年功序列型賃金体系を採用し、定年を60歳に定めている。」中で、「女性と高齢者を中心に賃金の低い非正規雇用が増えており、労働市場の二極化が深刻化している。」とし、「企業の60歳定年制の廃止と、正規労働者と非正規労働者との雇用保護格差の縮小が望まれる。特に正規労働者の正当な解雇事由に関する法的曖昧さを減らすことが必要だ。労働市場の二極化が解消され、生産性向上に伴う利益が労働者により多く分配されるだろう。」と結んでいる。

実に、多くの視点からの分析で、短い紙面の中に、よくこれだけ詰め込めたものだと感心する。論説の主眼は、労働分配率の低下の原因については、技術進歩と競争不足であるとし、それに対する方策として、労働者のスキル向上と競争促進とをあげている。整理してみると、さほどに新しい所はない。
労働者のスキル向上については、「生涯教育支援や失業者の再活用推進の重要性」に言及し、「日本のような高齢化社会では、高齢労働者に的を絞った教育支援を進め、デジタル技術教育・訓練を実施することが特に望まれる。」としている。
日経から求められた論説故であろうが、日本についての分析や提言は、さほどに深みのあるものではない。日本についての知識や情報は十分なものとは思えず、インタビュアーの誘導にもよるのであろうが、日経的な考え方が随所に窺われる。
焦点の「労働者のスキル向上」について言えば、その機会やコストを、誰がどのようにして提供し、負担するのであろうか。「生涯教育支援や失業者の再活用推進」ということなら、その主体は、企業ではなく政府になるであろう。その支援について考えると、「高齢労働者に的を絞った教育支援」が果して有効で効率的なものなのであろうか。また、その教育期間中の生活コストの負担は、どうすればいいのだろうか。
先進国でも、「食う」ために働いている人は多い。「教育」に目を向けたくても、そうすることができない労働者は、多くが非正規労働者として日々の生活に追われている。「Working Poor」の広がりは世界的なもので、その深刻度は広がりを見せているように思われる。米国においても、教育費の高騰から、大学を中退し、不安定な職業に就くことを強いられた上に、退学で教育ローンの支払に追われるというケースが急増しており、シリコンバレーを抱え、全米有数の富裕者が集うカリフォルニア州では、家賃の高騰から住居を追われてホームレスとなる人々が多数発生している。「欧州に比べて不十分な米国の競争促進政策」と言うが、米国のみならず世界中で議論されているのは、巨大企業による独占の影響を排除する必要があるのではないか、ということである。
「労働分配率それ自体を政策目標とすべきではない」のは、その通りであろう。しかし、技術進歩やオフショアリングについては、それらによる利益を企業側が独占するようなら、資本家の取り分が増える一方で労働者の取り分が相対的に下落するだけでなく、労働者の失業リスクが高まることになる。
生産性の向上は、本来は、労働者にとっても労働時間の短縮などの利益につながるべきものであろう。ところが、技術進歩やオフショアリングが進んでいると、この論説でも評されている日本では、労働時間の長い状態が続いており、過労死までもが社会問題となっている。「働き方改革」が、真に国民のためになるようにするためには、様々な角度からの考察や施策が欠かせまい。
2020年2月20日 朝日朝刊10面 (経済気象台)年功制の限界と企業の今後

「日本企業は長年、長期雇用を前提に若い時の賃金を低く抑え、年齢とともに賃金が上昇する仕組みをとってきた。ベースアップや定期昇給といった春闘とは切り離せない仕組みは、年功制を代表するものだが、若年層を中心に拒否感が強い。」とする論説である。
「優秀な人材は年齢に関係なく成果に比例した処遇を求め、外資系やベンチャーに流れる傾向にある。」のに対し、「AI(人工知能)分野の技術者や国際的に活躍できる経営幹部候補を対象に、初年度から一般的な初任給の何倍もの処遇を提示する事例が出てきた。」としている。
そして、「個人的には「終身雇用制」には賛成だが、成果に比例した処遇とセットが条件だ。組織や個人の成果を公正に評価する仕組みが不可欠である。」とし、「今後10年間の日本企業の変化を興味深く見守りたい。」と結んでいる。

