2020年3月15日日曜日

2020年3月15日 日経朝刊32面 社会人とは何か? 山崎ナオコーラ

「社会人」という不思議な日本語がある、という書き出しの作家山崎ナオコーラ氏による随筆である。「「収入を得られる職業に就いている人」を指しての使用が多いように思う。主婦や主夫、年金生活者が含まれない文脈で使われているのをよく見かける。さらに、正社員のみを指すような文章を見かけることもある。フリーター、派遣社員、芸術家、休業者などは「社会人」という言葉で表現されることが少ない。定収入信仰だ。」としている。
続けて、「けれども『大辞林』で「社会人」を引いてみると、「(1)学校や家庭などの保護から自立して、実社会で生活する人。(2)(スポーツなどで)プロや学生ではなく、企業に籍を置いていること。(3)社会を構成している一人の人間。」とある。(2)のイメージが強くて、企業の雰囲気が漂う言葉になっているのかもしれない。」とする。
そして、「スポーツに関係のないシーンで使われる「社会人」は(1)と(3)の意味のはずであり、主婦もフリーターも芸術家も真に「社会人」だ。それなのに、会社に通って、礼儀正しく過ごし、自分の収入で生活する、というイメージは根強い。」と言う。
しかし、「とはいえ少しずつ変わってきているのかもしれない」とし、「フリーランス」のご自身のお子さんの保育園入園での経験を記している。そして、「働き方の多様性が認められる社会が始まっているのではないか。派遣社員もフリーターも「社会人」だ。私も、きっと堂々と働いていい。明るい光に感じられた。」としとぃる。
その上で、「おそらくこれからは、雑談で雰囲気を動かしたり、消費の選択で経済社会を動かしていく主婦や主夫もはっきりと「社会人」と呼ばれるようになる。いや、…あと5年で主婦と主夫という言葉はなくなる。…家庭運営者も「社会人」だ。」としている。
一方、「主婦の年収を計算して社会評価に繋(つな)げようという考え方も世間にあるが、私は反対だ。家庭運営者は、パートナーに雇われているのでも、家族を顧客と見なしているのでもない。社会を良くする高度な職業だ。年収で社会評価を下す時代は終わりだ。もう、金は物差しにならない。」とし、「よく「女性の社会進出」「女性が輝く社会」といったフレーズを見かけるが、これもおかしい。どうも、「金に繋がる職業に就くことが社会進出」「収入を得ることで、やっと輝ける」という意味が透けて見える。」と続けて、「コーヒーを飲むだけの小説でも経済小説になり得ると考えている。育児も介護も趣味もすべて社会活動だ。」と結んでいる。

興味深い視点である。私自身の経験からして、「社会人になる」とか「社会で出る」というのは、学生時代を卒業して会社に入る、という感覚を持っていた。と同時に、この随筆には、「社会人」という言葉への反発と憧憬が窺われて、その点も新鮮だった。
一方で、「世間」という言葉がある。「世間様に顔向けできない」とか「世間の風は冷たい」とか、すぐにはマイナスのイメージしか出てこないが、これは「社会」よりも、もっと範囲の広いもので、「家庭」外の世界を意味するように思われる。
山崎氏が最初に挙げている「社会人」のイメージからは、「会社人間」という言葉が出て来る。会社第一主義に染まった人々という感じだが、「会社」か「社会」かという価値観の相克の場面でも使われる。並びとしては、「家庭」→「社会」→「国家」ということになり、勤め人にとっては、「会社」が「社会」の大きな要素を占めるということになるのだろう。「社会」には、「地域」や「世間」というものも含まれるのだろう。
ともあれ、いろいろな考えの浮かぶ随筆である。

0 件のコメント:

コメントを投稿