2020年1月23・24日 米国企業年金会議(米国ロサンゼルス)
米国の企業年金制度と401(k)制度の最新状況についての会議が行われ、参加した。
会議日程と各パートの概要は、次の通りである。
http://www.ne.jp/asahi/kubonenkin/company/20200123conference.pdf
この会議に参加した理由であるが、米英の企業年金では、給付建て(DB)制度が衰退し、掛金建て(DC)制度が主流となっている。そのためか、国際年金会議への米英の年金専門家の参加が非常に少なくなっており、その少数の参加者の発表にも、あまり参考になるものが感じられない状況であった。
今回のこの会議は、米国内のアクチュリーや専門家を対象としたもので、ワークショップの議題を、DCとDBとで半々にしていることから、米国の企業年金の現状を知る上で参考になるのではないかと考えた次第である。
感想として、議題は多岐にわたり、米国企業年金の最新状況を知ることはできた。ただ、当然の事ながら、米国内の専門家を相手にしているものなので、非常に細かい点にまで言及しており、部外者としては分かりにくいものも多かった。また、DCとDBとで半々ではあったが、DBの衰退が随所に感じられる内容であった。それでも、米国企業年金の最新状況を理解する上では、貴重な機会であった。
参加者数は、プレゼンターも含めて、リストでは約170名であったが、会議後援の会社も含まれており、実際の専門家の参加者は、100名程度ではなかったかと思われる。各会議では、聴衆側の中央にマイクが設定され、質問があればプレゼン中でも自由に発言できるようになっていた。また、参加の専門家(全米年金専門家・アクチュアリー協会の会員や登録アクチュアリーなど)に対して、継続教育の単位が付与されることとなっていた。
2020年1月24日金曜日
2020年1月24日 ★ロサンゼルスの交通事情(続)
前回の「ロサンゼルスの交通事情」について反響があったので、補足しておきたい。
追記するのは、ロサンゼルスのホテルからロサンゼルス国際空港(LAX)までのタクシーについてである。
宿泊したのは、Hilton Los Angeles/Universal Cityであったが、このホテルはロサンゼルスの名物観光施設のUniversal Studioに隣接しており、歩いても10分とかからない距離にある。当初、このホテルで会議が行われるのは、さすがにワーク&バランスを考えた欧米人らしいと思ったが、実際には参加者はほとんど単独で、配偶者などの同行はなく、会議の前後にUniversal Studioに立ち寄った形跡はなかった。
ちなみに、Universal Studioは大阪にもあり、行ったことがあるが、大混雑だった。ロスのUniversal Studioは、何十年も前に家族連れで訪れたことがあるが、アトラクションも新設・入替で、今ではまったく別物である。
これについて、ロス空港の入管で、宿泊ホテル名を見た職員が、「Universal Studioには行くのか?そりゃあ遅すぎるだろう。今から行ったって満員だぜ。」と言われて驚いた。到着したのは平日水曜日の朝9時で、ホテル到着も午前中だったから、Universal Studioを見るのには支障はないと思っていたからである。
実際には、ホテルに到着して、無料のシャトルバスで向かったところ、日本の感覚では、ガラガラの状態だった。疲れ果てていて入場できず、結局、その後も時間がなくて外側の観光・飲食施設を回った程度であったが。
以上で、長々とホテルについて書いたのは、ロス市内のヒルトンは別格でも、この郊外のホテルもヒルトンの名にふさわしい高級ホテルで、隣接ホテルのシェラトンとともに、Universal Studioまでのシャトルバスを共同運航しているような格式であることを伝えたかったからである。さて、そのホテルで、タクシーのピックアップは、どうだったのか。
会議日程の最後までいるとフライトの時間的余裕がなくなるので、少し早めに切り上げることとし、念のために、ホテルにタクシーを予約しようとしたところ、「タクシーは、呼べば20分くらいで、いくらでも来るよ」と言われた。まあ、呼べば迎車料金がかかるかもしれないので、出発予定の15時の20分前からホテルの前で待つことにした。
