2020年2月18日火曜日

2020年2月18日 日経夕刊2面 ●(就活のリアル)人員整理、不況でも不要 雇用調整助成金を活用

就活理論編での雇用ジャーナリストの海老原嗣生による論説で、前回2020年1月28日付の日経夕刊2面の記事の続編である。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200128NY02.html
前回の「不況は遠からず来る。もし実力がある企業なのに人が採れずに困っているのなら、こうした不況期に思いっきり人材を確保すべきだ。」という主張の中で、「「ここで人を採り過ぎたために、その後、成長が止まって経営が厳しくなったらどうするのだ」という反論に対して、「日本にはとても良い「公的支援」がある。それが、雇用調整助成金だ。」とするものである。
「この制度があれば「不況期で人が余った場合」でも人員整理は不要になる。だから安心して「採れるときに採る」という採用戦略が可能になる。便利な公的支援であり、もっと広く認知を得るべきだろう。」というのである。
「この制度は利用日数に上限があり、期間も3年しか適用されない。青息吐息のゾンビ企業は3年たったらやはり淘汰される。」として、弊害にも配慮されているとしている。

雇用調整助成金について、厚生労働省は、次のように説明しいている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/pageL07.html
パンフレットやガイドブックも掲載されている。また、現在、深刻な問題となっている新型コロナウイルスによる影響に対しては、特例措置も行われている。
https://www.mhlw.go.jp/content/000596026.pdf
なお、記事では、「この助成金と似た制度は、市場原理主義が色濃い米国にもある。ドイツにもある。どこの国にでも普通にあるものだからだ。」とあるので、大分探してみたが、ドイツには類似の制度があるが、米国には見当たらなかった。
最終的に行き着いたのは、労働政策研究・研修機構の「データブック国際労働比較2019」の資料の一部である。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2019/04/d2019_T4-09_jp.pdf
この資料によると、米国にも、工場閉鎖時の再就職支援のためのカウンセリングや職業紹介・職業訓練等にも活用される「再就職支援制度」はあるが、雇用維持のための助成金はないようである。操業短縮などの場合の雇用維持支援制度は企業を対象とするものであるが、再就職支援制度は個人を対象とするものであり、まったく性格は異なる。
ともあれ、日本においては、雇用調整助成金による雇用維持の方策はあるわけである。好不況の波をそのまま人材採用にぶつけるのではなく、この制度を活用して人材採用の平準化を図ることは、企業にとって有益な選択肢であるべきである。その点では、海老原氏の意見に賛成である。
2020年2月18日 日経朝刊25面 (私見卓見)日本企業、株主中心から脱却を

早稲田大学の渡辺宏之教授(会社法)による論説で、「米主要企業の経済団体で、日本の経団連にあたるビジネス・ラウンドテーブルは2019年8月、「脱株主至上主義宣言」を出した。」ことに触れ、「米国型の株主資本主義が大きな転機を迎えつつある。」とするものである。「従業員や取引先、地域社会、株主といったすべての利害関係者の利益に配慮し、長期的な企業価値向上に取り組む」と米国を代表する経営トップが宣言に署名した意義と衝撃は大きい。としている。
「世界では最近、株主に富が異様に集中し、米国を典型とする極端な格差社会が生じている。貧富の格差は、もはや従来のような単独国家による再分配や税制の調整では立ち行かない問題となっている。米企業社会の指導者レベルが抱く危機感を見落としてはならない。」と言うのである。
「日本企業は、資本効率を示す自己資本利益率(ROE)などの水準が国際的に低いとして、米国の今回の宣言見直しに安易に追従すべきでないとする見解もある。」が、「誰のための稼ぐ力か」という問いかけが重要である、としている。
教授の専門の会社法について、「株主は会社(財産)の所有者」という法規定は米国の会社法にも存在しないとし、「株主の立場に偏重した稼ぐ力という考え方、費用・便益(効率性)分析に終始する会社法の理論から、脱却していかなければならないだろう。」としている。