「成果に比例した処遇とセット」で、論者が賛成する「終身雇用制」が成り立つものなのであろうか。そもそも、この「終身雇用制」のイメージが分からない。本人が希望する限る雇用を継続するというのでなければ、定年までの雇用を保証するということなのだろうか。しかし、そのような仕組みは、年齢による差別でもあり、「成果に比例した処遇」と両立するようには思えない。
また、「組織や個人の成果を公正に評価する仕組み」が、年功序列に慣れ親しんできた連中が経営者や管理者を占める会社の中で、確立できるのかどうかも疑わしい。そもそも、そんな仕組みがあるのだろうか。実力主義とされる米国でも、いや米国の方が、上司の決定や評価が絶対的であることは、トランプ大統領が、簡単に政府高官などを更迭している状況を考えれば、推察できるであろう。
難しいのは、保護・育成と、専門性発揮とのバランスである。日本の新卒一括採用は、「保護・育成」面では、評価できる点があると思う。しかし、そうした採用方式のみで、変化の激しい状況下で専門家が育っていくとは思えない。育成によって専門家に育つ人もいるであろうが、やはり即戦力として、外部から採用することが必要であろう。そうだとすると、「年功序列」も「終身雇用」も、維持できるはずはない。
例えば、育成社員は10年の任期制、即戦力社員は5年の任期制という契約にして、新陳代謝を図っていかなければ、ドラスチックな変化には対応できないのではないか。退社もネガティブに考えるべきではない。新しい活躍の場への巣立ちとしては、「卒業」という言葉がふさわしいだろう。

2020年2月19日水曜日

2020年2月19日 日経 朝刊30面 (経済教室)低下続く労働分配率(上)資本家の取り分 一部還元を

「低下続く労働分配率」についての特集で、この上編は、ミネソタ大学のルーカス・カラバルブニス准教授によるものである。
この論説では、「企業の利益(付加価値額)のうち労働者の取り分を示す労働分配率が長期にわたり低下し続けている。その一方で同じことだが、資本家の取り分が増え続けている。この問題は、経済論議や政策論議で大きく取り上げられるようになった。」ことに対して、「3つの質問に答えたい」としている。
第1は、「労働分配率低下にみられる特徴的な事実は何か」ということについて、「低下傾向が世界中で見受けられる」ということをあげ、「80年代以降、世界の8大経済大国のうち7カ国で低下している。そのうえ中国、インド、メキシコなど多くの新興国でも労働分配率は下がっている。」としている。そして、「低下傾向は特定の産業に限った現象ではない」もので、「大企業ほど機械化や自動化が進み労働集約度が低い。そして多くの産業では長期的に大企業への集中が進んでいる。」ことに言及している。
次に、第2の「なぜ労働分配率は低下したのか」に移り、「技術の進歩により、生産に要する労働コストに比べて資本コストが下がった」ことで、「労働者の取り分を減らすほど顕著に、資本による労働の代替が加速した」という説に触れている。加えて、「グローバル化や労働組合の交渉力低下の影響」にも考えられるものとして言及している。
第3の「労働分配率の低下が政策に及ぼす影響」については、労働分配率の低下が、「市場支配力の拡大を反映」しているのであれば「市場支配力を抑えるような政策対応が正当化される」が、「グローバル経済の変化で技術の進歩がもたらす自然な副次的影響によるもの」なら「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来へと突入する」ことになるとし、その場合には、「国民配当」、いやむしろ「グローバル配当」といったものを制度化してはどうだろう、としている。
「グローバル配当」は、「すべての人に妥当な生活水準を保証するための配当」ということであるが、「米アラスカ州が原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給するシステムと似ている」が、「世界中のロボット、人工知能(AI)、機械が生み出した付加価値を全市民に分配する点」が異なるとしている。