ところが、待っても待ってもタクシーが来ない。先着の乗客が2名いたが、彼らもイライラしながら待っている様子だった。そのうちに、何人かがホテル玄関に現れ、Uberに乗って、さっさと行ってしまった。さすがに気になって聞いてみると、シェラトンの方で大規模な会議があり、そちらにタクシーをとられているらしいとのこと。当方としては、とにかく待つしかないが、ホテルの担当者も、さすがに気になったようで、何回か電話をかけて、知り合いのタクシーに回ってもらうようにしていた。結局、乗車できたのは15時20分頃で、40分近く待っていた。その上に、一つ前の乗客がダウンタウンまでということで、我々に譲ってくれた上での話である。
これが、米国有数の高級ホテル・チェーンで起きたことである。どう考えても、走っているタクシーの数が少ないとしか思えない。我々もUberを使えばよかったのだが、登録には携帯番号が必要であり、旅先では登録が難しかったことがある。また、Uberの運転手は基本的には素人で、プロのタクシー運転手の方が良いと思った点もあるし、万一の事故の場合のことも考えた結果である。空港までの運賃は来た時と同じ110ドル(チップ込み)だった。なお、次男が米国サンノゼに在住しているが、その嫁は、タクシーには乗ったことがなく、乗り方も分からないという。Uberなどが当たり前だそうである。
また、ロスでは、2028年にオリンピックが予定されており、空港の整備もその一環だそうであるが、タクシー運転手によると、「オリンピックは政治家の領域」で、ロスには家賃高騰によってホームレスが溢れているとのことだった。
ついでに、ロスの後はサンノゼの次男を訪ねたが、買い物などは次男のカードでしてもらい、後で日本から持参したドル現金で清算したが、「ドル札を見たり使ったりする機会はほとんどない」と言っていた。ただ、「チップに困るので、1ドル札は嬉しい」とのことだった。レストランなどでも、カードでの支払い時にチップを追加するのが一般的だが、いわゆる枕銭は、キャッシュレス化の進展の中で消滅しているのではないかと気になった。その背景には、環境保護の観点から、連泊の場合、シーツやタオルの取り替えを抑制していることもある。
以上が、追記である。なお、キャッシュレス化については、次の記事も参照されたい。
前回の「ロサンゼルスの交通事情」について反響があったので、補足しておきたい。
追記するのは、ロサンゼルスのホテルからロサンゼルス国際空港(LAX)までのタクシーについてである。
宿泊したのは、Hilton Los Angeles/Universal Cityであったが、このホテルはロサンゼルスの名物観光施設のUniversal Studioに隣接しており、歩いても10分とかからない距離にある。当初、このホテルで会議が行われるのは、さすがにワーク&バランスを考えた欧米人らしいと思ったが、実際には参加者はほとんど単独で、配偶者などの同行はなく、会議の前後にUniversal Studioに立ち寄った形跡はなかった。
ちなみに、Universal Studioは大阪にもあり、行ったことがあるが、大混雑だった。ロスのUniversal Studioは、何十年も前に家族連れで訪れたことがあるが、アトラクションも新設・入替で、今ではまったく別物である。
これについて、ロス空港の入管で、宿泊ホテル名を見た職員が、「Universal Studioには行くのか?そりゃあ遅すぎるだろう。今から行ったって満員だぜ。」と言われて驚いた。到着したのは平日水曜日の朝9時で、ホテル到着も午前中だったから、Universal Studioを見るのには支障はないと思っていたからである。
実際には、ホテルに到着して、無料のシャトルバスで向かったところ、日本の感覚では、ガラガラの状態だった。疲れ果てていて入場できず、結局、その後も時間がなくて外側の観光・飲食施設を回った程度であったが。
以上で、長々とホテルについて書いたのは、ロス市内のヒルトンは別格でも、この郊外のホテルもヒルトンの名にふさわしい高級ホテルで、隣接ホテルのシェラトンとともに、Universal Studioまでのシャトルバスを共同運航しているような格式であることを伝えたかったからである。さて、そのホテルで、タクシーのピックアップは、どうだったのか。
会議日程の最後までいるとフライトの時間的余裕がなくなるので、少し早めに切り上げることとし、念のために、ホテルにタクシーを予約しようとしたところ、「タクシーは、呼べば20分くらいで、いくらでも来るよ」と言われた。まあ、呼べば迎車料金がかかるかもしれないので、出発予定の15時の20分前からホテルの前で待つことにした。