この宣言については、2019年11月19日に、経団連米国事務所とビジネス・ラウンドテーブル(BRT)の幹部との間で意見交換が行われており、宣言の本文や署名者も確認できる。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2019/1205_11.html
https://opportunity.businessroundtable.org/wp-content/uploads/2019/09/BRT-Statement-on-the-Purpose-of-a-Corporation-with-Signatures-1.pdf
BRT側は、宣言は「企業は顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うことを明示した。」ものとしている。
そして、「1997年以降は企業の目的を株主利益の実現ととらえていた。しかし、その後、米国の多くの経営者は地域への貢献や環境問題への対処など、広く社会課題の解決も企業の目的ととらえるようになってきており、今回の声明はそのような変化を反映させたものである。その意味で、近時経営者が考えていることを文章化したものであり、企業の目的に関する劇的な変化を企図したものではない。」とのことである。
「今回の声明の公表は米国内外で大きな反響を呼び起こしたが、それらは概ね好意的なものである。」とのことであるが、経団連側の評価は記述されていない。

会社の目的は何であるかは、日本でも大きな議論を呼んできた。事業の元々の元手を提供するのは株主であり、会社が破綻した場合には出資金を失うリスクを負うのは株主であってみれば、会社が株主の利益を第一に考えるべきであることは当然とする「株主第一主義」が、世界中に蔓延しており、その先導役を1997年のBRT宣言を担ったことは事実であろう。
一方で、株主のみならず、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会といった関係者を含めたステークホルダーのために会社は貢献する必要があるという考え方も、欧州などから強まってきていた。今回の宣言は、そのことの重要性や意義を再確認するものと言えよう。
日本においては、当初は、ステークホルダー重視は当然で、「株主第一主義」は極論との論調が主流であったが、その論理は自己資本利益率の低迷の言い訳に使われているとして、近年では、「株主第一主義」に傾斜しつつある傾向にあったと思われる。
大きな論点は、「長期的利益の提供」にある。経済や企業活動のグローバル化が進む中で、企業業績の変動も激しくなっており、決算での業績開示は四半期単位が当たり前になった。内部的に月次決算を行っている企業も珍しい状況ではなく、流通業では、毎日の売り上げや利益を日次でチェックしている企業も多いようである。
難しいのは、こうした「短期的なチェック」と「長期的な利益の提供」との関連であり、バランスであろう。企業活動は永続的なものとされるが、長期的はマラソンに、短期的は100メートル走にたとえられよう。してみると、現状は、マラソンでの優勝を目指しつつ、100メートルごとにタイムを競っている状況になりかねない。それでは、マラソンに優勝するためのペース配分もへったくれもないことになる。
そして、経営者をコーチに例えれば、100メートルごとのタイムが良ければボーナスが支払われ、不振が続くと解任されることになるわけだから、経営者が短期志向となるのは当然である。
この弊害を露わにしたのが、他ならぬ日産自動車のカルロス・ゴーンであった。経営危機に陥った日産の立て直しで示した手腕は、後から見ても、称賛に値する。しかし、それは結局、短期的な話だったのであり、20年にわたる独裁の末に残ったのは、会社を食い物にした自己中人物の正体暴露と、食い散らされたあげくに再び危機に陥った日産の有様である。
この短期的と長期的との矛盾を解決するための一つの手段は、取締役の在任期間に制限を設けることではないか。米大統領の任期が2期8年に限られているのは、賢明な措置と言えよう。会社法でも、取締役の通算任期を8年に限っていれば、日産ゴーンの不祥事は避けられたであろう。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」「おごる平家は久しからず」といった名言は、歴史を乗り越えてきたものであると、改めて思う。
その観点からして、自民党総裁の任期3年を連続2期までとしていたのを2017年に連続3期に変更したのが、いかに愚策であったのかは、今の腐りきった安倍首相を見れば、誰の目にも明らかであろう。その点で、小泉元総理が任期延長を固辞した見識には頭が下がる。
2020年2月18日 日経朝刊5面 中小への「残業しわ寄せ」監視 4月から労働時間の規制適用 行政指導も視野に