この論説での「グローバル配当」は、AIの進展に対して必要性が論じられているBI(ベーシック・インカム)の考え方に類似したものと思われるが、その実施範囲を世界中に広げている点で、壮大というか、荒唐無稽に近い印象を与える。ただし、それは、BIの実施を一国内に限定して考えることの限界を指摘しているものであるもと言えよう。
BIを一国内で実施した場合、外国人の取扱いをどうするのかが問題となる。対象に含める場合には、世界中の貧しい国々の人々が押し寄せる結果となる可能性があり、結局、制度としては維持できないことになりかけない。対象から除外する場合には、その国の中での外国人の生産・消費への貢献を差別的に取扱うこととなり、やはり問題になる。このようなジレンマは、現行の生活保護制度も抱えている。参照している米アラスカ州の場合には、「原油収入で基金を運用し、全住民に配当を支給する」ということで、地域限定であるから、BI類似の制度も成り立つわけである。
問題は、「資本のみの力で世界の全付加価値を生み出す未来」をどのように考えるのか、ということであろう。生み出すべき付加価値が、衣食住といった人間の生存に不可欠なものであるというのであれば、確かに福音と言えよう。しかし、果してどうなのだろうか。現代人、特に先進国の居住者にとっては、そのような基礎的支出の割合は低下している。これに関するエンゲル係数(家計支出に対する食費の割合)の国際比較は、重要なデータであると思われるが、残念ながら政府関連等の資料には見当たらなかった。ネット上には、次の資料がある。
http://honkawa2.sakura.ne.jp/0211.html
ひとまず、これを正しいものとして論じるなら、主要国のエンゲル係数は3割を下回っており、ドイツや米国では、2割を下回っている。すなわち、国全体としては、「食うに困る」状況からは、ほど遠いわけである。
この家計支出に対する食費の割合を、さらに多くの国について見たものも、ネット上で見つけることができる。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2270.html
このデータの信ぴょう性の検証は行っていないが、国によって大きな違いがあり、発展途上国では、想定通り、食費の割合が高いということになっている。
一方、日本の状況については、総務省統計局がデータを出している。
https://www.stat.go.jp/info/today/129.html
このデータの説明として、「終戦直後の1946年に66.4%であったエンゲル係数は、戦後の復興・高度経済成長にあわせて低下していきます。」とし、「国民生活が豊かになっていく様子がエンゲル係数に表れてきていると言えるでしょう。」としている。
ところが、「昭和から平成にかけて低下を続けてきたエンゲル係数は、平成の半ばから上昇に転じるようになります。近年は急速に上昇しており、特に2015年と2016年は上昇幅が大きく、この2年間でエンゲル係数は1.8ポイント上昇しています」ということになっているのである。
ただし、この説明では、「物価変動がエンゲル係数の変化に与える影響の大きさは、食料物価や消費者物価全体の変動の大きさではなく、その相対比によるものであり、それ自体は、生活水準の高低や生活の苦楽を単純に示すものではないことがご理解いただけるものと思います。」とし、「エンゲル係数の変化を何らかの端的な判定基準として用いるのではなく、その裏側にある、私たちの生活の実態や変化をしっかりと紐解いていくことが肝要と言えるでしょう。」と結んでいる。
それは、確かにそうであろうが、相対的な生活水準を比較する上で、エンゲル係数が一つの重要な指標であることも確かである。
そこで話を戻せば、世界中には、衣食住といった基礎的消費に追われている人もいれば、その内容自体が相対的に豪華であったり、基礎的消費以外の、いわば娯楽的消費に多くを費やしている人々も少なくないという状況である。この娯楽的消費にかかる部分は、人間の個人的感性に依存するものが多く、それらをロボットや人工知能(AI)あるいは機械が効率的に生み出すことができるとしても、そこには人間の介在が避けられないのではないかと思う。すなわち、人間の感性に由来する付加価値は、いったん定式化されればAI等で効率的に生み出すことができるだろうが、最初の創造時点においては、人間そのものの感性による必要があるのではないか、ということである。
例えば、囲碁や将棋を例にとってみよう。今や、AIの能力は、人間を超える水準になっている。しかし、囲碁や将棋を面白いと思って発展させてきたのは人間であり、まったく無の状態から、AIが生み出したものではない。AIは、何も好き好んで囲碁や将棋をやっているわけではなく、技術的改良を行っているに過ぎないのである。もちろん、人間が興味を持つことを分析して、AIが新たな娯楽を提供することは、あり得る。しかしながら、人間のための娯楽を提供するという活動自体に、人間に従属しているという本質が見えるわけである。
さて、また元に戻れば、基礎的消費にかかる標準的な生産物などが、ロボットやAによって生み出されるようになれば、それは人類にとっての福音であり、世界中から貧困を撲滅する成果が期待できることになる。これこそが、BIが目指すべき領域であり、グローバル配当の範疇に入ってくるものではないか。一方で、個々人のニーズに対応する娯楽的消費については、BIの範囲外として、個々人の裁量で享受できるものとすべきであろう。そのようにすれば、人間の向上意識が廃れることもないであろう。
「食うために働く」ことは悲しく辛いが、「衣食足って礼節を知る」段階に到るためには、まず「食うために働く」しかない。動物である人間が、「食う」という動物の宿命を、ロボットや人工知能(AI)あるいは機械によって克服できるのであれば、それは、人類の偉大なる勝利になるのではないかと思うが、その先の想像はつかない。
2020年2月19日 朝日夕刊6面 失踪実習生働かせた疑い 派遣会社代表ら逮捕
2020年2月20日 朝日朝刊29面 失踪実習生5人を派遣容疑 会社代表ら3人逮捕 SNSで人集め