ところが、待っても待ってもタクシーが来ない。先着の乗客が2名いたが、彼らもイライラしながら待っている様子だった。そのうちに、何人かがホテル玄関に現れ、Uberに乗って、さっさと行ってしまった。さすがに気になって聞いてみると、シェラトンの方で大規模な会議があり、そちらにタクシーをとられているらしいとのこと。当方としては、とにかく待つしかないが、ホテルの担当者も、さすがに気になったようで、何回か電話をかけて、知り合いのタクシーに回ってもらうようにしていた。結局、乗車できたのは15時20分頃で、40分近く待っていた。その上に、一つ前の乗客がダウンタウンまでということで、我々に譲ってくれた上での話である。
これが、米国有数の高級ホテル・チェーンで起きたことである。どう考えても、走っているタクシーの数が少ないとしか思えない。我々もUberを使えばよかったのだが、登録には携帯番号が必要であり、旅先では登録が難しかったことがある。また、Uberの運転手は基本的には素人で、プロのタクシー運転手の方が良いと思った点もあるし、万一の事故の場合のことも考えた結果である。空港までの運賃は来た時と同じ110ドル(チップ込み)だった。なお、次男が米国サンノゼに在住しているが、その嫁は、タクシーには乗ったことがなく、乗り方も分からないという。Uberなどが当たり前だそうである。
また、ロスでは、2028年にオリンピックが予定されており、空港の整備もその一環だそうであるが、タクシー運転手によると、「オリンピックは政治家の領域」で、ロスには家賃高騰によってホームレスが溢れているとのことだった。
ついでに、ロスの後はサンノゼの次男を訪ねたが、買い物などは次男のカードでしてもらい、後で日本から持参したドル現金で清算したが、「ドル札を見たり使ったりする機会はほとんどない」と言っていた。ただ、「チップに困るので、1ドル札は嬉しい」とのことだった。レストランなどでも、カードでの支払い時にチップを追加するのが一般的だが、いわゆる枕銭は、キャッシュレス化の進展の中で消滅しているのではないかと気になった。その背景には、環境保護の観点から、連泊の場合、シーツやタオルの取り替えを抑制していることもある。
以上が、追記である。なお、キャッシュレス化については、次の記事も参照されたい。
| https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200131NA27.html |
2020年1月23日木曜日
2020年1月23日ロサンゼルスにて
1月22日に日本を発ち、現在、ロサンゼルスのホテルである。時差は日本の方が17時間進んでおり、現在当地は23日の午前4時頃だが、日本では午後9時(21時)頃になる。
主目的は、現地で本日23日と明日24日に行われる年金会議への出席であるが、今回分では、ホテルに到着するまでの道中記を記してみたい。
まず、日本での住まいは池袋に近いので、JRの成田エクスプレスを利用した。乗り換えなしで成田空港でが行けるためだが、以前に比べると、成田エクスプレスの利用者は、かなり減った感じである。やはり、時間(間隔含む)や料金では、日暮里発の京成スカイライナーに分があるようである。
成田空港(第1ターミナル)では、フライトまで時間があるので、出国審査の前に、クレジットカードのラウンジ(空港ビル5F)を利用した。以前はクレジットカードでラウンジが分かれていたが、統合されたようで広くなっており、アルコールも1杯無料だった。ビジネスクラスなどの出国審査後のラウンジの利便性には比べるべくもないが、まあ一息つくことはできる。
出発便のANAの搭乗手続きは、最悪だった。これまでの経験では、エコノミークラスの場合、機体後方の座席から搭乗案内を行っており、合理的だと感じたものだが、今回は全席一斉で区分を行っておらず、長蛇の列ができていた。工夫がないと無駄が生じる。
さて、ロサンゼルス空港に到着してからだが、入国審査が面倒臭くなっている。ESTAで事前申請が義務付けられている上に、機械で個人情報を登録する必要があるのだが、それを行った上で、さらに係官が指紋採取などの作業を重複して行っている。何のための二重作業が分からず、いずれ機械登録主体になるのかもしれないが、現状は煩わしい。
煩わしいのは、ようやく空港を出て、市内に向かう交通機関についてもである。実は、ここで大きな変化が起きている。従来、市内に向かう便利で安価な手段は、(利便性に劣る公共交通機関を除くと)空港シャトルだった。乗合にすれば費用を抑えられたのだが、これが2019年末に事実上廃止された。事実上というのは、継続している会社もあるのだが、悪評やトラブルが頻発しているのである。