「中小企業について1年間猶予されていた残業時間規制が4月から始まる。「月100時間未満、年720時間」を上限とする規制が先行している大企業からしわ寄せがいく形で、中小の長時間労働が続くことのないように政府は監視を強める。」という記事である。
「残業時間に上限を設けた働き方改革関連法は2019年4月に大企業に適用され、20年4月から中小企業も対象になる。原則は月45時間、年360時間で、労使で合意すれば年720時間以内までは可能。月100時間を超えてはならず、2~6カ月平均で月80時間以内といった内容だ。建設業など猶予期間が続く一部業種を除き、違反すれば30万円以下の罰金か6月以下の懲役となる。」という状況の中で、大企業ではすでに従業員の勤務時間管理が厳しくなっている。その分、無理な短納期発注や休日出社の強制など、下請け中小企業へのしわ寄せが強まっているとの指摘がある。公正取引委員会の幹部も「短納期発注などが目立つ」と話す。」ということが起きているわけである。
「企業への監視を強めるため、経産省と厚生労働省は合同で働き方改革の対策チームを立ち上げた。」と同時に、「公取委や経産省は大企業など約20万社に書面で中小企業へのしわ寄せを防ぐよう要請した。」としている。
だが、「企業側に改革の負担を押しつけるのは限界がある。IT(情報技術)の活用拡大や大企業を含めたサプライチェーン全体の見直しを官民挙げて進めるなど、産業全体の生産性を高める取り組みと働き方改革を同時に進めることが欠かせない。」と記事は結んでいる。

厚生労働省は、「時間外労働の上限規制-わかりやすい解説」という手引きを作成し、掲示している。
https://www.mhlw.go.jp/content/000463185.pdf
時間外労働が野放しで、そのまま過労死が「Karo-shi」として英語で通用するまでになった過酷な労働環境の改善に向けた措置としては、大きな一歩である。
しかし、今回の改正でも、国際的に見劣りする割増賃金の見直しは行われなかった。
少し古いが、内閣府が2013年10月4日に「第2回経済の好循環実現検討専門チーム」に提出した次の資料を見れば、割増賃金の是正が必要なことは明らかであろう。フランスは週35時間労働であることに注意が必要)。
https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/2th/shiryo4.pdf
この資料には、「労働者の方が、あえて残業して、割増賃金を稼ぐ」という懸念も記されているが、労働時間管理は、管理者の重要な責務であり、残業は本来、業務のやむを得ない必要性によって、管理者の命令・指揮下において行われるべきものである。この懸念は、そんな基本的な事すら、日本企業の労働現場では行われていないことを示唆している。
記事では、「中小企業は労働生産性の停滞が続いている。法人企業統計調査を使って中小企業庁がまとめた資料によると、製造業では大企業が09年度から17年度の間に約40%向上した半面、中小企業は11%の上昇にとどまった。非製造業でも同じ期間に大企業が23%、中小企業は8%と改善の幅に差がある。」ともしている。
まず、そもそも日本の労働生産性は低く、2018年の「時間当たり労働生産性は 46.8 ドルで、OECD加盟36カ国中21位」とされている。
https://www.jpc-net.jp/intl_comparison/intl_comparison_2019.pdf
ここで、きちんと理解しておく必要性があるのが、「時間当たり労働生産性」の算定方法である。上記の資料では、次のように算定している。
 1時間当たり労働生産性=GDP÷(就業者数×労働時間)
この式から「1時間当たり労働生産性」を引き上げるためには、まず労働時間を減らすことが考えられる。もちろん、それによってGDPが減少したら効果が減殺されるわけだが、そうならないようにするのが「働き方改革」であり、人力をAIなどに置き換える省力化も重要な要素になる。
一方、就業者数については、日本の人口の少子高齢化によって、生産労働人口が減少し、それによってGDPも減少する恐れがあるが、女性や高齢者の就労増加によって、その影響を緩和しようというのも「働き方改革」の一面である。
最後の問題は、分子がGDPでよいのか、という点である。成長がなければ国家は衰退するとされているが、その考え方の下で建設された「箱もの」は、建設時にはGDP増加に寄与したのだろうが、その後の管理では、むしろお荷物となっている状況である。この修繕・維持費用だけで、GDPの数パーセントが必要であるという議論があるが、そのために「箱もの」をまた作れば、将来世代が、その負担を背負うことになる。つまりは、建設のみをプラス要因と考えるGDPの算定方法に問題があるのではないか。この欠陥の象徴が、原子力発電所で、今や廃炉のコストや方法も見通せない状況になっている。
GDPの欠陥や代わりの指標は、ずっと以前から指摘されているが、代替手段のないまま、今日に到っている。しかし、深刻化する温暖化問題に見られるように、GDPというか成長至上主義のツケは増大する一方である。どこかで、AI技術などの進展により、短い労働時間でも基本的な不足のない生活水準が維持できるようにならなければ、人類は破滅に向かうことになるのではないだろうか。