「技能実習先から失踪したベトナム人を違法に働かせたとして、大阪府警は19日、人材派遣会社の代表ら3人を出入国管理法違反(不法就労助長)の疑いで逮捕した。…府警は、失踪したベトナム人技能実習生をSNSなどを通じて集め、仕事のあっせん先から仲介料を得ていたとみて捜査を進める。」というのが夕刊の記事である。
「ベトナム人5人は不法残留や資格外活動の疑いで府警に逮捕され、4人は起訴されている。公判記録などによると、5人はいずれも失踪した技能実習生だった。化学薬品会社側は1人につき時給1750円をMTS側に支払っていたが、ベトナム人が実際に受け取っていた時給は1100円ほどだったとされる。」とのことである。
「法務省によると、日本で働きながら技術を学ぶ外国人技能実習生は2018年末時点で約32万8千人。ベトナム人が最多で半数の約16万人を占める。失踪した実習生は11年の1534人から18年は約6倍の9052人に。同年のベトナム人失踪者は64%と際立つ。」とのことであるが、失踪の理由については、「受け入れ先などから法令違反を含む不正な扱いを受けていた疑いが確認された。内訳は最低賃金違反58人▽契約賃金違反69人▽時間外労働の割増賃金不払い195人▽賃金からの過大控除92人――など。来日時に多額の借金を背負わされている例も少なくないという。」ということで、受け入れ側の問題が多く見られるようであり、「受け入れ企業を監督し、実習生を支援する役割を担う監理団体の一部が、本来の機能を果たしていない」ことにも、記事は言及している。
翌日の朝刊の記事も、同じ趣旨のものであるが、紙面の制約もあるのだろうが、ベタ記事的な扱いである。

「外国人技能実習制度」は、「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としております。」とされている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/global_cooperation/index.html
しかし、その実態は、安価な労働力として取り扱われており、実習先で不要とされれば、滞在許可を失って帰国せざるを得ないため、劣悪や悪質な労働条件にも耐えることを強いられ、耐えられなければ失踪せざるを得ない状況になっているのである。中には、福島の放射能除染作業に従事させられた人もいる。職業選択の自由はなく、労働者としての取り扱いも十分とは言えない。
このような実態から、「外国人技能実習制度」は、国連と米国から、「奴隷労働」と批判されている状況である。
https://hbol.jp/202393
同様の批判は、ネットで検索すれば、膨大な数が出て来る。何より問題なのは、このような実態によって、「夢の国」と妄想されている日本が、「悪魔の国」であるとの印象が、実習生やその親族などの脳裏に深く刻み付けられることであろう。
「人づくり」に協力、などという綺麗事では済まない。この記事にあるように、失踪実習生に対するピンハネ労働も横行している。これでは、現代版の「安寿と厨子王」の世界である。
では、どうすればよいのか。私は、安易な単純労働力としての外国人の受け入れには反対であるが、すでに技能実習生として入国してきた人々に対しては、日本政府は、きちんと保護する責任がある。そこで考えられるのは、失踪実習生を含め、いったん技能実習生として受け入れた人々に対しては、例えば3年間といった期限を定めて、正規の労働者としての取り扱いをしてはどうかと思う。職業選択の自由も保障し、日本人の労働者と同一の取り扱いとすべきである。
その一方で、これ以上の問題悪化を防ぐため、「外国人技能実習制度」の新規受け入れは停止し、当面は、「特定技能の在留資格」による入国に限定すべきであろう。また、在留期限が切れ、あるいは不法に入国した者に対しては、日本的に本国に送還すべきであり、そのような者を雇用した企業や団体についても刑事罰を科すべきであろう。
外国人を受け入れるのなら、それなりの覚悟がいる。米国や英国のように、いったん正規や黙認で受け入れた後に、排斥的な取り扱いを行うのは、詐欺的行為である。それと同様に、技能実習生の名目で単純労働者として取り扱っている日本の現状も、欺瞞であるとしか言いようがない。「先進国としての役割」「国際社会との調和ある発展」とは、あまりにひどいお題目ではないか。「技能、技術又は知識の開発途上国等への移転」を本当に考えているのなら、日本に来てもらうことではなく、日本から専門家をその国に派遣するのが筋であろう。
2020年2月19日 日経朝刊21面 (大機小機)出生率の回復に政策の照準を

