2020年3月1日日曜日

2020年3月1日 日経朝刊1面 賃下げ圧力 中高年に集中 経済活性化 スキル習得カギ
2020年3月1日 日経朝刊3面 (きょうのことば)年功型賃金 横並びに課題多く
2020年3月2日 日経朝刊14面 (私見卓見) AI人材が活躍できる組織を

1面の記事は、「日本の賃金は伸び悩みが続く。なかでも、大きなしわ寄せを受けているのが40~50代などの中高年層だ。年功型賃金(総合2面きょうのことば)の影響で賃金水準が高く、企業の総人件費抑制の主な対象となってきた。社員の高齢化で管理職に就けない人も増えた。若年労働力を確保するのが難しい中、スキル習得などによって中高年の生産性をいかに高めるかが経済活性化のカギになる。」というものである。
「年功賃金はすでに形を大きく変えている。」として、厚生労働省の賃金構造基本統計調査に言及している。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2018/dl/13.pdf
記事では、この調査の2000年と2018年のデータを比較しているそうである。その上で、「財務省の法人企業統計調査によると、国内の企業は00年度から18年度までの間に売上高を7%伸ばしたが、人件費は3%増にとどめた。総人件費抑制の照準が相対的に賃金が高い中高年層に向いてきたことは明らかだ。」としている。
その上で、「人手不足に伴う初任給の引き上げや人工知能(AI)などの技術を持つ人材に高い給与を出す制度の導入などで概して若者に有利な状況が続く。中高年層はモノづくりを主体とする産業構造から大きな付加価値を生むデジタル経済への転換のなかで、企業の人材戦略が追いついておらず、賃金にひずみをもたらしている。企業は若年層を奪い合うだけでなく、社内の中高年層に新たなスキル習得をどう促すかが重要になってくる。」としている。
そして、東大の川口大司教授の「年齢にかかわらず、専門性を生かす働き方や仕事内容に応じて賃金を支払う傾向は今後も広がっていくだろう」というコメントを引き、「中高年の潜在力を最大限に活用していくことが経済成長を促し、生産性向上と賃金改善という好循環をつくるための道筋となる。」と結んでいる。

3面の「年功型賃金」の用語解説では、「年齢や勤続年数が高まるにつれ、賃金が増えていく仕組みで、終身雇用とあわせて日本型雇用システムの柱となってきた。」とし、「同じ会社で長く働くほど賃金が上がるので、人材の定着に役立つうえ、長期的な視点で能力開発に取り組める利点がある。」が、「社員個人によるスキルアップや創意工夫の意欲が高まりにくい。転職を含む労働市場の流動化を阻害しているとの指摘もある。」としている。「ただ、年齢に関係なく賃金を支払うには個人の能力や会社への貢献を正確に測る必要があり、客観的な評価が課題となる。」という点も指摘している。

一方、14面の論説記事は、EYアドバイザリー・アンド・コンサルティングアソシエートパートナーの園田展人氏による寄稿で、「「AI(人工知能)関連の国際学会で、日本人の存在感がどんどん下がっている。投資よりも人材の不足が深刻だ」。大学院時代の恩師で、米マイクロソフトの研究所でAI研究を続ける東京大学の池内克史名誉教授に日本のAI投資についての見解を問い、指摘されたことを最近実感する。」という書き出である。
「AI人材を外部に求めるのは、本業を外注するに等しい。」ので、「大手企業が高額の年俸を提示し、AI人材の獲得に力を入れ始めたのは内製化につながる動きだ。しかし、報酬をつり上げるだけで優秀なAI人材の獲得を目指すのが最適解とは思えない。」としている。
そこで、「まず取り組むべきなのは、従来の組織を改め、AI人材を集約した専門組織の構築だ。「ここなら自分は活躍できる」と感じられる魅力的な場をつくることが獲得の第一歩になる。」としている。そして、「一般にAI人材は、活動が制限された組織を嫌う。企業はルールでがんじがらめに縛らず、自由度の高い環境を整えるべきだ。」とし、「カリスマ的な研究者が在籍する企業も、若く優秀なAI人材の目には魅力的に映る。結局、人が人を呼ぶ。こうした環境があれば、高額な報酬で引き付ける必要性は薄まる。」とし、「鍵を握るのは場であり、企業は場を整えるための投資を急ぐべきだ。」と結んでいる。