2020年2月17日月曜日

2020年2月17日 朝日朝刊24面 (職場のホ・ン・ネ)「正規」こそ正しい?
2020年2月17日 日経朝刊5面 (経営の視点)「オブジェ社員」を生むな シニア活性化、企業が左右

最初の記事は、「派遣社員として働いていますが、「就職氷河期世代の非正規雇用」と呼ばれることに違和感があります。まるで「正規」こそが正しいと言われているように感じます。」という40代女性の声である。「政府には「正規」「非正規」を自由に行き来できる社会をめざしてほしいです。」としている。

後の記事は、多摩大学大学院の人事論担当の徳岡晃一郎教授による、役職定年・定年延長のシニア社員についての周囲の評価をヒアリング調査を紹介したものであるが、「明らかに時間内だけ事務所にいれば、たいして頑張らなくても給料がもらえるというオーラを放つ人もいる」「アドバイザー的な役割しかになわず、まるでオブジェのよう」などと否定的な声が大半としている。
記事では、「政府は企業に70歳までの就業機会確保の努力義務を課す「高年齢者雇用安定法」の改正案をまとめたが、これは問題の解決ではなく、むしろ悪化させるだろう。」としている。
その背景には、「日本企業の人材投資は新入社員と管理職に集中」という企業側の側面と、「社外での学習や自己啓発に取り組む会社員の比率は日本は他国に比べて非常に低い」という働く側の意識改革の側面とがあるとしている。

「非正規」という用語は、「non-regular」の訳語であるが、日本では、「abnormal」すなわち異常に近いニュアンスを持たれているように感じられる。政府や学者も、「非正規」という用語を使わないようにしたらどうかと模索したことがあるが、うまく行っていない。もっと言えば、日本では、「正社員」が「正規」であり、中途入社者すら色眼鏡で見る傾向が、まだまだ続いているように感じられる。

「オブジェ社員」というのは、以前の朝日の記事では、「妖精さん」と呼ばれていた。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200119AA07.html
こちらも、日本の労働慣行から生み出されたものである。すなわち、新卒一括で採用した社員を、当分の間は能力でなく年功的に処遇し、徐々に管理者や幹部候補生を選別し、対象外となった者は飼い殺しにするという「日本型雇用」のシステムによるものである。それでも離職しないのは、年功賃金と定年までの雇用保障があるからで、対象外となれば頑張ったところで見返りはしれているから、そのうち「オブジェ社員」や「妖精さん」になるという道筋である。そして、こういう業績や貢献に見合わない報酬を享受できるのは、「(元)正社員」に限られるという構造なのである。
これで、会社が活性化したら、それこそ不思議である。それでも、日本企業がこのシステムから脱却できないのは、経営幹部がその中で育ってきたからであり、また、業績や貢献あるいは能力をあからさまにする報酬体系への切り替えは、このぬるま湯に慣れた正社員や、彼らがベースとなって構成している企業内労働組合の反発を招くからであろう。
脱却のカギは、公正な評価と処遇にあるわけだが、ぬるま湯システムに慣れた者が管理職になっているのだから、容易ではない。そのうち土台から腐って倒れることになるのだろうが、それが日本での「大企業病」の実態なのであろう。