廃止の理由だが、Uberなどの自家用車による乗用サービスが拡大したことによる。このことは、空港施設にも甚大な影響を与えており、客を求めて殺到する自家用車で大混雑しており、ロサンゼルス空港では、各ターミナルを出たところから乗車できたのを取りやめ、タクシーやUberなどを集めた乗り場としてLAX-itを新設している。その乗り場まではターミナル間の無料シャトルで向かえるのだが、そのための乗車場所がはっきり分からず、結局、歩いて向かう(20分程度)羽目になってしまった。
さて、LAX-itでだが、もう主体は、Uberなどのサービスに移っている。今回は、Uberなどのアプリ登録を行っていなかったため、タクシーを利用したが、乗客はまばらだった。今回のホテル(会議場)は、郊外のユニバーサルスタジオ近くだったため、空港シャトルでも60ドル以上の費用見込みだったが、タクシー利用で110ドル(チップ込み)を要してしまった。Uberなどなら、恐らく半値くらいだったと思うし、乗車前に料金が確認できてクレジット払いなので、現金の心配がない。空港シャトルも、事前料金把握・クレジット払いだったのだが、乗り場がLAX-itになり、押し寄せる自家用車の大群の中では、乗客と設定した時間通りの乗車が行えず、トラブル頻発になったのであろう。
「百聞は一見にしかず」というが、このようなUberなどのサービスを当たり前の事として東京五輪に押し寄せてくる外国人旅行客を考えると、交通機関についても万全の受け入れ態勢と言えるかどうか疑わしい。幸い、日本の場合には、公共交通機関の電車やバスが充実しているが、タクシー利用とUberなどのサービスのせめぎ合いは、激しいものがあるだろう。ロサンゼルス空港の状況を見ると、もはや空港タクシーは生き延びてはいけないのではないかと思う。「時代の波」を、倍近く払わざるを得なかった料金で考えさせられた。
1月22日に日本を発ち、現在、ロサンゼルスのホテルである。時差は日本の方が17時間進んでおり、現在当地は23日の午前4時頃だが、日本では午後9時(21時)頃になる。
主目的は、現地で本日23日と明日24日に行われる年金会議への出席であるが、今回分では、ホテルに到着するまでの道中記を記してみたい。
まず、日本での住まいは池袋に近いので、JRの成田エクスプレスを利用した。乗り換えなしで成田空港でが行けるためだが、以前に比べると、成田エクスプレスの利用者は、かなり減った感じである。やはり、時間(間隔含む)や料金では、日暮里発の京成スカイライナーに分があるようである。
成田空港(第1ターミナル)では、フライトまで時間があるので、出国審査の前に、クレジットカードのラウンジ(空港ビル5F)を利用した。以前はクレジットカードでラウンジが分かれていたが、統合されたようで広くなっており、アルコールも1杯無料だった。ビジネスクラスなどの出国審査後のラウンジの利便性には比べるべくもないが、まあ一息つくことはできる。
出発便のANAの搭乗手続きは、最悪だった。これまでの経験では、エコノミークラスの場合、機体後方の座席から搭乗案内を行っており、合理的だと感じたものだが、今回は全席一斉で区分を行っておらず、長蛇の列ができていた。工夫がないと無駄が生じる。
さて、ロサンゼルス空港に到着してからだが、入国審査が面倒臭くなっている。ESTAで事前申請が義務付けられている上に、機械で個人情報を登録する必要があるのだが、それを行った上で、さらに係官が指紋採取などの作業を重複して行っている。何のための二重作業が分からず、いずれ機械登録主体になるのかもしれないが、現状は煩わしい。
煩わしいのは、ようやく空港を出て、市内に向かう交通機関についてもである。実は、ここで大きな変化が起きている。従来、市内に向かう便利で安価な手段は、(利便性に劣る公共交通機関を除くと)空港シャトルだった。乗合にすれば費用を抑えられたのだが、これが2019年末に事実上廃止された。事実上というのは、継続している会社もあるのだが、悪評やトラブルが頻発しているのである。
廃止の理由だが、Uberなどの自家用車による乗用サービスが拡大したことによる。このことは、空港施設にも甚大な影響を与えており、客を求めて殺到する自家用車で大混雑しており、ロサンゼルス空港では、各ターミナルを出たところから乗車できたのを取りやめ、タクシーやUberなどを集めた乗り場としてLAX-itを新設している。その乗り場まではターミナル間の無料シャトルで向かえるのだが、そのための乗車場所がはっきり分からず、結局、歩いて向かう(20分程度)羽目になってしまった。