1面記事では、「新卒で就職し、同じ企業で働き続ける大卒男性の月次の所定内給与」を比較しているが、この区分には様々な要素があり、比較が困難な面がある。一般に「賃金カーブ」について用いられるのは、次のような図表(上記調査結果をベースに、独立行政法人労働政策研究・研修機構が作成したもの)であろう。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0405.html
問題は、年功賃金の下で中高年に到達した労働者が、自分自身の意識を改革し、個々人レベルで「新たなスキル習得」に向かうことができるのかどうかという点にある。そうした危惧を抱く現象の一つに、「60歳定年になった人が、再雇用で大幅に賃金が下がることについて、同じ仕事をしているのに、と不平をもらす」点がある。年功序列で貢献に見合わない賃金を受給していたという意識がないから、このような不平・不満が出て来るのであろう。企業を出て、外部労働市場の実態を知れば、その低下した水準でも恵まれている状況であることを知る場合が多いのではないか。いや、そのことは薄々にでも分かっているから、外に出て行かずに中で愚痴を言っているのではないか。加えて、自分がそのような非正規労働者になってみて初めて、正社員としての待遇との格差が身に染みることになる。
このような愚痴だらけの高齢社員は、経営者にとっても周囲の従業員にとっても、害悪にしかならない。この点は大きな問題となってきており、当ブログでも論評した次の記事でも取り上げられている。
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200119AA07.html
https://kubonenkin.blogspot.com/2020/01/20200126AA07.html
重要なのは、年齢や性別あるいは国籍を超えて、企業の収益に貢献できる労働者を求める動きは世界中に広がっており、そのための専門性を習得し磨いていく必要性が一段と高まっている、ということである。

14面の論説は、1面の記事とは関係が薄いように思われるかもしれないが、共通するのは、「専門性」ということである。論説では、「一般にAI人材は、活動が制限された組織を嫌う」と言うが、それは別にAI人材に限らない。人は、みな自由に生きたいと思っている。それがルールに従うようになるのは、企業という組織の中で生き抜くためである。とりわけ、日本の企業は、「協調性」を重視し、右に倣え的な行動統制を重んじる傾向が強い。しかも、この統制は、幼少時代から続いているもので、学校において問題となっている「イジメ」は、集団活動からの逸脱者に向けられ、「校則」にも、これを助長するきらいがある。
「時間でなく成果に応じた処遇」という謳い文句が、ウソっぽく感じられるのは、まさに、この日本企業の統制体質故である。もっとも、このような統制体質は、仕事の内容にも依存する。チャップリンの映画『モダン・タイムス』に描かれているような工場のベルトコンベアーによる流れ作業では、統制が不可欠である。現代の企業においても、職種によっては、そのような統制、文言としては「規律」が重視される職場は少なくないであろう。
となると、このような工場現場を抱えている企業にとっては、どのように対応すればいいのか。その一つの形が、「外様」として、特別扱いすることである。給与は高いが、企業共同体の一員としては扱われない。企業の取締役に名を連ねることはできても、トップを含めた経営幹部は、そんなよそ者ではなく、新卒入社から生き残ってきた「生え抜き」にする、というのが、おおかたの日本企業の体質であろう。このことは、創業者がらみの同族社長を除けば、ほとんどの大手企業の社長に当てはまるものであり、新卒入社からの長い選別の結果として、高齢者が多く、50歳台でも「若手」と言われる。
こうした体質は、企業だけではなく、日本社会の隅々にまで見られる。官僚にしても、そうである。政治の世界には、官僚などから転身した若手も見られるようになっているが、
当選回数を媒介とした年功序列型の登用の例も、枚挙に暇がない。
極めつけは、まさに論説のAIに関わる「桜田義孝サイバーセキュリティ担当大臣事件」である。辞任したこの大臣は、「自分でパソコンを打つということはありません」と言ってのけていた。日本社会では、まあ無理だよな、と苦笑したくらいで済ましい人も多いのではないかと思うが、海外からすると、驚愕する状況であったであろう。
論説に戻れば、「人が人を呼ぶ」ということがキーになる。自分を成長させてくれるから、その人についていくのである。しかし、このような一流の専門家は、独立心が高く、自身で食っていける自信とプライドを持っている。であれば、このような専門家を社内にキープし続けようとするのは、無理なのではないだろうか。加えて、人生100年と言われるような職業生活の長い時代である。
規律を要する定型的な仕事は、AIなどの技術によって省略化されており、それが、さらに加速する方向にある。一方で、専門家の育成を社内で行うことは不可能ではないが、一流の専門家については、外部調達の方がコストや期間の面で理にかなう状況になっており、そのことは、さらに加速しそうである。
このような専門家を統括する企業の経営者の役割は、あたかもオーケストラの指揮者のようなものではないか。そして、それもまた専門家の仕事である。私見では、このような状況の中では、企業経営は、必要な専門家を適時に集め、その折々に必要な機能を充足していく、いわばプロジェクトのようなものの集合体になるのではないか、と思う。そのような専門家を惹きつけるのは、記事にあるような「場」であるが、雇用とは限らない企業との関係が長期化する保障はないので「報酬」も、相対的には高いものが要求されることになるであろう。
少し、脱線気味だが、このような「専門性」重視の時代の到来に、協調性重視で会社生活を生き抜いてきた中高年社員が、どのように立ち向かうべきなのか。その答えは、おのずから明らかであろうし、今後、「妖精さん」の居場所は、なくなっていくだろう。

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