2020年2月15日土曜日

2020年2月15日 日経夕刊17面 (大機小機)ドルの覇権崩すデジタル通貨

「日銀や欧州中央銀行(ECB)など6つの中央銀行と国際決済銀行(BIS)は、中銀デジタル通貨に関して情報共有などをするグループを新たに設立した。各中銀が足並みをそろえて中銀デジタル通貨の創設に動くことを視野に入れているわけではない。中銀デジタル通貨の発行に向けた各中銀の姿勢や狙いなどは、ばらばらだからだ。」という論説である。
「米フェイスブックが主導するデジタル通貨・リブラと、中国が発行準備を進める中銀デジタル通貨・デジタル人民元に対する強い警戒心から形成されたのは間違いない。」としている。
一方、「米国もグループに参加していない。米国がデジタル通貨の発行に後ろ向きなのは、リブラや中銀デジタル通貨の利用が世界に広がると、米国の金融覇権が突き崩されてしまうからだ。」という。「米国は、国際銀行送金の際にその情報を伝える国際銀行間通信協会(SWIFT)と米銀を通じて、国際的な資金の流れに関する情報をほぼ独占し、国際戦略に使っているとされる。」が、「従来型の銀行間送金でなくブロックチェーン技術に支えられたデジタル通貨が国境を越えて広く利用されるようになれば、米国による送金情報の独占は崩れ、有効な経済制裁も実行できなくなる可能性が生じる。」というのである。
そして、「米国も今の方針を転換し、通貨覇権と技術覇権の維持を優先して、中銀デジタル通貨の発行に乗り出す可能性が出てくるのではないか。その結果、中銀デジタル通貨で各国が連携し、リブラやデジタル人民元を封じ込める動きも強化されるだろう。鍵を握るのは、やはり米国である。」と結んでいる。

リブラやデジタル人民元といった世界は、まだ私にはピンと来ない。だが、お金の流れに猛烈な変更が生じていることは実感する。特に、国際送金では、もはやSWIFTは完全な時代遅れである。その理由は、国際送金でやり取りされるのは、実際の通貨ではなく、通貨の価値だからであろう。このことは、テロの映画などでも、クリック一つで大金が送金されるシーンを思い浮かべれば明らかである。価値の伝達であってみれば、銀行間経由である必要はなく、ネットを介して誰にでもできることになる。実際、ビット・コインなどの仮想通貨は、犯罪でも利用されるようになっている。アマゾンのポイントなどは、実際の通貨と変わらない価値を持ってきている。
ただ、仮想通貨には、少し前のハッキング被害のような脆弱性がある。その脆弱性は、発行・管理主体の基盤が弱く、信頼性に乏しいことにある。Facebookのリブラや中国政府のデジタル人民元は、この点に着目し、巨大企業や政府の信用力によって、仮想通貨の信頼性を高めようとするものであろう。
よく分からないのは、ブロックチェーンのメカニズムである。いろいろな説明が行われているが、今一つ、ピンとこない。そこで探してみて、原論文にたどり着いた。
https://bitcoin.org/bitcoin.pdf
また、この論文の各国語訳も、掲示されている。
https://bitcoin.org/ja/bitcoin-paper
ざっと目を通したが、難度の高い論文である。社会への影響という点では、「ノーベル賞級」というのも、納得できる。ただ、この現代流の論文を理解できる審査員の数がそろうかどうかは疑問であるが。
中核的な点で理解できたのは、この技術が、peer-to-peer(P2P)の考え方で構成されていることである。P2Pは、中央制御機関を経由せず、端末と端末とで直接的に情報をやり取りするものである。この考え方により、ブロックチェーンの管理は、分散型で行われるようになり、障害にも強く、改ざんの可能性も低くなるというわけである。
改ざんの可能性が低くなるのは、取引の全データが全参加者に送信され、その認証の最も多いものが、最長ブロックチェーンとして認知されて、台帳が更新され継続していくことによるようである。細かな点までは理解できなかったが、これは、多数決を模したものであり、デジタル民主主義の産物と言えるのかもしれない。
大変興味深いのは、国家や巨大銀行などの中央独占的な組織に対して、デジタル民主主義が挑戦しているという図式になるわけだが、その技術の利用を図るリブラやデジタル人民元の管理主体が、独占的な企業や専制的な国家であるという点である。さて、この矛盾に満ちた動きの行く末がどうなるのか、興味は尽きない。
2020年2月15日 朝日朝刊33面 ●(ニュースQ3)「内定辞退させて頂きたく」 指南本、完売続出