さて、LAX-itでだが、もう主体は、Uberなどのサービスに移っている。今回は、Uberなどのアプリ登録を行っていなかったため、タクシーを利用したが、乗客はまばらだった。今回のホテル(会議場)は、郊外のユニバーサルスタジオ近くだったため、空港シャトルでも60ドル以上の費用見込みだったが、タクシー利用で110ドル(チップ込み)を要してしまった。Uberなどなら、恐らく半値くらいだったと思うし、乗車前に料金が確認できてクレジット払いなので、現金の心配がない。空港シャトルも、事前料金把握・クレジット払いだったのだが、乗り場がLAX-itになり、押し寄せる自家用車の大群の中では、乗客と設定した時間通りの乗車が行えず、トラブル頻発になったのであろう。
「百聞は一見にしかず」というが、このようなUberなどのサービスを当たり前の事として東京五輪に押し寄せてくる外国人旅行客を考えると、交通機関についても万全の受け入れ態勢と言えるかどうか疑わしい。幸い、日本の場合には、公共交通機関の電車やバスが充実しているが、タクシー利用とUberなどのサービスのせめぎ合いは、激しいものがあるだろう。ロサンゼルス空港の状況を見ると、もはや空港タクシーは生き延びてはいけないのではないかと思う。「時代の波」を、倍近く払わざるを得なかった料金で考えさせられた。
2020年1月23日 日経 朝刊 23面 家族の変化と社会保障(4)子どもが持つ経済的意義
「やさしい経済学」欄における東北大学の若林准教授による連載解説記事である。 「家族の変化と社会保障」というテーマに関心を抱いた。
今回の内容は、「子どもが持つ経済的意義」ということで、「両親は子どもを持つことによる便益が費用を上回ったときのみ、もう1人子どもを持つことを選択します。この限りにおいて、経済学的には子どもの数が「少なすぎる」ことはなく、適切な数の子どもが生まれているといえるので、少子化は問題ではありません。」というものである。
その次に、「子を持つという行動は社会の第三者に便益(もしくは費用)をもたらすのでしょうか。つまり子どもに外部性はあるのでしょうか。」ということを論じており、「日本の公的年金制度は、勤労者世代が支払う税や保険料が高齢者世代の給付に使われる賦課方式です。すなわち、子どもをもう1人産むことは、親以外の第三者の生活をよくする便益を発生させます。」としている。
さらに続けて、「少子化は社会的に問題だとの主張がなされますが、そもそもそうした主張は、公的年金が賦課方式となっていることに起因します。親が希望する子どもの数よりも、制度を維持するために必要とされる子どもの数が多くなるためです。自分が将来受け取る年金を積み立てておく積立方式では、支払った年金保険料は将来自分が受け取るので、第三者の便益にはなりません。」としている。
最後に、「したがって外部性は発生せず、子どもの数が少なすぎるとはいえないのです。少子化が問題だという議論に、経済学的な根拠を見いだすのはなかなか難しいように思います。」と結んでいる。
この「経済学的議論」には、違和感を感じる。子どもの外部性が生じるのは、「公的年金が賦課方式」だからで、「積立方式」なら外部性は生じない、と言っているが、それは、積立方式なら、「自分の所得の範囲内で自分の老後の費用も賄われる、故に、子ども(自分の子でも他人の子でも)に依存することはない。」という理屈によるのであろう。
しかし、ならば、自分が成人になるまでの費用は、誰が賄っているのか。それは、親になるわけだが、この論説の考え方は、子育ての費用は、子育ての便益と一致しているはずであり、親に対する負債として残るものではないということになろう。だが、それは実態に合うものなのであろうか。
私は、子育ての便益の中には、子が老後に面倒をみてくれる期待も含まれるものと考える。人の寿命には不確実性があるわけだが、子の存在は、その不確実性に対する保険の役割を果たす面があると思うのである。
年金制度が「積立方式」なら、という議論に対しては、そもそも年金制度がなかったら、人は老後のために積み立てるものなのか、という根本的な疑問がある。子がいれば子に期待する分がある一方、子がいなければ自力で準備するしかない。