この記事の論評については、下記の「年金時事通信」の20-004号として登載しています。
 http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/tusin201405.htm

2020年2月18日火曜日

2020年2月18日 日経夕刊2面 ●(就活のリアル)人員整理、不況でも不要 雇用調整助成金を活用

就活理論編での雇用ジャーナリストの海老原嗣生による論説で、前回2020年1月28日付の日経夕刊2面の記事の続編である。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200128NY02.html
前回の「不況は遠からず来る。もし実力がある企業なのに人が採れずに困っているのなら、こうした不況期に思いっきり人材を確保すべきだ。」という主張の中で、「「ここで人を採り過ぎたために、その後、成長が止まって経営が厳しくなったらどうするのだ」という反論に対して、「日本にはとても良い「公的支援」がある。それが、雇用調整助成金だ。」とするものである。
「この制度があれば「不況期で人が余った場合」でも人員整理は不要になる。だから安心して「採れるときに採る」という採用戦略が可能になる。便利な公的支援であり、もっと広く認知を得るべきだろう。」というのである。
「この制度は利用日数に上限があり、期間も3年しか適用されない。青息吐息のゾンビ企業は3年たったらやはり淘汰される。」として、弊害にも配慮されているとしている。

雇用調整助成金について、厚生労働省は、次のように説明しいている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/pageL07.html
パンフレットやガイドブックも掲載されている。また、現在、深刻な問題となっている新型コロナウイルスによる影響に対しては、特例措置も行われている。
https://www.mhlw.go.jp/content/000596026.pdf
なお、記事では、「この助成金と似た制度は、市場原理主義が色濃い米国にもある。ドイツにもある。どこの国にでも普通にあるものだからだ。」とあるので、大分探してみたが、ドイツには類似の制度があるが、米国には見当たらなかった。
最終的に行き着いたのは、労働政策研究・研修機構の「データブック国際労働比較2019」の資料の一部である。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/04/d2019_T4-09_jp.pdf
この資料によると、米国にも、工場閉鎖時の再就職支援のためのカウンセリングや職業紹介・職業訓練等にも活用される「再就職支援制度」はあるが、雇用維持のための助成金はないようである。操業短縮などの場合の雇用維持支援制度は企業を対象とするものであるが、再就職支援制度は個人を対象とするものであり、まったく性格は異なる。
ともあれ、日本においては、雇用調整助成金による雇用維持の方策はあるわけである。好不況の波をそのまま人材採用にぶつけるのではなく、この制度を活用して人材採用の平準化を図ることは、企業にとって有益な選択肢であるべきである。その点では、海老原氏の意見に賛成である。
2020年2月18日 日経朝刊25面 (私見卓見)日本企業、株主中心から脱却を

早稲田大学の渡辺宏之教授(会社法)による論説で、「米主要企業の経済団体で、日本の経団連にあたるビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月、「脱株主至上主義宣言」を出した。」ことに触れ、「米国型の株主資本主義が大きな転機を迎えつつある。」とするものである。「従業員や取引先、地域社会、株主といったすべての利害関係者の利益に配慮し、長期的な企業価値向上に取り組む」と米国を代表する経営トップが宣言に署名した意義と衝撃は大きい。としている。
「世界では最近、株主に富が異様に集中し、米国を典型とする極端な格差社会が生じている。貧富の格差は、もはや従来のような単独国家による再分配や税制の調整では立ち行かない問題となっている。米企業社会の指導者レベルが抱く危機感を見落としてはならない。」と言うのである。
「日本企業は、資本効率を示す自己資本利益率(ROE)などの水準が国際的に低いとして、米国の今回の宣言見直しに安易に追従すべきでないとする見解もある。」が、「誰のための稼ぐ力か」という問いかけが重要である、としている。
教授の専門の会社法について、「株主は会社(財産)の所有者」という法規定は米国の会社法にも存在しないとし、「株主の立場に偏重した稼ぐ力という考え方、費用・便益(効率性)分析に終始する会社法の理論から、脱却していかなければならないだろう。」としている。