「就職活動で学生が有利な売り手市場が続く中、企業に入社を断る「内定辞退セット」が人気になっている。手紙の書き方や電話のかけ方を指南するものだが、取り扱う書店や文具店では売り切れが続出。購入者からは「断れてほっとした」という声も聞かれる。」という記事である。
「春の入社が迫るこの時期でも、内定を断っていない学生もおり、売れ行きにつながっているという。」が、「人生で断る機会がほとんどなかったから、どうしたらいいのかわからなかった」という内定式の直前になって泣きながら社長に電話した男子学生の例も紹介されている。
記事では、「お断り」の悩みは大学生にとどまらないとして、本人の代わりに会社を辞めたいと伝える「退職代行サービス」にも言及している。「断れないのは、思いやりのはき違え」「ビジネスは恋愛にも通じます」という銀座の伊藤由美ママの声も紹介されている。「大事なのはいい子ぶらないことだという。」とし、「相手を気遣うことも大事ですが、大切にすべきは自分です」と締めくくっている。

この「内定辞退セット」については、当ブログでも、すでに取り上げたところである。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200121NY02.html
そんなに追記することもないのだが、この記事の最後の「相手を気遣うことも大事ですが、大切にすべきは自分です」は、間違ったコメントとしか思えない。
「大切にすべきは自分」だからこそ、何もしないのではないか。相手に嫌な顔をされたりして、自分の感情が揺らぐのが嫌だから、何の行動も起こさないのであろう。「相手を気遣う」などとは、まったく無縁である。相手に迷惑がかかることは少し想像すれば分かるはずだが、そんなことはどうでもよいということなのである。
もっとも、内定辞退や退職申出ができないのは、企業側にも問題があると思える。人手不足の中、内定や退職のつなぎとめに過剰に対応している場合も、あるのではないか。
この問題の当事者に考えて欲しいのは、「何もしないことも意思表示」だということである。それは、若者世代での「既読スルー」にも通じるし、シカトによるイジメと同列のものでもある。人生は、決断の連続である。その決断には、能動的な意思表示も、消極的な現状追認も含まれる。その中で、回避的な決定遅延は、結局、消極的な現状追認が続くものであるということである。その結果の責任は、本人が負わざるを得ない。本人が何もしていないつもりでも、実際には何かをしているのが、人間社会というものなのである。
2020年2月15日 朝日朝刊12面 (経済気象台)「全世代型」の回りくどさ

「政府が全世代型の社会保障改革を進めている。「全世代型」の言葉には、すべての世代が得をするかのような響きがあるが、決してそうではない。」という論説である、
「現行の社会保障制度を続ければ、将来の世代の負担は着実に重くなる。世代間の受益と負担の調整を進めなくてはならない。」とし、政府の「70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務とする方針」については、「めざす方向は適切だが、なんとも中途半端だ。」としている。
「長寿はこの国の誇るべき財産だが、その分、国民全体の生活費や医療費は膨らむ。人口が減っていく子や孫の世代に多くを負担させるのは、いかにも無理がある。」とし、「いま必要なのは、定年制を廃止し、年金支給の開始年齢を引き上げる議論を、早く始めることだろう。政治には、国民から反発を買ってでも説得を続ける覚悟と、実行する胆力を期待したい。」と結んでいる。