年金制度は、結局のところ、この子による親の扶養を、家族単位から社会単位に転換したものである。その仕組みが成り立つには、扶養を受ける親と扶養をする子どもの数(および期間)が均衡していなければならない。少子化が、この均衡を崩すのは、実は、「子どもを持たない人が、年金制度によって、他人の子どもに扶養してもらう」からに他ならない。
誤解lを招くのは、「現役のうちに老後のための保険料を支払っている」という年金制度のレトリックによるわけだが、そもそも、それは真実ではない。真実は、自分の親の扶養のために保険料という形で費用を分担しているわけである。この公的年金制度の本質からして、公的年金制度が積立方式で運営されることは、あり得ないのである。
結局、この論説には、以上のような考察が欠落している。そもそも、子どもの意義を、経済的側面に限定して論じること自体に、無理があるのではないか。
「やさしい経済学」欄における東北大学の若林准教授による連載解説記事である。 「家族の変化と社会保障」というテーマに関心を抱いた。
今回の内容は、「子どもが持つ経済的意義」ということで、「両親は子どもを持つことによる便益が費用を上回ったときのみ、もう1人子どもを持つことを選択します。この限りにおいて、経済学的には子どもの数が「少なすぎる」ことはなく、適切な数の子どもが生まれているといえるので、少子化は問題ではありません。」というものである。
その次に、「子を持つという行動は社会の第三者に便益(もしくは費用)をもたらすのでしょうか。つまり子どもに外部性はあるのでしょうか。」ということを論じており、「日本の公的年金制度は、勤労者世代が支払う税や保険料が高齢者世代の給付に使われる賦課方式です。すなわち、子どもをもう1人産むことは、親以外の第三者の生活をよくする便益を発生させます。」としている。
さらに続けて、「少子化は社会的に問題だとの主張がなされますが、そもそもそうした主張は、公的年金が賦課方式となっていることに起因します。親が希望する子どもの数よりも、制度を維持するために必要とされる子どもの数が多くなるためです。自分が将来受け取る年金を積み立てておく積立方式では、支払った年金保険料は将来自分が受け取るので、第三者の便益にはなりません。」としている。
最後に、「したがって外部性は発生せず、子どもの数が少なすぎるとはいえないのです。少子化が問題だという議論に、経済学的な根拠を見いだすのはなかなか難しいように思います。」と結んでいる。
この「経済学的議論」には、違和感を感じる。子どもの外部性が生じるのは、「公的年金が賦課方式」だからで、「積立方式」なら外部性は生じない、と言っているが、それは、積立方式なら、「自分の所得の範囲内で自分の老後の費用も賄われる、故に、子ども(自分の子でも他人の子でも)に依存することはない。」という理屈によるのであろう。
しかし、ならば、自分が成人になるまでの費用は、誰が賄っているのか。それは、親になるわけだが、この論説の考え方は、子育ての費用は、子育ての便益と一致しているはずであり、親に対する負債として残るものではないということになろう。だが、それは実態に合うものなのであろうか。
私は、子育ての便益の中には、子が老後に面倒をみてくれる期待も含まれるものと考える。人の寿命には不確実性があるわけだが、子の存在は、その不確実性に対する保険の役割を果たす面があると思うのである。
年金制度が「積立方式」なら、という議論に対しては、そもそも年金制度がなかったら、人は老後のために積み立てるものなのか、という根本的な疑問がある。子がいれば子に期待する分がある一方、子がいなければ自力で準備するしかない。
年金制度は、結局のところ、この子による親の扶養を、家族単位から社会単位に転換したものである。その仕組みが成り立つには、扶養を受ける親と扶養をする子どもの数(および期間)が均衡していなければならない。少子化が、この均衡を崩すのは、実は、「子どもを持たない人が、年金制度によって、他人の子どもに扶養してもらう」からに他ならない。
誤解lを招くのは、「現役のうちに老後のための保険料を支払っている」という年金制度のレトリックによるわけだが、そもそも、それは真実ではない。真実は、自分の親の扶養のために保険料という形で費用を分担しているわけである。この公的年金制度の本質からして、公的年金制度が積立方式で運営されることは、あり得ないのである。
結局、この論説には、以上のような考察が欠落している。そもそも、子どもの意義を、経済的側面に限定して論じること自体に、無理があるのではないか。
2020年1月22日水曜日
2020年1月22日 日経 夕刊 7面 (十字路)「株式貯蓄」再び?