この宣言については、2019年11月19日に、経団連米国事務所とビジネス・ラウンドテーブル(BRT)の幹部との間で意見交換が行われており、宣言の本文や署名者も確認できる。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2019/1205_11.html
https://opportunity.businessroundtable.org/wp-content/uploads/2019/09/BRT-Statement-on-the-Purpose-of-a-Corporation-with-Signatures-1.pdf
BRT側は、宣言は「企業は顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うことを明示した。」ものとしている。
そして、「1997年以降は企業の目的を株主利益の実現ととらえていた。しかし、その後、米国の多くの経営者は地域への貢献や環境問題への対処など、広く社会課題の解決も企業の目的ととらえるようになってきており、今回の声明はそのような変化を反映させたものである。その意味で、近時経営者が考えていることを文章化したものであり、企業の目的に関する劇的な変化を企図したものではない。」とのことである。
「今回の声明の公表は米国内外で大きな反響を呼び起こしたが、それらは概ね好意的なものである。」とのことであるが、経団連側の評価は記述されていない。

会社の目的は何であるかは、日本でも大きな議論を呼んできた。事業の元々の元手を提供するのは株主であり、会社が破綻した場合には出資金を失うリスクを負うのは株主であってみれば、会社が株主の利益を第一に考えるべきであることは当然とする「株主第一主義」が、世界中に蔓延しており、その先導役を1997年のBRT宣言を担ったことは事実であろう。
一方で、株主のみならず、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会といった関係者を含めたステークホルダーのために会社は貢献する必要があるという考え方も、欧州などから強まってきていた。今回の宣言は、そのことの重要性や意義を再確認するものと言えよう。
日本においては、当初は、ステークホルダー重視は当然で、「株主第一主義」は極論との論調が主流であったが、その論理は自己資本利益率の低迷の言い訳に使われているとして、近年では、「株主第一主義」に傾斜しつつある傾向にあったと思われる。
大きな論点は、「長期的利益の提供」にある。経済や企業活動のグローバル化が進む中で、企業業績の変動も激しくなっており、決算での業績開示は四半期単位が当たり前になった。内部的に月次決算を行っている企業も珍しい状況ではなく、流通業では、毎日の売り上げや利益を日次でチェックしている企業も多いようである。
難しいのは、こうした「短期的なチェック」と「長期的な利益の提供」との関連であり、バランスであろう。企業活動は永続的なものとされるが、長期的はマラソンに、短期的は100メートル走にたとえられよう。してみると、現状は、マラソンでの優勝を目指しつつ、100メートルごとにタイムを競っている状況になりかねない。それでは、マラソンに優勝するためのペース配分もへったくれもないことになる。
そして、経営者をコーチに例えれば、100メートルごとのタイムが良ければボーナスが支払われ、不振が続くと解任されることになるわけだから、経営者が短期志向となるのは当然である。
この弊害を露わにしたのが、他ならぬ日産自動車のカルロス・ゴーンであった。経営危機に陥った日産の立て直しで示した手腕は、後から見ても、称賛に値する。しかし、それは結局、短期的な話だったのであり、20年にわたる独裁の末に残ったのは、会社を食い物にした自己中人物の正体暴露と、食い散らされたあげくに再び危機に陥った日産の有様である。
この短期的と長期的との矛盾を解決するための一つの手段は、取締役の在任期間に制限を設けることではないか。米大統領の任期が2期8年に限られているのは、賢明な措置と言えよう。会社法でも、取締役の通算任期を8年に限っていれば、日産ゴーンの不祥事は避けられたであろう。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」「おごる平家は久しからず」といった名言は、歴史を乗り越えてきたものであると、改めて思う。
その観点からして、自民党総裁の任期3年を連続2期までとしていたのを2017年に連続3期に変更したのが、いかに愚策であったのかは、今の腐りきった安倍首相を見れば、誰の目にも明らかであろう。その点で、小泉元総理が任期延長を固辞した見識には頭が下がる。