その通りの正論であるが、「年金支給の開始年齢を引き上げる議論」が、すんなりと進められるかどうかという点になると、途端に先行き不透明になる。実は、「支給開始年齢の引き上げ」が検討課題として取り上げられた時がある。それは、旧民主党政権下の社会保障審議会年金部会で2011年10月11日のことであった。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001r5uy-att/2r9852000001r5zf.pdf
ところが、これを検討課題と提示しただだけで、マスコミや世論は、袋叩きにしたのである。厚生労働省には、その時のトラウマは、今も払拭されていないのではないかと思われる節がある。「支給開始年齢の引き上げ」がタブー視され、「支給開始年齢の弾力化」「70歳までの雇用環境の整備」で、状況変化を待っているのではないかと思われる。
一方、上記論説は、「将来の世代の負担は着実に重くなる」ので、支給開始年齢の引き上げを主張するものであるが、実は、若者の中にも、引き上げに反対する意見は少なくないのである。それは、引き上げは過去にもそうであったように、段階的に行われざるを得ず、結局、若者の方が割りを食う結果になることによるのであろう。
この点は、上記の年金部会資料の24ページでも、次のように言及されている。
「マクロ経済スライドによる給付抑制の調整期間が短くなることから、「スライド調整終了後」の年金給付水準の低下が緩和されることとなる。このため、世代間格差の縮小に寄与する面がある。」
「一方で、支給開始年齢の引上げが行われる以降の世代については、年金給付費の減少が生じることとなる。つまり、支給開始年齢の引上げは、将来世代に影響が強く出ることについて、どう考えるか。」
残念ながら、この点についての抜本的な解決策はない。乱暴な意見なら、今の年金受給者の給付を3割引き下げるべきだというような意見があるが、そんな事をすれば、年金制度は崩壊し、政権も倒れて社会・経済は大混乱に陥り、収拾がつかなくなるだろう。何でも、言えばいいというものではない。無責任極まる暴言である。
また、上記論説では、「定年制を廃止」に言及している。一連の流れからすると、「高年齢でも働ける間は働き」という感じに思えるが、「定年制廃止」は、「定年制延長」とは、まるで異なる。「定年制延長」は延長後の年齢までの雇用保障がセットされるが、「定年制廃止」なら、その保障はない。すなわち、業績や貢献次第で解雇される可能性が高まることになる。「好きなだけ働ける」のは理想だが、景気変動の中で、それだけの柔軟性を持つ企業は、皆無であろう。したがって、「定年制廃止」は、企業外への国家主体の生活保障の必要性を高めることになる。これも、支給開始年齢の引き上げに反対することにつながる可能性がある。
このように、支給開始年齢の引き上げの議論は、一筋縄ではいかない。それでも、寿命が延びれば、働く期間を長くして、年金の受給期間を短くするようにしなければ、年金制度が維持できないのは、理の当然である。現在のマクロ経済スライドによる年金減額は、年金制度の財政を成り立たせるための方策とか言われているが、年金額が老後生活の基本的所得保障ができなくなるまで落ち込めば、制度は実質的に破綻するわけで、年金財政もへったくれもあったものではない。むしろ、支給開始年齢引き上げへの誘導手段と考えるべきであろう。
その観点からすると、支給開始年齢の引き上げと言う言い方ではなく、長寿化の中での、標準的な引退年齢の提示というマイルドな形の方がようのではないか。欧米各国でも、寿命が延びた分に対応して年金の支給開始年齢を調整するという考え方が浸透してきている。一方で、高齢期における個々人の差異は大きい。適切な言い方を模索しながら、長寿化の中での年金のあり方を国民に考えてもらう姿勢が、政府や年金専門家には必要なのではないか。