「株式貯蓄」という言葉は、1980年代に証券会社が編み出したもので、「比較的リスクが低い優良株への長期投資を個人に促すという戦略」にかかるものだそうである。
「再び?」としている背景には、「2018年度の上場企業全体(変則決算を除く)の支払配当額は14兆円に上る。加えて日本独特の株主優待もある。」ということがある。「今の高配当の恩恵を直接には享受できていない。しかし、高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要になる。その主役のはずの債券投資にはリターンが無いに等しく、しかも、日本では個人が買える玉(ぎょく)が少なすぎる。」として、株式を貯蓄のように利用したらどうかというのである。
確かに、低金利の状況の中、預金金利はスズメの涙だし、債券投資は、クーポン金利を得るものではなく、さらなる金利低下による価格上昇狙いのものとなっている。しかし、だからといって配当狙いの株式投資に進むのがよいとは、いちがいには言い切れない。配当は一つの着眼点だが、満期のない株式への投資の最終的な成果は、売却時の価格水準によることになる。「高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要」ということに目をつけて「毎月配当型の投信」が大々的に売られてきたが、投資収益が振るわず、元本を毀損したものもあり、金融庁から販売自粛を迫られるに到った。個別の株式では違法配当になって抑止されるものの、配当重視で株式投資を考えることの危険性は、十分に認識する必要があるだろう。
「株式貯蓄」という言葉は、1980年代に証券会社が編み出したもので、「比較的リスクが低い優良株への長期投資を個人に促すという戦略」にかかるものだそうである。
「再び?」としている背景には、「2018年度の上場企業全体(変則決算を除く)の支払配当額は14兆円に上る。加えて日本独特の株主優待もある。」ということがある。「今の高配当の恩恵を直接には享受できていない。しかし、高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要になる。その主役のはずの債券投資にはリターンが無いに等しく、しかも、日本では個人が買える玉(ぎょく)が少なすぎる。」として、株式を貯蓄のように利用したらどうかというのである。
確かに、低金利の状況の中、預金金利はスズメの涙だし、債券投資は、クーポン金利を得るものではなく、さらなる金利低下による価格上昇狙いのものとなっている。しかし、だからといって配当狙いの株式投資に進むのがよいとは、いちがいには言い切れない。配当は一つの着眼点だが、満期のない株式への投資の最終的な成果は、売却時の価格水準によることになる。「高齢化が進むとインカムゲインはさらに重要」ということに目をつけて「毎月配当型の投信」が大々的に売られてきたが、投資収益が振るわず、元本を毀損したものもあり、金融庁から販売自粛を迫られるに到った。個別の株式では違法配当になって抑止されるものの、配当重視で株式投資を考えることの危険性は、十分に認識する必要があるだろう。
2020年1月22日 日経 朝刊 19面 (大機小機)国家規模のスマートシュリンクを
「そろそろ人口問題についての基本姿勢を再考すべきではないか」「現実を踏まえて我々は人口1億人に固執するのをやめるべきだ」とし、「人口が減っても国民一人一人の福祉水準を維持・向上できる」社会を目指すべきだ、とする論説である。
そして、これからは国全体が、賢く人口減少と共存する「スマートシュリンク」を目指すべきではないか、と結んでいる。
この論説の論調に異論はないが、国家規模の「スマートシュリンク」の中身は、何なのだろうか。個人規模なら、「断捨離」として、不要な物を捨て、「足るを知る」暮らしが考えられる。そこから推察すると、日本の現状はどうなるのか。今年は東京オリンピックと浮かれており、大阪万博だ、カジノIRだと、とても必要とは思えない催しが目白押しである。結果的に、不要な物を作り、その維持費や後始末に、将来世代が追われることになるのではないか。「スマートシュリンク」がまず必要なのは、政治家をはじめとする日本人の頭の中のように思える。
「そろそろ人口問題についての基本姿勢を再考すべきではないか」「現実を踏まえて我々は人口1億人に固執するのをやめるべきだ」とし、「人口が減っても国民一人一人の福祉水準を維持・向上できる」社会を目指すべきだ、とする論説である。
そして、これからは国全体が、賢く人口減少と共存する「スマートシュリンク」を目指すべきではないか、と結んでいる。
この論説の論調に異論はないが、国家規模の「スマートシュリンク」の中身は、何なのだろうか。個人規模なら、「断捨離」として、不要な物を捨て、「足るを知る」暮らしが考えられる。そこから推察すると、日本の現状はどうなるのか。今年は東京オリンピックと浮かれており、大阪万博だ、カジノIRだと、とても必要とは思えない催しが目白押しである。結果的に、不要な物を作り、その維持費や後始末に、将来世代が追われることになるのではないか。「スマートシュリンク」がまず必要なのは、政治家をはじめとする日本人の頭の中のように思える。
2020年1月22日 日経 朝刊 7面 (中外時評)2050年からの警鐘
上級論説委員の藤井彰夫による論説で、1997年元旦からの連載企画「2020年からの警鐘」を振り返り、「当時から識者は少子高齢化の問題を指摘していたが、結局、抜本的な対策はとられず、昨年の国内出生数はついに90万人を割り込んだ」遠い将来に感じられた「2020年」がついにやってきた、という書き出しである。
そして、「問題の本質は、識者の多くが将来の危機を認識しながら、結局、改革が進まなかったことだ。少子高齢化も日本型雇用の行き詰まりも決して「想定外」の危機ではない。」としている。
そして、「給付抑制や増税など痛みを伴う改革は避けられない」とし、先送りしていけば、30年後には再び「わかっていたのになぜやらなかったのか」と後悔することにならないだろうか、と警鐘を鳴らすものである。
今に固執すると未来は展望しにくくなる。未来から今を考えると、今の課題が浮かび上がってくることになる。この記事の要点は、そこであろう。一方、日本の政財界のリーダーは高齢化している。30年後の2050年に、自らは生存していないと考える人も、少なくないであろう。なればこそ、若いリーダーが必要なのである。スウェーデンの環境活動家であるグレタ・エルンマン・トゥーンベリさんの切実な訴えが耳に入らないような年代の人では、もうダメなのである。そんな例には、事欠かない。米国のムニューシン財務長官は、「大学で経済を勉強してきてから、我々に説明してほしいものだ」と皮肉ったそうだが、情けないものであり、学問の意義も理解していない愚か者としか思えない。
上級論説委員の藤井彰夫による論説で、1997年元旦からの連載企画「2020年からの警鐘」を振り返り、「当時から識者は少子高齢化の問題を指摘していたが、結局、抜本的な対策はとられず、昨年の国内出生数はついに90万人を割り込んだ」遠い将来に感じられた「2020年」がついにやってきた、という書き出しである。
そして、「問題の本質は、識者の多くが将来の危機を認識しながら、結局、改革が進まなかったことだ。少子高齢化も日本型雇用の行き詰まりも決して「想定外」の危機ではない。」としている。
そして、「給付抑制や増税など痛みを伴う改革は避けられない」とし、先送りしていけば、30年後には再び「わかっていたのになぜやらなかったのか」と後悔することにならないだろうか、と警鐘を鳴らすものである。
今に固執すると未来は展望しにくくなる。未来から今を考えると、今の課題が浮かび上がってくることになる。この記事の要点は、そこであろう。一方、日本の政財界のリーダーは高齢化している。30年後の2050年に、自らは生存していないと考える人も、少なくないであろう。なればこそ、若いリーダーが必要なのである。スウェーデンの環境活動家であるグレタ・エルンマン・トゥーンベリさんの切実な訴えが耳に入らないような年代の人では、もうダメなのである。そんな例には、事欠かない。米国のムニューシン財務長官は、「大学で経済を勉強してきてから、我々に説明してほしいものだ」と皮肉ったそうだが、情けないものであり、学問の意義も理解していない愚か者としか思えない。
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